将門胴塚訪問- 胴体はどこか?
日本三大怨霊のひとり、平将門の名前をご存じの方は多いと思います。その首塚は、東京・大手町の三井物産本社のビルの横にあります。では、胴体はどこか?
7月1日の酷暑(36度)のなか、6人が2台の車に分乗し、柏市から将門の首塚ではなく、彼の胴塚がある茨城県坂東市に無茶を承知でいってきました。非常に暑かったですが、今回も前回に引き続き深い知識とうんちくを持つガイドのおかげで、充実したものとなりました。
平将門の生まれた1100年前の東国は、坂東と呼ばれる未開拓の地でした。その荒地の開拓に農民たちと取り組んだのが将門であったと伝えられています。将門は新しい時代を予期した馬牧の経営と製鉄による農具の開発などに取り組み、荒地の開拓を容易にしました。そうした進歩性が一族との争いを生み、それが国家権力との争いに発展し、豊かな郷土の実現を間近にして敗れてしまいました。
将門伝説には、その夢の実現を見ずに散った悲劇性と庶民の願望が、今日まで語り継がれています。将門遺跡3か所を訪ねて感じたことは、将門は1000年以上前の人ですが、地域の方が庶民の生活向上の貢献した人として、今でも大事に祭っていることを、訪問した先々で感じました。そして、今でも、将門伝説今もしっかり生きていることを再認識しました。今回は幹事の山口さんの熱心さが伝わる、有意義なイベントでした。
今回はDF柏支部の「地域の歴史を知ろう」の3回目です。新メンバーの嘉屋さんも参加していただきました。次回幹事の大崎さんが同日、候補地をもとめて早くも動き出しました。同じ地域に住んでいる我々は、今回の地域を知る活動を通じて地域への関心の高まりと、同郷の人との繋がりになったと思います。
その胴塚を抱くように大きなかやの木が立っています。また、胴塚の西側には、昭和50年に東京都大手町の将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられています。