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隈取り

海外旅行研究会

世話役 山本 明男

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2018年12月3日 更新


目 次

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掲載日 テーマ / イベント名
7月15日 長期間滞在してみたい海外の観光地
4月15日 海外旅行研究会「発足当時の思い出

2015年7月15日 掲載

長期間滞在してみたい海外の観光地

我々日本人は、海外旅行というと、どうも短期間の内にばたばたと多くの観光地を駆け巡る傾向があります(と言うより、ありましたと言うべきでしょうか)しかし、暇と程々の資金をもつ高齢者は、もっと長期間、1,2か所に滞在して非日常空間で異文化的生活をしてみることも楽しいと思う。当海外旅行研究会でも、そのような体験をされ、そのプレゼンテーションをされた方はいない。私自身は、パートナーの健康上の理由があって海外旅行ができないが、できれば "あんなところ" や "こんなところ" で一冬や一夏過ごしたいと思うことがある。そんな夢のような滞在型旅行をこの紙上でやってみることにする。

滞在地の選定は、気候がよい、物価が安い、治安が良い、自然美と歴史遺産等非日常空間がある、料理とワインが美味しい、言葉(英語)が通じるところと大変厳しいので自ずと制限されてしまう。

そこで先ず思い浮かぶのは地中海の孤島となる。

(この項目の画像はマルタ観光局から提供いただきました。
Image by viewingmalta.com )

icon マルタ共和国

南ヨーロッパの小共和制国家であるマルタは英連邦と欧州連合(EU)のメンバー国である。歴史的には、フェニキア人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン人に支配され、一時はオスマン帝国に攻撃を受けるが、聖ヨハネ騎士団がこれを撃退して守ったためオスマンの影響はない。しかし、その後、ナポレオン・ボナパルトには、マルタも漏れなく支配されるが、ナポレオン没落後は英国に支配され、インドへの地中海路の重要拠点となっていた。第2次世界大戦時には英国海軍の基地として重要な役割を果たしていた。1964年に英国から独立するも公用語にはマルタ語の他に英語も使われている。東京23区の半分しかない国土に多様な文化を受け継ぎ、且つ貴重な歴史遺産があるから観光地としても極めて興味深い国である。気候も地中海気候で1年中過ごしやすいはずである。

シチリアは北93キロにあるから、フランス料理や所謂地中海料理とは別にイタリアの食文化が発達しているはずである。またシチリアに負けずとも劣らぬワイン造りが盛んなはずであろうから益々興味が湧いてくる。

近頃先進欧州国家でさえも治安が悪く旅をするのに余分な神経を使わざるを得ないが、ここは非常に治安の良好な国と言われている。また人々は大変親切だという。人口はたったの42万人で、東京23区の2分1の広さにこれだけの人しか住んでいないことから、人間に心のゆとりができることは想像に難くない。また年間に訪れる観光客数は150万人以上と聞いてもさして混雑になるとは思えないし、治安が悪化するとは言えないだろう。安心して滞在できそうな観光国だ。

領土は3つの島から成っている。北からゴゾ、コミノそして最大の島マルタである。マルタ観光局によれば、この国では7000年間の歴史の中を散策でき、まるで大人の宝箱のようだという。ユネスコ世界遺産に登録されているマルタの首都ヴァレッタだけでもそれを十分楽しめそうだし、長期滞在すれば316キロ平方メートルしかない全土をのんびりと観て歩けるであろう。ではもう少し具体的に整理してみよう。

icon 観光スポット

ヴァレッタには、元騎士団の宿舎であった建物が美しく立派に修復され官庁や博物館として使用されているそうだ。その代表的な建造物は騎士団長の宮殿である。また街には多くの教会がるが、聖ヨハネ大聖堂は必見でありそうだ。何とここにはカラヴァッジオの「聖ヨハネの斬首」がある美術館を見逃せないだろう。300年前、騎士団長に建てられたマヌエル劇場は金色の豪華な装飾は大変美しいという。アッパーバラッカガーデン展望デッキからのグランドハーバーと騎士団が最初に造ったスリーシティーの街の絶景を楽しみたい。さぞ美しく興味深い写真が撮れるであろう。街の喧騒をから逃れたくなったら、島の中央より北にある最初の首都イムディーナへ行くとよさそうだ。中世以来時代に取り残されたような街がひっそりと佇んでいるそうだ。

