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2022/5/16 (No.365)

「私の遺作」展

秋山 哲

秋山 哲

これまでに11回も引っ越しをしている私は、何度も断捨離を迫られている。後になって、あの資料を捨てなければよかった、あの本が今あればもっとよい仕事ができたのに、などと後悔したことも二度や三度ではない。しかし、米寿ともなり、家内も先に逝ってしまったとなると、物を残しておいても意味がないということを改めて認識している。そんな時、我が家のロフトの一番奥の隅っこに、段ボール紙にくるまれた何かがあることが分かった。何だろう。開いてみると、高校生、大学生時代に描いた油絵である。こんなものがあったのか。取り出して眺める。練習用というべき4号の板に描いているのが多いが、大きな10号キャンバスのものも何枚かある。自分なりに本格的に描いたものであろう。案外というか、意外にうまいのである。筆使いが大胆で、デッサンもしっかりしている。人の顔というものは描きにくいのだが、高校生時代の自画像も、友人の顔を写生したものも、自分で言うのはどうかと思うが、なかなかの出来である。

自画像
①自画像

自画像は、今の顔とはまったく違っていて、髪もふさふさしているが、やや精悍な青年の顔をしっかり描いている。美男子であった友人に、若かりし日の肖像画を送ってあげたら、大変喜んでくれた。はっきり記憶にのこっている絵は、「土塀」である。京都上賀茂神社の裏の林に出かけて行って、本殿土塀にうつる木の葉陰を描いたのである。

中学生、高校生のころ油絵の手ほどきを受けた上野美術学校(現在の芸大)出の美術の先生に、板に描いたこの絵をお見せした。すると、先生の所属しておられた「華畝会」(1940年発足)という関西ではちょっと名の知られていた集団の展覧会に出品するようにと勧められた。10号のキャンバスに描きなおしなさい、といわれたのである。

②花と花瓶 ③静物(玉ねぎ) ④少女像 ⑤土塀 ⑥器 ⑦蟹 ⑧ピーマン ⑨静物(キャベツ)

板に描いた小さな絵を先生は気に入られたのだが、写生しなおしてキャンバスに大きく描いた方にはちょっと首を傾げられた。写生時期が異なったために、春先のぼんやりした画調が初夏の日差しを受けた鮮明な風景に変わっていたからである。それでも、京都市美術館(現在の京都市京セラ美術館)の展覧会場の隅の方にこの画は並んだ。誰の記憶にも残っていないことは間違いないが、キャンバスの裏には「土塀 秋山哲」と墨書した紙が貼ってあって、これが「京都市美」出展の証拠である。そこに自分で「1954、6」書いているから大学2年の時の作品である。
そのほか、先生のお宅で描いた静物の板絵や、自分勝手に大きなキャンバスに描いて、誰に見せることもなく、ロフトの奥でほこりにまみれていた何枚かを今公開する。
この歳になると羞恥心はない。断捨離の前に、どなたかに見ておいていただきたい、というちょっとした執着心が頭をもたげている。間もなく粗大ごみとして処理される予定の「私の遺作」の展覧会である。

以上
あきやま てつ(544)
(元・毎日新聞社)

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