掲載日 | テーマ / イベント名 | 実施日 |
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5月15日 | 旨味の原点一考 | — |
1月17日 | イタリアの美食とワイン | — |
旨味の原点一考

筆者は料理人の経験があるでもなし、また習ったこともない。只、自分は美味しい料理を求める“食いしん坊”で、普段でも、旅先でも事前に調べて試しに出かけている。美味しくてコスパのよい店にはリピートして通い、期待外れのパフォーマンスに変化したら行くのを止めるだけである。その変化の多くは調理人の老化、または、料理のマンネリ化、未熟な若手にバトンを渡し味とサービスが悪化する場合等である。筆者の食文化での海外経験はフランス、イタリアそしてイギリスである。ベルギー、オーストリア、その他の西ヨーロッパ諸国での体験もあるが、本稿の対象とはなりえないほど微々たるものである。
その素人の“食いしん坊”が感じている料理の旨味の原点を探り、考えたことを本稿は纏めている。果たして料理の専門家はいかに反応するか興味深いところである。
最近つくづく感じていることに、日本の若手洋食料理人は、料理の旨味=甘みと誤解していないだろうかと思わせる程料理を甘く味付けしている。その端的な例がレトルト食品や市井(しせい)のレストランであり、いかなる料理も甘くする傾向がある。何とカレーまでも、である。甘いと言っても砂糖の甘さである。テレビ番組でこれらの料理を有名料理人が合格、不合格を判定する競技があるが、甘さの問題意識は全くなさそうである。まっとうな料亭やレストランでは、まだその流行に侵されていないので有難い。
旨味の原点
先ず、旨味は本来どこから来るのであろうか考えた。当然ながら、素材そのものと味付けの仕方と調味料にある。素材の旨味は最大限に生かさなければならいが、仕入時に選択を誤らぬことが重要である。料理人が市場に行き目利きを発揮することが料理の第一歩であることは言うまでもない。素材には副素材とも言える野菜の選択も同等に重要である。そして最後に調味料の選択である。クッキング用に油を使う。バターかオリーヴオイルまたは両方であってもその割合が問題であろう。かつてフランスではバターが主であったが、近年健康志向を配慮してか、イタリアに倣ってオリーヴオイルに切り替えていると聞く。次に塩、胡椒は当然でもその加減により旨味が大きく支配されよう。疲れているシェフが料理をすると塩分が過剰になると聞いたことがあるし、実際に体験したこともある。また、フランスではトリュフや草花の香りづけした塩を使う場合があるようだ。イタリアのチェターラ(アマルフィ海岸)で作るコタトォーラという、イワシを塩漬けにして3年熟成させるという調味料が些か臭いが大変美味しいそうである。日本でも旨味を出すために同様な発酵食材は昔からある。さて甘味だが、すき焼きなどは砂糖を使うことが効果的な場合があっても、洋食ではではあまり使わない。野菜の糖分をバランスよく引き出すことと、イチジクや葡萄のような果実を使って、甘味と味の良さを引き出している。最後は、謂わば additive で先ずはワイン(素材により赤か白)。フランスやイタリア料理では見て驚くほどの量を使うが、日本人は非常に控えめである。ネットで料理のレシピを検索すると、ワインを加えることがあっても精々大匙1、2杯と非常に少ない。また料理酒とうたって訳の分からぬ低価格の酒をスーパーなどで売っているが、旨味に関するその効果は知らない。筆者は和食の場合、カートン入りの清酒を常備し使っている。ワインを使う量としての例を挙げると、フランス人主婦が家庭で5人分の鶏肉のクリームシチューを作るのに白ワインを750mlで3本も使って長時間煮込んでいたのを見たことがある。
料理によりフランスでは種々なリキュール、ソーテルヌのような甘口白ワインやシェリーをよく使うこともある。その他、ヴィンテージ バルサミコ酢やシャンパン ヴィネガー等を少しまき散らすのも旨味の仕上げとなる。最近、日本の比較的若い世代の人たちが甘さを好むようになった、その対照的趣向か、麺類で和に七味を、中華にはラー油を、汁の表面が赤く染まるまで、ふりかけているのをよく見かけるが驚愕してしまう。筆者もほどよい辛みは好むが、フランス人は料理で“甘辛いのはおいしくないと感じる”そうである(大島順子著、“フランス田舎めぐり”)
