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(最終更新日: 2015年2月12日

海外旅行研究会 
世話役:今井 智之 

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見出し2007年版

第15回 海外旅行研究会報告

「第15回発表会が12月14日開催されました。横井時久氏の「ハワイ旅行」と渡邊 章氏の「南フランス紀行」が、各々DVD及びパワーポイントによる写真投影で、発表されました。懇親会は、マンマミーヤで美味しいイタリア料理をたらふく食べ、8人で5本の結構なイタリア・ワインを飲み干して、お一人様2500円で、一同大満足でした。以下は発表者の要旨です。(世話人 今井智之記)

1.ケベックとプロヴァンスの旅 ‥‥ 渡邊 章

このたびの報告は、7年前に加・ケベックと南仏を廻ったときのものです。この時は、北米で投資家廻りの一週間のIRを行い、翌週カンヌでの会議に出席するために逆周りで世界一周をしましたが、その折、前後の週末を利用して訪れました。
 ケベックは英語・仏語が公用語の加の仏語圏。街の佇まいもお店の言葉も駐留している加陸軍の利用語も仏語、という全くのフランスでした。その後NY~シカゴ~マディソン(ウィスコンシン)~ボストンの投資家巡りをして南仏へ。塩野七生さんのように「ローマ、何でも最高!」というほど熱狂的ではないもののローマ史が趣味の小生ですが、アルルに泊まって周辺を巡ることにしました。このあたりはガリア・ナルボネンシスと呼ばれ、比較的早くからローマの属州(プローウィンキア=プロヴァンス)に。古代ローマ遺跡の宝庫です。
 旅はサンーレミから。ここにはグラヌムというローマ遺跡とともに、ゴッホがパリの北のオーベール・シュール・ロワーズで自らの命を絶つ前に療養していた修道院付属の精神病院が残っています。日本の同種の施設とは違い明るい感じの病院でした。
 その後、宿泊したアルルへ。今は完全に田舎町、といった佇まいですが、何となく落ち着く街でした。アルルでは、ホテル紹介の地元店での(安~い)Soupe de Poissonが絶品でした。その後カンヌで食した有名店での(滅茶苦茶高い)Bouillabaisseなど及びもつかない美味。小生が「人生でもう一度食べたい!」と思っている料理の最たるものです。もっとも、泊まった素敵なホテル、Jules Cesarのミシュラン一つ星レストランもBon!でした。

ニームの古代闘技場
オランジュの古代劇場

 翌日、まずはニームへ。この街はPont du Gardに向かう途中のつもりでしたが、駆け足で街を一回りし、とんでもなく素晴らしい街であることを知りました。ニームはジーンズ生地のデニムの名前の発祥の地、今も仏ファッション界では名の知れた情報発信源とのことですが、落ち着いた街のあちこちにローマ時代の遺跡が点在しています。写真は、ニームの古代闘技場で地元のカワイコちゃんが何かのイベントの練習をしているところ。「アルルの女」で有名なアルルの街角ではハッとするような美人にはお目にかかれませんでしたが、この少女たちはとても素敵でした。次回には是非、泊まってみたいところです。
 その後、水道橋のPont du Gardを見てオランジュへ。かつてルイ14世が「わが国でもっとも美しい壁」と呼んだ、アウグストゥスの像の立つ古代劇場があります。屋外ですが、とても音響効果が良く、舞台で合唱していた観光客の声が最上段でもクッキリと聴こえました。ここでの夏の屋外オペラも小生の夢の一つですが、実現はなかなか難しいでしょう。
 最後に、一時期法王庁のあったアヴィニョンを一回りしてこの時の旅は終わりました。

