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隈取り

海外旅行研究会

世話役 今井 智之(2016年版)

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2017年2月6日 更新

目 次

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第65回
10月31日(月)

 

第64回
7月28日(木)
第63回
5月23日(月)
第62回
3月29日(火)
第61回
1月27日(水)

2016年11月23日 掲載

第65回「海外旅行研究会」

第65回例会が、平成28年10月31日(月)ディレクトフォース大会議室にて開催されました。17名の出席を予定していましたが、2名が体調を崩し欠席、もう1名連絡もなく欠席でした。今回は、世話役がリマインダーを発信しなかったのでその怠慢を反省しています。

発表は、先ず櫻井三紀夫氏による「DF15周年記念・感動と共感のモンゴル視察旅行」で、ディレクトフォース企画のツアーですが、正に視察旅行と呼ぶに値する内容であったことが伺えました。発表内容も短時間ながら詳細なもので、観光はもとより歴史、政治、伝統と文化をよく伝えて頂きました。そのはずみもあってか、今後同国との交流を発展させるため、DFに「モンゴル研究会」を立ち上げることになったとのことです。

続いて旅人と報告者として好評の井上史男氏が、久しぶりに「憧れのリヴィエラ・リグレ」と題し、イタリア北部、高級リソート、ポルトフィーノやチンケテーレを含むリビエラ地方の旅を美しい写真と共に報告しました。相も変わらず、お元気な奥様とご一緒に地についた若さ溢れる楽しい旅の様子が伺えて羨ましい限りでした。

以下は両氏からの報告概要です。モンゴル旅行はDFの記念事業でもあり、報告が長文となりましたので、井上さんの報告の後掲載しました。

icon「憧れのリヴィエラ・リグレ」井上史男氏

森進一の「冬のリヴィエラ」が流行っていたころ、リヴィエラとはどこだろうと思っていた。それから数十年経って、そのリヴィエラを家内とゆっくりスケッチ旅行することができた。リヴィエラ・リグレとは南仏から続くイタリア、リグーリア州の海岸線で、古都ジェノヴァ、そして珠玉のリゾート地や世界遺産の奇跡の村々が連なる魅力の地である。

私たちは5月末にジェノヴァから旅をスタートさせた。ジェノヴァは中世のころに繁栄を極めた港町。旧市街地には当時の商業貴族が建てた宮殿や館が建ち並び、今それらの建物は世界遺産に登録されている。ヴェネチアのように見どころ満載の観光都市ではないが、少なくとも丸一日ゆっくりと時間をかけて散策するに値する街であった。

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例会
ポルトフィーノ
ポルトフィーノ 小さな入江ポルトフィーノ

ジェノヴァを後にリヴィエラの真珠と称えられる高級リゾート地ポルトフィーノに向かった。ポルトフィーノへはジェノヴァから列車で1時間のサンタ・マルゲリータ・リグレの港から船で入った。ここは100年以上前にヨーロッパのセレブがヨットやクルーザーで小さな入江の海岸に乗り付け、外界と隔絶された地で誰に邪魔されることなく優雅に過ごすことができる地として人気となり、上質のリゾート地として磨がかれ続け、有名ブランドの出店などあいまって、小さな入江の海岸ながら瀟洒なリゾート地となった。しかし今は道も整備されバスでも行けることから、シーズンには大勢の観光客が押し寄せる地に変貌している。観光客は入江を取り囲むレストランやカフェで昼食を楽しみ、つかの間のリゾート気分を味わっている。私たちもその一員、少し違うのはここに絵を描きに来たこと。どこを見ても絵になる風景の中スケッチ3枚を描きあげた。ここで2日間過ごし、この旅の核心たるポルトヴェーネレに向かった。

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ポルトヴェーネレ

女神ヴィーナスの港を意味するポルトヴェーネレは中世ジェノヴァ共和国時代に重要な軍事基地として設けられたものだが、自然と調和したそのたぐい稀な美しさ、ロケーションの面白さから、リヴィエラで最も人気の観光地になっている。そしてチンクエテッレクルーズの港として常に観光客で賑わっている。私たちはここに3泊し、ポルトヴェーネレ散策、チンクエテッレクルーズ、そしてスケッチとこの旅の目的を120%楽しむことができた。

 

旅の仕上げは、チンクエテッレで最も景観美にあふれる人気のヴェルナッツァに1泊し、憧れのリヴィエラ旅行を完結させることにあった。その目的は十二分に達成したが、絶景が楽しめる民宿までの道、いや道でなくて階段が狭くて急で、重いラゲージを運ぶのに四苦八苦のおまけまで付いた。一般的に海からの眺めが美しいチンクエテッレの村々にあり、ヴェルナッツアは村の中で港や教会、断崖絶壁に張り付く家々の美しさ等素晴らしい景観を見せてくれる。苦労した民宿だったが価値ある一泊であった。余談だが、今回の旅も連日晴天。帰国後リタイア後の海外旅行の天候を調べたところ、なんと晴天率が95%であった。9回の個人旅行で合計99泊して雨に降られた日は5日のみ。毎回新しく作り持参するティッシュペイパーのテルテル坊主のおかげでしょうか。リヴィエラ・リグレ、期待以上の旅でした。

