「柳澤達維」という名前について。たぶん日本で一人だけの名前です。そのため、何をするにしても、自分の名前が出れば、それはマイナンバーを晒すことと同じで、すぐに「アイツだ」と特定されてしまう覚悟が必要です。個人情報がこれだけ重要視される世の中になるとは父も考えなかったかと思います。
さて、37年間サラリーマンを続け、この3月に役員定年となり、4月に起業し、人生の転換点を迎えました。
自分は、かなりこだわりがある方ですが、こだわっていると仕事が進まないので、今までいろんなことを突き詰めずに捨ててきました。会社に属するというしがらみもなくなったので、これまでやり残したことをやっていきたいと思っています。
1. 理科実験
自分は理科少年でした。小学生時代の北区の理科実験教室や中学・高校時代の化学部での実験、大学・船舶工学科での様々な実験・工場実習(溶接や舶用ポンプの組立)など、社会に出てからは、ほとんど縁がなかったので心のどこかに未練が残っていた分野です。
今DFの理科実験教室に参加させていただいて、実は小学生に戻ったような気分で私自身の好奇心も再び掻き立てられています。生徒が作った地球儀を見て大陸の絵は地勢図なのか標高はどうわかる?とか、色の実験で赤と青を合わせると紫になるが光の波長が紫になっているのか、また紫の波長をどうして目は赤と青の合成として認識できるのか?電池の実験で、なぜアルミ箔に大きな穴が開いたり薄くなるのではなく、細かな点がたくさん開くのか、活性炭の粒子と接しているところなのでは?など実験していて生徒と一緒に子ども時代のワクワクする好奇心を蘇らせています。また同じ実験をやって確かめてみたいなあ、と生徒たちができない贅沢な楽しみを持たせていただいています。
実験のメニューをより進化させる議論の場でも、「子どもの『あっ!わかった』という顔を見たい」という思いを共有する諸先輩の真剣な会話を聞いているだけで、自分もワクワクドキドキしています。
2. メンタルケア
もう一つの大きな心残りは、大学時代にボランティアとしてやっていた、不登校の子のケアです。当時としては先進的な団体で、子どもたちに寄り添いながら、理解し共感するという貴重な経験を積ませていただきました。さすがに職を得てからは直接の関与はできず、細々と繋がりを維持するだけでした。近年、この分野の研究は非常に発展しましたが、子どもだけでなく大人の世界でも悲惨な事例が後を絶たず、社会全体が悪化してしまったように感じます。メンタルヘルスリテラシーの重要性を、と唱えてきたつもりですが、社会全体としてはまだまだ理解が足らないと思います。内部通報をしてきた方のケアもできずに死に追いやるような社会ではいけないと思っています。非寛容の蔓延、やられたらやり返すという風潮、謝っている人はいくらでも叩いていいという風潮が、様々な問題解決を難しくしていると感じています。
3. 不祥事との付き合い
また、何よりも自分はDFには珍しい生粋の証券会社出身です。社会人生活は、バブル崩壊直前から始まり数々の新聞を賑わした不祥事において、多くの後始末の場にめぐり逢いました。金融機関の不祥事は基本的に大蔵省(財務省)・金融庁の検査手法とも大きく絡みます。自分がその対応の矢面に立つことで、徹底した事実解明を行ない、根本原因を分析することで、適切な責任追求と再発防止ができる、ということを身に着けてきました。内部監査なども経験し、現在でも日々のニュースや事件を目にするたびに「なぜこんなことが起こったのか」とアタマの体操をする習慣が染み付いています。
4. 「ガバナンス」とともに
証券会社で専門としていたのが、広く多くのお金を集め、それを運営する仕組みを作ることでした。投資信託や投資法人という制度に長く深くかかわりました。また最後の十年ほどは監査委員会事務局長などとして株式会社のガバナンス改革に寄り添ってきました。
投資信託も株式会社もルーツは同じ東インド会社です。お金を出す人と、お金を任されて運営する人がいるという点、その間のガバナンスをどうするかという課題は全く同じです。これらのガバナンス制度やIRについて平成初頭から、日本でもかなり早くから手がけてきたという自負があります。バブル崩壊その時に、お金の出し手と運営者のコミュニケーション(IR)に試行錯誤し、運営者のマネジメントに生かそうとした取り組みは、現代に蘇ってきました。その経験からは、放っておくとお金の出し手は軽視され、逆に一部のお金の出し手の意見だけを聞くと経営を間違える、という教訓でした。いままで、そのはざまでバランスをとることに翻弄されてきました。最近10年ほどのガバナンスに関する議論は一部の特異なステークホルダーの意見が重視され、企業価値の本質に沿ったものとは言えない部分もあると思っています。これも心残りの一つです。
これら(2~4)を何とかしたいと、まだ世の中にないビジネスとして、退職後の起業テーマを選びました。
氏名の特異性と合わせるように、経験もかなり特異なものとなったと思っております。ガバナンス部会やリスクセンス推進研究会、経済・産業懇話会など様々な場で、知識のアップデートを行ないながら活動できればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
やなぎさわ たつい(1359)
(理科実験グループ、企業ガバナンス部会)
(元 大和証券)