2.ハワイ旅行 ‥‥ 横井 時久

ハワイの楽しさは、単なる観光旅行よりも、スポーツやレジャー、それにショッピングを組み合わせた滞在型の生活にあると思う。今回は、ハワイ島とオアフ島でコンドミニアムを借り、3家族で10日間を過ごした。ゴルフはコナカントリー、コーラルクリーク、ワイケレの3ヶ所でした。ダイブでは巨大な青海亀に遭遇した。セスナ機をチャーターし、2時間半かけてハワイ島を1周した。ケラウエア火山の溶岩流を飛行機で何度もまたいだ。オアフ島では真珠湾の戦艦アリゾナ・メモリアルが印象的であった。太平洋戦争の発端を客観的に説明し、必ずしも日本憎しの展示ではないところに米国の度量の大きさを感じた。

ハワイ島コナカントリー オアフ島のドールプランテーション 真珠湾の戦艦アリゾナ・メモリアル
ダイブで遭遇した巨大青海亀
ケラウエア火山の溶岩流


第14回海外旅行研究会報告

第14回海外旅行研究会発表会が、10月25日、3名の新会員を含め14名予定のところ12名が出席し、開催されました。前半は、田中健一氏(DF代表)による「モンゴル紀行」、後半は、曽山高光氏の「Resorts in Europe」が発表されました。両氏ともDVDを使用し時間割を厳守し、且つ200枚にも及ぶ、プロ顔負けの美しい写真を紹介する大変優れたプレゼンでした。懇親会出席者は11名で、毎度のことですが大変盛り上がりました(詳しくは最後の段に報告)プレゼンの概要は下記の通りです。

1.モンゴル紀行

今年は、朝青龍の一件は別として、3つの理由でモンゴルがハイライトされた。ジンギスカン生誕800年、皇太子訪問、堺屋太一「世界を創った男チンギス・ハン」の出版である。モンゴルは標高1500Mで日本の4倍もあり、日本よりはるか北にある国、アイスランドに並ぶ極寒地だ。人口250万人、内100万人が首都ウランバートルに居住するので、150万人が、日本の4倍もある国土で生活をしていることになる。道路等のインフラは不要ということだ。鉄道は北京からモスクワに行く列車が通過するだけであり、人々は自動車と馬で国内を行き来するのだ。
 モンゴル内を2週間、通訳に案内させ、ランドローバーで旅をしたとのこと。「何も見るものないモンゴルへ何故」という質問には、いずれ秘境がなくなってしまうから、ということと、イトウ(魚偏に鬼と書く)を釣りに行くことが理由であったとか。イトウを釣る擬似餌を現地で買ったところ、なんと栗鼠の剥製だったことに驚いたという。
 モンゴル人が日本人に好感をもつ理由がいくつかある。(1)日本人の祖先はアルタイから来た(日本人の子には蒙古班があるが中国人にはない)、(2)司馬遼太郎「モンゴル紀行」を出版したこと、そして(3)開高健がイトウを釣り、川に戻して、「モンゴルのものはモンゴルに、ジンギスカンのものはジンギスカンに」と公言したことである。ソ連に抑圧されてきたモンゴル人は、それまでロシア侵略を図ったジンギスカンの名前さえ言えなかったからだ。以来ジンギスカンをオープンに慕う風潮が盛んになったという。
 ウランバートルは、思いのほか大都会に見えたが、人口100万人の都市としては小さいそうだ。広場で電話を抱えて腰掛けている婦人、実は公衆電話屋だそうだが、印象的であった。テルヒンツアガンにある湖の景色は大変美しい。旅行く草原での宿は、観光用につくられたゲル(移動用住居―写真)で、トイレもなく皆自然の中に放っても、乾燥しているせいか、悪臭は漂わないそうだ。食事が美味しくないので持参したインスタント・ラーメンを食べ続ける光景には同情を抱かされた。[ジンギスカン]という名のウオッカをモンゴル人はよく飲むという。モンゴル人は生まれると子馬を与えられ、以降一緒に行動する、正に生涯の伴侶となる。体は小さいが、頭は大きく、強靭な馬で、ベトナム戦争で使われたあとモンゴルまで歩いて帰ってきたという。他に動物が多種多数生息するそうだが、こぶが2つあるらくだがいて、ゲルを分解して移動するとき役立っているそうだ。
 これ以上の詳細は割愛するが、2週間も過酷な条件下の旅はご苦労であったと思う。イトウが釣れなかったのは、さぞかし残念であったであろう。