例会
ヴェルナッツアの絶景民宿屋上
チンクエテッレで1番の景観
ヴェルナッツアの絶景民宿屋上 朝日に輝くヴェルナッツア

以上

icon「DF15周年記念・感動と共感のモンゴル視察旅行」櫻井三紀夫氏

昨年11月に開催された「DF講演・交流会」で講演されたモンゴル商工会議所日本会頭のウルジさんから、DFメンバーによるモンゴル視察旅行の提案があり、DF15周年記念企画として実施する計画が進みました。一方、同じく11月の海外旅行研究会において、筆者が4年前に訪問したモンゴル旅行の発表を行っておりました関係で、15周年企画のモンゴル旅行の幹事を務めるよう依頼がありました。そのような経緯で、DFメンバーとその奥様方合せて18名でモンゴル視察旅行(5泊6日)に行ってまいりました。

この旅行は、モンゴル商工会議所が全面的にアレンジしてくれたため、普通のツアーでは経験できない貴重な場面を多数用意してくれていました。以下にその概要を報告致します。

◇ ◇ ◇

モンゴルは、国土156.6万Km2(日本の4.2倍)、人口300万人(日本の2%)、人口密度2人/Km2の、文字通り大平原の国。1206年、チンギスハーンにより大モンゴル帝国が建設され、世界史上最大の領土を持つ国家となりました。

元の滅亡後は、ハーンの末裔が統治するいくつかの分国として存続し、モンゴル本体は16世紀にチベット仏教を取り入れて、ダライラマを任命する役割を開始しました。

1911年清国・辛亥革命の結果、モンゴル国として独立し、1924年ソ連の影響下で人民共和国になり、1992年ソ連の崩壊により、民主化憲法・議会制民主主義共和国へと移行しました。

滞在1日目:公式訪問

我々視察団は、1日目に多数の公式訪問を行い、ウランバートルの要人と会見した。

1)国会議事堂前広場(スフバートル広場)

国会議事堂前広場側から国会を見物し、チンギスハーン像の前で全員記念撮影。

2)モンゴル商工会議所

商工会議所で副会頭と意見交換し、DFと協力関係を築けないかという希望が出た。

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例会
チンギスハーン像前での記念写真
チンギスハーン像前での記念写真 副会頭との意見交換
3)モンゴル駐在日本大使館

清水大使から日本・モンゴルの外交状況を聞き、日本の支援が役立っていると認識。

4)国会議事堂・国会議員訪問

国会の常任委員長クラスの方々3名と会見し、モンゴルの政治情勢・社会状況、日本に望むこと(技術・人材面での協力を求めたい)などを意見交換した。

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例会
日本大使館前で全員記念撮影
日本大使館前で全員記念撮影 国会議事堂
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例会
日本大使館前で全員記念撮影
常任委員長レベル議員との会見 全員記念写真
5)モデル養成学校(特別開催のファッションショー)

ミスワールド・コンテストの元モンゴル代表だった女性が経営しているモデル養成学校を訪問し、特別開催のファッションショーをみせてもらった。

全員写真の後列左から7人目の青いドレスの人が元ミスワールド代表。

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例会
新デザインのファッション
新デザインのファッション 全員記念写真

滞在2日目:公式訪問(続き)および 市内観光

1)日本人墓地参拝

終戦後、シベリア抑留された日本人の内、15,000人余がモンゴルに連れて来られ、都市の建設に従事した。その期間中に死亡した2,000人程が葬られている墓地。

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例会
墓地の遠景
例会
観音像
墓地の遠景 観音像 「ふるさと」を歌い、涙する
2)母子家庭支援センター

1日1食しか食べられない貧しい母子家庭を支援する施設を訪問し、おみやげ贈呈と懇親を深める会を実施した。

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例会
センター・ゲルの前で全員記念写真
例会
チャツァルガンの実
センター・ゲルの前で全員記念写真 チャツァルガンの実 女からの御礼の挨拶
3)昼食レストラン

奇遇にも、昼食レストランで、白鵬の姉(実業家)と遭遇!!ウルジさんと友達とのこと。時々このレストランを利用しているそうだ。DFとの協力関係も築けそう。

4)ガンダン寺(チベット仏教の総本山)
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例会
白鵬の姉(白い服の女性)
例会
ガンダン寺
白鵬の姉(白い服の女性) ガンダン寺 本堂金箔の本尊
5)バナバザル美術館

バナバザルという彫刻師が製作した、世界一美しい仏像と言われるホワイト・タラ像など。(7つの眼を持つ仏像=両目、額、両手、両足に目を持ち、世界をくまなく見る。)

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例会
美術館入口
美術館入口 本堂金箔の本尊
6)伝統舞踊・音楽鑑賞
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例会
ホーミーの演奏(1人で高音・低音の同時発声)
ホーミーの演奏(1人で高音・低音の同時発声) 伝統楽器でのオーケストラ

滞在3日目:テレルジ国立公園、他

1)沿道の鷹匠

道の途中に鷹匠が人寄せをしており、臨時停車して、戯れた。

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例会
真瀬代表
真瀬代表 保坂さん
2)チンギスハーン巨大像

大草原の真っただ中に最近完成したチンギスハーンの巨大像。台座の建物の中に博物館、レストランが入っており、今後、周囲に各種の施設が建設されれば、一大観光拠点になると思われる。

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例会
巨大像の前で記念写真
巨大像の前で記念写真 巨大像の巨大な顔
3)ゲル・キャンプ

モンゴル生活の実体験のため、ゲル・キャンプに1泊した。

ゲルの中は伝統的なモンゴルの佇まいであったが、トイレ・シャワー・レストランは新築の近代的な管理棟の中にあり、日本のキャンプ場のロッジと変わらない雰囲気で、ちょっと残念であった。

