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 2019/10/16(No.303)

「営業の遺伝子は嵯峨野家代々と家業にあり」

嵯峨野 彰

私の生い立ち

筆者

昭和50(1975)年に社会人となって就職したのが信託銀行で、以来法人営業を主に退社するまでほぼ営業畑を歩んできました。

私の実家は江戸時代からの商人の家で、父は牛乳・冷凍食品・アイスクリームなどの食品問屋の会社を忙しく営んでいました。

そんな家で育ったために、注文の品々を取引先の小売店に配達したりして、小さい時から高校生まで家業を手伝わされ、周りの友人達が遊んでいるときも汗水垂らして過ごしてきました。今思えば、その頃の苦労がいつの間にか営業の基本を身につけることになったのだと思います。

父は、家族には非常に厳しく、商人はこうあるべきといつも聞かされていました。「中国は歴史があるのに老舗がないのは、儲け優先で商品を作り過ぎ、質を落として信用を失い潰れるからだ。利益を優先してはいいものは売れない」と。また、嵯峨野家先代より伝えられていることとして、「商人はその時々の判断が大切で、信用を守ることにあり」とよく聞かされていました。とんび作りを本業とせず、とんび作りが継承され残っている所以です。

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私が生まれ育った千葉県長生郡一宮町にある 玉前たまさき 神社で行われた例大祭(2019.9.13)に、祭り男の私は毎年参加。この地にある嵯峨野本家とんび工房で伝承10代目として上総とんびを制作している

父は、言い伝えとか縁起をいつも大切にしており、神社・菩提寺に対して率先して寄進をすることは当たり前。また、祭り事から土地の歴史までよく知りつくしており、地元で上総の大久保彦左衛門と呼ばれていました。

そんな父の口癖は「困っている人の話を聞いて役に立つ人間になれ」でした。

誰も成しえない目標をオリジナリティー営業で突破

銀行時代の話ですが、私は博多・神戸・大阪・京都と経験し、神戸支店の法人営業を経て、本社(日本橋)法人営業の最前線に異動、前任の先輩課長の後を任されることになりました。着任早々、課の現状目標と実績を把握していたところ、ある取引先(以下A社)について目標とされている大きな数字に気付きました。

その目標について活動状況を聞きましたが、到底困難な莫大な数字(当時で約6000億円)のため、歴代部の目標として載せているだけとのこと 。聞けば上席の部長にも何の戦略もないことが分かり愕然としました。

「何を考えているんだ!挑戦もしないで数字だけ載せて恥ずかしくないか!」

A社は同業の他の信託銀行がメイン・バンクでしたが、このA社の数字を何としても今期中(半年以内)にモノにするぞ、と驚く年上の部下にハッパをかけ、早速行動に出ました。

そうこうして、A社の役員・財務の部長と親密になり、困っていることはないかと、部下と共に相手の財務部長に日参。できる限りの相談に応じ、要望に応えるべく最大の努力を続けました。

折も折、A社の部長が管轄している、九州のホテルの活用に困っているとの情報を得て、銀行の九州支店と共に全力で支援を行なった結果見事に成功し、次なるステップに進むことになりました。

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神戸支店当時の私。率先して取引先の応援に駆けまわった

取引先の部長との信頼

この支援の成功がきっかけで、「実は!」とA社の部長から更に相談があり、集客に問題を抱える山形の新しい施設への協力を頼まれることになりました。

私の銀行では社員向けに当時では珍しい本格的ビデオニュースを全国支店に配信していました。相談を受けて銀行に戻って早々に、「これだ!これを利用しない手はない!」とのアイデアが閃きました。

早速、関連部署の了解を取り付け、取材チームが山形まで出向き、念入りに取材してプロモーション・ビデオを完成。出来たてのビデオの試写会をA社で行なったところ、部長はもとより役員まで感動の渦に巻くことができました。

このことがあってこの部長とは更に親密になり、ついには私が一番信用されるようになり、お礼で接待を受けるような間柄にまでなりました。

また、その部長は、「他の取引金融機関は、相談は元より何もしてくれない。私も役員も嵯峨野さんに感謝している」と言われました。

この機を逃さず、その部長にメインの取引についてお願いするものの、ここまで当社のことに協力いただき感謝しているが、メインの取引は現在の信託銀行との関係もあるので一存では決められないと、歯切れの悪い回答でした。

神頼みが思わぬことに

これ以上手の尽くしようがなく、部下と日参していた頃、A社の会社の敷地のはずれに、歴史のあるお稲荷さんが祀られていることに気が付きました。そこである日、近くの酒屋、スーパーから、お神酒、油揚、果物等を求めお供えして、メイン取引が出来るようお願いしました。以来、A社を訪問するたびにお参りし、その都度 やしろ の周りも掃除してきました。