元の都カラコラム跡に建つラマ寺


村の相撲大会


草原を駆ける少年


豪古馬は小さい
(馬上の田中代表)

2.Resorts in Europe

リゾートというと欧米人は一ヶ所に数週間滞在し、冬はスキー、他のシーズンは読書をしたり、日光浴をして美味しい空気を吸って生活をする所ですが、今回は、日本人的に1週間ほどのショートステイをして周辺を車で訪ねた3ヶ所のリゾート地の紹介でした。従って、タイトルは、「ヨーロッパのリゾートとその周辺」ということでした。
 最初は、ゼーフェルト(オーストリア)-チロル地方にありインスブルックの北西部、列車で40分のところ、三方を山で囲まれた人口2800人のリゾート地です。近辺の「タール」と呼ばれる渓谷沿いの村々の特徴ある民家が素朴な味でした。
 次が、ダヴォス(スイス)-現在は毎年冬に「世界経済フォーラム」が開催されることで知られていますが、チューリッヒから北東に約150kmの標高1560mのリゾート地です。ここからは、曽山さんの推奨コースで「ベルニーナ特急」でイタリアの「ティラノ」までの3時間半の旅でした。車窓から見える山々、氷河の美しさは筆舌には尽くしがたいようですが、美しい写真をスライドで堪能することができました。
 最後に、クラン・モンタナ(スイス)-ジュネーブから東へ190kmにある「クラン」と「モンタナ」の2つの村です。標高1500mで、ローヌの谷に面した南向きの斜面にあります。ここを有名にしたのは、1908年に開設した世界最高所の18ホールのゴルフ場だそうです。ヨーロッパPGAトーナメント会場での橋本聖子議員と一緒の曽山さんの写真が印象的でした。ここはスイスとイタリアにまたがる4000m級の山々がホテルから朝食を食べながら眺められるという醍醐味があります。ここからは「ヨーロッパの花の村」に選ばれたグリメンツ村、そしてツェルマットにも近くマッターホルンのハイクを楽しまれました。

 いずれのリゾートも冬はスキー場ですが、初夏は雪が残る3000-4000m級の山々、日本では見られない高山植物を眼で楽しみ 又それをカメラに収めることができたようです。200枚にも及びそうな写真は大変素晴らしく、芸術的でした。美しい景色と高価なカメラと‘優れた腕’が揃わなければ、こんな写真は撮れないでしょう。曽山さん曰く、「是非 ゆっくりとしたホリディーをお楽しみになりたい方は訪れてみて下さい」とのことです。

ベルニーナ特急 高山植物(スイス) アイスグラッド(オーストリア)

懇親会は、3回連続でB1にある《マンマミーア》で開催、今回も安くて美味しいところということで、ここを選びました。7人が生ビール、4人がスプマンテで乾杯。料理は、秋刀魚とスモークド・サーモンのマリネ、つぶ貝のガーリック炒めバケット乗せ、新じゃがのフライにガーリックとアンチョビのソース掛け、チーズ3種のピサパイ、牛肉煮込み掛けペンネ、(追加要請があって)最後にウニとイカのソースのスパゲッティー。ワインは、白ワイン党の曽山さんが、1本、他10人は赤で、コペルティーノ・リゼルヴァ 2000を3本、メルロー・リゼルヴァ 2001 を2本飲み干しました。いずれもイタリア・ワインで前者がブッリッヤ州、後者がフリウリ地方です。世話役の独断と偏見でオーダーし、自画自賛かもしれませんが、大変美味しい料理とワインでした。皆様にも満足していただけたようです。会計は、渡邊さんにお願いして、伝票が出るや瞬時に割勘、集金。世話役が500円足して、一人たったの2500円。「安い、安い、超安い!」などと大声を上げると値上がりしますから、内輪の話に留めておきましょう。