ゲルの1室で、シャーマンの儀式を体験した。

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例会
ゲル・キャンプ
ゲル・キャンプ 夕方の懇親会

滞在4日目:乗馬体験、ほか

1)大草原での乗馬体験

メンバー各人が一頭の馬に乗り、大草原を約1時間歩いてまわった。真瀬代表ほか乗馬訓練を経ている方々は自走、その他は引き馬の案内で歩行した。

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例会
自走する真瀬代表
自走する真瀬代表 引き馬での歩行
2)ショッピング

モンゴルのお土産といえば、カシミア製品、キャビア、岩塩、などなど。

通常のツアーではなかなか行けないノミンデパート・カシミア専門館に案内してもらい、好みのカシミア製品を買い求めた。また、キャビアも、ウルジさんご推奨の銘柄を用意している小さいスーパーマーケットへ直行。

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例会
ノミンデパート・カシミア専門館
ノミンデパート・カシミア専門館 キャビアの推奨品に殺到
3)最後の晩餐

滞在最終日の夕食は、高級モンゴリアン料理で晩餐会。上品な肉料理でワインやウオッカも進み、大いに盛り上がった。

今回の旅行での食事はいずれも美味しく食べやすかったが、これはウルジさんらの配慮による選択の結果であろう。

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例会
モンゴリアン・レストラン
モンゴリアン・レストラン

滞在5日目:帰国

帰国の朝、ウランバートル空港に着いたところ、成田空港が台風で閉鎖されているので、出発まで7時間ほど待機せよ、との表示が出ていた。

これは参った!今までの順調な旅程がここへ来て狂うとは !!

ウルジさんの人脈を頼り、何とかVIPラウンジに入れてもらい、7時間を過して帰国の途に就いた。

成田空港は、世界中で待機させられていた飛行機が一斉に帰着したため、ものすごい渋滞となっており、着陸してからゲートに着くまで、降りてから通関するまでに長々と時間が掛かった。公共交通機関も終電を過ぎていて、帰宅には皆さん大変苦労した。

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例会
VIPラウンジでオリンピック閉会式を観る
VIPラウンジでオリンピック閉会式を観る 帰りの飛行航路

今回の視察旅行により、モンゴルの国としての成長と課題、格差の問題、日本に対する期待などを認識でき、これを機にDFとして何か少しでもお役に立てる事項があれば、との認識を持ちました。

参加メンバー同士は、互いに初対面の方々がおられ、個人的に挨拶をしたり会話をしたりする機会となりましたし、このツアーを通して親しく交流できたことが、旅で見聞したもの以外にも大きな収穫となりました。

以上

恒例の懇親会は、保坂 洋氏のアレンジで、ブルガリア・レストラン「ソフィア」で開かれ、好評の料理と飲み放題ドリンクで皆大いに堪能しました。場所柄恒例のテーブル・スピーチは割愛しましたが大変楽しい会となりました。次回は、新年1月26日(木)DF大会議室にて15:30開始、常信伊佐夫氏による「ポーランド紀行(仮題)」と四方 満氏による「スイス旅行(仮称)」の各報告が予定されています。

(文責 今井智之)

2016年8月11日 掲載

第64回「海外旅行研究会」

第64回例会が、平成28年7月28日(木)DF大会議室にて15名(懇親会は14名)が参加し、開催されました。今回は早乙女立雄氏の独演会で、動画を駆使しての「メコン経済回廊プロジェクト〜タイ・ラオス・カンボジアの東西・南北回廊を走る」と題し、1時間半に亘り、同回廊の熱烈なドライブ旅行を発表されました。本格的なビデオでの動画発表は当会初めての試みであり、また一段と当会の技術進歩の足跡を残されました。以下は同氏からの概要報告です。

icon「メコン経済回廊プロジェクト〜タイ・ラオス・カンボジアの東西・南北回廊を走る」
   早乙女立雄氏

中国南部・雲南省(中心都市;昆明)の辺りを源流とするメコン川は、ミャンマー・ラオス・ タイ・カンボジアを流れ、ベトナムのホーチミンから南シナ海に注ぎ込む。

そのメコン川の恩恵を被ってきた流域諸国は、歴史的に内戦等暗黒な混乱時代もあったが、1990年前後を境に東西冷戦終結・中国の市場経済化・ベトナムのドイモイ政策・カンボジア和平成立などにより、この地域の政治経済環境が大きく変化した。

アジア開発銀行が1992年に、メコン流域五か国の経済発展を促すため、「経済協力プロジェクト」を立ち上げた。その最優先課題は、経済発展に不可欠な陸路による交通インフラ整備と車両の越境輸送の円滑化であった。そのため、国境を越えて南北・東西などの主要な経済回廊の建設が始まった。日本のODAやオーストラリア、中国からも支援が寄せられ、メコン川にかかる国境大橋の建設も進められた。これによりインドシナ半島の諸国が、主要幹線道路(国道)で結ばれ、いっきに物流機能がアップしたのである。

我々学生時代、自動車部員であったOB5人(平均年齢約70才)が、メコン経済回廊の一部でも自らの手で運転し、各国の道路整備状況及び各地域の社会的・経済的状況を自分の目と肌で感じとって来ようと、自分達で企画したものであった。

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例会
2011年2月9日タイ・バンコクを出発、現地は旧正月
2011年2月9日タイ・バンコクを出発 タイ国発祥の地スコータイ遺跡 メコン川を背にして、対岸はラオス

