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粋山会すいざんかい

登山同好会(2021年版)

世話役 立石裕夫

info_粋山会
矢印

2021年12月22日 更新

目 次

テーマ / イベント名 実施日(2021年)
相模湖周辺で人気のハイキング・コースで、冬ざれの低山登山を楽しむ 12月10日(金)
最高の秋晴の下、御前山(1405m)秋色に染まる山に囲まれた奥多摩湖を眼下に、白銀の富士を望む絶景を楽しむ 11月9日(木)
最高の好天の下、倉見山(1256.2m)で富士の絶景を楽しむ 10月15日(金)
9月月例山行 
御嶽神社でコロナ感染収束と会員の健康を祈る
9月20日(月)

2021年12月22日 掲載

「粋山会」12月度月例山行

「相模湖周辺で人気のハイキング・コースで、冬ざれの低山登山を楽しむ」

  • 日 程:2021年12月10日(金)
  • 山 域:石老山せきろうさん 標高702m(標高差472m、距離11km)
  • 参加者:築地美憲 柳瀬計宣 中村悠一 立石裕夫 岡田克己 眞弓博司(当番幹事)以上 6名
  • 行 程:①プレジャーフォレスト前バス亭 9:10 ― 9:35 ②大明神展望台登山口 9:40 ー 10:35 ③大明神展望台 10:45 ー 11:48 ④石老山頂上(昼食)12:20 ー 13:05 ③大明神展望台 13:15 ー 13:50 ②大明神展望台登山口 ー 14:20 ⑤相模湖温泉 “うるり”
◇ ◇ ◇

本年最後の月例山行は、相模湖周辺で人気のハイキング・コースである 石老山せきろうさん を選び、冬ざれの低山登山を楽しんだ。
石老山は相模湖の南岸に位置し、眼下に広がる相模湖、対岸の陣馬山、景信山の展望、そして南側には富士山、丹沢の山々が眺望出来る。2019年10月台風19号の影響をうけ、山道の崩落や落石の爲、長らく通行止めとなっていたが、本年4月に新ルート(チャレンジコース)が開設された。他のコースは通行止め乃至整備されておらず、相模湖駅前観光協会の勧めに従いバス亭より頂上までピストン山行とした。

◇ ◇ ◇

JR相模湖駅よりバスにて相模湖プレジャーフォレスト前に到着。 鼠坂 ねんざか 地区を貫く一般車道を歩き、25分で大明神展望台登山口に到着。気温上昇により汗ばむ状況となり着替え休憩を5分間とった後、先導を柳瀬さん、殿を築地さんにお願いしスターした。天気は晴且つ無風。
いきなりの急登(階段)を落ち葉を踏みしめながら登り、“きつい”と感じ始めた10分過ぎに、後ろを振り返ると相模湖が広がる。その景色に少し元気がでる。一旦下り坂になるも、今度はロープ張りの岩場の登りが続く。観光案内にチャレンジコースと銘打っている理由が少し認識された。45分後に大明神展望台に到着。このコースの難所を乗り越え、10分間の休憩をとる。

頂上へは、大明神山と6つの瘤山こぶやま を上り下りする。2番目の瘤山辺りより南側の枯れ木越しに富士山が見え始めた。残念ながら霞のため薄れて見えるが、それ故か冠雪の富士が神々しく見えた。6つの瘤山を乗り越えると今度は長い階段となる。この日の登山客は少なかったが、早朝登山の2人の下山客とあう。山行計画より若干早い11:48頂上に到着。頂上には前客はおらず、独占状態。先ずは再度富士山を眺め、その山容に改めて感嘆の声を上げる。昼食の前に集合写真を後から登頂されたご婦人にシャッターを押していただいた。

12:20下山開始。メンバーは疲れをみせず、様々な話題に話しを弾ませ、コースタイム通りの45分で大明神展望台に到着。展望台よりは、一気にバス亭迄下ったが、温泉までの上り坂に閉口しながら14:25、相模湖温泉うるりに到着。到着時間は山行計画通りの時間であった。
広い露天風呂の高濃度炭酸泉と弱アルカリ泉で疲れを癒やした後、同施設内のレストランで打ち上げ会を開催。久しぶりにリアル酒宴に参加されたメンバーもあり大いに盛り上がり、1時間半の打ち上げとなった。ほろ酔い機嫌でバスに乗り込み、相模湖駅に到着、解散となった。

