10/06/16


6月勉強会(2010/06/07 水)

テーマ:「自ら育つ力」

一般社団法人ディレクトフォースの6月勉強会は、6月7日学士会館で会員110人が参加して開催されました。今回の講師は、箱根駅伝に早稲田大学代表として1年から4年生まで連続出場し、3年連続区間賞を獲得するなどの偉業を達成された名ランナー渡辺康幸氏にお願いしました。現在、同氏は母校早稲田大学の監督を務められ、2008年の箱根駅伝で同校を往路優勝、総合準優勝に導くなど指導者として活躍されておられます。

「自ら育つ力」というテーマでお話いただきましたが、「自ら育つ力」とは自己管理できる力を備えることであり、トップアスリートは食事や睡眠、故障のケアなど厳しい自己管理を行い、試合に向けた調整能力によって実戦では100%のパーフォーマンスを発揮するベストな状態に持っていくよう自らを調整できると解説されました。詳細は次の通りです。

 

1.初めに〜自己紹介

陸上長距離やマラソンでは素質というより、コツコツ積み重ねた努力、練習量によって選手として生き残り、メダリストとなりうる。自分も市立船橋高校に入学し、名将小出監督にめぐり会い指導を受け、2年間でインターハイのチャンピオン、国体のチャンピオンとなることができた。実績のない無名選手がそこまで強くなりえたのは自分で努力したこともあったが、小出監督が選手をほめて伸ばす指導者であり、絶えず励まされながら練習を続けられたことによる。練習量はウソをつかない。それを信じて1年、2年と続けた結果である。

実績を出したことで、早稲田大学に入学する。当時のコーチは瀬古氏。早稲田大学は箱根駅伝で10年間低迷していたが、全国から優秀選手が集まり始め、1年生のとき10年ぶりに箱根駅伝弟69回大会で優勝した。大学2年、3年、4年生と活躍したが、結果的に山梨学院の後塵を拝し総合2位にとどまる。3年、4年生の時に世界陸上の代表になり、その後SB食品に入社。オリンピック選手を目指すことになるが、社会人になってから故障に苦しみ29歳で引退する。

箱根駅伝が日本のマラソンをダメにしていると言われる。箱根駅伝はマスコミの注目を集めるので、学生が自分は凄い選手だと思い違いをする。そのため実業団に行くと馬鹿らしくなる。社会人になってからも注目されるにはオリンピックでメダルを取るしかない。しかしアフリカ勢の層の厚さから、オリンピックマラソンでメダルを狙うことは極めて厳しい。ただ日本人は根気があり努力する。アフリカ選手の中にはメダルが取れないとマラソンをあきらめるものがでてくるので、結果として日本人も上位に入賞する可能性が残る。女子マラソンについては次のオリンピックを狙える20代前半の優秀な若手がいない。国家プロジェクトとして立て直しに取り組まないと厳しい情勢が続く。

指導を預かるものとして、指導している選手の中からオリンピック選手を、箱根駅伝から世界のマラソンで戦える選手を出していかなければならないと考えている。

 

2.自己管理が出来るということ

29歳で引退を決意したが、本来マラソン選手は27歳から32歳ぐらいまでが一番実力の出るときである。なぜ引退したかといえば、故障続きで向上心、走ることの楽しさ、走って強くなりたいという気持ちを失ってしまったことによる。故障をするということは自己管理ができていないことを意味する。イチロー選手や松井選手は36歳、35歳だが、年齢に関係なく長く選手生活を続けられるのは野球のためにストイックな努力で自己管理を行っているからである。世界でトップ選手と言われる人は当たり前に自己管理ができている。

監督になってから「自ら育つ力」という本を出した。指導者があれこれ言わなくても、自ら育つことを選手に教えたいと思ったから。

今の学生は少子化のため甘やかされた子供が多い。そのため、好き嫌いをいう食生活の影響で十分な練習量が取れない。この点の改善から取り組んでいる。

 

勉強会会場

 

3.監督就任の条件

大学を卒業し現役を引退する頃、早稲田大学の駅伝は低迷しており、監督を引き受ける人がいなくて自分が選ばれた。引き受けるに際して、4年後には優勝争い出来るチーム作りを条件とされたが、ゼロからのスタートであり簡単なものではなかった。そこで監督を引き受けるに際して5つの条件を出し大学にお願いした。

  1. 環境整備
    グランドとトラックそれに合宿所を他校に劣らないよう整備し綺麗にする。
  2. OB会の若返り
    高齢化しているOB会幹部を若返らせ、口だけでなく資金支援もお願いできるように。
  3. 推薦枠と強化費
    欲しい選手を獲得できるシステムとして推薦枠を設け、強化費予算を設定する。
  4. 参謀を置く
    "箱根駅伝を制するには山登り"といわれるが、このノウハウが必要。自分には出来ない指導をしてくれるコーチを置く。
  5. スカウト
    優勝争い、優勝経験のある勝ち組チームにいる実力のある選手をスカウトして育てる。