先ずタイのバンコクを出発し、一路北上して国境の街ノンカイからメコン川にかかる“カンガルーブリッジ”を渡って、ラオスの首都ビエンチャンまで走行。ラオス国内の国道を走ってサワンナケットから日本が建設した“メコン第2友好橋”を渡って、再びタイに入国。タイからラオスに入国する際の通関では、約3時間かかったが、ラオスを出国する際は30分程度であった。

タイ国内の東西回廊や南北回廊を走行しながら、タイ発祥の地コースタイやアユタヤ遺跡等を訪問。更にバンコクからカンボジアのシェムリアップ(アンコールワット遺跡等)に寄った後、最終ゴールであるカンボジアの首都プノンペンまで一気に向かった。

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カンボジア・アンコールワット カンボジア・アンコールトム
カンボジアの道路脇の農家に立ち寄る プノンペンの王宮

実質的には7日間を、隊員5人がトヨタのプラド2台に分乗し、総合計約3,000kmを交代で運転した。タイは日本と同じ右ハンドル・左側通行で良かったが、ラオス、カンボジアは右側通行で、センターラインもない狭い国道は非常に緊張した。

一級国道を、山のように荷物を積んだトラックがふらふら走っている横をバイクや耕耘機も走る。放し飼いの牛や鶏が国道を横断している場面に出くわす。霧深い山道に「横断する象に注意!」の看板が出てきた時は一瞬ゾーとした。国道には、完全に分離帯のある片側3車線の素晴らしい国道で、時速120km以上で走れるところもあれば、日本の随分田舎の農道の様な狭い国道にも接した。その未舗装の国道の脇には、電気も来ていない高床式の農家と放し飼いの家畜がうろうろしている。

以上のように、直接国内を走り、実生活の一部分をかいま見た感じがして、それぞれの国の経済力・生活力・民力みたいなものを肌で感じることが出来たような気がした。

信号機や道路標識、街灯、分離帯、舗装状態等、国によって様々である。また、ラオスと中国との支援関係の深さは、現地を走ってみてしみじみと分かってきたところであった。

以上

続いて懇親会は常信伊佐夫氏の輪番幹事で、京橋新潟料理店で素敵な個室で飲み放題での宴会となりました。静かな個室でしたので宴たけなわ全員のテーブルスピーチが可能となり、ユーモア溢れるお話で大変楽しいひとときを過ごすことができました。次回は9月末、懸案の戸田邦男氏による「サンクロペテルブルグ(仮称)」と保坂洋氏と櫻井三紀夫氏による「モンゴル紀行(仮称)」が企画される予定となりました。

平成28年7月30日(文責 今井智之)

2016年6月6日 掲載

第63回「海外旅行研究会」

第63回例会が平成28年5月23日(月)DF大会議室にて10名の出席者を迎えて開催されました。発表は、先ず早乙女立雄氏から、(ご案内のタイトル「オーストラリア北西部ブルームとバングルバングル」に替えて)「何億年も前の遺跡が発見された大秘境に挑む」と題するドライブ探検旅行の概要が紹介されました。西オーストラリア北部にあるブルームでは、パールダイバーで犠牲となった日本人が、明治23年に初めて埋葬された墓地であることや、恐竜の足跡を見つけたり、車で水しぶきを上げてクリークを渡ったものの、アイバンホー・クロッシングは水嵩が多く渡ることができなかった等興味深いお話がありました。次回は動画を使っての詳しい報告があります。続いて、丸山 尚氏が、「HELLO, I AM RISA」と題してカリフォルニアに住むお孫さんの音楽と共に成長する姿をUSC大学院写真科教授である父親が作成したビデオを紹介しました。以下は両氏からの概要報告です。

icon「何億年も前の遺跡が発見された大秘境に挑む」早乙女立雄氏

今回はオーストラリア大陸への2回目の挑戦である。西オーストラリア(WA)北部の秘境地帯キンバレー地域へ、いわばアドベンチャードライブとなった。メンバーは前回参加の日本人3名(大学自動車部OB同期生)と前回参加のオーストラリア人の合計4名。いずれも70才前後。車はレンタカーのランドクルーザー。山岳で携帯電話が使用不可能な時に備えて「衛星通信電話」をリースして行く。

まずシドニーから国内線に乗換えて、西海岸の小さな港町ブルームに到着。ここは古くから真珠産業が栄えた所で、明治中期に日本からも約1,000人以上の出稼ぎが来ていたらしい。街の中の地名に、WAKAYAMA などと日本名をよく見かけた。広大な日本人墓地が町の中央に整備されていた。

海岸地帯に出てみると、赤褐色の岩石がずっとどこまでもつながっている。その岩石に何億年前の恐竜の足跡が数個程明確に残されているのを、この目で確認した。

日が完全に落ちて、真っ暗になると、西の海の水平線から真っ赤な満月が少しづつ顔を出して来た。その月の光が海面の波に反射し、あたかも月へと続く細長い階段のように見える。この幻想的な自然現象「月への階段」は、満月と干潮時が重なった時だけに起きるので、年間数日間だけしか出くわせられないらしい。

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ブルームからダーウイン方向への約2,000kmの山岳地帯であるキンバレー地区に向う。観光バスでの外国人観光客をたまに見かけることがあるが、このエリアへは日本人は先ず来ないであろう。日本人は我々だけ。もっぱら原住民アボロジニの世界である。

