20周年なんでも寄せ書きコーナー
俳句、短歌、一言、一句、詩、写真、コラム、キャッチフレーズ、イラスト、
何でもOK!あなたの物語が価値になる
50th_image

「一身にして二生を経る」 
(江戸時代の日本地図製作者伊能忠敬の言葉)

江戸末期に初めての日本地図を編纂した伊能忠敬の言葉「一身にして二生を経る」。これが私の人生訓でした。伊能忠敬は1745年に今の千葉県九十九里浜のいわし漁の網元の三番目の子として生まれたが、6歳で母ミネが逝去し、父の実家神保家に引き取られる。寺の僧から算術や土浦の医師から諸学を学ぶ。17歳の時、幕府の儒者林鳳谷より忠敬の名を与えられ、佐原の旧家・伊能家の娘ミチの婿養子となり伊能を名のる。

伊能忠敬の最初の一生は地元の水害対策に執念して成功し(伊能:苗字付与)、二つ目の一生は日本全土を自ら歩き地図を完成させたこと(帯刀:許可取得)である。

伊能忠敬さんの言葉「一身にして二生を経る」!これが私のモットーです。

それでは私の二生の説明をはじめましょう。
「最初の方の一生」は、丸紅での国際商社マンとして、2度も丸紅賞(社長賞)を受賞した時の本社の部課(鉄鋼部門)の長であり、加えて次の二つ目の「生」は勤務した二つの海外店(丸紅米国会社副社長兼ヒューストン支店長、イラン会社社長)で海外店賞受賞に2度も輝いた時の主管者であったこと。合わせ4つの表彰。これが出来たのは丸紅では私だけだと思います。それが先輩諸侯の顰蹙を買うことになりました。

そのようなことから定年を待たずに丸紅を退職し、他社にして多くの場合競争相手となった伊藤忠商事や三井物産の役員や先輩方より拓殖大学はじめ他の大学への教授職・研究所長職への推薦を受け、そこでもう「一つの生」(後の方、拓殖大学商学部教授・経営経理研究所所長他)に就任しました。そして、それまでの国際ビジネスの実際経験を生かした日本初の「法学」と「商学」を融合した「国際商取引学」を構成し、他商社出身の研究者や大学教授等と共同で「国際商取引学会」を創設して、その傘下の共同研究者(大学教授)であったこと。そこでは学会長も経験しました。また、DF結成以前ですが水野さん達と協力して「拓大経営セミナー」を一般向けに開講しました。

著作も自著10冊以上、それに加えて監修編著・共著7~8冊を世に問い、加えて2冊の『国際ビジネス用語事典』(近刊2021年4月中央経済社)も出版しました。

ところで丸紅で終わりの頃に2年半の窓際族の生活を経験しました、その時、丸紅で言われたのは海外店より帰国した翌日に、当時の社長ご自身より「何か仕事を自分で探してこい」、その他の役員方々は皆「だんまり(無口)」でした。これが海外から帰国した社員に言う言葉ですか?ところが競争相手であった同業他社の役員方々から、上記したようにいろいろお誘いと斡旋がありました。社風の差? 人材の多閑の差?

ここで今一つ伊能忠敬の言葉をご紹介しましょう。「身分の上下にかかわらず、役に立つことや、正しいことならば、必ず、やりとげるべきである」。どうですか。

また今一つ加えるならば「人間は夢を持ち前へ歩み続けるかぎり、余生はいらない」

以 上(絹巻 康史)