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2022/8/17 (No.371)

山に登る

柳瀬 計宣

柳瀬 計宣

明治40年、日本アルプスで最後の未踏峰の剣岳が登頂された。登頂したのは、陸軍省陸地測量部であった。

この剣岳は非常に険しい岩山であり、カニのタテバイとかヨコバイとかで有名である。弘法大師がわらじ3千足を費やしても登ることができなかったという伝説も残されているし、陸地測量部も名ガイド長次郎を擁してさえ、いろいろのルートで苦闘の末、やっと征服に成功したほどの厳しい山であった。

しかし、驚くべきことには、この剣岳に既に登った者がいたことであった。頂上に置かれていた槍の穂と錫状の頭により、その登頂者は修験者であると推定された。年代は分からないが、それらの物の古さから判断して、一千年も前に登られた可能性もあるというものだった。

修験者と思われる人はなぜこの上なく険しい人跡未踏の山に登ったのであろうか。日本人は山に対して神を見ているが、修験者にとっては、山は単に神として崇める対象ではなく、修行の場としていたからであろう。山を修行の場とした彼らは霊場にふさわしい山を求め、次から次へと登って行ったに違いない。今のように登山用具も完備していないし、道も自らが作りながら登らざるを得なかったので、今なら、ヒマラヤに登るかそれ以上の命がけの登山であったと思われる。そういう難事業も修行の一つとして、喜んで登ったのであろう。それだからこそ、1千年も昔に剱岳に登りえたと思われる。

信仰に裏打ちされた修験者の登山とは異なり、近代の登山ではヒマラヤのエベレストなど困難な山に命を懸けて挑む冒険的な登山が行われてきた。こういう登山では多くの人たちが命を落としている。

しかし、そういった特別なタイプの登山とは別の、趣味で登る登山者が現在では主流となっている。私もその一人となる。

では、我々はなぜ山に登るのであろうか。「なんでしんどい思いをしてまで登るのか、家で寝転んでテレビでも見ていた方が良いのではないか。」とよく言われる。

それでも登るにはそれなりの理由があるからである。

1991年8月16日 家族と槍ヶ岳
1991年8月16日 家族と槍ヶ岳

第一は健康に役立つからである。私の場合で考えると、家にいてテレビを見たり、本を読んだりと運動をせずにごろごろしていて、夜になると酒を欠かさないという生活を続けたら成人病への道へ一直線であろう。登山は何しろ荷物(だいたい10kg位)を背負って長時間、結構きつい運動を続けるという宿命を背負っている。4-5時間は普通で、長いと10時間ということもある。このような運動量なので、汗を非常にたくさんかく。この汗をかくことで新陳代謝が良くなり、肌がきれいになると言われている。長時間の運動なので体力が付くし、脳も活性化される。登山中も結構頭を使うのだ。「滑らない足場はどこか」、「今はどこにいるか」、「道は間違っていないか」、「見える山は何か」などなど。このように頭脳を使い、体を鍛えることでアンチエイジングやボケ防止にも効果があると考えている。特に、登山を続けているとだんだん体力が付き、筋肉痛もなくなるなど、最初感じたしんどさがなくなってきて、快調に登れるようになる。筋肉は100歳まで強化できると体操の先生が言っていたが、そうだと思う。登山を続ければ「老化は脚から」とは無縁となる。

第二には自然のすばらさしさを堪能できることである。頂上でのご来光、美しくかわいらしい高山植物、新緑や紅葉、おいしい空気など山に来ると「良かったなー」という感動がある。

第三には達成感や爽快感である。苦労に苦労を重ねてやっとたどり着いた山頂では「やったー!」という感情が爆発する。この達成感はたまらない。苦労して登ったからこそ味わえる感覚で日頃のストレスの発散には最適である。さらに、大汗をかいた後の温泉とビールは最高だ。その他、いろいろ理由はあるが省略する。

しかし、山は良いことづくめではない。山はいつも危険に満ちている。高い山はもちろん、低い山でも危険はある。特に低山は人家に近いので作業道や生活道が多く、道を間違える可能性が高い。一方、高い山では晴天の日にはハイキング気分でも、ひとたび風雨になれば真夏でも凍死してしまう。私も8月に低体温症になりかけたことがある。

何でもない登山道でも足をくじいたり、骨折したり、一歩誤れば谷底へ転落ということになる。山は怖い相手であることはいつも自覚している。

1956年5月2日 仙丈ケ岳にて
1965年5月2日 仙丈ケ岳にて

私の登山歴は1959年(昭和34年)の登山開始以来63年間で、登山回数は773回位。日本百名山は2015年に達成した。1994年頃、百名山達成を意識するようになったが、他にも登りたい山があったので結局20年もかかってしまった。百名山は道も整備されているので登りやすい。一方、二百、三百名山は、道がないので雪のある時しか行けないとか難度の高い山がある。二百名山、三百名山も達成したいとは思いながら登っているが、残っている山は遠方なので、遅々として進まない。今では、それよりも好きな山をメインに登っている。

長い間、これだけの回数登っているが、大きな怪我や道迷い、遭難などはなく、救助要請もしたことはない。一方、道迷いの登山者を助けたことは2回ある。安全をモットーとして登っているが、それでも最近は躓いて転ぶことが多くなってきた感じがある。登山ルートをはずれることも、たまにはある。だが、すべて、引き返して事なきを得ている。道が見つからず、あきらめて下山したこともある。無理をしないことである。

いずれにしても、健康に留意し、安全第一でそれぞれの目的に適した登山を息長く続けていきたいものである。山は登る人をえこひいきはしない。登る人の心の持ち方、体力、技術次第でいかようにでも対応してくれる。このような心の広い、素敵な山にいつでも快く迎えて貰えるように精進したいものである。私の年齢は82歳と登山をするには年老いてきているし、この後、何年生きていられるか分からないが、100歳まで山に登れたらこの上なく幸いであると思っている。

以上
やなせ かずのぶ(218)
(元・アサヒビール)
(粋山会(登山)、盤讃会(将棋))

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