(文責:眞弓博司)

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2021年11月24日 掲載

「粋山会」11月度月例山行

「最高の秋晴の下、御前山(1405m)秋色に染まる山に囲まれた奥多摩湖を眼下に、
 白銀の富士を望む絶景を楽しむ」

  • 日 程:2021年11月9日(月)
  • 参加者:柳瀬、真弓、蒲生、築地、中重 以上5名(敬称略、順不同)
  • 行 程:奥多摩湖バス停① 9:15→10:50サス沢② 11:00→12:30 惣岳山そうがくさん ③ 12:35→12:55④ 御前山頂上(昼食)13:25→14:06⑤ カラマツの広場14:10→14:45⑥ トチノキ広場→14:55登山道⑦ →<林道に入る>→栃寄森の家⑧ 15:00→15:40境橋バス停バス乗車⑨ 15:50→16:00 奥多摩駅(画像はクリック拡大可)
◇ ◇ ◇

奥多摩湖バス停に降り立つと、凛として空気は冷たく湖水は鏡のように青く静謐であり、桟橋に係留された真白い監視船が朝日を浴びて眩しい。奥多摩湖対岸の倉戸山をはじめとして周りを囲む山々は秋色に染まり、真赤な紅葉の木々が山肌を這い上がる。

今回は多くの不参加者が出て、本日若干5名の精鋭部隊(?)は大きく息を吐いて湖岸を離れ、登山口に意気揚々と向かう。

いきなりの急登が始まり、リュックの重みに仰向けにひっくり返りそうになる。柳瀬さんの先導でまた殿は築地さんの抑えで万全の布陣で、ゆっくりと歩を進めて行く。やがて小河内ダム展望広場に着く、小休止。さらに急勾配を休憩なしで登り詰めて行き、やっとの思いでサス沢山に辿り着く。未だ山頂までの中間点であるが、展望が開けているので中休止。

皆さんは腹が空いて来たのか、昼食は未だかと督促が始まるが、未だ行程は半ばである。もう少し我慢して山頂まで頑張りましょう‼︎

高度を上げていくと木々の紅葉は一層華やかに輝きを増す。

間断なく一歩一歩進めて行く、大きく息を吸い吐く。

木立越しに富士山の山容を望遠レンズで捉える。惣岳山の頂はそそくさとスルーして山頂めがけて歩みが早くなる。着いた、待望の昼飯だ。

昼食後は奥多摩の最高峰の雲取山等山々の眺望を楽しみ、下山にかかる。

少し傾きかけた避難小屋の脇を通り、カラマツの広場まで一気に高度を下げる。東京都は「体験の森」とか、「都民の森」とか称してやたらと広場を沢山設置、これらを網の目のように山道をめぐらし、ソコカシコに道案内の看板を立て、登山者の混乱を招いている。方向を何度も協議確認後、一気にトチノキ広場を目指して駆け降りる。当初は其処から一直線に栃寄大滝経由栃寄沢を下る予定であったが、橋の崩落により通行止め。止むを得なく林道経由し車道に出て九十九折を迂回、都の体験の森センターでコーヒー一杯飲みたいところを我慢してパスして、バスの時間を気にしながら、小走りに駆け降りる。20分前に到着、日が陰り、寒さが体温を奪うが、皆の顔には満足感に微笑みが浮かぶ。

本日の登山無事終了。

河辺温泉梅の湯に浸かり、ビール片手に山談議に興じ、自分たちの高齢化を意識しながらも健康等、談笑は2時間に及び大いに盛り上がる。

(文責:中重賢治)

