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2022/4/1 (No.362)

冒険家 植村直己の足跡をたどる

戸村 一山(良雄)

戸村 一山(良雄)

植村直己といえば、日本を代表する世界的な冒険家で世界初の五大陸最高峰登頂者(モン・ブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、エベレスト、マッキンリー(現・デナリ))で、1984年に国民栄誉賞受賞者として知られている。その彼の足跡をたどるといえば、その輝かしい登頂の数々になると思うのが普通である。しかし、ここで取り上げる彼の足跡とはそういったものではない。植村は1941年兵庫県豊岡市に生まれ、高校卒業までその地で過ごした。その後明治大学を卒業、1984年2月、43歳で遭難するまでの約15年間、彼は東京都板橋区仲宿に住んでいた。日本人初の世界最高峰エベレスト登頂など数々の冒険へは、そこ板橋から出発していき板橋に帰ってきていたのである。1969年、植村は板橋区仲宿商店街の近くのアパートで暮らし始めた。三畳一間の部屋に家具はトランクと寝袋だけ。結婚後も同商店街の近くで暮らした。ここではその間の彼の板橋における足跡をたどってみたい。

私が植村に関心を持ったきっかけは、米国アラスカ大学フェアバンクス校への出張である。1998年3月のある日、私はアラスカ航空の旅客機でアラスカ州のアンカレッジからフェアバンクスに向かっていた。その空路左方向に植村が消息を絶った北米大陸の最高峰マッキンリー(現・デナリ)がある。マッキンリーといえば、その頂上はいつも雲に隠れてなかなかその姿を現さないといわれていた。とくに3月といえば気象条件が安定せず、その頂上を見ることは叶わないだろうと諦めていた。しかし、私がフェアバンクスに向かったその日、搭乗機がマッキンリーの近くを飛行したとき、その雄姿が現れたのである。搭乗機の高度がマッキンリー(6190 m)と同じ位であることから、その頂上周辺がくっきりと見えた。その時は植村が遭難してから既に14年経過していたが、なぜかその時植村があの頂上周辺に今も眠っているのだと急に思い出したのを覚えている。

マッキンリー
マッキンリー

ただ、私が植村のことを思いだしたのはその時だけで、それ以降は暫く彼のことを忘れていたのであるが、その後、縁あって板橋区に転居することになる。そこで地元のことを調べていたところ、植村が板橋区仲宿に住みそこからマッキンリーを始め世界中に出かけていたことを知る。しかも彼の住まいは私の住まいのすぐそばであり、生活圏がまったく同じであることが分かった。板橋区仲宿は、江戸時代に江戸から京都に通じる中山道第一の宿場町である。江戸末期の和宮降嫁の際には多くの川を渡る東海道を避け、和宮一行(28,000人といわれている)は中山道を下り板橋宿経由で江戸に到着している。そのように当時は東海道に次ぐ格式の街道であったが、板橋宿は江戸に近いこともあり、大名等の宿泊所となる本陣や脇本陣の規模はさほど大きくはなく、旅人に飲食を提供したり飯盛り女が接待をするような小規模な店が軒を連ねていたようである。現在の仲宿商店街もこの名残が伺え、旧本陣は大型スーパーに変貌しているが、その他は飲食店や甘味処、米屋、酒屋等中小零細な店が軒を連ねている。

旧中山道仲宿商店街
旧中山道仲宿商店街

植村が板橋に住み着いた理由は分らないが、仲宿商店街の裏にはこれもまた零細なアパートが多く、物価も極めて安いことから暮し易さを評価したように思う。また、近くにはトレーニングに最適な公園や遊歩道もあった。植村はここ板橋でいくつかの行きつけを見つけている。先ずは、とんかつ屋の奴(やっこ)である。植村はここで後の妻となる公子さんと出会い、何度も会ううちに自らの著書を謹呈した。この奴は今はなく、私がいくら周辺を探しても見つからなかった。近隣の板橋観光センターの話では、もう跡形もないとされる。次は町中華の「三木家」である。お店の方の話では植村はよく顔を出したそうである。この店も今はなく、餃子専門店となって生まれ変わっている。これらの他に植村が通った店は分らないが、必ず行ったと思われる店が二つある。一つは江戸時代から続いた蕎麦屋「岡本」である。この店は都心の有名店にも匹敵する味と雰囲気を持っていたが、今から10年近く前に後継者不足で閉店してしまった。もう一つはパン屋の「マルジュー」である。この店は今でも地元で愛され続けている。ここは元祖コッペパンと言われ大正2年に上野黒門町で創業したパン屋の流れを汲み、昭和26年から当地仲宿で営業を続けている。コッペパンなどの他にもカレーパン等が有名で、植村がパンを買いにきたであろうことは想像に難くない。

 冒険館入口
冒険館入口
 冒険館内部
冒険館内部
加賀スポーツセンター(冒険記念館)
加賀スポーツセンター(冒険記念館)

さて、植村遭難から既に40年近くが過ぎてしまった。マッキンリー登頂後、植村は板橋に帰ることを心待ちにしていたに違いない。植村が今の仲宿の様子を見たら何というだろうか。 コロナ禍が落ち着いた暁には、再びフェアバンクスを訪れて植村に今の仲宿の近況報告をしたい。その時再びマッキンリーはその雄姿を現してくれるだろうか。最後に植村の冒険精神を広く発信する基地として、2021年11月板橋区加賀に植村冒険館がリニューアルオープンした。是非とも足を運び植村の足跡に触れて欲しい。

以上
とむら よしお (1155)
(元・大蔵省)

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