ヴァレッタの対岸にスリーシティーズがある。そのひとつヴィットリオーザは騎士団が最初の拠点とした町である。そこから北の小さな岬に出るとセーフヘーブン公園があり、そこから対岸のヴァレッタを一望できるそうだからさぞかし美しい眺めであろう。カルカーラの英連邦海軍墓地には第一次世界大戦で戦死した日本兵約70名が祭られているそうだ。

新石器時代に始まった場所は北島のゴゾで、その証として、島の西側にジュガンディーア神殿が存在している。これは他の2神殿と合わせ世界最古の巨石建造物のである。ホメロスの抒情詩「オデュデッセイア」に登場する妖精カリプソが住んでいたと謂われるカリプソの洞窟も近くにあり、眼下に広がる赤い砂のビーチが大変美しいそうだ。同じく島の西側にある、テレビ番組でよく紹介される、アズールウインドウは数千年の間風と波によって浸食された自然の窓である。

icon 宿泊場所

マルタは、国際ホテルチェーンの大型高級ホテルから個人経営のゲストハウスまで、多様の宿泊施設を提供しているから、滞在期間、予算、目的に合わせ選択することが可能である。5つ星ではザ・ウエスティン・ドラゴナーラやザ・パレスがあるが、ホテル・ブリティッシュという2つ星ホテルがあり、個人経営だがヴァレッタで最も歴史の深いホテルで興味を惹かれる。ザ・ヴィクトリアというホテルは4つ星でも英国調を近代化したよさそうなホテルだ。トリップアドバイザーが高評価するホテルには、インターコンチネンタルやヒルトンがあり、デラックスツインで200ユーロ少々でそう高くはない。ホテル・ブリティッシュは、ロンドン的というか、いささか窮屈そうな部屋のようだが100ユーロと安そうだ。景色のよいテラス・レストランで朝食を取るのは大変風情がありそうだ。ゲストハウスやB&Bも多数ある。ちょっと清潔で気持ちの良さそうなB&B(Time Flies B&B)でやはり100ユーロ程度で滞在できる。とにかくトリップアドバイザーのランキングで前調べをしたほうがよいだろう。

icon 料理とワイン

マルタ料理は基本的にはチュニジアとイタリアの影響を受けているが、地中海の魚介類を堪能することができそうだ。只、イギリスの影響もあってかパスタは、アルデンテどころか、柔らかめだというが、本当か冗談か分からない。イギリス人が好むスパゲッティだけは避けた方がよいことは確かだ。料理はシンプルで味付けは辛くないそうである。魚料理で有名なものは、トルタタルフートと言ってフィッシュパイだそうで、中でもランプーキパイがお勧めとか。ランプーキはシイラでこれは焼いたり煮たりして食するそうだ。その他、蛸(アルニータ)、烏賊(カラマリ)、鮪(トウナ)、そして蝸牛(ベッブージョ)も食材としてポピュラーだそうな。トマトと米が入った魚介のスープ(アリオッタ)は珍しい。肉料理には兎がポピュラーのようだが、ストゥファットタルフェネックというシチューが評判がよいという。私は昔から避けて通ってきた食材のひとつだ。でも豚も牛もあるそうだから心配ないだろう。

マルタ国内で、国際的に信頼感のある口コミサイト、トリップアドバイザーが掲載するグルメ・レストランは大雑把に数えて3,000を超える。しかも5点満点評価で4から5に位するものが非常に多いので驚かされる。行き当たりばったりでも美味しい料理が期待できそうな国なのであろう。中でもヴァレッタの175軒中1位評価のグゼ・ビストロや3位のクルト・カフェテリアは興味深い。ゴゾ島では187軒中2位のシャーラは夕日を楽しめるテラスでの食事が素晴らしいと思うし、セントジュリアンの237軒中4位のキャビア&ブルには魅かれる。値段も皆そう高くなさそうだから、一日おきにレストランを試して歩くのも一興かもしれない。