イギリス人はあまり凝った料理をせず素材の旨味を生かして食す習慣がある。もっとも素材が大変美味しいからである。旬の野菜は生で食べて美味しい。カクテルパーティーで、セロリに並べ生のニンジンを小刻みにして出し、皆“カリカリ”と音を立てて食べ、シェリーやスパークリングワインの友としている。新ジャガは大変美味しく、刻んだベーコンと一緒にソテーしたら、いくらでも食べられる。加工食品ではソーセージはもとより、スコッチ・サーモンの燻製は抜群に美味しい。だが、料理となるとおそまつで、たとえば牛野菜煮込みはシンプルで味気なく、主菜に沿えるマッシュポテトやボイルした、ほうれん草までマッシュしてペースト状になったものなどを好むが全く食えたものではない。もっとも塩、胡椒を皿のふちに山盛りに置き、勝手につけて食している。オイルはあまり使わないように感じていた。イギリス人は、フランスの様に脂っこい料理は greasy と言って毛嫌いする。実はこの greasy さが旨味の原点となるのだ。もっともイギリスでは、日本と同じようにクッキングオイルと称して訳の分からぬオイルを販売していたが、はっきりとヴァージン オリーヴ オイルと表示されたものを使えば、嫌う必要はないはずである。イギリスがEU加盟後はかなり欧州化してきたので変化(進歩?)してきたはずだが、それでもロンドンのミシュラン一つ星店であっても、見た目には綺麗でも旨味は感ずることがなかった経験が何回かある。例外は裕福な上流階級のディナーで実はフランス料理に近い。
イタリア料理は“ゴテゴテ”して嫌う日本人が今でもいるかどうか知らない。おそらく今はそれどころかイタリア料理花盛りで年齢を問わず好むひとが多いと思う。若いシェフが現地で見習って来たり、日本からイタリアへの観光旅行者が増えたことが大きな変化をもたらしていることに間違いあるまい。日本の優れたイタリア料理は本場イタリアより美味しいと過剰反応するひともいる。エキストラ ヴァージン オイルが手に入り易くなっていることも大いに貢献しているはずである。但し、ワインと同じようにオリーヴオイルの選別が結果を左右することもある。筆者は近隣の小さな大変美味しいリストランテで使用していた ARDOINO というオイルを使用している。家内と二人だけの家族構成でも687gのボトルを毎月一本消費している。合わせて Modena Due Vittorie というヴィンテージ バルサミコとシャンパン ヴィネガーを欠かさず用意している。先日、魚介類のリゾットを料理したところ、旨味が期待する程出ていなかったためシェリー(La Guita Manzanilla)を少々加えて再度熱したところ驚くほど旨味が増した。もっともこのシェリーは低価格でもまろやかで香りもよく素晴らしいのであった。
料理の温度管理
皿は素手で触れぬほど熱く、料理がオイルやグレイヴィーで光っているくらいでなくてはならない。日本のレストランは温度管理にあまり関心がないようだ。先ず、皿が触れぬほど熱くしているのは稀である。またテーブル脇で料理を仕上げるという西欧では極当たり前の習慣でもローストビーフ専門店以外はあまり見かけたことがない。ましてクローシュ(cloche)を使って料理を運ぶレストランは極めてまれのような気がする。筆者は日本でいつも料理が出されると指で皿を触ってみるが、火傷する心配は全く無用だ。結果は食の途中で料理は冷めてしまい、せっかくの旨味も半減してしまう。西欧では、ウエイターは、皿が熱いので客に注意を促して、ナプキンで皿を置き、目の前で料理を盛り付けるのが常識であった。最近はヴィジュアルに華々しく盛り付けるため厨房で皿に盛って運んでくるので、以前のような料理の温かさは失われてしまった。日本でもこの習慣が普及したため料理は以前にも増して早く冷めてしまい旨味の感触を損なっている。
日本料理の旨味
日本料理はオリーヴオイルを全く使わないのに旨味があるのは?という疑問が生ずるかもしれない。既に述べたように、近年フランス料理のみならずイタリア料理でも皿への盛り方を美しく見せるのが流行りとなってきたが、旨味を維持する配慮は欠けているようだ。盛り方を美しくする配慮は日本の会席料理を模しての美的表現の表れという説があるが定かではない。筆者は、この動きに対しては批判的である。確かにアイキャッチングで客の目を楽しませているが、盛り付けを花模様にするためグレイヴィーやソースを半固形化するので乾きやすく料理は冷めやすくなる。なかにはまるでピカソやマチスの絵を模したような表現があるが、筆者は絵を食べるのではなく美味しい料理を食べに来たのだと訴えたくなる。温度管理や旨味の付け方を全うしない、日本のフランス料理屋やイタリア料理店のサービスは抜本的に改善を要する。