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2021年10月22日 掲載

「粋山会」10月度月例山行

「最高の好天の下、倉見山(1256.2m)で富士の絶景を楽しむ」

  • 日 程:2021年10月15日(金)
  • 参加者:(先行組)柳瀬、戸田、真弓、立石、岡田、蒲生
    (後続組)田中、築地、中重、三木、浜口、江村(記録)、以上12名(敬称略、順不同)
  • 行程 :三つ峠駅9:25→さすの平10:50~10:55→倉見山頂上11:50~12:24→堂尾山公園14:45~14:53→三つ峠駅15:05(時間は後続組のもの)
    (画像はクリック拡大可)
◇ ◇ ◇

先月9月はいまだ緊急事態宣言下ではあったが、会員のワクチン接種も進んだことから約1年半ぶりに奥多摩御岳山への定例山行が復活したが、その時点では下山後の打ち上げは行わなかった。
その後10月1日より全国で緊急事態が解除されたことから、今回は打上げも実施することとなり、以前通りの粋山会山行スタイルがほぼ完全に復活した。

今回選んだ山は、山梨県に西桂町の「倉見山」。標高は1256.2mながら、関東の富士見百景・富士八景にも数えられる素晴らしい富士山の展望地。「その山麓に幻の花とされるクマガイソウ(開花期は5月上旬~中旬)の群生地を抱く花の名山」(いずれも西桂町ガイドマップより引用)と言われている。

当日は最高の秋晴れに恵まれ、山頂からは期待通りの富士の最高の展望が楽しめたし、コロナの自粛で久しぶりの山行となる方も多かったが、全員快調なペースで歩きとおし、申し分のない山行となった。

集合は富士急行の三つ峠駅、8時49分と9時20分の電車で参加者が降り立つ。緊急事態解除とはいえ、まだまだ油断は禁物で密を避けるため、今回も2パーティーに分かれて出発。駅からも富士がよく見えるが、未だ雪はまったく付いていない。

第1組6人は後続組の電車が到着する前の9時過ぎに出発、後続の乗る電車も予定通りに到着し9時25分出発、集落を抜け桂川の沿岸に作られた公園の横を抜け、中央高速の下をくぐると沢沿いの林道になる。大きな堰堤を越すとようやく急坂の登山道となるがところどころぬかるんでいて滑りやすく、また道幅も狭く谷側は切れ落ちているところも多く気を遣う。やがて沢筋を離れ、樹林帯の急坂を登りきると、明るく開けた伐採地に到着。ここは「さすの平」と呼ばれる地点で、西桂の市街地をはさんで、三つ峠山がよく見える。この山も立派な山だ。

一休みして、頂上に向かう。途中先行組から携帯で「頂上に着いた」との連絡が入る。見晴らしがよいので電波状態もよいようだ。それにしても便利な時代になったものだ、と今更ながら思う。

「さすの平」から小1時間の登りで頂上着、先行組が笑顔で出迎えてくれる。分散山行もこういう点では嬉しいものだ。早速全員が集合したところで、写真撮影を行う。先行組の話によれば、先ほどまでは富士の頂上は雲がかかっていたらしいが、今は中腹に雲がかかっているものの、頂上は雲ひとつなく、途中さえぎるもののない絶景である。

後続組のほうが日頃の行いがいいらしい。

先行組はすでに食事を終えていて、下山も先行する。後続組はゆっくり食事をして15分程遅れて出発。下りのルートは緩やかな尾根で、所々富士も見える歩きやすいルートである。途中の堂尾山公園は公園といってもただの平坦地であるが、ここからも富士山が真正面に見えている。再度ゆっくり休憩し、絶景を楽しむ。

ここからの下りもそれほどの急傾斜はなく、余裕をもって下れる。やがて河口湖方面につながる高速道路が見えてきたところで、道は分かれ、直進すると市街地経由で三つ峠駅に、右折するとクマガイソウ群生地経由で駅に出る。先行組は市街地経由を選択したようだが、後続組は右折する道を採る。高速沿いに数分の登りで更に分岐となり、右折すると群生地だが、今は時期でないので、そのまま直進して駅を目指す。

