
(11/11/27 )
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11月の勉強会は、11月18日学士会館に於いて会員約100人が参加して開催されました。
今回は講師にNHKエンタープライズ・シニアエグゼクティブプロデューサーで世界遺産事務局長の須磨章氏(写真)をお迎えし、「世界遺産への招待」というテーマでご講演頂きました。
須磨氏はNHK入局後、報道局、スペシャル番組部等で主としてドキュメンタリー番組の企画・制作を手がけ活躍されてこられた方です。
お話は世界遺産登録の系譜を通して世界遺産の文化とその時代の社会や政治について触れるもので、NHKがユネスコと共同して制作に取り組んでいる番組「シリーズ世界遺産100」からその具体例をいくつかご紹介いただきながらの解説でした。旅行で世界遺産に接する機会の多い会員にとって、新しい視点を教わった有意義な勉強会でした。詳細は次のとおりです。
「世界遺産条約」はユネスコが主管する国際条約である。世界遺産登録は1972年に始まり、来年は40周年を迎える。
どのようなものが、どのような基準で登録されてきたか。その経緯をまず「セゴビア旧市街と水道橋」に見る。「セゴビアの水道橋」は1世紀中頃古代ローマによって建設されたもので、長さ813㍍、高さは28.5㍍に達する。128の美しいアーチで構成され、2万個以上の花崗岩を積んだだけの橋。水は18k㍍離れた水源から運ばれ、19世紀末まで修復もせず2000年近く使用されてきた。古代ローマの優れた技術を示すもので、今もセゴビア旧市街のど真ん中に象徴のように構えている。
登録基準は「人類にとって顕著で普遍的な価値」である。キーワードとなるOutstandingUniversal Valueは「石の文明」であった。世界遺産のはじまりは西欧文明の価値観であったといえる。
次に「木の文明」に光が当る。それを「マラムレシュの木造教会群(ルーマニア)」に見る。
ルーマニア北西部のマラムレシュには中世から変わらぬ「モミの木」への特別の思いがある。高く真直ぐに伸びるモミの木は森の主役であり、尊い木とされる。教会もモミの木の姿を生かして建てられた。多くの木造教会があるが、そのうち8つが世界遺産に登録されている。釘は1本も使われていない。モミの木は尊く、教会はキリストそのものと信じられていたからである。
ミサには村人が溢れる。代々、結婚式や洗礼は木造教会で行われた。18世紀中頃に建てられた教会は村人自らの手によるもので、厚い信仰により木造教会が人々の暮らしの中心となってきた。墓も木で作られ「ゆりかごから墓場まで」、真直ぐに伸びるモミの木がこの地方の人々の精神的支柱になっている。
ヨーロッパにはほかにも「木の文明」がある。「フィヨルドのビーナス」と呼ばれる「ウルネスの木造教会(ノルウエー)、バイキングによる100%木造の最高傑作といわれる。また「ヤヴォルとシヴィドニツアの平和聖堂(ポーランド)」は大理石に似せた木造教会、これは30年戦争でカソリックから石の教会を禁じられたプロテスタントの意地による。
ドイツのクヴェトリンブルクの旧市街も王から石造建築を規制された市民が1300年頃に建てた木造の町並み。当時から木は石よりも格下と見られていたことは間違いない。
法隆寺登録申請をめぐって、登録基準とされたAuthentiicity (本物性・正統性)ということについてユネスコとの間で議論があった。日本は木が腐れば替えているが「最初の設計図どおりに修復している」「同じ木材を使っている」と説明し、1993年に日本最初の世界遺産として登録された。このとき日本がリーダーシップをとり、奈良ドキュメントで「石の文明ではない文明のAuthentiicity」を規定、その後の道筋つくりに貢献したといえる。
「土の文明」の世界遺産代表例が「ジェンネ旧市街(西アフリカ・マリ共和国)。ジェンネは街全体が泥で出来た700年の歴史を持つ「土の街」である。学校、住宅、衣装の紋様まですべて「土・泥」で作られている。ニジェール川が運ぶ泥が乾季に現れる円形の泥貯場で採取され、日干し煉瓦と泥の壁になる。モスクを取り囲む旧市街全体が世界遺産に指定されている。
街で最も高いモスクは西暦1300年頃作られ、人々の精神的支柱になってきた。泥でできたモスクは毎年2月から5月にかけ、雨季に備えて表面に泥が塗り直される。このときは人々の心が1つになるビッグイベントである。修復が祭りなのか祭りがあるから修復できるのか分からないが、泥という自然の恵みを生かした世界でも珍しい暮らしがこの街に生きている。
