2019/04/01(No290)
三木 延義
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私は小さいころからいたずら描きが好きでした。高校時代は、教科書に落書きをして先生に叱られたものです。そういうわけで大学に入ったときはすぐに「漫画研究会」に入りました。
大学卒業後は出版社に入り、希望の出版の仕事に携わりましたが、あるときから管理職になり現場を離れることになりました。もう一度現場の仕事をしたいということで、56歳のときに早期退職、個人で編集プロダクションを立ち上げました。収入は激減しましたが、本の編集や原稿書きに携わることができ、楽しい日々でした。縁あって直後にDFに入会したのもその頃です。イラストの仕事もたまにあり、細々と絵も描いてきました。
そんな折、高齢になって、仕事も一区切りついたので、昨年1年をかけて、退社後の人との出会い、経験したことを、イラストを交えてエッセー風に本にまとめてみました。「老いは愉し 野辺の花よ」という本です。(編集註:「活躍するDF会員」をご覧ください)。
その本の延長で、最近私が体験した「大ボケ」を、イラストを交えて書きましたが、多分皆さんにも心当たりがあるのではないでしょうか。
ある日、奇妙な体験をしました。
銀座シックスのレストランで仕事をして、地下鉄に乗るためにビルの地下道を歩いていました。
そうすると向こうから人が来ます。
すれ違いそうになったので、左に避けるとその人も左に避ける。
ではということで右に避けるとまた右に来る。
なんと失礼な奴だと思いながら、そんなことを2、3回繰り返したところで、はっと気が付きました。
目の前に苦笑いする見慣れた顔。
そう自分の顔があるのです。
そこは鏡だったのです。
その場所は図のような構造で右に曲がらなければならなかったのです。
目の前にまっすぐ道が続いていたら、そちらに行くのが人情。
私はこんなところに鏡を貼るなといいたい。
でもこんな恥ずかしいことをするとは。
後ろで人が見ていたら笑っていたに違いありません。
仕事なのでお酒は飲んでいませんでした。正気でした。
認知症の検査を受けなければならないかも。
1、2月は寒い日が続いたので、ズボン下をはいていました。
ある寒い日、用があって出かけました。
歩いているとき、催してきました。
Nature calls me!です。
限界に近づいたところで、幸いにもコンビニを発見。
外国人の店員の不審な目線を感じながら、身を捩じらせてトイレに駆け込みました。
さあ、解放されるぞとズボンの中に手を入れてまさぐるがないのです。
肝心のものを出す穴が。
ズボン下を後ろ前にはいていたのです。
必死の形相ですべてを下ろし、辛うじて事故もなく目的を達成することができました。
そして、狭いコンビニのトイレの中で、すべてを脱いで、ズボン下を正しくはき替えました。
何も悪いことをしたわけではないが、なんとなく申し訳ない気持ちになり、チョコレートを一つ買って店を出ました。
みなさんも、ズボン下やステテコをはくときには、前に穴があるかを確認してください。
私は草野球を楽しんでいます。
月に4、5回は予定が入ります。
毎回、時間と球場が違うので、予定の知らせが来るとすぐに手帳にメモをします。
予定の当日、野球道具とバットを抱え、いそいそと野球場に顔を出すと、球場はしんとしてもぬけの空。
メモした球場か時間を間違えているのです。
私は、生来のあわて者の上、加齢による認知能力の低下で、こんなことが年に2、3回はあります。
しかたなく、重い荷物を持ってとぼとぼと自宅へ帰る羽目となるのです。
月を間違えてメモをすることもあります。
特に、2、3月は注意が必要です。
2月が28日なので、2月と3月の日にちと曜日が同じになるからです。
実は今年もやりました。
3月の予定を2月に書いていたので、大事に至らずにすみましたが、逆であれば、待ち合わせの人に大迷惑をかけるところでした。
また、会合があるというメモだけが入っていて、誰とどこで会合をするのかが書かれていないこともありました。
減退した記憶力をフル回転させてなんとか想い出すことができました。
高齢者になった我々は、スケジュールを手帳に書いたときは、指差し確認をして、「よし」と声を出すことが必要に思われます。
みきのぶよし ディレクトフォース会員(122)
元 ダイヤモンド社