2020年11月17日
会員からのメッセージ
- 新会員メッセージ
- 「会員のメッセージ」 目次
新会員のメッセージ
会員名 | No. | 入会年月 | メッセージのタイトル |
---|---|---|---|
巖本 一雄 | 1337 | 2020.06 | 人生100年新時代 第二の人生を模索 |
得丸 英司 | 1333 | 2020.01 | 「生涯現役」のロールモデルを求めて |
斎藤 龍三 | 1340 | 2020.06 | 南太平洋の美しい島々に行ってみませんか |
内山 正人 | 1341 | 2020.06 | DFを新たなスタートの基地として |
西村美奈子 | 1318 | 2019.07 | ライフワークは働く女性のセカンドキャリア支援 |
岩佐 俊明 | 1323 | 2019.09 | 人生に新風を吹かせたい |
高下 謹壱 | 1301 | 2019.05 | 聴くはクラシック、歌うは演歌、舞うは観世流の三刀流 |
梅本 邦彦 | 1293 | 2019.04 | サッカーが縁で欧州・アジアの美食を味合う |
萩原扶未子 | 1278 | 2019.01 | 男女の特性の違いを活用した女性管理職育成を目指す |
新庄 正彦 | 1283 | 2019.03 | 日本ビルは私の仕事場 |
(掲載順 敬称略)
人生100年新時代 第二の人生を模索
2020年6月に入会させていただいた巌本一雄です。私は、1955年生まれで兵庫県姫路市出身、1978年慶応義塾大学法学部法律学科卒業後ハウス食品に入社し、営業畑を中心に42年間勤務し、2020年3月に退社しました。42年の勤務中、転勤は10回、引っ越しは単身赴任3回を含み18回と、日本全国を営業で走り回ってきました。おかげさまで現在は身軽な家財のみが残っており、近々夫婦2人になる予定なのでコンパクトな便利な住まいを見つけようとしています。
42年間のハウス食品の営業では、自社製品の小売業での取扱促進や販売促進を中心に活動し、食品問屋や大手流通小売業を得意先としていました。42年間で得意先も大きく変化し、食品問屋は商社系を中心に集約され1兆円を超える売り上げの企業が4社以上にもなり、今や大学生の就職活動では「問屋」ではなく「食品商社」と呼ばれるようになっています。大手流通小売業も大きく変化し、1980年代の流通の中心が大手GMS(総合スーパー)だったのが、その後CVS(コンビニエンスストア)や地域スーパーにかわり、2000年以降現在に至る中では、ドラッグストア・ネットビジネスが台頭してきており、さらに今後新しいビジネスモデルが出てくると思います。
そんな大変革の中で自分自身は「第一の社会人生」を引退し、「第二の人生を模索」する中でディレクトフォースに入会させていただきました。ディレクトフォースにはハウス食品大先輩の峯脇先輩(食と農業研究会世話役)や渡邊明先輩が入会されていることもあり、安心して活動に参加させていただき、「第二の人生の目標」を見つけていきたいと思っております。現在はコロナ禍の状況で活動は制限されていますが、いつかは解決されるでしょう。
今後ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
以上(2020.10 記)
「生涯現役」のロールモデルを求めて
1年半前に「一般社団法人定年後研究所」を立ち上げ、少しずつではありますが活動を行って参りました。そんな矢先に、真瀬前代表からお声がけいただき、ディレクトフォースの存在を知り、入会させていただいた次第です。
私どもの研究所では、50代以降の現役サラリーパーソンを対象に、「人生100年・生涯現役」を見据えた定年後の充実した人生をおくるための事前準備の支援を目的に活動しております。
「役職定年」「出向・転籍」「年齢による配置転換」など、メンバーシップ型と称される日本の伝統的雇用制度に起因する出来事を経験することによって、50代半ばをすぎると、「もはやこれまで」という気持ちが強くなり、定年までの大切な時期を無為に過ごしてしまう中高年社員も少なくありません。
ところが、雇用側からすると、「この年代の社員に、今さら大きな期待をしても…」ということで、積極的に支援の手を差し伸べることができないという実態もあります。確かに、限られた資源を投入するなら、「将来を背負ってもらわなければならない若手や中堅社員が優先」という事情も理解できます。
結局のところ、50代以降の中高年社員は、自ら意識・行動を変容させる努力をしていかなければならないのでしょう。
