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(最終更新日: 2014年3月20日

俳句同好会 
世話役:向坂 勝之 

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2014年3月20日

「泥風句会」近況

2009年の初冬に始まったDFの我々の句会(泥風句会)も、小石川の蕎麦屋「小川家」に毎月一度集まって、3月ではや53回を数えます。

小滝徹矢氏を宗匠格に、「俳句はまったく初めて」というメンバーが過半でスタートしましたが、この4年余りで長足の進歩を遂げた者もあります。それ以上に毎回酒焼酎を酌み交わしながらの談論風発は、メンバーの生活リズムの一部にもなってきました。

我々の句会は他と格別変わったところはありません。メンバーは毎回予め兼題3つを含め5句を投句し、当夜は取り纏め役が匿名清記したすべての句から各人が5句を互選し(そのうちの1句は特選句)、高得点句から披講されて全員による批評が始まります。強いて我が句会の特徴といえば、互選で1票も入らなかった句も含め、総ての句が批評に挙げられること。これはメンバーが2、30人あるいはそれ以上になる、結社の大きな句会では不可能なことで、これこそが「座の文藝」といわれる俳句の原点を守るものだと自負しています。

俳句は17文字に総てを言い尽すという、大変無理な、それゆえ不安定な文藝です。既に60年以上前に桑原武夫が指摘したように、昨日始めた初心者の句が大家といわれる俳人の句を凌駕することも珍しくない。そこが短歌をはじめ他の文藝とは大きく違うところです。敢えて言えば、俳句には「上手下手」はない。「好き嫌い」がすべてといっても良いでしょう。

3月17日、主宰を務める現役のエクアドル大使 小瀧 徹 氏(No. 726)が久し振りに一時帰国されたのを機に、全員が出席しての楽しく賑やかな句会となりました。

そこで正岡子規が近代俳句を始めて以来、句会は日本古来の「座」という形を採るのが一般になりました。「座」はそこに集う人々すべてが平等な場です。メンバーは他の人々の句や選評から自分だけの美意識を磨き上げる。多くの共感が得られる句が出来るようになれば、それは結構なことですが、そればかりではなく選句眼をやしない、延いては季節の移り変わりなど自然や情感を楽しむ心をやしなうのが、俳句を手掛けることの究極の目的です。「座」は、そのために最適な仕掛けです。

とは言っても、俳句にもいくつかの決めごとはあり、しかしそれは2、3ヶ月もすればだれでもひと通りは呑み込める。従って「茶道」「華道」のような稽古事とはまったく違います。さらには、芭蕉以来の決め事さえ必要なら崩しても構わない。そういう自由さが俳句の真骨頂です。

自分の感性を磨き上げながら、同時に自分とは違う他人の美意識を楽しむには、何よりも権威に倚らない固有の鑑賞眼が不可欠です。永いサラリーマン生活を通じて、周囲の「空気」に目配りしながら志は胸底に秘めてきた-そういう我々が自由を取り戻す場として、句会は恰好の場ではないかと考えます。

以上

向坂勝之