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(最終更新日: 2016年2月8日

海外旅行研究会 
世話役:今井 智之 

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見出し 2014年版

目 次

(敬称略)

定例会 発表テーマ 発表者
第54回
11月26日
「ゆったりイギリス周遊の旅」 四方 満氏
第53回
9月16日
「クリスマス前のリヨンとパリ」 保坂 洋氏
「個人旅行の最終章、ポルトガル旅行」 常信伊佐夫氏
第52回
7月22日
「男のロマンを求めて40年ぶりに青春時代の夢を達成。
 ーー オーストラリア大陸6,200KMの旅」
早乙女立雄氏
「フランス謝恩の旅」 保坂 洋氏
第51回
5月26日
「ヨーロッパ、時計との出会い」 曽山高光氏
「シチリア島・南アイタリアを巡って」 鈴木 哲氏
第50回
3月27日
「感動のパナマ運河クルージング紀行」 萩原秀留氏
「フランスの奥座敷ドライブ旅行」 保坂 洋氏
第49回
1月28日
「南フランス・ワイナリーと世界遺産の旅」 濱本龍彦氏
「錦秋のアメリカ東海岸5都市紀行」 常信伊佐夫氏

DF海外旅行研究会第54回例会

第54回例会が平成26年11月26日丸の内倶楽部21号館で開催されました。今回の旅行の報告は四方満氏の「ゆったりイギリス周遊の旅」のみで、持ち時間は⒈時間と"ゆったり"したプレゼンとなりました。旅の開始はエジンバラで、遺産から歴史を語り、グレンフィディクを堪能したことやバッグパイプに魅せられた様子が伝えられました。続いてダラム、グラスミア、更に南下してイングランドに入り、チェスターを通過、ストラトフォード・アポン・アヴォンではシェークスピア生誕地を訪ね、コッツウォルズを省略して、バースに到着し、ローマ風呂遺跡に感嘆、最後は近代的なロンドンを訪ねるというものでした。ご本人からの概要は下の通りです。続いて今井世話役より、第2回目の本会の過去の活動のレヴュー結果が報告され、その一環として、(世話役を除く)最多発表者が常信伊佐夫氏と決まり、記念として世話役のセラーから白ワイン1本贈呈することとしました。

「ゆったりイギリス周遊の旅」四方 満氏

気候的に良い9月、旅行好きのご夫妻3組と一緒に10日間の「ゆったり英国周遊の旅」のツアーに参加した。旅行のテーマは、60年前のカメラでの"らしさ"の撮影と本場シングルモルトを味わいながら現地の名物料理を食べることであり、そこに世界遺産で読み解く英国の歴史に触れあいながら旅行仲間との会話を楽しむことである。

紀元前の昔より大陸からの侵略に絶えず脅かされ、統合や分断を潜り抜けた國イギリスは、日本の国土面積の3分の2の細長い小さな島国ながら、長い歴史の軌跡が遺跡、史跡として残され、大自然がもたらした造形から、各時代の文明を刻んだ遺産、産業革命発祥の國であることが分かり、馴染むことができた。スコットランドの首都エジンバラを出発し、自然豊かな湖水地方ではクルーザー乗ったり年代物の蒸気機関車を愉しみ、更に南下しつつ、文豪・作家として世界的に有名なワーズワースから、コナンドイル、シェークスピア、ベアトリスク・ポターの生地、ゆかりの場所等に触れることができた。歴史遺産の中では、ローマ帝国が遠く島国である当地まで侵略をしてバースの街を建設して温泉まで掘り当てて入浴を愉しんでいたことに感動をした。

バース ロイヤルクレセントの前で マナーハウス バルセロビルズリー
エジンバラの街角で ローマン・バースで

最終宿泊地は首都ロンドンで、バッキンガム宮殿の衛兵の交代、そして最後の晩は日本企業が経営している江戸前寿司店で久しぶりに日本料理を味わった。

平均年齢71歳の6人は、皆、毎晩、日本から持参をしたつまみと街で買った菓子と伴にシングルモルト・ウイスキーの酒盛りをしたことが一番の思い出となった。

恒例の懇親会は同会場で開かれ、いつものようにまっとうな料理とワインを堪能しながら、スピーチの競演で盛り上がりました。次回は、井上史男氏の「イタリア(仮称)」と保坂洋氏の「コッツウォルズ(仮称)」が、平成27年1月30日(金)の第55回例会で発表されます。

DF海外旅行研究会第53回例会

平成26年9月16日、第53回例会が丸の内倶楽部21号館で開催されました。今回は、秋の旅行シーズン真っ盛りでもあるためか、参加者は10名に留まりました。前回に引き続き、保坂洋氏が、フランス旅行の締めくくりで「クリスマス前のリヨンとパリ」と題するも、"その町に暮らしているような旅" というプレゼンを行いました。パリでは、かつてはロスチャイルドが住み、今でも岸恵子が住まうサン=ルイ島にあるホテルに滞在し、現地の人々との交流を深めつつ、町の風物を満喫し、リヨンでは、ポール・ボキューズやダニエル・エ・ドゥニーズなどのグルメとワインを堪能し、歴史遺産を巡っての大変楽しい旅をなされた様子がまざまざと伝わって来ました。