コロナ禍にあって、テレワークを前提とした「働き方の変革」が進んでいます。若者と比べて「ITスキル」は見劣りしますが、長い人生経験の中で蓄積された知識やスキルは、比類なきものを持ち合わせているはずです。今や老若男女がスマホやタブレットを使いこなしています。少し前には想像だにできなかった光景ではないでしょうか。ITのスキルであれば技術の進歩が解決してくれるでしょうが、「経験」の蓄積は中高年社員ならではの強みであると考えています。
私自身が63歳を迎え、これからの人生(定年後研究所では「自走人生」と呼んでいます)を考える時期になりました。このような時期に、DFと出会い、先輩会員の方々の活動を拝見させていただきますと、まさに「自走人生」を謳歌しておられるご様子に衝撃を受けました。自走人生を謳歌している人のことを、研究所では「自走人」と命名しています。
私にとっては、DFは「自走人」の“宝庫”と言える存在です。これからも、後輩たちに素晴らしいロールモデルを提供するDFであり続けるよう、私も微力ながらお手伝いが出来ればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
以上(2020.10 記)
「南太平洋の美しい島々に行ってみませんか」
ディレクトフォースに入会させて頂いた6月、待ちに待ったプロ野球のペナントレースが始まりました。私は広島の出身で、熱烈なカープファンの一人ですが、今年もセリーグ・日本シリーズ優勝を願って、開幕試合から一喜一憂して観戦しています。
さて、私は、現在「太平洋諸島センター」と言う国際機関に勤務しております。
初めてお会いする殆どの皆さんは、この耳慣れない名前の組織はなんだろうと首を傾げられます。実は、私も4年数ヶ月前に公募に応じるまでは、全く知りませんでした。当センターは、1996年に日本国政府と太平洋諸島フォーラムにて設立された国際機関で、日本と太平洋
私が、太平洋諸島センターに勤務することになったきっかけは、約10年前、前職の伊藤忠商事時代に、5つ目の海外駐在地シドニーで、豪州・ニュージーランド・太平洋島嶼国地域の統括業務を担当していたことにあったと思います。しかし、まさか、それが退職後の仕事に繋がるとは思いもよらず、縁とは奇妙なものです。
ディレクトフォ―スに入会させて頂くことになったのも、そう言うご縁かもしれません。今年の伊藤忠商事OBの新年会で、共通の先輩を通してロシア事情のエキスパートでいらっしゃる菅原信夫様*に初めてお目にかかりました。そして、その場で私も長年関わったロシアの石油・ガス開発から話が盛り上がり、それが入会のきっかけとなりました。
入会したばかりで、事務局の皆様から伺ったお話程度にしかディレクトフォースの活動は存じておりません。幾つかしてみたいことはありますが、何にも増して、多士済々の会員の皆様方と色んな接点を持たせて頂きたいと思っています。
常勤の傍ら、時間の合間を見て、友人の紹介で知り合ったアメリカ人のジャズピアニストから英語のレッスンを受けたり、仕事で慣れ親しんだ青山・表参道界隈を散策したりしています。これからは、更にディレクトフォースでの活動を通して人生に豊な彩を添えて行きたいと思っています。宜しくお願い致します。
以上(2020.06 記)
編集註: 菅原信夫さんのDFメンバーズ・エッセー(2017.4.16号)「グルメが愛する国 ロシアより」を参照ください。
「DFを新たなスタートの基地として」
コロナ自粛期間中に入会しました内山です。
私は1978年慶応義塾大学法学部法律学科を卒業し、電源開発株式会社に入社しました。入社時はまだ半官半民のいわゆる特殊法人でしたが、2004年に上場民営化し、J-Powerとして国内外で電力事業を行ってきています。私自身は、民営化前は人事や広報といった業務を担当していましたが、民営化後は一転して電力販売や開発プロジェクト、燃料調達や資源投資などを担当してきました。
この3月で副社長を退任し、6月の総会までは取締役として、以降は顧問として会社に残っております。
ディレクトフォースとの関係は、私の大学のクラブの先輩の平井さんからの紹介を受けたことがきっかけで、自分探しもしたいと思い今回入会を決めました。また、数年前に平井さんから依頼を受け、環境部会の皆さんを当社の磯子火力発電所にご案内したことがあります。大変熱心な素晴らしい方々で、見学後の質疑も大変活発且つ専門的で驚きました。場所を移しての横浜中華街での懇親会も実に和やかな雰囲気で、大変素晴らしい会があるものだというのが印象に残っています。
コロナウイルスの影響はまだ計り知れないものがあり、あるいは社会・経済に大きな変革をもたらす端緒になるかもしれません。その中でも環境やエネルギー問題とどう向き合っていくかについては引き続き考えていきたいと思っていますし、新たな時代を見据えて、若い世代の教育や次世代を担う起業家の育成にも興味を持っております。
週末は散歩や読書やゴルフといったありふれたことで過ごすことが多いのですが、ボーイスカウトのお手伝いを長年やってきております。自分自身が子供のころボーイスカウトをやってきたことや高校で山岳部にいたこともあるかと思いますが、自然の中で子供たちと過ごすのは気持ちの良いものです。
世の中の大きな変化を心地よく感じられるよう、そしてここを自分の新たなスタートの基地としたいと考えておりますので、どうかよろしくお願いします。
以上(2020.06 記)
「ライフワークは働く女性のセカンドキャリア支援」
雇用機会均等法施行少し前の1983年に富士通に入社、北米向けPBXのソフトウェア開発、海外顧客向け研修講師、海外展示会、コンテンツ制作、情報システム、マーケティング 等、様々な仕事をして参りました。愛知万博の運営に携わったり、JICA専門家としてジンバブエ郵電大学のCBT教室開設を現地で支援したりと充実した日々でしたが、40代後半あたりから定年後どうしようかと不安を感じておりました。ずっと仕事を生活の中心においていたので仕事のない日々は恐怖にすら感じていました。
動けば何か見つかるかもしれないと、役職定年を迎えた55歳でコミュニティを立上げ、シンポジウムやイベントなどを企画・開催。さらに2016年からは昭和女子大学の現代ビジネス研究所の研究員になり、仕事の傍ら「マチュア世代*の働く女性のセカンドキャリア」をテーマに女性たちの意見のヒヤリングや、企業アンケートなどの調査・研究活動を行ってきました。そのうち研究にもう少し時間をかけたくなり、58歳直前の2017年12月に早期退職。その後、坂東眞理子総長の「研究したことを社会に提供していきなさい」というお言葉を受け、2018年12月に株式会社Next Storyを設立し、働く女性のセカンドキャリアを支援する研修事業をスタートさせました。(*マチュア世代:40代後半から60代)
DF入会のきっかけは、同大学の研究所を通して平尾先生(DF理事、昭和女子大学前理事長)から100歳社会総合研究所を立ち上げるのでとお誘いがあり、参加させていただくことにしました。DFでは様々な興味深い活動があり、いろいろお声がけもいただきましたが、まずは100歳社会総合研究所の活動をご一緒させていただき、特にシニア女性の活躍できる社会の実現に向けて少しでもお役に立てればと思っております。また真瀬代表から女性会員が少ないのが悩みと伺い、友人たちにも声をかけてこちらでも貢献したいと思います。
入会してまだ半年ですが、自身の立ち上げたばかりの会社について諸先輩の皆さまからアドバイスを頂戴する機会もあり、DFメンバーにならせていただいてたいへん有難いと思っております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
以上 2020.01 記
〈編集註〉西村さんの主宰するWebサイトはこちらです。
活躍の様子が朝日新聞に掲載されました。こちらの「活躍するDF会員」をご覧ください。
「人生に新風を吹かせたい」 ーー DFは新たな出会い・活動の場ーー
9月10日に入会しました、岩佐俊明と申します。
私は昭和47年に東京医科歯科大学卒業、昭和51年同大学大学院歯学研究科卒業後、第2口腔外科の医局に残り、20年ほど勤務しておりました。その間、昭和55年には静岡県焼津市立総合病院歯科口腔外科医長として1年間、また、昭和60年には北里大学医学部形成外科に研究員として1年間、出向しておりました。
平成4年からは、J-POWER(電源開発株式会社)総合医療センター歯科診療所所長として赴任し、大学のほうは口腔外科臨床教授として非常勤で大学に出向いておりました。平成25年、66歳で会社を定年退職、大学のほうも退職いたしました。その後、一時、先輩、後輩の開業医のお手伝いをしておりましたが、今は、両国にある歯科衛生士学校の講師として非常勤で働いております。
入会のきっかけですが、たまたまゴルフで仲良しになった分部貞夫さん(会員番号777)と麻雀の話題になり、麻雀好きの私が「最近仲間がいなくなり、麻雀をする機会がないので・・・」とお話ししたところ、「月に2回麻雀が出来ますよ!」とお誘いを受け、二つ返事で入会したいとお伝えしました。そこで初めて、DFのことを知り、パソコンでDFのウェブを拝見して、大変驚きました!
こんなに素晴らしい会があったのだと! 企業関係の方々が多く、医療関係の方が少ないとお聞きし、私など場違いなのでは?とも思いましたが、代表の真瀬さん、事務局長の近藤さんとの面談で、いろいろお話しをお聞きし、遊びのみならず、新しい出会い、活動の場であると感じました。歯科関係では私ぐらいのようなので、その方面から、健康、医療に関して多少でもお役に立てれば、と考えております。
入会の動機は趣味のお遊びからですが、早速に翌日の「健康・医療研究会」セミナーに出させていただきました。セミナーの内容は、私たちの年代からの非常にためになるお話で、私なりに是非とも「健康・医療研究会」に入り、皆様といろいろお話ししたいと思った次第です。早速行われた麻雀同好会の月例会では、初戦で役満を振る!という、手痛い洗礼を受けてしまいましたが、同好会の皆様との新しい輪が広がり、これからが楽しみです。さらに、ゴルフのほうは下手の横好きですが、ゴルフ同好会もあるので、そちらにも参加して、お付き合いさせて頂きたいと思います。
DFでの様々な会社OBの方々との新たな出会い、いろいろな研究会やセミナー、同好会での活動など、これからの私の人生に新風が吹く予感がいたします。今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
以上 2019.9 記
「聴くはクラシック、歌うは演歌、舞うは観世流の三刀流」
私は銀座で法律事務所を経営する弁護士です。弁護士歴33年、銀座の事務所は25年になります。自宅は渋谷区幡ヶ谷で、妻と子供3人 です。
弁護士しか職業経験はありません。出身は、石川県能登、金沢にまたがっています。年齢は62歳で会員の皆様の主流の年齢層よりは若輩であり、若造扱いしていただきたいと存じます。
事務所は、主に企業、中小企業法務が6割、個人の民事関係4割、弁護士2人の堅実な事務所ですが、男としては山っ気も色気も現役たっぷりです(笑)。
趣味は、「聴くはクラシック、歌うは演歌、舞うは観世流」とまとめています。ゴルフの腕前をお酒に例えれば「おちょこいっぱいで酔う」レベルです。
能は国立能楽堂で、能一曲を舞ったこともあり、来年6月「船弁慶」を演じる予定です。
会員の皆様と、仕事(法律相談もご遠慮なく)、趣味(能狂言、オペラ、落語、その他、観るものは何でも好きです)、酒(付き合いは良い方ですので飲み会にはぜひお誘いください)を交えていろいろと交流させていただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
以上 2019.7 記
(編集註:高下さんのWebサイトはこちらです)
「サッカーが縁で欧州・アジアの美食を味合う」
1978年アルゼンチン、1982年スペイン、1986年メキシコ。中高とサッカーばかりやっていた私は、このサッカーW杯の開催予定をみて、これからはスペイン語しかないと思い、上智大学スペイン語学科に入学したものの、動詞の変化の複雑さに音をあげて、いまだに碌に話せない状態が続いています。
それでも、1978年にブリヂストンに入社以来、ずっと海外関係の仕事に携わり、駐在地としては、スペイン、ベルギー、台湾、シンガポールと、主に欧州、アジア関連の仕事をさせて頂きました。事業責任者で行った台湾では、度重なる社員のコンプライアンス問題の対応とそれをきっかけとした会社の質の向上、アジア統括責任者として赴任したシンガポールでは、リーマンショックで約6割に落ち込んだ業績の回復とそれをテイクチャンスした事業再編などを行ってきました。
仕事はさておき、私の4つの駐在地の共通項は、どこも食事が美味しいという事です。特に最初の赴任地のスペイン料理はオリーブオイルとニンニクのコラボが絶妙で、その中でもスペイン3大珍味の1つ、アングーラス(ウナギの稚魚)の美味しさは忘れられません。