 次回のプレゼンテーションは、渡邊 章氏の「フランス南部の旅」横井時久氏の「ハワイ旅行」が決定しました。日時は追って決定します。 (文責 今井智之、曽山高光)



第13回海外旅行研究会報告

9月3日午後5時より第13回目の報告会が、ゲストの杉山直正氏を含む11名のご出席を頂き、ディレクトフォース会議室にて開催されました。はじめに常信伊佐夫氏より、「北欧の旅、デンマーク、ノルウエー」次に今井智之氏より、「ワインとグルメと古都の旅、トスカーナ編」の発表が行われました。

1.北欧の旅、デンマーク、ノルウエー

まず常信氏から、フィヨルドや滝など豊かな自然の景観、そして大事に維持保存された歴史的建造物や貴重な文化遺産を楽しみながらの北欧個人旅行について発表がありました。 コペンハーゲンでは、シェクスピアのハムレットの舞台となったクロンボー城観光や童話の世界、アンデルセンの生誕地オーデンセを訪ね、偉大な童話作家の足跡と素顔を知る上で貴重な資料が展示されたアンデルセン博物館について説明されました。今回の旅行の最大目的であったベルゲンに関し、世界遺産ブリッゲンの建物群や、ソグネフィヨルドの最奥に所在する世界遺産、ウルネスの木造教会が写真で紹介されました。オスロ、ベルゲンそれぞれの美術館ではノルウエーの画家ムンクの絵を堪能された話もあり、個人旅行ならではの自由な旅行の雰囲気が伝わってきました。


写真は右上から、 クロンボー城、ベルゲンのブリッゲン建物群、ウルネスの木造教会、ソルボーン

2.ワインとグルメと古都の旅、トスカーナ編

続いて、今井氏からの報告は、トスカーナ5泊6日、ゆとりのある贅沢三昧の旅で、古都はシェナ、フィレンツエそしてルッカを訪ね、日々ワインとグルメを楽しみながら、辛口の評価をするというものでした。先ず、シェナは、郊外2kmも離れた地にある、元修道院を改造して造ったホテル、チェルト-ザ・ディ・マッジャーノに滞在、中世の教会に隣接する素晴らしい庭園、景色そして豪華なトスカーナ料理と銘酒ブルネーロ・ディ・モンタルチーノを心行くまで堪能し、1週間後にイル・パリオを控えて活気溢れるカンポ広場やプッブリコやドウォモなどの歴史遺産の紹介がありました。また、DFワインクラブの一員として、これだけは省略してなるものかとタクシーを飛ばして、60kmも離れたモンタルチーノ村を訪問、美しい、景色のみならず、女主人もいるエノテカに出合った話。フィレンツエに戻る途中、ラッダ・イン・キヤンティとグレーヴェ・イン・キヤンティという中世の名残を残すキヤンティ村を垣間見て、ガイオーレ・イン・キヤンティにあるキャパネッレというワイナリーでマンマの美味しい料理を嗜みながら、サンジョベーゼ、キヤンティ・クラシコそしてスーパー・トスカーナの3本のワインをひとりで試飲するというもったいない話。中世の内戦で2枚舌外交を使って生き残った古都ルッカでは、最古のレストラン、「ブーカ・ディ・サン・アントーニオ」でTボーン・ステーキがあまりにも硬くてナイフで千切れなかった話。フィレンツエの北西5km標高300mのフィエーゾレにある、滞在したホテル、ヴィラ・サン・ミケーレはオリエンタル・エクスプレス・ホテルズが経営するホテルで、ここも元修道院を改造してできたもの、何十種類もの花々が咲き乱れる美しい庭園、古都フィレンツエの町が遥かに見えるテラス・レストランで失望させられた料理の話。等々、45分ではとても話しきれない報告でした。


報告会終了後、懇親会が、パレスサイド・ビル地下にあるイタリアン・レストラン「マンマミーア」で開催され、鯛のマリネや牛肉とトマト・ソースのペンネその他沢山の料理とヴェネト産ソアーヴェ2本、キヤンティ産赤3種各1本、アブルッツオ産赤1本、合計6本を9人で平らげ、一人2,900円は一同極めてご満足でした。ヴィーヴァ・マンマミーア (文責:常信・今井)



海外旅行研究会 第12回発表会

海外旅行研究会第12回発表会が7月12日(木)ディレクトフォース会議室で開かれました。発表は、横井時久さんの「歴史とロマンの国」と題するドイツとオーストリア旅行の紹介と萩原秀留さんの「ブータン紀行」でした。おふたりとも写真のパワーポイントの貼付けに並々ならぬ努力をされました。結果、スクリーンに映し出された写真は素晴らしいものでした。

写真は横井さんの撮影

 横井さんは、今年4月25日から5月2日に亘り、フランクフルトからリュ-デスハイム、ライン川を上ってハイデルベルグへ、そして古城街道を経てオーストリアに入り、インスブルックとザルツブルグ、そしてウイーンを訪ねました。ライン川は全長1300キロメーターで、その内、2時間航行した部分には橋がなく、古城とブドウ畑の景色を美しく描き出している。古城の数は2万箇所もあるという。古城街道に交叉するロマンティック街道は、ローマに通じる道という意味からできたという説が会員より指摘された(筆者注記:正しくは、語源が「ローマへの巡礼の道」であったが、近年になり観光ルート指定の用語とされた。その意味で最初に使われたのがジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩者の夢想」の第五の散歩の冒頭にあると言われる)同街道の菜の花畑の写真は大変美しかった。フュッセンにあるノインシュバイシュタイン城の紹介があり、これはルートビッヒ2世が19世紀後半に建てた3つの城のひとつで、当時時代錯誤が感じられる城ということで嘲笑されたという。しかし、今では観光の目玉となっている。ザルツブルグは塩の城という意味でも、塩の生産地はインスブルックであり、塩の集散地であった。モーツアルトの生誕地でもる。最後にウイーンでは、マリア・テレジアの宮殿、ベルベデーレとシェーンブルンを訪ねた。後者の建物の色が黄色である謂れは、そもそもマリア・テレジアが黄金にしたかったということだそうな。こちら に、横井さんの写真をムービー風にアレンジしたものを用意しました )

 どちらかというとマイナーな国が好きな萩原さんの「ブータン紀行」は2002年 3月25日カトマンズから飛行機でブータン唯一の空港パロからはじまり、29日にプンツオリンからインドに出るまで見学したもの。パロ、ドチュラ(峠)、ワンデユ・ボダン、プナカ、政都ティンプー、シムトカ、そしてパロに戻り、トンドル開帳を見た後、ドウゲゾン、タクツアン僧院を訪ね陸路プンツォリンを得てインドにでるエネルギッシュな旅であった。ブータンは東ヒマラヤの6,7千メートル級の山々から流れる数本の川の谷間に人が居住しており、谷間と谷間の間には3,500~4,000m級の尾根があり、その尾根を越えないと行き来ができない。このため方言が無数にあるとのこと。数十年前に鎖国を解いて教育を始めようとしたとき先生をインドから招聘した。このため共通公用語として首都のティンプーの言葉を採用したが、教育には英語が使われたことで、子供たちは英語が達者であるそうな。パロのツェチュ祭りは、一週間続き、屋台の店に多数の村民が集まってくる。圧巻はトンドル開帳であるが、開帳は午前2時頃から行われるので、真夜中に目を覚まし出かけねばならない(筆者注記:開帳:パドマサンババを中心にその妃や八変化相などが絹のアップリケで色鮮やかに描き出されたトンドルが静かに巻き上げられると、人々が高徳を祈ってトンドルに触れようと殺到する)ダツェ大会では、洋弓を和弓のように縦にして打ち放すようであるが、何と約140メートル先の的を撃ち当てるという。キラの着方の説明があったが、和服によく似ていて、日本人に一脈通じているような感じであった。自然が美しく、素朴な人々の暮らしぶりは素晴らしいようであるが、トイレが不潔で旅行者は難儀を強いられて苦心されたようだ。