完全舗装の国道から、未舗装の山岳道路に入るとそのジャリ道は、ちょうど洗濯板のように横に整然とでこぼこの溝が出来ている。最初の頃、ブルドウザー等の工事用車両の歯車で道路に跡が出来たのではないかとさえ想像した。全く自然の業だったのです。ガタガタするのでゆっくり走るとかえってガタガタするので、少し危険を伴うが100km以上で飛ばすと、すべるように滑らかに走ることが出来るのを学習した。山の奥に進むと橋のない川に出くわす。季節的に水の量は多くはないので、川の途中で止まらないようにしぶきを上げて一気に渡りきることしかないのである。行き止まりに車を置いて、そこから道なき道を片道約3時間歩いて登って行くのである。数億年前に海底が隆起して出来た200〜300mクラスの溶岩の山々の間をトレッキングしている時は良いが、灼熱の太陽が直接照りつけ、気温が30℃をはるかに超えてくるとさすがに倒れそうになったこともあった。

夜は夏場だけ営業している山の上のロッジ形式のホテルに宿泊。大食堂で夕食後はキャンプファイヤーのように焚火を囲み、客同士が談笑していた。テントで囲った二人用バンガローは、深夜になると2〜3℃まで冷え込み、セーターとジャンパーを着込んでベットの中で震えていた。

未知の経験を体験し、地球上にもこのような所があるということを再認識したりして、12日間の旅を無事に達成し、シドニー経由で帰国した。

icon「HELLO, I AM RISA」丸山 尚氏


ビデオの主人公は 孫のリサ、撮影者は父親、母親は私の娘でUSC大学院ジャズ科卒業のプロのジャズピアニストです。孫のバンド(マインドザディーテイルス)の編曲を担当しました。いわば一家3人でサンディエゴの生活を楽しみながら音楽の修行に励む孫娘の成長を6歳から今日迄父親が見守って30分のビデオに纏めたものです。

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懇親会は、保坂氏のアレンジにより日本で唯一のクロアチア料理屋であるドブロ(Dobro)で開催されました。クロアチアはイタリアとアドリア海を挟んで向かい合っていますが、イタリア料理に似ても非なる珍しい料理でした。ハウス・ワインは残念ながらクロアチア・ワインでなく、スペイン産のワインでしたが美味しく頂きました。DF新事務所周辺には国際色豊かなレストランが数多く存在しますので、次回から当番幹事を決め選別と手配を一任することに決め、次回は常信伊佐夫氏にお願いしました。

当時の様子を保坂さんから寄せれました(クリック⇒拡大)
険ドライブを熱く語る早乙女さん ビデオ画面を調整する丸山さん 懇親会も海外旅行クロアチア料理

(文責 今井智之)

2016年4月26日 掲載

第62回「海外旅行研究会」

第62回例会が平成28年3月29日(火)丸の内倶楽部21号館で開催されました。同倶楽部は本年度をもって閉鎖されることになり、同会場で5年間続いた例会の最後となりましたためか、出席者は21名に達し大変盛会でした。冒頭、会場を手配し、会計幹事をも司って頂いた鈴木 哲氏に対し世話役よりお礼の言葉とワインの贈呈がありました。また、今回初参加された新会員有吉和幸氏からご挨拶を頂き、後、保坂 洋氏からモンゴル視察旅行(案)につき説明がありました。

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熱いプレゼンをする角谷さんの 「伊トスカーナへドライブ」 楽しいプレゼンをする萩原さんの「南太平洋クルーズ」

報告は、まず角谷充弘氏の「食とワインと音楽・絵画鑑賞の旅〜トスカーナ・ウンブリア編」が行われ、フィレンツエでのルネッサンス美術鑑賞の後、キヤンティ、サンジミニヤーノ、銘酒ブルネーロ・ディ・モンタルチーノを産するモンタルチーノ、そしてオルチャ渓谷等を訪ね、ウンブリアのアッシジまで足を延ばすというドライブ旅行を披露しました。続いて、萩原秀留氏が、「南太平洋クルーズ」と題して、お得意のアドヴェンチュア旅行を久しぶりに発表しました。シドニー港よりホーランド・アメリカ社の81,769GTの客船に乗船し、ニューカレドニア、バヌアツ、ミステリー・アイランド、ドラブニ島を含むフィジー等を巡回し、シドニーに戻るとうクルージング・ツワーでした。以下は両者の概要報告です。

icon「食とワインと音楽・絵画鑑賞の旅〜トスカーナ・ウンブリア編」角谷充弘氏

昨年7月末友人・家族3夫妻で訪ね、その直後9月末に改めてワイン仲間6名と訪ねたトスカーナ地方を中心に、ウンブリア州にあるペルージャ・アッシジにも足を伸ばした二つの旅をまとめてみました。会員の皆さんの中には、ワイン好きな方、強い興味と関心をお持ちの方が多くおられると言う事が分かったので、今回はワイナリーツアーの概要も含め発表することとしました。

■フィレンツエ

トスカーナは、フィレンツエを起点にして徐々に南に下がるか、ローマから北上するかのいずれかとなるが、フィレンツエにより近い地域に見るべき場所が集中していることもあり、フィレンツエから旅を開始するのがお薦め。列車で動ける範囲は極めて限られるので、どうしてもレンタカーを運転するか、車をチャーターする必要がある。ワイン王国イタリアは全国にぶどう畑と醸造所があり、ワイン産業は観光とともに重要な位置付けにあり、フィレンツエから半日或いは一日のワイナリーツアーを提供してくれるエージェントは容易に見つかるので、これらを活用すれば誰でも気軽にワイナリーを訪ねることが出来る。