続いて、常信伊佐夫氏が、「個人旅行の最終章、ポルトガル旅行」を報告しました。同氏は、以前から、奥方と自ら企画する個人自由旅行を楽しんで来られましたが、そろそろ、諸々のリスクが伴うかような旅行に終止符を打とうということにしたそうです。2週間でポルトガルの観光地を隈なく巡り、美しい写真とともに木目細かい報告をしました。以下はおふたりからの報告概要です。

「クリスマス前のリヨンとパリ」保坂洋氏

2013年12月8日から17日までの10日間、クリスマス前の冬のパリ、リヨンを楽しんできました。6月に家内の両手首骨折時にお世話になった方々への謝恩も兼ねての旅です。

あの時の暖かな関係者たちの対応、その前に小さな村々を巡った時の明るくフレンドリーな人達を思い出し、海外へ行ったというより第二の故郷へ帰ってきたと感じるほどリラックスした気分で街を歩くことができました。

ホテルのあるサン・ルイ島は、パリ中心部に位置するセーヌ川の中州で「パリ発祥の地」と言われ、古くから最高級住宅地として知られているところです。適度な広さの石畳の道には小さなセンスの良い商店が点在し、治安も良く全く不安を感じません。朝食はホテルの前の小さな専門店でバゲットや変わったパンを調達、口コミで美味しいパン屋があると聞いて表通りまで足を延ばしてみたり、3軒隣にある小さなスーパーでは惣菜や果物を仕入れ、日本語で挨拶する店主とお馴染みになったりと日頃の生活では考えられない楽しい朝の買い物です。ホテルの部屋で朝食を摂り街へ出掛けます。

移動手段はバスが良いのですが不慣れなため地下鉄を利用しました。大通り、小路を歩き、商店、人々のウォッチング。疲れたらカフェで一休み。どこでも店とお客とのインターフェスが優れている、つまり両者の関わり方が優れていると感じました。パレロワイヤルのベンチでくつろぐ熟年カップルは我々にはないリラックスしたとても良い雰囲気です。「見習いたいが出来そうにないね。」昼食はサンジェルマンの小路の行列ができている小さな店で堪能。次いでデパートでお買い物。もちろん美術館も外せません。ルーブル、オルセー、ポンピドゥーセンター、カルナヴァレと心行くまではしごです。レトロなすばらしい雰囲気が漂うパサージュを抜けて、3か所のクリスマスマーケットにも出かけました。

クリスマス・ライティングで
輝くエッフェル塔
パレロワイヤルの熟年カップル 賑わうリヨンのクリスマスマーケット

6日間過ごしたパリを離れ、TGVで2時間のリヨンは6月に10日間も過ごしたのでまさに故郷へ帰ってきたよう。ここでの主な目的は6月の治療でお世話になった方々への謝恩です。前回発表したので割愛しますが、すっかり感覚的にはお馴染みだが実はあまり観光していなかった街を改めて散策。市場で買い物、美食の街のレストランでディナー、クリスマスマーケットと自由に過ごしました。

冬でしたが好天に恵まれ、寒いと感じることもなく、エンジョイすることができました。以前から描いているパリのアパートで過ごしてみたい夢が膨らむ旅でした。

「個人旅行の最終章、ポルトガル旅行」常信伊佐夫氏

最後となるかもしれない個人旅行の行先を慎重に考えた末、5月のポルトガルと決めて、15日間の「のんびり・ゆっくり個人旅行」を楽しんだ。

他国に先駆けて16世紀に大航海時代を拓き、海洋王国として繁栄を極めた歴史を持つ国。反面、ギリシャに次いで欧州の経済危機発信源となりかねないほど苦境に苦しむ現在のポルトガル。その両面を見ながらの旅行となった。

旅行のテーマは、歴史的建造物をホテルに改修しポルトガルらしさを残す「ポザーダ」に泊まること、各地の世界遺産に触れることであった。

旅の始まりは首都リスボン。次いで大航海時代のリーダーともいうべきエンリケ航海王子の生誕地ポルト、ポルトガル発祥の地とされるギマランイス、中世の姿をそのまま残す街シントラ、そして学芸の街として栄えたエヴォラなどを巡った。訪問地のすべてが世界遺産であり、各地で伝統美術工芸品「アズレージョ」に触れるとともに、社会の底辺で悩み、苦しむ人々の間で日々の楽しみとして歌われ続けてきた「ファド」を知る機会も得た。「運命と郷愁」の念を込め、哀愁に満ちた歌声にポルトガルの歴史が象徴されている思いがした。

今回、日本の歴史に大きくかかわったポルトガルを旅して、海外旅行の意義を改めて考えさせられる経験となった。

サン・ベント
駅アズレージョの一部
ポザーダ・
デ・サンタ・マリーニャ
リスボン市街とテージョ川 世界遺産ポルト旧市街

恒例の懇親会は、少人数でもあり、ゆっくりと語り合うことができました。ショート・スピーチも各人が、暗黙の了解で、いつもの2倍の時間を費やし、楽しい話題を提供してくれました。次回は、11月26日(水)*同倶楽部で開催することが決まりました。先ず、四方満氏の「イギリス(仮称)」が報告され、その後、世話役より過去の実績のレビューを行い、"最多発表者"賞の授与を行います。懇親会は、今年最後となりますので忘年会とし、皆様からの楽しいお話を期待することと致しました。

(*註:会場の都合により11月17日から変更になりました。10/01変更・追記)

DF海外旅行研究会第52回例会

平成26年7月22日に第52回例会が、丸の内倶楽部21号館にて16名の出席者をもって開催されました。先ず、前回ゲスト参加されました角谷充弘が今回から正式メンバーとして参加する旨の紹介がありました。

プレゼンテーションは、最初、早乙女立雄氏による「男のロマンを求めて40年ぶりに青春時代の夢を達成〜オーストラリア大陸6,200KMの旅」と題する報告がありました。一橋大学学生時代、自動車部で企画するも夢と消えたドライブ旅行を2008年に実現した経緯の説明に続き、日本列島最北端から九州最南端までの距離の3倍に匹敵する大陸縦断の記録と感想を紹介されました。

続いて、保坂洋氏による、リヨンで令夫人が転倒し、手首骨折し、手術をうけるという不運については昨年第48回例会で報告されましたが、「フランス謝恩の旅」と題し、そのときの手術と帰国後の事後処置の経過等につき詳しい報告がありました。日仏医療制度の違いを指摘され出席者一同感心させられました。予定にあった「年の瀬のリヨンとパリ」については後日発表となりました。今回は、おふたりとも大変ユニークな報告でしたが、熟年者の海外旅行に纏わるお話は大変有意義でありました。以下はおふたりからの報告概要です。

「男のロマンを求めて40年ぶりに青春時代の夢を達成。ーー オーストラリア大陸6,200KMの旅」
  早乙女立雄氏

1960年代の後半、一橋大学自動車部員の2〜3年生が中心になって、初の海外遠征先としてオーストラリア大陸縦断を計画していた。大学公認の公式部活動の一環として、約1年間の準備段階を経て1968年に出発する予定であった。

しかし、当時は学生運動が増々盛んになり、ついに当大学も学園紛争の嵐に巻き込まれてしまった。そのため、折角準備が整ったにも拘らずその海外遠征計画は、中止しなければならなくなった。全員が涙をのんだ。共に勉強したオーストラリアからの留学生ブルースパイパー氏とも、それで終った。

それから約40年近くの歳月が流れた。当時の部員が昔を偲び度々顔を合せることがあった。「間もなく迎える還暦の記念のためにも、学生時代に頓挫した海外遠征の夢を復活しようではないか」との話題が誰とはなく出された。

間もなく60才になろうとしている元自動車部員は、2008年に出発する前提で、準備に取りかかった。ユニフォーム・ブレザー等も揃え、トヨタサハラ4,700cc 等車両3台を調達、志半ばで鬼籍に入った元自動車部員の友と当時のOB会長の墓参、「これを着て一緒に出掛けよう」とユニフォームを仏壇に、3人の遺影も預かってきた。

音信不通になったままのブルースパイパー氏を探し出すためには、大変な苦労があった。プールの底から一本の針を探すようなものだった。そしてついに連絡が取れた。

2008年11月、オーストラリア北端の港町ダーウィンをスタートし、大陸を南下。

アリススプリングス、エアーズロック、アデレード、グレートオーシャンロード、メルボルン、キャンベラ等の都市を経由して最終目的地シドニーに無事故・無違反で無事ゴールした。

延11人の隊員が3台の車に分乗し、11日間で6,200kmを走破した。青春時代に果たせなかった夢を40年ぶりに達成したのであった。60才前後の青春老人達は、ついに "男のロマン" を感じ取ったのである。

ブルースパイパー氏と40年ぶりに再会

「フランス謝恩の旅」保坂洋氏

昨年2013年6月6日昼、仏リヨンの名所トラブールで家内が段差を踏み外しゴツゴツの石畳に激しく転倒、両手首を痛めました。現場では居合わせた小学校の付添の先生2人に応急処置を受け(恩人2人)、15分ほど歩いて帰ったホテルではフロントの女性が大変心配してくれ(恩人3人目)、その後私が相談に電話した損保ジャパン海外旅行保険ロンドン窓口の女性(恩人4人目)と協議して病院を決めてくれました。呼んでくれたタクシーのドライバーはベテランで通常受付では数時間待ちということで緊急窓口へ案内してくれました(恩人5人目)。検診の結果両手首ともに複雑骨折で手術、入院が必要ということでした。この時丁寧な英語で説明してくれた医師と思われる50歳代の男性の相手に不安を感じさせないよう配慮した物腰と応対は強く心に残るものでした。「仏の医療レベルは米国、日本と同等です。」と語ってくれたのが微笑ましく感じました(恩人6人目)。

入院後、固定して日本で手術を受けるかこの病院で手術するかの判断を求められましたが、執刀医 Dr.Y.Izem(恩人7人目)自らの説明は信頼に足るもので手術を受けることにしました。その頃保険会社から派遣されてきた通訳渡辺園子さんは本当に心強い味方(恩人8人目)で最後の退院事務処理まで何かにつけてお世話になりました。

「おはようございます。」と部屋に入ってくるアニメで日本語を少し覚えたという男性看護師、「痛いは仏語でマルだけど日本語では何て言うの?」と語学研修の女性看護師、食事では「ムッシュいる?」私の分までスープ、コーヒーをくれる看護師、「帰国したら貴方の役割よ。」とシャワーの洗い方を教えてくれた看護師、家内の服を見て「すてき!」と自分に当てて鏡に映し同僚まで呼んでくる看護師、広く清潔な個室の病室はとても明るい雰囲気に包まれていました(恩人13人目)。手術後は執刀医だけではなく麻酔医、研修医、立ち会った看護師が親身な説明と相談をしてくれました(恩人17人目)。帰国後の日本の医師まで紹介してくれました。

エリオ病院へのお礼状. ホテルと病院へ感謝のプレゼント

8日間入院したのでホテルには9泊しましたが、その間オーナー、女将、従業員達は本当に気を使ってくれ「奥さんの病状は如何?必要なことがあったら何でもするから言って下さい。」と顔を合わせる度に声を掛けられました(恩人20人目)。

本当に多くの人のお世話になりました。

半年経過し順調に回復していること、仏からの片道航空券が余っていることから、お世話になった方々全ては無理ですが、病院とホテルへお礼に行くことにしました。

お礼のお土産は通訳渡辺さんのアドバイスで一枚づつ和のテイストで包装された桂新堂のエビ煎餅です。

2013年12月13日リヨンのホテルへ着き、皆さんの歓迎を受ける中お土産を渡そうとするとタクシーに置き忘れたことに気付きました。ホテルから会社へ捜索願が出されたのか、やがてドライバーが届けに戻ってくれ(恩人21人目?)無事に手渡すことができました。

翌日は病院でお馴染みの看護師に会うことができ、感謝を伝えることができました。

お世話になった皆さまへの感謝が目的の旅行でしたが、クリスマスを迎えるパリとリヨンの表情もすてきでした。それは次号でお話しする予定です。

恒例の懇親会は、久しぶりに出席された佐々木正延氏が、プレゼンの感想を述べられたあと、乾杯の音頭を取り開宴となりました。料理よし、ワインもよしで会が盛り上がりましたが、この日の各自によるスモールトークは特にユーモアに溢れ、大変楽しい懇親会となりました。経験豊富な熟年者の集まりであるからこそ可能なフォーラムと言えるでしょう。出席者の多くの方々から今後の海外旅行計画が披露されましたので今後の例会が益々有意義なもとなることが期待されます。次回は、常信伊佐夫氏の「ポルトガル」と保坂洋氏の続編「年の瀬のリヨンとパリ」が報告されます。

注記:提供された白ワイン、デル・スール・シャルドネ・トルト-ラ2013(チリ産)が大変素晴らしく評判もよかったので、調べますと、ネットで1本なんと514円で買えるのです。シャルドネの香りと口当たりが大変上品でした。遥かチリから輸送してきてかような値段で売れることには驚きました。ワイン愛好者のために注記しました。

DF海外旅行研究会第51回例会

例会席上で花束贈呈

平成26年5月26日(木)に第51回例会が、14名の出席者をもって丸の内倶楽部21号館で開催されました。開会に当たり、去る5月4日に突然他界されました日原健様のご冥福を祈って一同黙祷を捧げました。日原さんは同会発足後間もない頃から当会のメンバーとして殆どの例会にご出席されました。今回のプレゼンテーションは、先ず、曽山高光氏が「ヨーロッパ、時計との出会い」と題して、ドイツ、スイス、イギリスなどの市庁舎や教会の時計を写真の一角に収めて紹介しました。外国人の見学は特別の条件でしか許されないロンドンのビッグベンの時計内部を見学した日本人の1人であったことが後日分かったなどというエピソードで楽しいお話がありました。続いて鈴木哲氏が「シチリア島・南イタリアを巡って」を美しい写真をもって報告しました。10日間、シチリアはパレルモ、アグリジェント、タオルミーナを周遊し、本島ではマテーラ、アルベルベッロからナポリ、ソレントそしてアマルフィー海岸まで足を延ばすという大変活発な旅の様子が伺えました。以下はご両氏からの報告概要です。

「ヨーロッパ、時計との出会い」曽山高光氏

ドイツに赴任し、ドイツ内の市庁舎や教会の建物に関心を持ち写真を撮り始めました。これらの建物には必ず時計が付いており、いろいろな時計に興味をもち、その後15年の滞在中各国で時計の写真を撮りました。今回は3カ国に絞って写真と共に時代考証も交えてお話ししました。

ドイツでは「カリヨン時計」という時間で鐘が鳴るものや「仕掛け時計」が目につきました。スイスは時計王国と言われていますが、歴史的にはドイツやフランスより遅れて開発がされました。然し手先の器用さを生かし「懐中時計」や「腕時計」の技が世界的に認められ現在の位置を築きました。イギリスはロンドン市内の時計を中心にお話ししましたが、やはりここでは「ビックベン」が主役でしたので先の逸話を披露しました。皆さんも海外旅行をされる時、建物そのものだけでなく、そこに付いている時計も見て下さい。新しい発見があるかもしれません。

ドイツ イギリス スイスの仕掛け時計と時計塔

「シチリア島・南アイタリアを巡って」鈴木 哲氏

南北に長い地形であるイタリアにはこれまで30年の間に4回訪れているが、ナポリ・ポンペイが1回であとはローマ以北への旅が3回だったので、今回は家内の希望が強いシチリアを入れて南を10日間の早回りで巡った。

季節は4月下旬。好天に恵まれ、バスでの移動中に2時間ほど雨が降っただけの幸運。順路は、ローマからシチリア北部のパレルモに入り、島内3泊後、南イタリア5泊してナポリからローマ経由で帰国。

先ずは、パレルモ空港からバスで市内に入る際目にしたごみ置き場のひどさ(作業員賃金の不満によるサボタージュ)に先が思いやられたものの、その後は特段問題もなく安堵した。

四国よりやや広い面積であるシチリア島は、歴史的には古代ギリシャ・ローマ、アラブ、ノルマン、ビザンチン、スペインなど種々の文化が島内各地域に混在している。

パレルモ及び隣接した古都モンレアーレには、ドゥオモや僧院、パラティーナ礼拝堂など黄金色に輝くアラブ風幾何学文様の繊細にして豪華なモザイク芸術が溢れ、東方エキゾチズムの極致を感じずにはいられなかった。

次の南西部にあるアグリジェントはギリシャ神殿の谷がハイライト。20近い神殿や廃墟のなかでコンコルディア神殿は最も保存状態が良く、当時の姿をほぼ完全にとどめている。

翌日は東側の風光明媚な海岸に立地するタオルミーナ。途上のバスの車窓からは、硫黄含みのアフリカ的な風土を思わせるシチリア大地を堪能。

断崖絶壁の上に建造された古代ギリシャ劇場からは眼下にイオニア海を見下ろし、欧州最大の活火山エトナ山がくっきりと覗いていた。

シチリア島から本土にはメッシーナ港でバスごとフェリーに乗船して20分。

アルベロベッロに向かう途中で、広大な岩場に洞窟住居が渓谷に広がるマテーラに立ち寄る。石造りの円錐形屋根の家々が群立するアルベロベッロではカーニバルの開催と重なり、ローカル色豊かな老若男女のパレードに魅せられた。

ドゥオモのモザイク芸術 コンコルディア神殿 シチリア州シンボルマーク
青の洞窟入口 アマルフィーの景観 サンタルチア波止場の夜景

今回2度目のポンペイ観光で、以前より発掘が進んでいた遺跡をじっくり巡ったのち、景勝地ソレントに入る。ホテルの窓から見えるヴェスヴィオ山とナポリの夜景が瞼の奥に刻まれる。船を乗り継いでカプリ島人気のスポット「青の洞窟」に入ることが出来、短時間ではあったが神秘的な青の世界に浸る。

最終目的地のナポリに向かう前に、イタリア随一の景観を誇るアマルフィ海岸の奇観を堪能。保養地で有名なポジターノを経由してアマルフィへ。中世に海洋都市国家として隆盛を極めたアマルフィには立派なドゥォモがあり、天井画やモザイクで彩られた建築様式は往時の豊かさを物語っている。

ナポリでは、国立考古学博物館、旧市街を見学。卵城眼の前のホテルに宿泊し、海岸に面したホテルの窓からは卵城近くのサンタルチア船着き場の夜景が煌めいて、暫く飽かずに眺めてからようやく眠りについた。

懇親会は同会場で開かれました。美味しい地中海風料理とビールやイタリア・ワインで暫く歓談して会場が賑わうと、司会の世話役が出席者から促されて恒例の全員のショートスピーチを開始し、会は益々盛り上がりました。次回は、7月22日(火)に開催、早乙女立雄氏が、「青春の夢!オーストラリア大陸6,200km」(仮)を保坂洋氏が「仏謝恩の旅・年の瀬のリヨンとパリ」を報告する予定です。

DF海外旅行研究会第50回例会

平成26年3月27日(木)記念すべき第50回例会が、恒例の丸の内倶楽部21号館で開催されました。今回は、大変珍しくご都合が悪い方が多く、また風邪をひかれた方もあって出席者は10名に留まりました。先ず、冒険旅行愛好家の萩原秀留氏から、「感動のパナマ運河クルージング紀行」と題しての発表があり、クルージング旅行の基礎知識(ABC)を披露することから始まり、パナマ運河の歴史と現状を詳細に紹介されると、次は保坂洋氏が「フランスの奥座敷ドライブ旅行」と題して、フランス政府公認のミディ・ピレネー地方の「美しい村々」を紹介するに当たり、ルート策定のためのグーグルマップの活用の仕方、また現地での効果的なドライブを敢行するためのガーミン・カーナビの使い方を伝授されるという、「研究会」の何相応しいプレゼンをされました。保坂氏の写真は、アングルもよい素晴らしい写真で訪問地の美しさがよく伝わってきました。以下は両氏の発表の概要です。

「感動のパナマ運河クルージング紀行」萩原秀留氏

歳をとると旅行中に荷物の移動の少ないクルージングが楽だということで今回3回目のクルージングにでかけ、研究会でその話をしましたが、その前にクルージングについての講演会を拝聴する機会をえたのでその内容を会員に披露しました。

そもそもクルージングはイギリス人が憂鬱な冬を太陽が降り注ぐ地中海で過ごすために始まったもので、交通手段でなく船に乗ることが目的とか。日本でのクルージングの曙は1989年ふじ丸の就航にはじまる。この時から豪華客船でセレブが乗るものという感覚が我々に染みつき、外国と比較してガラパゴス化されてしまった。確かにクイーンエイザベスのようなラグジュアリー船もあるがこれは全体の5%。80%がカジュアル船で1泊11.5万円その上の15%のプレミアム船が1泊2〜3万円ラグクジュアリーで3〜5万円である。2012年に海外からのカジュアル船が日本に就航し始めクルージングの大衆化に入った。

我々夫婦はバルコニー、バス付きを条件にしているが、カジュアル船ではスイートとなるがプレミアム船では標準となる。設備や部屋の広さはカジュアル船の方が上になる。

過去2回は地中海とカリブ海であったが今回はパナマ運河通過をメインに考えた。

サンフランシスコからフォートローダーデール(フロリダ)までの17泊18日間寄港地7ケ所。1日中走りっぱなしのいわゆる航海日も10日あったが、映像を使った寄港地の歴史、地理あるいはマヤ文明の講演等々の催しや船内散歩等で飽きることはなかった。また今回の船はプレミアム船のこともあり、食事もまずまずだった。

エクスカーションではイーグルスで有名な Hotel California のモデルとなったメキシコのホテル、マヤ暦発祥の地といわれるメキシコのマヤ遺跡であるイサバ遺跡、コスタリカのコーヒー園、ポアス火山の火口、コロンビアのカルタヘナのサンフェリペ要塞跡と印象に残る所は多かったが、やはりパナマ運河は忘れられない。

パナマ市の外港フェルテ・アマドルの沖合に停泊。テンダーボートで上陸、初日は世界最短の大陸横断パナマ運河鉄道に乗車。カリブ側のコロンまで途中パナマ運河に沿っての約1時間強の旅だった。帰りはバスで途中ミラフローレンス閘門の見学館で運河を見学。100年前に完成した閘門式運河。大型船が幅ぎりぎりに通行するのを目にした。対岸の後ろには通行量緩和の為の第3閘門の工事が見られた。

翌日はいよいよ運河の通過。アメリカ橋の下をくぐると先方にミラフローレンス閘門が見えてきた。多くの乗客は解放された先端のデッキで通過を見守る。ここからはタグボートと乗船してきた運河の係員の操縦、閘門内は機関車の牽引で進行。操門の開閉、入水、船の移動。非常にスムーズで1時間かからずに一つの閘門を通過。次の閘門へ。2段式で約15m上昇。ミラフローレンス湖をしばらく運航後1段式のペドロミゲルロックで約9m上昇。次に山間部を切り開いた最大の難工事のゲイラード水路を約13kmは自力通行。560㎢のガツン人工湖から3段のガツン閘門を経て大西洋側のカリブ海へおよそ8時間を要した。