日本料理を見比べるのは根本的間違いであろう。会席料理は器数が多く、冷やしたもの、温めたもの、熱いものと温度管理が複雑であっても管理が行き届いている。蓋つきお吸い物椀で出されるお吸い物など他に類を見ない。その他、美しい盛り方で目を楽しませる上に料理に変化もあり大変美味しい。食通の欧米人は初体験で絶句してしまうほどである。
では日本料理の旨味の原点は何か。それは季節に合った素材の美味しさに加え、食感に影響を及ぼす包丁さばきと味付けであり、味付けには、胡麻油もあるが、諸々のだし汁と昆布が有効な役割を果たしているからと思う。かように日本料理とフランス、イタリア料理は根本的に違うのである。
むすび
フランス料理であれ、イタリア料理であれ、日本料理でも旨味を維持改善するのは実は料理店側にあるのではなく、客側にあると言いたい。ミシュランやゴ・エ・ミヨが格付けをしているから、料理店はその栄誉を獲得すべく努力をしているので、星の数やトック(コック帽)の数による格付けに沿って選別していれば、旨味も追求できるはずであるが、必ずしもそうではない。何故なら料理店の努力は、ミシュラン等の指導もあって、料理の仕上がりを美しく奇抜に見せることに集中するから、本来の旨味の追及がおろそかになってしまう可能性があるからである。数年前六本木の大変美味しかった某リストランテがミシュランの一つ星を得てから料理が全く変化(悪化?)し、見た目にはかなり変化し奇抜で美しくなったが以前のような旨味は消えてしまった。それ故、以来、足を運んでいない。
実際、毎年見直される格付けは厳しい。ミシュランの例を挙げると、2008年に東京で三つ星であった店が8軒、今年は12軒に増えたが、その8軒中2軒は二つ星に格下げられ、2軒は姿を消している。格下げになった1軒はかの有名な銀座の寿司屋ある。客は一回ひとり3万円もとられ、酒も出さず30分で追い出されるとう高慢な姿勢から悪評があったからであろう。店の優劣は本来客が判定するのであり、率直に反応すべきなのである。星を得た店は、先ず料理の見掛けを変え、値をつり上げる。それでも予約が増加し、予約困難店となる。すると店主もシェフも高慢化し、料理はマンネリ化、旨味は衰えてくるから、やがて客は敬遠しはじめる。フランスでは、長年ミシュラン星を維持していた店が落とされるケースと星を返上する店が結構あると聞く。返上するケースは料理のスタイル等でミシュランと折り合いがつかないからという。それでも客足は減ってはいないと言われている。客の動向を絶えず見極め対応し続けることこそが肝要なのである。
最後に旨味を追求するか、見た目の美しさを優先すべきかの違いを表わす下画像を参考にされたい。広尾にあるミシュラン一つ星を得ている某フレンチレストランをミシュランは「二代目シェフが志すのは原点回帰。先達から教わったように、古典料理の素晴らしさを次世代に繋ぐ。・・・ヴィンテージワインを充実させ、従来のフランス料理の在り方を伝える」と紹介しているので、近々古酒を抱えて試しに行ってみることにしている。


イタリアの美食とワイン

食いしん坊と自称ノムリエの筆者はイタリアを何度も訪ね、その都度グルメとワインを堪能する機会を持ちました。なかでも記憶や記録に残るリストランテでの思い出を纏めてみました。近い将来イタリア旅行を計画される方に少しはお役に立てれば幸いです。尚、各評価についてはネットで最新の口コミ情報をチェックされることをお勧めします。
以下に、訪れたリストランテと嗜んだワインを順番に自己評価します。満点は☆☆☆☆☆です。
- オテル ヴィラ デステ、チェルノッビオ・コモ湖☆☆☆☆
- ホテル バウエル パラッツォ、ヴェニス☆☆☆
- リストランテ ラ キャラベッラ、ヴェニス☆☆☆☆
- リストランテ ヴィラ アバッチア、ベネート・フォッリナ☆☆☆☆☆
- ヴィラ サン ミケーレ、フィレンツエ・フィオーゾレ☆☆☆☆
- エノテカ ピンキオーリ、フィレンツエ☆☆☆☆☆
- ホテル チェルトーザ ディ マッジャーノ・シェナ☆☆☆☆☆
- ミラベル、ホテル スプレンディド ロイヤル、ローマ☆☆☆☆☆
- ラ スポンダ、ホテル レ シレヌーセ、ポジターノ☆☆☆☆
- サン ピエトロ、ポジターノ☆☆☆☆☆
- タベルナ デル カピターノ、アマルフィー・マリーナ デル カントーネ☆☆☆☆☆
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