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緑豊かなトスカーナ

シエナ、カンポ広場

フィレンツエ風ビーフステーキ

トスカーナ州の州都フィレンツエは、誰もが知る美術の街でもあり、美術に造詣が深くなくても見逃せない美術館が多くあり、3泊程度することが望まれる。今回は、ウフイッツイ美術館の他、サン・ロレンソ地区と呼ばれる大聖堂の北に展開する地区にあるアカデミア美術館とサン・マルコ美術館をじっくり訪ねた。

  • ウフィッツイ美術館
    何度行っても尽きない,飽きない、その都度発見のある美術館。数多ある作品の中でもボッチチェリの「春・プリマベーラ」は華やかな気持ちに浸れる。
  • サン・マルコ美術館
    別名フラ・アンジェリコの美術館と称される程に彼の作品が多く展示されている。代表的な作品「受胎告知」はやはりひときわ素晴らしい。
  • アカデミア美術館
    別名ミケランジェロの美術館と称される様に、彼の彫刻とフィレンツエ派絵画がぎっしり詰まった美術館で見ごたえある。
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ウフィッツイ美術館
「春・プリマベーラ」
サン・マルコ美術館
「受胎告知」
アカデミア美術館
「ダビデ像」

■キャンティ地区

フィレンツエを後に、ワインの宝庫キャンティ地区へ車を走らせる。最初に、名門中の名門アンティノリ社へ向かう。キャンティ地方の中でも、最も古くからあり一層質の高いワインを産するキャンティクラシコ地区にあるワイナリーである。13時半にワイナリーツアーを予約しておいたが、途中道を間違えた為ランチの予約もキャンセル、13時25分に到着するという結果となった。道を間違えるとハンドルを握りながら、約束時間に間に合わせようと軌道修正したり、約束先への連絡を取り続けると言う羽目に陥り大変だが、これも自由旅行の面白さである。9月末だったので、アンティノリではぶどうの収穫は9割近く終えていた。

■サンジミニャーノ地区

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ぶどう畑から
サンジミニャーノの街を望む

サンジミニャーノのアグリツリスモ

次に、車をサンジミニャーノに走らせる。約40分で街はずれのアグリツリスモに到着。アグリツリスモとは、イタリア全土に普及している農家又は元農家に泊り、田舎の生活、農作業(ぶどう、オリーブ、チーズ等)等を体験できるという宿泊スタイルである。サンジミニャーノは塔の街、中世の時代に領主が権力を競いあって建てた塔の一部が今日まで残っており、街全体が世界遺産となっている。夜は、街のレストランで典型的な地元料理を堪能。トスカーナ州でも内陸地方なので、食は、牛、豚、イノシシなどの肉類が中心となる。フィレンツエ風ステーキはこの上なく美味であり、嬉しい事に安いし、赤ワインが一層美味しさを盛り上げてくれる。

サンジミニャーノはまた、銘醸白ワインの産地として有名であり、翌朝、街から20分とかからない小粒だが質の高いプトッドワイナリーを訪問。1時間程度の予定でいたが、販売担当のお譲さんの親切で温かいもてなしに気を良くしてズルズルと2時間も時間を費やし、皆で1ダースのワインも購入する羽目に。

■シエナ

街全体が世界遺産となっており、その中心に世界で一番美しいとされるカンポ広場で有名な街シエナもトスカーナの観光の一つの目玉であろう。

■モンタルチーノ

トスカーナ地方には、キャンティ・クラシコ初め銘醸ワイン産地が数多くあるが、シエナから車で南西方面に走ること30分の場所にブルネッロ・ディ・モンタルチーノと言う高級赤ワインの産地がある。シエナまで来たからにはワイン好きとしてはどうしてもこちらまで足をのばしたくなるだろう。モンタルチーノの街を過ぎるとたちまち周辺はオリーブ農家とぶどう畑しか見当たらない山の中に入ってしまう。

今回は、やはりイタリアワイン界の名門フレスコバルディ社のカステル・ジョコンドワイナリーを訪ねた。スマホのナビも山の中に突入すると時々迷子になりがちで、ワイナリーを探すのに多少苦労した。名門ゴルフ場と同様、イタリアのワイナリーも名門は玄関前まで何とか辿りつかないと途中に案内看板は見当たらない。

フレスコバルディーはワインは勿論、オリーブ畑も所有しており、こちらのオリーブオイルは高級品として都心の高級食材ショップでも見かけるようだ。

■ペルージャ

シエナから東南東に車を走らせること1時間半で、隣のウンブリア州の州都ペルージャに到着する。この州も、トスカーナ同様ぶどうとオリーブの農業地帯であるが、ペルージャは黒トリュフの産地としても有名である。小さくのんびりとした街は、2時間もかからず見て歩ける。