運河を通過できる船の大きさをパナマックスといい、全長294.1m 全幅32.3m 喫水 12m 全高57.91m今回乗船した船は全幅が最大の32.3mでぎりぎり。閘門内の幅33.53mに対して1.2m 片側60cm の余裕しかなかった。100年前の難工事、利権をめぐるパナマ,アメリカの争い。開通による大西洋、太平洋の貿易に対しての大きな貢献等ゆっくり考え味わってのクルージングだった。

ミラフローレンス閘門

「フランスの奥座敷ドライブ旅行」保坂洋氏

フランスには"最も美しい村"として157村が認定されています。中でもミディ・ピレネー地方には31村と群を抜いて多く存在しています。フランス通のI氏の薦めもあって、18日間の旅行の中に2013年6月1日から4日までトゥールーズを起点とした3泊4日のドライブ旅行を組み入れました。31村全ては回れないので、どの村をどのようなルートで巡るか、本とネットで調べ、ミシュラン地図とグーグルマップで概略の道路を調査しました。そして、これもI氏に教えていただいたカーナビ GARMI Nnuvi 2565を購入。このナビは事前にグーグルマップからピンポイントで行先を登録できるのが特長です。じっくりと自宅で予め入力しておいた駐車場、撮影ポイントなども日本語でガイドしてくれるのでとても便利でした。

サント・セシル大聖堂のアルビ、天空の村コルド・シュル・シェル、巡礼者の休憩地コンク、1泊目の宿泊地城下にひっそり佇むベルカステル、ミシュラン一つ星レストランでカオールの黒ワインと美味しいディナー。翌日は仏人が選ぶ好きな村第1位サンシルラポピー、地球の歩き方の表紙となったテュレンヌ、最も美しい村協会のある赤い石造りの建物のコロンジュ・ラ・ルージュ、テレマックの冒険が生まれた地カレナック、2泊目の宿泊地メロンヌではI氏お薦めのシャトーホテル、ラ・テラッセでのんびり。3日目は岩山に寄り添うようなロカマドールを経て、ドルドーニュ渓谷に点在する村々へ。スイヤックでサント・マリー大修道院付属教会を鑑賞し、断崖の上にありすばらしい展望のドンム、護岸工事中で少し残念だったラロックカジャック、駐車場からかなり坂道を上がったカステルノー・ラ・シャペルでは次に立ち寄ったベイナック・エ・カズナックを遠望、仏で最初に景観保護地域の復興が行われた中世都市サルラ・ラ・カネダの3部屋しかないアットホームなB&Bで3泊目。最終日はカオールで大聖堂とヴァラントレ橋を鑑賞、モアサックでサンピエール修道院付属教会の「モアサックの扉口を見なかった者は、何も見なかったのと同じである」の扉口と仏で一番美しいと言われる回廊を鑑賞、トゥールーズに無事帰りました。訪れた村と街は16か所。それぞれの村にはすばらしいロマネスクの教会、個性的な風景がありました。それに加えて村々を結ぶ田舎道の美しいこと。車を止めて見とれました。

1日約200㎞のマイペースのドライブで疲れはありませんでしたが、最終地到着が午後7時頃になり、もう少しゆっくり過ごしたかったです。さて、この後はカルカソンヌ、リヨン、ボーヌ、パリと巡る旅を予定していましたが、旅の中日のリヨンで家内の転倒による両手首骨折事故があり思わぬ展開となったことは昨年11月第48回例会報告に記した通りです。

巡礼休憩の地コンク 静かな城下村ベルカステル サンシルラポピー
コロンジュ・ラ・ルージュ 岩山に沿うロカマドール 村々を結ぶ快適な道路

恒例の懇親会は同会場で開かれ、皆、美味しいイタリア料理とワインを大いに満喫し、全員が十分な時間が与えられたことから、ユーモア溢れる充実したテーブル・スピーチで賑わいました。次回は、5月15日(木)に同会場で開催し、曽山高光氏から「ヨーロッパ 時計との出会い」、及び戸田邦男氏から「ポルトガル紀行(仮称)」が発表されることが決定しました。

DF海外旅行研究会第49回例会

恒例の懇親会は同会場で開かれ、皆、美味しいイタリア料理とワインを大いに満喫し、全員が十分な時間が与えられたことから、ユーモア溢れる充実したテーブル・スピーチで賑わいました。次回は、5月15日(木)に同会場で開催し、曽山高光氏から「ヨーロッパ時計との出会い」、及び戸田邦男氏から「ポルトガル紀行(仮称)」が発表されることが決定しました。

「南フランス・ワイナリーと世界遺産の旅」濱本龍彦氏

ワイン仲間とともに、陽光の眩しい南フランスのローヌ河に沿ったローヌ・ヴァレィなどの6つのワイナリーを訪ねるとともに、その周辺のアルルなど世界遺産5つと「美しい村」の1つを訪ねました。