因みにクマガイソウとは、唇弁と呼ばれる花の袋状になった部分を、源平時代の武将熊谷直実が背中に背負った母衣に見立てて名付けられた、といわれているが、近年は絶滅危惧種に指定されている希少な花。群生地は全国でも珍しく、開花期には多くの人で賑わうようである。(西桂町ホームページ等より)

群生地分岐から短く下って、西桂町グラウンドの前から、桂川沿いの遊歩道をのんびり歩いて駅に到着、再び先行組の暖かい出迎えを受けて、無事に山行を終了した。

打上げはこの周辺の山行を行った場合、打上げ場所の定番となっている大月駅前の「濱野屋」。料理屋の提示する新型コロナウィルス対策のガイドを守りながらも、いつもの如く大いに飲んで食べて18時半ころの電車に乗って家路についた。それにしてもコロナ自粛明けの1年半ぶりの山行&懇親会にしては、皆さんの歩きっぷりと酒量に全く衰えがないのは驚きであった。

(文責:江村泰一)

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2021年10月04日 掲載

「粋山会」9月度月例山行

御嶽山(929m)⇒ 日の出山(902m)⇒ つるつる温泉への縦走
「御嶽神社でコロナ感染収束と会員の健康を祈る」

  • 日 程:2021年9月20日(敬老の日)
  • 参加者:(9名)江村、岡田、正田、立石、田中、間、眞弓、三木、中村(敬称略、順不同)
  • 要 旨:(画像はクリック拡大可)
◇ ◇ ◇

コロナ非常事態宣言下であったが、参加者全員がワクチン接種2回済、マスク着用は勿論参加者を数パーティーに分けるなど3密を避け、又、公共交通での人流が比較的少ない祭日を選ぶことにして粋山会の月例行事を行うこととした。前回は2020年2月生藤山しょうとうさんは登山以来1年7か月ぶりの登山となった。

コロナ禍で十分なトレーニングは行えず体力的に自信がなくなってきたので、比較的緩やかな日帰り登山を選んだ。コロナ収束と会員の健康を祈る意味から青梅線の御嶽駅で下車し駅より高低差約800m、行程約7Kmの御嶽みたけ神社とした。

お参り後は比較的なだらかな関東ふれあい道を日の出山(902m)に下りつるつる温泉で汗を流す行程とした。

快晴のもと9時過ぎに御嶽駅に降り立ち田中、三木、眞弓のパーティー、江村、正田、岡田のパーティー、残り立石、間、中村とし、数分間隔でケーブル発着場の滝本へ歩く。

駅より臨時バス、自家用車族含め割に多くの登山客でケーブル場は賑わっていた。

ケーブルで6分のところを約1時間半かけて神社に着く。

途中「ろくろ首」「あんま帰し」などの立て札に謂れが書いてあり興味深い。

3パーティーは昼食含め別行動となり神社で顔あわせるも最終的には日の出山頂で合流し集合写真を撮る。

山頂からは丹沢界隈の山々、遠く富士山、所沢、東京、横浜エリアが展望できた。

再び別行動となり1時間半で「つるつる温泉」につく。

温泉では本来ならば入浴後軽く打上げで反省会を開くのだが、ノーアルコールなため、ここで解散とした。休憩等入れて6時間の行程であった。

◇ ◇ ◇

武蔵御嶽神社について(Wikipediaその他資料より)

崇神天皇7年(紀元前91年)の創建とされ、天平8年(736年)に行基が蔵王権現を勧請したといわれる。文暦元年(1234年)に大中臣国兼が荒廃していた社殿を再興し、以降は修験場として知られ、関東の幕府や武士から多くの武具が奉納される。慶長10年(1605年)には大久保長安を普請奉行として本社が、元禄13年(1700年)には幣殿と拝殿が建立された。江戸時代中期となると庶民の「社寺詣で」が盛んになり御嶽信仰が武蔵、相模を中心に関東一円に広がり、信仰・宿泊の為の宿坊も出来た。 明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現から、御嶽神社と改称した。昭和27年(1952年)に現在の武蔵御嶽神社に改称した。

(文責:中村悠一)

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