ピアノからチェロへ

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2023/6/1 (No. 390)
平井 隆一
平井 隆一

62歳での最初のリタイアの時、私の心の中で若い時から数十年間温めて来た「リタイアしたらピアノをやろう!」を実現すべく、ヤマハの「大人のための初めてピアノ」教室に通い始めた。その後、近所の女性ピアノ教室で個人レッスンを受けることになるのだが、彼女のお蔭で全くの素人が何と『戦場のメリークリスマス』を弾けるようになったのだ!(残念ながらつい最近この曲を作曲した坂本龍一氏が亡くなったが、彼が残したすべてのイノベーティブな作品は未だに燦然と光輝いている。心からご冥福をお祈りいたします。)

さて、「初めてピアノ」を始めて10年経った昨年8月に、先生のピアノ教室創立30周年記念コンサートでこの曲を披露し一応自分なりに区切りがついたので、最近興味がふつふつと沸いて来たチェロに今春から挑戦することにした。勿論私の人生で「初めてチェロ」である。

チェロは弦楽器の一つで、コントラバスほど重厚ではないがとても心地よい中低音域での響きが出る。それは人間の身体に共鳴するからだ。打楽器のピアノはその鍵盤を弾けば同じ音が出るのと違い、その弦を弾いても同じ音は出ない。左手の人差し指から小指までの4本で4本の弦を押さえながら、右手で弓を左右に動かして4本の弦を弾く。上手な人は何と美しい響きを発するものだと感心する。

今回通い始めたのも「大人のための初めてチェロ」教室で、優しい男性教師に月に3回各30分間レッスンを受けている。30分はあっという間だが、いつも緊張して腕や肩が凝ってしまう。

ピアノは左右の手と足がみな違うが、チェロは左右の手だけを使うが弓という道具を使って音を出す。私は太い方から2番目の“G線”が好きだ。何とも言えない音の響きが、身体の芯まで届いて一緒に体内で共鳴しているようだ。

主人公のチェロ演奏が有名になった邦画がある。それは滝田洋二郎監督の『おくりびと』である。この作品は、2008年に上映され、第81回アカデミー賞外国語映画賞および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した傑作で、本木雅弘が主演し、山崎努、広末涼子、峰岸徹、余貴美子、吉行和子、笹野高史などの豪華キャストが脇を固めている秀逸な作品だ。

この作品の中で主人公の本木雅弘は、特別レッスンを重ねて映画で演奏を披露できるまでになったそうだが、爽やかな風がそよぐ川土手でチェロを弾くシーンが印象的で、普通の楽団員だった本木が穏やかな「旅立ちをお手伝い」するプロの納棺師への変身を描いた映画中の白眉である。

映画『おくりびと』から”memory”

たった1ヶ月であそこまで上達したのは、「弾き真似ではなくチェロを弾きたい」という明確な目的を持った本木雅弘が集中力を発揮して取り組んだからで、指導した増川大輔は、「決して妥協しないプロとしての姿勢を本木さんから学んだ」と漏らしている。

ちなみに、映画で使用された子供用分数チェロケースは、増川大輔が実際に子供のころに使っていたもので、その理由は「ボロボロだったから」だそうである。

主人公のチェロ演奏が有名になった理由はもう一つある。それは作曲家の久石譲が作ったテーマ曲『~ memory ~』だ。スタジオジブリの『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『千と千尋の神隠し』などのテーマ曲の数々を手掛けた有名な才人だが、映画全体のバックでも流れる哀愁を帯びたこの曲は、何とプロのチェロ奏者からプロの納棺師に変身する人生の不思議さも浮き立たせているようだ。

私のチェロだが、いつになったらこのような素敵な曲を弾けるようになるのか分からないが、地道に毎日練習あるのみと考えている。いまはまだ左手の指の間隔が開かずに、またどんどん下がって来てしまうため正確な音を出せないし、また右手で持つ弓も一定のペースで往復できていないし、ふらついてしまう。何とも情けない有様だが、10年前の「初めてピアノ」を始めた時と同様いつかは上手になることを夢見て、毎日コツコツと努力を積み重ねていくしかない、と思っている。

以上

ひらい りゅういち(1022)
(DF副代表理事、企業ガバナンス部会、環境部会、モンゴル研究会)
(ジャズ同好会、ベトナム研究会、留学生支援の会、歴史研究会、鎌倉支部)
(元・太平洋セメント(日本セメント))