ディレクトフォースで何をするか、何が出来るか、まだ何も定まっておりませんが、こういった海外での経験を何かの形で日本でお返しができないかと考えてます。お会いできる機会があれば、よろしくお願い致します。
以上 2019.7 記
「男女の特性の違いを活用した女性管理職育成を目指す」
金沢市生まれ。IT企業勤務を経て、昭和61年(1986年)、25歳で株式会社 ジーアンドエス(G.&S.)を設立しました。その後、株式会社 ゴーゴーカレーグループ社外取締役に就任し現在に至っています。
G.&S.では、『こうすればうまくいく! “男女の特性の違いを活用した” 女性管理職育成 コンサルティング
萩原扶未子
』として、研修だけの一過性ではない仕組みづくりまでを支援するために全国に伺っています。
DFに入ったのは、 DFに仕事を依頼された知人が、私の仕事がDFの業務につながるのではと紹介いただいたのがきっかけですが、真瀬代表や皆さまのアットホームな雰囲気と、いろんな同好会や研修があり、人脈と学びができることも魅力で入会させていただきました。また、DFには、多彩な方々がいらっしゃるので、同好会や研究会を通して、沢山のことを吸収したいと思っています。
我が国では、女性活躍推進の基本となる、女性管理職育成を試みている企業や団体が多々ありますが、必ずしもうまくい
っていません。その理由は、男性・女性の特性を理解し、活かしていないことによるもので、男性と同じ方法で女性を昇進をさせているためです。このことを、女性管理職育成がうまく行っていない、或いはこれからチャレンジしようとしている企業・団体や女性に伝えていきたいと考えています。
さらに、少子化で人手不足で困っている企業や、ワーク・ライフ・バランスのコントロールをしながら働きたい女性の活力になっていってあげたいというのが、日頃考えていることです。
以上 2019.6 記
(編集註:萩原さんのWebサイトはこちらです)
「日本ビルは私の仕事場」
1979年、慶應義塾大学工学部(管理工学専攻 学部および修士課程)卒業後、 日本IBMに入社、営業部門で住友金属・新日鐵等大手鉄鋼メーカーや外資系半導体企業、大日本印刷、NTTグループ等を担当しました。またパートナー企業に2回出向し、営業現場と経営企画・役員補佐を経験。IBM退職後は日本電通に転職し、新設子会社の代表取締役として信越地域でのビジネスを経験し、その後、個人事業主として営業支援・営業推進支援を行って参りました。
IBM時代はモトローラからIBM野洲工場製の半導体生産管理システムを受注(世界初)したり、NTTから世界最大(当時)のUNIX系システムを受注したことが記録的ビジネスですが、一番の自慢(?)は現在の日本ビルのオフィスで恐らくDFのどなたよりも早く勤務していたことです!? というのは、1988年から3年間、IBMの新日鐵チームだけのオフィスがこの日本ビルにあり、チームの一員としてこのビルで勤務していたからです。ということでほぼ30年ぶりで このビルで勤務できるというのはなんという奇遇かと、懐かしくもあり嬉しくもありとても驚いています。
DFに入った切っ掛けは、真瀬代表からDF/DFMの話は以前から伺っていて興味を持っていましたが、一方で個人的な事情(介護負担問題)から働き方を変える必要も出てきたため、参画させていただくことになりました。
DFに入会後すぐに、DFMのHR事業部の一員になりましたので、先ずは会員の皆さまに認知いただきたいと思っています。組織に貢献できるようになることは勿論ですが、そのうちに余裕ができたら同好会として『日本酒文化研究会(仮称)』を主宰し、他の同好会と一緒になって活動したり、地域振興にも繋げられればと考えています。
ともかく、懐かしい日本ビルを仕事場にして、DFやDF会員の皆さんのお役に立つことを第一に、事務局業務の生産性向上や効率化を進めたいと思い始めています。
以上 2019.6記
(企業の敬称は省略しました)