■アッシジ

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サン・フランチェスコ聖堂

ペルージャから車で20分程で隣のアッシジに到着する。街の目玉はサン・フランチェスコ聖堂。12世紀の聖者フランチェスコの生地で、緑の田園風景の中に、聖堂とサンタキアラ教会と修道院だけの俗世界とは切り離された極めて敬虔で静けさに満ちた街である。聖堂の中にはジョットやマブーエと言ったイタリアの代表的画家のフレスコ画28枚が壁面いっぱいに描かれており、まるで美術館でもある。

icon「南太平洋クルーズ」萩原秀留氏

最近旅行開始日当日も含め2度も体調不良によって海外旅行をキャンセルする羽目に遭遇し、才をとったと感ずるようになり、観光地をあっちへ行ったりこっちへ行ったりする旅が苦痛になってきた。あまり人の行かないところへの旅は先入観も少なく現地でえる感動も一入である。そこでテロの脅威もありヨーロッパへの旅行が行き難くなり、どこか行けるところはないか探していた。
溶岩が湖のように漂う場所が世界に数か所あるので、一度は行って見たいと思っていた。その一つが南太平洋の火山島国バヌアツにあることは知っていた。たまたまバヌアッツを巡るクルーズがあることを知り、これなら満足できると思い申し込むことにした。もちろん山の上にある溶岩湖には行けないがその国の雰囲気でも味わえればと思った。

クルーズの旅は船会社によってその程度によってラグジャリ、プレミアム、カジュアルに分けられる。私はデッキ、バスつきの部屋を常に希望しているが、プレミアム船ではこれが普通である。今回も以前パナマ運河を通過した時に乗船したホーランドアメリカの船で、船内設備、食事等評判の良い会社の船だ。シドニー出発シドニー帰港、13泊で寄港地は6ケ所、船名はヌールダム、81,769T、全長935ft、 幅105.8ft、 11階、定員1,918人、乗組員620名という巨艦である。

寄港地はバヌアッツ、フィジーの2国とニューカレドニアの1地域。ニューカレドニアはフランスの海外統治地で首都ともいえるヌーメアを含めマレ島、リフー島の3か所、バヌアッツは83ある島のうちの最南端のアナトム島を取り囲む環礁に浮かぶ無人島のミステリーアイランド、フィジーはビチレブ島にあるフィジー第2の都会ラウトカとビチレブ島の南120kmに浮かぶ環礁の島ドラヴニ島。

船旅が長く久しぶりにゆっくりできた。いつも何かに追われた忙しい日々を過ごしているのに、この旅では、のんびりと過ごせ、食事だけが日々の主要な行事となった。船の中では寄港地のレクチャーがあった。今回、プレゼンでは、南太平洋と呼んだが一般にはメラネシアと呼ばれる主要国を回り、人に接するというよりは砂浜、自然を堪能できた。

ミステリーアイランド、ドラヴニ島①は環礁の1周4km程度の小さな島ミステリーアイランド無人島、今回はヌーメア、ラウトカ以外の上陸はテンダーボートであり観光というよりは南の海をノンビリクルージングであくせく時間に追われた現実を忘れる良い旅だった。

私には地球の隅々に行って見たいと気持ちがあり、そのメルクマールとしておよそ240ある国と地域のうち100は行きたいと思っているが今回3つ増えて75となった。

今回はすべての寄港地で泳ぐことが可能であったが各島ではサンゴ礁の海岸をゆっくりと真夏の太陽の下で熱帯の木々に覆われた道をゆっくりと散策し英気を養った。

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①ドラヴニ島 ②リゾート地ヌーメア ③ヌーメアのニッケル工場

市内散策であったフィジーのラウトカは砂糖の生産で潤った町、大きなモールがありその名もシュガーシティーモール、多くの島民で賑わっていた。砂糖工場の生産は今でも行われ町中に運搬用の鉄路が目についた。インドからの労働者移住が多く、公用語として英語が使われる。

一方ヌーメア②はフランスの海外領土ニューカレドニアの首都であり、フランス語が公用語。ヌーメアのあるニューカレドニアの本島のグランドテール島の中央部と島の南部のヌーメアの近くの鉱山から鉱石を運んできて精錬するニッケル工場③が港のそばにあった。ニューカレドニアは世界のニッケル生産の主要国で日本からも労働者が移住した。ただ町を歩くとヨットハーバー、高級住宅地。高級ホテル等が数多くみられ世界有数のリゾート地であることが窺えた。

恒例の懇親会は、全員出席し、倶楽部からの特別料理を合わせいつもよりワインの消費が多かったようで、盛大なパーティーとなりました。テーブル・スピーチは、時間内に出席者全員が行うことは困難と予測されましたから、世話役の独断と偏見で勝手な基準を設けて指名しましたが、結果としては、世話役をも含む全員がユーモア溢れるスピーチを披露し、皆大いに楽しみました。次回は、丸山 尚氏と早乙女立雄氏が動画にて報告することになりました。そのための環境をセットアップできる新会場を選定することとしました。

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鈴木哲さんの音頭で乾杯 新入会の有吉さん 満席の会場で深まる懇親 マネージャー木庭さん

(文責 今井智之)

2016年2月8日 掲載

第61回「海外旅行研究会」

第61回例会が平成28年1月27日(水)丸の内倶楽部21号館で開催されました。出席者は13名(内懇親会出席者は12名)と、事故や急用でキャンセルが出たため少人数でしたが、盛会でした。はじめに四方満氏による「ゆったりドイツ周遊の旅」の発表がありました。ビジネスクラスでの豪華ツアーでロマンティック街道、古城街道をはじめドイツ全土をカバーする旅行の模様を美しい写真とともに楽しく語られました。