まず訪れたのはサン・シル・ラポピ。フランスには150くらいの登録された「美しい村」があり、その中でも秀逸とされている村でした。15世紀の雰囲気を残しているという人口200人くらいの村。ゆっくりとした時間が過ぎていくような気がしました。

ローヌ・ヴァレィの各ワイナリーでのワインテースティングを時間の限り楽しみ、そして葡萄畑の中で元気をもらいました。景観のよいのはエルミタージュで、小高い山の上まで葡萄畑が連なり、ローヌ河が真下に見えました。

世界遺産はツゥールーズのミディ運河、カルカソンヌの城塞都市、アルルのローマ遺跡、アヴィニヨンの法王庁宮殿およびリヨンの歴史地区の5か所を訪れました。ツゥールーズのミディ運河は17世紀に建設されました。地中海の海岸からツゥールーズまでの運河で、ここでガロンヌ河に繋がりボルドーを経て大西洋に至ります。ジブラルタル海峡を経ずに地中海と大西洋を繋いだもので、鉄道建設以前のフランスの産業上大きな貢献をしました。カルカソンヌの城塞都市はいつ見ても豪快です。カルカソンヌを見てから死ね、という諺があります。ぜひご覧になればと思います。アルルでは有名なローマ時代の円形競技場などを訪れるとともに、ここで画家生活を送ったゴッホを偲び、「跳ね橋」「フォーロム広場の夜のカフェテラス」「セントレミィ病院」など画家の足跡を辿りました。

美しい村ー
サン・シル・ラポピ
カルカソンヌ、
城塞のオード門
アルル、ローマ時代の
円形競技場
アルル、ゴッホの絵
「跳ね橋」 の題材となった橋

「錦秋のアメリカ東海岸5都市紀行」常信伊佐夫氏

一度はアメリカに行ってみたいという家内の希望を入れ、ツアーに参加することにした。これまで海外旅行はインディペンデント旅行を信条にしてきたが、アメリカの複数都市を個人で回るのはとても無理と考えツアーを選択した。旅程に組み込まれている各地美術館めぐり、ブロードウエイでのミュージカル鑑賞、都市ではワシントンDCやボストン訪問に惹かれたし、時期が紅葉シーズンであることも後押しした。

幸いツアーメイトは似通った年齢、環境にある6組の夫婦で、しかも穏やかな人たちだったからツアーにあり勝ちの嫌味やトラブルがなくその意味で恵まれた旅行となった。

アメリカに行くときの時差の苦しさを考えるとビジネスを利用するしかないと思い、高額の旅行代金を支払った。ビジネスシート利用の収穫は、大吟醸「獺祭(だっさい)」に出会ったことだ。1口呑んだ途端その味のふくよかさに感動を覚えた。何代も続いている山口県の蔵元だが、現社長が品質改良に工夫を重ね、販路開拓の努力を続けてきたということを帰国後にテレビ報道で知った。

出発までには解決するだろうと腹をくくっていたアメリカの予算問題が、解決の糸口も見えないまま政府機関閉鎖という事態に突入した。これにより旅程に若干狂いが生じたものの個人的には期待していた観光にそれほど支障を感じなかった。ワシントンでは、アーリントン墓地にインプレッションを受け、世界の政治、経済に多大の影響を与えるホワイトハウスを目の当たりにして感慨深かった。フィラデルフィアでは、アメリカ独立運動の歴史を垣間見た感じがしたし、ボストンでは茶会事件が起こった海岸に立ち、更にはレキシントン・コンコードの古戦場をみてアメリカの自由獲得の原点に触れた思いであった。

美術館巡りでは、メトロポリタン美術館、ボストン美術館をはじめとする各美術館の収蔵品の多さにアメリカの富を感じた。ニューヨークではブロードウエイのロングランミュージカル「MANMA MA!」を楽しみ、また各都市で多数の写真を撮ることができ、ほぼ当初の期待を満たす旅行となった。不満が残るのは一部レストランを除き、料理の大味なことと量の多さであった。この点ではヨーロッパの食文化の奥深さを改めて認識した旅でもあった。

アーリントン墓地 コンコード広場 ホワイトハウス レキシントンの民兵像

続いて恒例の懇親会は、ヘルニアの手術を成功裏に終え元気になられ、久しぶりに参加された曽山高光氏の復帰報告と乾杯の音頭で開かれました。一部の方から、「料理が少ない、遅い」との指摘がありましたが、多量のワインを飲みながら結果的には十分であったようです。これまた恒例ですが、リレー方式による全員のショートスピーチで会は大いに盛り上がりました。次回は3月に開催、鈴木哲氏と萩原秀留氏の発表を予定しています。