さて、料理には欠かせないワインだが、観光客を含む消費者の割に生産量が少ないのでイタリアから葡萄を輸入して造っているようだ。しかし、国際的な葡萄、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シラー、グルナッシュ、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、カリニヤン等をも栽培しているようだ。純粋に国産のワインはEUのルールに従い、DOKと表示されているはずである。土着の品種には、Girgentina とGellewzaがある。イタリアの超有名造り手アンティノーリがバックアップしているメリディアーナが最高の造り手と聞く。数多くあるワイナリー・ツワーの中にこのワイナリーもあるし、景色のよいテラスでの食事とワインを試飲するのは絶大の愉みであろう。まだ未体験の土着の葡萄ワインは、イギリスのスーパーマーケットにも並んでいるというが、是非試飲してみたいものだ。日本でもマルタ・ワインはネット・マーケットに出回っているがメリディアーナは見当たらないようだ。

icon 交通

先ず空路では、ローマから1時間半、ロンドンから3時間半で行けるようにヨーロッパの諸都市から直行便がある。勿論シチリアから船で1時間半で行ける。島内の交通は大変便利なようで、路線バスもあり、観光バスも木目細かく設営されているし、レンタカーやタクシーも発達しているようだ。

icon 結び

所詮小さな島であるから、長期間滞在は退屈してしまいかねない。そこで第2の目的をもって滞在することも必要かもしれない。例えば英語学校に通い英会話を学ぶと同時に若い人達と交際するのも一考かもしれない。また、ここでダイビングを習って海中を遊泳してはどうだろうか。孫が結婚でもしようなら、ここに招いて式を挙げてはいかがだろうか。

さて、マルタの旅を終わっていささか疲れ果てたが、次は間をおいてフランス領コルシカやトルコのアンタルヤを紙上滞在してみたい。

(平成27年7月22日 今井智之 記)

2015年4月15日 掲載

海外旅行研究会

ーー 発足当時の思い出 ーー

海外旅行研究会発足後、パワーポイントを駆使してのプレゼンテーションを開始して既に9年経過しました。当時、私はまだ数か所の大学で講師をしており、オーバーヘッド・プロジェクターを使用しておりました。これには数百ページのフィルムを用意する必要から経費がかさみましたから、拓殖大学大学院ではパワーポイントに切り替えることが勧められました。そこで慌てて出身会社(シェルジャパン)に赴き若手の後輩社員に手解きを受けることにしたのです。その結果、海外旅行研究会でも最初に私が本格的なプレゼンを果たすことができたというものです。第1回は2006年5月12日に「コッツウォルド地方北西部」を、第2回は同年7月19日に「同中南部」を発表しました。場所は同社お台場のオフイスで、会議室、スクリーン、プロジェクター全てを拝借してのことでした。懇親会は眼下にレインボー・ブリッジを見渡す同社クラブで開きました。

その後、常信伊佐夫さんをはじめ多くの方々が、競うようにパワーポイントを活用して素晴らしいプレゼンを行ってきました。その技術も瞬く間に進歩し、アニメーション効果を活用したり、BGMを貼り付けるなど大変楽しいプレゼンが見られるようになりました。写真の貼り付け方も大変体裁よくなってきました。因みにディレクトフォース自体がプロジェクターやスクリーンを購入したのも実はようやくその頃からでした。

私は当初自分のデータはCDに保存していましたので、恰好を付けてジャケットまで作って保存してあります。しかし、その後は、より便利なUSBメモリーにしていますのでジャケットは止めました。下にジャケットにした表題の一部を紹介しましょう。いわば表紙を見て中身が見たくなるようであれば満足というものです。

海外旅行は大変楽しいですが、誠に残念ながら受難の時代に入りました。円安と原油価格の下落で我が国の経済は息を吹き返しましたが、年金は減りこそすれ増えることはなく円安で海外での購買力は目立って低下しました。僅かに日本企業の配当政策が株主に好意的になったことが救いと言えましょうか。他方治安の悪化は憂慮すべき状況にあります。地政学的なものに限らず個人的精神の不安定性や諸管理の怠慢がテロ行為に繋がってゆくということから、いつどこで何が起こるか保証の限りでないので、うかうか旅をして行けない時代になってしまいました。リスク管理もしようがないですから、旅をして何の事件や事故にも遭遇しなければ、確率的に捉えラッキーと言うしかない時代になってしまったと言えましょう。それでも海外旅行に情熱を抱く方々は大いに旅をし続けて素晴らしいプレゼンテーションをして頂きたいです。

(平成27年4月15日今井智之記)

*編集註:右上の「海外旅行研究会過去記事」から、海外旅行研究会の過去の内容が閲覧できます。ちなみに、DFWebに掲載されたのは、2007年6月(頃)で、「海外旅行研究会」と改称した第1回(通算11回目)の発表からです。

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