続いて、角谷充弘氏が、「食とワインと音楽・絵画鑑賞の旅」と題して初めてのプレゼンに挑戦しました。短期間にパワーポイントの使い方を習得し、綺麗な画像を披露しました。ネット活用による個人旅行の組立について詳しく紹介されたので参考になった方も多かったでしょう。シチリア旅行を詳しく説明されてフランス、ブルゴーニュ地方に到達したところで時間切れとなり、後半は次回に持ち越すこととなりました。ワインの専門家である同氏にはワインについてのお話を期待する方も多く見受けられましたので、次回は、フィレンツエ・トスカーナ、ボルドー、リオハでのお話に期待が集まりましょう。以下は両氏からの報告概要です。

icon「ゆったりドイツ周遊の旅」四方 満氏

毎年ヨーロッパ各地を旅行しているが、今回は「ドイツ周遊の旅」ツアーに参加した。

わが国同様第2次世界大戦で敗戦し70年になるが、ドイツ文化・観光に触れることは無論のこと私なりに成長し変化しているドイツをこの目で見・聞き・肌で感じてみたいと思う旅であった。

60年前のキャノンカメラ(当時のドイツライカの模造品)を持参して、南ドイツのおとぎの国から東部ドイツの歴史のある古都まで広大な地域の美しい景色や街並みを撮影した。

宿泊地は、ミュンヘン・ローテンブルグ・フランクフルト・ワイマール・ドレスデン最後のベルリンでは3泊することになった。ミュンヘンを後にした翌日にシリア難民6千人余りがミュンヘン入りをテレビで一日中放映されていた。幸い旅行中に彼らとは遭遇することはなかったが、各地のドイツ人の話から、第2次大戦の教訓から受入れに寛容であった。確かにそうで、バスの運転手はハンガリー人、ホテルには多くのトルコ人が働いていた。

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デュンケルシュールの
ドイシェスハウス
ラインクルーズから観た街並み

ドイツには33か所の世界遺産がある。どこに行っても旧市街・新市街があり、そこにはおとぎの国に出てくるような古城がある。それらは第2次大戦で壊滅的に破壊されたが、ものの見事に復興をしていた。中世の石と赤い瓦がコンピューターにより古い石と瓦を使って復元をしていった。

有名なアウトバーンを走ると左右に風力発電群が建ち並び圧巻であった。首都ベルリンではベルリンフィルハーモニー楽団の演奏を堪能した。

私が観た戦後70年のドイツを語ると、"人間も街も‥‥地道で質素"、"歴史と国民性‥‥出る杭は抵抗される"、"人種差別‥‥戦後の教訓"、"旧・新市街地‥‥心の中で整理"、"復元‥‥戦後復興の柱" が印象である。

icon「食とワインと音楽・絵画鑑賞の旅」角谷充弘氏

当研究会入会後1年半となるこの度、初めてパワーポイントを作成し発表するに至りました。今井世話役初め関係者にご指導戴きパワポが出来るようになったことが嬉しく、この場をもって皆さんに感謝致します。1994年来家内とともに最低年一度、2005年頃からは最低2度海外に出掛けることにして現在も続いております。すべて、自分で描いたフリーハンドな旅程に基づく気まま旅を楽しんで来ました。

さて、今回はシチリアとブルゴーニュの旅を発表しておりますので以下に概要を述べさせて頂きます。

I シチリア島

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イタリア半島の南、地中海に浮かぶシチリアは、日本の四国の1.4倍、九州の6割程度という島ながら "小さな大陸" と称されるほどに、3000年近くにわたりヨーロッパの東西南北から侵略を受けて来た経緯から、様々に異なる文化、風俗、習慣を今に残している実に多様な言わば大陸である。13年から15年にかけ3回にわたり島を訪問した内容を一つにまとめてみた。主として島の東、南にはギリシャの影響、西にはスペイン、ノルマンの影響が多く見られる建造物が残されている。

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エトナ山
エトナ山麓のワイナリー シラクーサ・オルティージャ
ラグーザ アグリジェント

シチリアの州都パレルモは、人口65万人の都会である。古代ローマ、イスラム、ノルマンの文化の香りが街を覆っている。イタリア最大、ヨーロッパでは3番目に大きなオペラ劇場テアトロ・マッシモは外からは大きく見えないが次回は公演に合わせ旅程を組んでみたいところだ。

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パラティーナ礼拝堂 テアトロ・マッシモ 大聖堂

II ブルゴーニュ地方

1)ボーヌ

フランスワインの中でも秀逸な「ワインの王様」ブルゴーニュワインの産地を訪れた。ブルゴーニュ地方に行くには、パリからTGVで約2時間で到着するリヨンを経由するのがお薦めだ。ブルゴーニュワインの聖地ボーヌまでは、リヨンから電車又は車で約1時間半。車で行けば途中見渡す限りぶどう畑と言う素晴らしい風景を楽しめる。ボーヌは小さな街で、のんびりワインと食事を楽しみながら散歩すれば最高である。

グランクリュー特級畑 ホテル・デュー(施療院) ボーヌ市街

(次回に続く)

発表終了後、保坂洋氏から、DFがモンゴル・ツアーを企画する検討をはじめることになり、世話役の了承を得て、前回モンゴル旅行を発表された櫻井三紀夫氏が検討委員の一員になるとの報告がありました。櫻井さんにはご苦労ですが当会を代表してご協力をお願いします。続いて懇親会に入り、恒例のスピーチ・セッションの中で各人が愉快なお話を披露され時間を忘れる程の盛会となりました。

次回は、3月29日(火)で、前述の角谷充弘氏による後編と萩原秀留氏の「南太平洋の旅(仮称)」が予定されています。

平成28年2月5日(文責 今井智之)