中央銀行を考える
— 新著の紹介を兼ねて

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2023/3/16 (No. 385)
小栗 誠治
小栗 誠治

通貨の本質を見詰める旅路

昨年(2022年)12月、『中央銀行論 — セントラル・バンキングの本質を求めて』と題する本を知泉書館から上梓しました。日本銀行でのセントラル・バンキングの経験および大学人としての学術研究の成果をもとにしたものです。私は30年近く日本銀行でセントラル・バンキングを実践してきましたが、これに加えて大学におけるアカデミックな研究を通じて、中央銀行の実務に携わるだけでは決して得ることのできなかったセントラル・バンキングの奥深い世界の一端を味わうことができたように思います。それは通貨の本質を見詰める旅路でもありました。

中央銀行研究の視点

本書は、中央銀行のあり方が大きくクローズアップされる状況の中で、以下のようないくつかの視点から、現代における中央銀行の本質の解明にチャレンジしたものです。解明に当たっては、経済的視点に加えて、歴史的視点、実務的視点、法律的な視点も織り交ぜ、多面的に考察するよう心掛けました。

第1に、日本銀行のバランスシートを見れば中央銀行の本源的業務である銀行券の発行が負債として計上されています。これは何を意味するのでしょうか。銀行券はいかなる根拠により日本銀行の債務なのか、政府の発行する政府紙幣との違いは何か。通常はほとんど意識されることのないこの問いかけには、銀行券の本質にかかわる問題が潜んでいます。これこそ私を中央銀行研究へと導いた最大の問題意識でもありました。銀行券は信用通貨であり、債権・債務関係を通じて市場の中から内生的に発生し、中央銀行の債務を形成するのです。

第2に、「1万円札の製造原価は20円であるから、中央銀行は1万円札一枚を発行することによって9,980円の利益を直ちに得る」と指摘されることがよくありますが、これは正しいでしょうか。いわゆるシーニョレッジ(通貨発行益)問題といわれるものです。しかし、銀行券のシーニョレッジを上記のように捉えることは金融政策論として問題があるのです。

第3に、金融危機発生時に中央銀行は経営危機に陥った金融機関を救済すべきか否か、もし救済すべきとした場合、その判断基準はどういうものでしょうか。いわゆる中央銀行の「最後の貸し手」機能の問題です。そのためにはウォルター・バジョットの『ロンバード街』(1873年)にまで遡って検討することが不可欠です。本書では、『ロンバード街』で提示された「バジョット原則」を詳細に検討した上、同原則と「日銀原則」の比較分析を行うほか、今次グローバル金融危機以降に出現した新たな「最後の貸し手」概念について考察しています。

第4に、中央銀行と政府の関係はどうあるべきか、中央銀行の独立性をどう考えるべきでしょうか。これは近年の金融政策の中で最も大きな問題の一つでもあります。このテーマは単に中央銀行と行政府の関係を検討するだけでは十分といえず、中央銀行と立法府、司法府や国民との複線的な関係も含めた統治機構に関する憲法の「権力分立」の原理にまで立ち戻って検討することが必要な問題です。

第5に、中央銀行はマネタリーベース(銀行券および日銀当座預金)を能動的にコントロールできるのでしょうか。これは学界と日本銀行との間で長らく論争になってきた問題であり、通貨発行の外生性、内生性の関する理論上の大きなテーマでもあります。本書では、学界等からのいわゆる「日銀流理論」批判について検討した上、中央銀行通貨の供給は信用通貨に基づく内生的貨幣供給論の系譜に連なるものであることを主張しています。

第6に、以上の検討を通じて、中央銀行が政策や業務を実施する上で保持すべき一般原則を提示しています。それは次のようなものです。①中央銀行は政府に対し直接の信用供与を行ってはならない。②中央銀行は財政政策の領域に踏み込んではならない。③中央銀行はインソルベント (insolvent) な先への信用供与を行ってはならない。④中央銀行はシステミック・リスクの防止に努めなければならない。

中央銀行研究の視点

中央銀行の近年の政策がこれまで経験したことのない未踏の領域に踏み込んでいる今日こそ、これまで受け継がれてきた中央銀行の本質や行動の基準となる原則を再確認することは極めて重要かつ意義のあることと考えられます。本書は、中央銀行の本質に立ち返り、その原理論を再検討することを通じて、中央銀行の本来のあり方を目指そうとするささやかな試みの一端といえます。さらに今後も研鑽を積みたいと考えています。



おぐり せいじ(1121)
(DFアカデミー講師 滋賀大学名誉教授 経済学博士)
(元・日本銀行)