中東とかアフリカなど、世界の3分の1は「土の文明」と言える。
世界遺産登録の系譜として第1期は1972年に登録が始まってから20年間ぐらい「石の文明」、第2期は日本が貢献した「木、土の文明」。第3期の今は、発展途上国が優先されている時期といえる。世界遺産条約の批准国は現在187カ国あり、そのうち世界遺産登録がない国は34カ国。国際条約であるから各国が少額だとしても分担金をだしており、未登録の国を優先していくのは当然かもしれない。
登録基準が「普遍的な価値」から「多様な文化と歴史」に変わっていることは、そのこと自体世界遺産発展のためには良いことではないかと考える。
アブ・シンベル神殿は紀元前1300年、ラムセス2世がアスワンの南280k㍍、ナセル湖畔に作らせたもの。ラムセス2世のための大神殿と、王妃ネフェルタリの小神殿の2つ、正面にラムセス2世の4体の巨像がある。
この神殿は50年前、エジプト政府が人口増加に伴い食糧と電力を増やすためにアスワン・ハイ・ダムの建設を決定、水没する危機に直面する。人類共通の遺産を守るためユネスコが国際的なキャンペーンを起こし、政治的対立を越え世界の資金と技術を集めて救済した遺跡である。
移動工事は1968年から72年に掛けて、国際的な技術協力を得て行われた。1枚岩で出来ている大小2つの神殿を、1042個のブロックに切断して64㍍上の丘に移動させた。
このケースの素晴しさは「文化が政治に勝った」といえること、「遺跡を守り、開発も実現して双方がかなった」こと。これを契機にユネスコが国際社会に「世界遺産条約」を呼びかけることになった。自然災害、戦争、環境問題等によって世界遺産はダメージをうけるもの、壊されるものなどがでてくるが、それを守っていこうというのが世界遺産条約の思想である。
世界遺産には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」がある。その他に別の条約による「無形文化遺産」もある。無形文化遺産は形にないもの「祭り」「歌」「儀式」などを保存しようとする。
歴史の浅いアメリカの主張によって「自然遺産」が生まれた。歴史の浅いアメリカの「文化遺産」は、自由の女神やアメリカ原住民の集落遺跡などでは少ない。17件の世界遺産のうち12件が「自然遺産」。最初に登録されたのが1978年の「イエローストーン国立公園」で世界初、アメリカで最大の国立公園である。
人間が作った普遍的価値のあるものが「文化遺産」であり、「自然遺産」はヨーロッパ文明が生んだ文化遺産とは対照的で、ここにも国際競争があったといえる。
ばら色に輝く煉瓦作りの街並み、フランス南西部にある人口5万5千人の中世の街「アルビ」。ローマから派遣された司教が統治したことから司教都市といわれる。街の景観を保つため建物は許可なしには補修や建て替えが出来ない。国から派遣された「建造物監視官」が景観を監視する権限を与えられ、看板の大きさまで規制する。セシル大聖堂前のアパートの壁の色をオーナーと意見を交わしながらアルビに相応しい色と双方納得のうえ決定。夕日を浴びてばら色に染まる旧市街、煉瓦作りの街が1番輝くときである。
そもそもフランスには歴史的建造物の500㍍四方を規制する法律がある。1943年に制定された亡命政府の法律で、それが現在まで守られている。国家の意志としての「建造物監視官」は年間250人受験して10人合格という狭き門の資格であり、現在150人が各県に1〜2名置かれている。
アルビの生きた遺産としての活用例は、旧市街地にあるこれまで使われていなかった煉瓦造りの建物を民間の開発会社が買い取り修復して、低所得者用住宅として貸している。1960年代には電気もなくスラム化して子供は避けて通っていたが、それが50年後の現在は活気をもち、世界遺産に登録されるまでになった。
自分たちの歴史を後世に残すのが自分たちの使命と考え、古き良きものを大事にするヨーロッパ人のこだわり、ヨーロッパと日本の古き遺産に対しての意識の違いを感じる。この違いは民族固有の何かがあるのか、歴史的ステージから来るものなのか考えさせられるところである。
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懇親会で講師の須磨章氏と歓談するみなさん |
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