 

3.自ら育つ

早稲田大学を希望していた報徳学園の竹沢選手をスカウトした。当時無名であったが、4年後にはオリンピック代表選手に選ばれるまでに成長した。箱根駅伝選手がオリンピックに選ばれたのは44年ぶりである。彼は、人知れず努力することはもちろん自己管理出来る選手といえる。
自己成長の要素として挙げられるのは、

@ 自己管理

自己管理に求められることは食事、睡眠、故障のケア、試合に臨むための調整能力。どのようなスポーツでもトップアスリートは試合への調整能力を持ち、監督に指示されなくても試合のときに100%のパーフォーマンスを発揮するベストな状態に持っていくよう自分で調整できる。チームに自己管理できない選手が1人でもいたら、1年間やってきた苦労がすべて無駄になることがある。

A 明確な目標

選手は自分の実力が分かっていない。夢と目標とは違うことを説き、自分の身の丈に合った目標を細かく刻んで立てるよう個々の面談で指導するとともに、目標をクリアーできないときには目標を達成するためのペナルティを与えるようにしている。

B お手本とするモデル

憧れの先輩でもいい、2つぐらい上のレベルのモデルを目標とするよう勧めている。

C ライバル

力が互角の選手をライバルとするよう教えている。

D 陽のオーラ

陽のオーラを発している人は、常に成功していて明るく人づきあいできる。その周りに絶えず人が集まる。トップアスリートしかり。全員が陽のオーラを発する集団にすることをめざす。

 

4.箱根駅伝で優勝するには

就任4年目となる2007年、大学125周年に当る年に往路優勝、綜合3位以内という目標を達成した。75年ぶりに山登り、山下りで区間賞を取ったことが勝因となっている。付属校の強化に取り組んできたが、その早稲田実業から入学してきた駒野選手を山登りに起用し、山下りには愛知高校出身の加藤選手を当て区間賞を獲得した。

スポーツも科学の時代。動作解析や血液検査などのデータから山登り、山下りに適しているか判断できる。

次の年、竹沢が4年生のとき総合優勝をねらう。4区まで区間記録2つ、区間賞3つで2位の東洋大学に5分17秒の差をつけていたが、山登りの神童・東洋大学柏原選手の1時間17分という、データ的には日本人には出せないと考えられる走りによって抜かれた。

最終的に35秒差、1人当たりにすれば3秒の差で綜合2位にとどまった。

総合優勝にあと一歩届かないのは非情の采配が出来ないことにある。二者択一で選手を決めるとき、あまり練習しないが試合で結果を出せる選手よりも、日頃地道に練習を積み重ねてきた選手を選ぶからと思える。

 

5.指導者として心がけていること

@ 腹8分目以下の指導

名選手といわれた自分を基準にして練習量、負荷を掛けると選手は耐えられず故障し勝ちになる。年間通じて練習量を増やすことが大事と思って腹8分目以下の指導を行っている。

A 2・6・2の法則

監督に色々言われなくても自分で出来る選手が2割いるが、言われなければ出来ない6割の人をいかにやる気にさせるか。ノルマを課し、本人も納得のうええで努力させる。チームに自立するものをより多く作るよう心がけている。

B 適材適所

区間配置は選手の適材適所を見極めて決める。例えば1区のブレーキは致命傷になるから、監督が一番信頼できる選手を入れる。各区間にはそれぞれの役割がある。その役割に最適のものを配置するのが監督の責任。

C 補欠選手のフォロー

なぜ選手から外れたかの説明を本人に個別にすることで納得させる。

D マスコミとの付き合い方

マスコミを味方につけるような対応をするように選手に教えている。

F 選手の就職先紹介

就職を心配しないで、安心して選手生活ができるようにとOBを頼って、ほぼ全員の就職の面倒を見ている。

G 大学のOB会、後援会と仲良く

敵を作らないよう、常に明るく笑顔で挨拶し、人前で話せるよう指導している。

 

箱根駅伝で優勝することは通過点と考えている。スポーツにはお金が掛かるし、フロントの力も大きい。OB会をはじめ周りからバックアップしてもらい、すべてが一体となってはじめて結果が出る。結果を出しているか否かは自分が判断することではない。

選手を指導することを仕事とは考えず、指導させてもらっていることに感謝の気持ちを持って監督を続けている。

 


講演終了後の懇親会で講師の渡辺氏を囲んで歓談する皆さん (写真クリック拡大)