何日か続けていた時でした、 やしろ の掃除をしているおばさんと偶然に出会い、「お供えや掃除をしていただいているのはあなた方ですか」と尋ねられ、求められるまままに名刺を差し上げました。

ある日、A社の部長をいつもの通り訪問したら、「社内で君たちのことが話題になってる。私からも役員に御社のことや君たちが最高の営業マンであると伝えてある」との思いがけない言葉。有難くも大変驚きました。

それから何日か後、部長からまだ決定事項ではないのでこの場限りだが「メインの取り引きについて貴行に変更するように役員に相談し報告した」とのこと。

丁度、私が着任し5ケ月目のことでした。

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父親の血筋を引き継いだせいかお祭りが大好き。本店時代には浅草の三社祭の神輿も担ぐこともあった

手柄は上司が!

会社に戻り、早速上司の部長に事の次第を報告。ただし決定事項ではないので、近く先方の役員会での決定が決まるまでは内密にとお願いしました 。

しかし、当行始まって以来の営業実績というこの話は、何もしていない人が手柄顔で上役に報告し、さらに担当専務が役員会で話してしまった結果、翌朝の銀行の役員会では、当行がA社のメインBKとなり数千億円の取引ができたことになってしまいました。

あれだけまだ決定事項ではないのでと、上司に念を押した‥‥ にも拘らずです。

この話はあっという間に行内に広まり、違う部署から社内電話が私に立て続けにかかってくるなど、大騒ぎになってしまいました。

部長に話すと「まさか専務が役員会で話すとは思わなかった。すまん!」と詫びられました。

取引先も感動

そうこうしているうちに、ついにメインBKが当社に正式に決まりました。

私が着任してちょうど6ケ月目。約束通り目標を達成しました。ついに歴代挑戦していたことが実現したのです。

社内では、私は個人社長表彰を受けました。部も表彰受けました。また、今回部下の○○が私と二人三脚で困難なことに挑戦したので、彼を評価していただき、課長に推薦したいと専務に伝えたところ、君はいいのかと聞かれ、私は課長としてやるべきことをやっただけですからと答え、納得していただきました。

私は社長表彰の金一封で老舗の紅白の饅頭を購入し、A社と行内の関係部署にお礼を兼ねて配りしました。A社の部長は「今回のメインバンク変更は正しい決断だった。実は従来のメインBKの担当者と部長が今回の件で異動になった」とのこと、厳しい判断が下された様子でした。

部長は紅白の饅頭を受け取り、部下に向けてこの饅頭はここにいる私と部下の○○さん達の努力があったからこそ、喜んでいただこうと述べられました 。

その言葉を聞いて目頭が熱くなるのを感じ、部内の皆さんに心からのお礼を伝えました。

当然ながら、例のお稲荷さんにも紅白の饅頭をお供えしたことは申すまでもありません。

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上総とんびを伝承しつつDFのイベントにも数多く参加
左は玉前神社に奉納した「九代目出世鯉生け捕り図柄」
右はDF釣り同好会で見事な鯛をゲット

その後数々の ‥‥

私はその後、融資の次長になりベンチャー企業を何社も上場させることに成功しました。

ある時白羽の矢が私に立てられ、当時山一が倒産している厳しい状況下、関西の 大店おおだな 、京都支店が大変ことになっているので、営業の立て直しが必要と、私が営業の責任部長で抜擢されました。当時の京都支店は取締役店舗で職員数は170名でした。

一方本社では、法人の当時の専務が副社長になり、私に3年は掛かるかも知れないが京都を頼むと言われ、私を指名したのが副社長とわかりました。

その後、ある取引先の営業戦略を徹底的に見直し、過去にとらわれない手法により実績を上げたため、着任から1年で支店の成績が地区同業のNO.1に帰り咲き、見事地域の信頼を取り戻しました。

この業績に対し社内でも驚きの声が上がりました。

それもこれも、取引先企業および京都の顧客に対して取引の基本に戻り、見直しを図り自ら率先垂範行動した結果に他なりません。

営業店の顔である窓口も一変させ、窓口では、当時私と親交のあったプロ野球選手会の事務局長の協力も得て阪神タイガースのキャンペーンを行ったり、またある時は私の人脈で日本相撲協会の協力をいただき、相撲シリーズキャンペーンを張り集客に大成功。地元マスコミにも取り上げられたことなど、数々の思い出が頭の中を去来しています。

決断!

その後私は、銀行の引き留めもありましたが、営業力を買われ某外資系金融機関にヘッドハントされて、後の「みずほ」には移らず転職の決断をしたのでした。エンドマーク

さがのあきら ディレクトフォース会員(918) 
元安田信託銀行 無形文化財 上総とんび 伝承十代目 

編集註:千葉テレビで「上総とんび」作り伝承十代目の嵯峨野さんが紹介されました(2019年8月25日)

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