授業支援の会についての講演から

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2023/5/16 (No. 389)
遠藤 恭一
遠藤 恭一

去る2月中旬の冷たい小雨が降る日、大学同窓会の会合での講演を頼まれた。選んだテーマは「講師として中・高校生向けに授業する現場から見た教育課題とは」としてDF授業支援の会で中・高校で教壇に立っている経験から見えてきた教育の課題の話をした。

最初に取り上げたのは、我が国と西欧の教育の基本的な考え方がどうやら違うこと。西欧では教育は個々の子供たちが生まれながらにしてもっている得意なものを伸ばすことに力を入れている。一方我が国では人間は生まれた時は皆知識も得意なものもなく、教育によって一律に一定水準まで育むことが重要との考え方の違いがあること。

西欧のEDUCATIONとは本来生まれながらに個々人が持っている得意なことを引き出すといったギリシャ語が語源であるとの説が有力であると語る。

我が国戦後の高度成長期には大量生産、大量消費といった一律に皆、同じことができる教育が巧く適合して成長の原動力となったが、時代が変わりAI・ICT・ロボット全盛時代となった今は人間に残された機能は個々の人材が持つ創意工夫やアイデアが重要な要素となり、こうした時代変化に我が国の教育が追い付いていない。明治維新を成し遂げた江戸時代には約260の藩が各自独自の教育によって多様性が確保されていたが故に改革が比較的スムースに行われたのではないかとの話もした。

一律に教える教育は先生が一方的に伝えることとなり、いつの間にか教室の主体が生徒から先生になり、生徒は先生の話を座学で聴くだけとなった。これでは自ら考え発言することが重要なグローバルな競争時代に対応はできない。伝える教育から生徒と一緒に考える、生徒一人一人が夫々意見を個別に発言・討議することが問われている時代にも拘わらず、教室での授業は相変わらずの先生からの一方通行で「知識を伝える授業」が実施されている。その内容はネットのウィキペディアを読めば書いてあることではないのかとも思う。

今は生徒と一緒になぜそう考えるのか、どうしてそうした行動になるのかを問う生徒が主体の授業で講師が一緒に伴走する形式を推進すべきと思う。その手助けを「授業支援の会」で実施している。勿論、学校側の理解も必要でそうした授業は未だそれ程多くはないが。

又こうした授業をするには現状の1クラスの人数が多く(今は35人前後)議論をするには無理がある。現状のクラス単位では深い討議や発表はできず、学校側と打合せて少人数編成として講師が伴走して考える授業を推進するように務めている。

我が国の教育の将来についてはあまり楽観していないがICTへの対応も徐々に浸透しており、現役教師の方の中にも、現行の伝えるだけの教育に強い危機感を持っている先生方も多くなっており、ゆっくりだが変化への対応も進んでいることに望みを繋ぎたいとして講演を終えた。

以上

えんどう きょういち(454)
(授業支援の会)
(元・三井物産)