写真左は「タクツアン僧院」、右は「ブータンの農家」

 懇親会は、常信さんの手配により、地下一階にある「マンマミーア」で開かれ、イタリア料理とキヤンティーを堪能、大変評判がよく、次回もここで開催と決定しました。
 次回は、9月3日(月)午後5時より、ディレクトフォース会議室で開催します。伊東弘明さんが、「スペイン旅行」の発表をすべく、準備しますが、どなたか他に発表希望者があれば、申し出てください。万一、準備が間に合わぬ場合は、今井が、6月に訪ねたヨーロッパ(グルメとワインと古都巡りの旅)の一部を発表します。



海外旅行研究会報告

 海外旅行同好会は、会員(現在16名)の取材・発表能力の向上を鑑み、その名称を研究会と改めました。5月25日に、13名の出席者を迎え、その第1回、通算11回目の発表会を開催しました。今回は、丸山 尚会員による「サンディエゴ再訪」と今井智之会員による「エーゲ海の島々―クルージング紀行」が発表されました。あとニュートーキョーで盛大な懇親会が開かれました。

 丸山会員は、サンディエゴに住まうお嬢さんとお孫さんに頻繁に訪問しています。そこで今回は2回目の発表でした。今回は主として南部の報告でした。バルボアの三景園、オールドタウンではメキシコ人と一緒にメキシコ料理を堪能する事由は興味あるものでした。干した唐辛子、トリフィラ(?)というパン、鳥の丸焼など。ポイント・ロマの自然墓地やダウンタウンの遠景は大変美しく、ついでに海軍基地まで写真を撮るというスパイ活動(?)まで披露。ラフォア海岸でのアザラシ、コロナド島は、新婚旅行者にとって「Best Destinations in America」賞を受賞したホテル・デ・コロナド(写真右)や、メキシコ国境近くのティファーナ湿地、その他の紹介がありました。丸山さんのプレゼンと撮影技法は相当進歩しました。ひとつ注文をつけることが許されるとすれば、イラストの書き込みは写真の外側に明解にするとよいでしょう。
 今井会員は、少々年数を経たアナログ写真を加工してのプレゼンでした。写真が少し色あせていましたが、毎回出場のフリー・モデルが2人とも若々しく且つ美男美女に撮れていたせいか、「出番が多すぎた」との批判(?)が出ました。クルージングはサン・ラインによる5日間の島巡りでしたが、最初にアテネ観光したあと、映画「日曜日は駄目よ」の舞台となったピレウス港を出港、ヒドラ島の美しい夜景を見てヘラクリオン島に直行、最初のギリシャ文明を築いたクノソスのミノア宮殿遺跡を詳細に鑑賞、そのミノア王国を滅ぼした海底地震によってできた島サントリーニの美しさに感激、世界7不思議のひとつである巨像があったロードス島を訪ね、映画「ナバロンの要塞」のロケ地となった岸壁を見定め、トルコ国内クサダシに寄港し、エフィソスのローマ・ギリシャの遺跡を訪ね、最後は魅力いっぱいのミコノス島(写真下)を散策するという、長くて短いクルージング旅行の紹介でした。


 次回は7月12日(木)17:00よりディレクトフォース会議室で開催され、横井時久会員の「ドイツ・オーストリー紀行」と萩原秀留会員の「ブータン紀行」が報告されます。