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2022/3/1 (No.360)

「北京・上海 今昔」

宮田 顕

宮田 顕

今は昔、いえ、わずか40年ほど前のことです。社命により、北京外国語学院に一年ほど語学留学しました。それは、留学ではなくて、遊学だろうとからかわれましたが、あれほど遊びと無縁の学生生活はなかったでしょう。朝早く目を覚ますと、学生寮の窓の下から、日本語や英語が聞こえます。中国人学生が中庭を歩き回りながら、ぶつぶつと教科書を暗唱しているのです。当時、就職先は国が決めます。良い成績をとらなければ、良い職場へ配置してもらえないのです。彼らの勉強ぶりは猛烈です。日本人留学生達も恥ずかしくなって勉強してしまいました。娯楽もなければ、食べる楽しみもありません。外で食事をするには糧票という配給切符(写真1)が必要です。穀物が貴重品でした。衣服を買うにも配給切符です(写真2)。統制経済というものを肌で知りました。お金があっても、切符がなければ、モノが手に入らないのです。

配給切符 糧票
写真1 配給切符 糧票
配給切符 糧票
写真2 配給切符 布票
写真3 町角の肉屋
写真4 万里の長城 八達嶺

一方で、闇経済を体験したのもこの頃です。学校のそばに掘っ建て小屋の肉屋(写真3)がありました。そこでは、肉が自由に手に入るのです。ちらほら買い物に来る人もいます。ただ、よく見ると、何やら尻尾の長い動物の肉のようです。文化大革命が終わり、鄧小平が復権し、改革開放が叫ばれ始めた頃です。農家の人たちが自分達の家畜をつぶして、町に売りに来ていたのです。中には、ポチやクロもいたのでしょう。写真には子犬の入った檻も写っています。思えば、あの時、町中には犬がいませんでした・・・。中国人は犬の肉が好きかという話ではありません。衛生管理も無頓着なまま、勝手に肉を売るというめちゃくちゃなことが許されてきた時代の話です。

80年代、北京駐在員は万里の長城(写真4)に50回いけば、帰国できると言われていました。ケーブルカーもなく、人々は険しい階段を喜々として上っていました。不到長城非好漢(長城にいかなきゃ男じゃない)という決まり文句がありましたが、冬の長城は零下十度に近くなります。学校主催の長城見学は、まるで、一日がかりの耐寒訓練でした。

今は昔、天安門事件(写真5)の影響が薄れだした90年代の半ばから、上海・北京と駐在しました。モノのない貧しい時代に熾烈な競争を勝ち抜いてきた若者たちが、働き盛りの年齢になって活躍しています。最新の技術・知識はなくとも、それを吸収していくエネルギーがみなぎっています。どん底から這い上がる人達の逞しさに気おされる日々でした。上海からわずか数十キロの海辺の農村に、原子力発電所(写真6)を建設してしまうのです。テロや放射能汚染を恐れるものはいません。もっとも、知人の数人は大胆すぎて、権力闘争の中、粛正され投獄されました。何年か前に釈放されましたが、以前より金持ちになっていたのは何故でしょうか。

写真5 天安門事件
写真6 秦山原子力発電所 遠景
写真7 寮のベッド

今は昔、21世紀の初め、上海近郊の工場で中国人工員と共に働いていました。給料は安くともスマホは持っているという若者たちです。彼らは会社の寮に一部屋8人で住み、質素なベッド(写真7)で寝起きします。会社が提供する野菜ばかりの昼食(写真8)をとります。コメだけは食べ放題なので、一気に二人分を若い女子工員がたいらげます。そのかわり、自腹の夕食はとらないのです。

そういう子供達も豊かになり、いまや、わが子の教育におしみなくお金をつぎ込む世代になっています。子供の塾通いは日本の比ではなく、とうとう政府が去年から、ほとんどすべての学習塾をつぶしにかかっています。貧しさは消えたものの、熾烈な競争社会だけはまだ残っていたようです。

写真8 工員の昼食

今は昔、遡ること、半世紀以上前のことです。文化大革命が吹き荒れていた頃です。北京八一中学という共産党幹部の子弟が通う学校にいた一人の若者が、陝西省延安市延川県というド田舎に下放(地方の農村で青年を肉体労働させ行う思想改造プログラム)されました。名前を習近平といいます。父親が当時の副首相であった為に、紅衛兵の批判のまとにされ、集会でつるしあげられました。父親はその後十数年投獄され、腹違いの姉は文革の最中に死亡しています。極貧の生活の中、食べるものもなく、きつい肉体労働に励みました。そのかいあって、村の皆から信頼され、どんどん出世の階段を登っていきます。国民的歌手の妻をめとり、もの静かな物腰は誰からも好かれました。その習近平が、今、北京に君臨しています。リアルな「貴種流離譚」です。中国人も高貴な人が、不遇に陥り、その後復活するストーリーが大好きなようです。彼は特権階級ですが、本当の貧しさを知る最後の世代です。文革を恨む代わりに、これまで中国を苦しめた外国を見返してやるという強い意志を持ち、行動しています。自分達を迫害した毛沢東達への復讐心は、中国の海外覇権を夢見る気持ちにどのように屈折したのでしょうか。普通の人々の気持ちも習近平にひきずられています。わずか10数年で急速に豊かになり国力が増している今、彼が貧しさからの脱出の気持ちを忘れない限り、それは実現するかもしれません。ただ、彼の言動を見ていると、貧しさは豊かさを求める人々を勇敢にするが、反面、残酷にもすると思わざるを得ません。

中国の諺に「氷凍三尺非一日之寒」というのが、あります。「分厚い氷は一日では張らない」という意味です。満州事変以来、凍りついてしまった日中関係が溶けていくには、まだ長い時間がかかります。

また、中国には「不打不成交」という諺もあります。「けんかをしなければ本当の友達になれない」という意味です。日中国交回復の時に毛沢東が田中角栄首相(当時)と会談した時に、「もう(周恩来首相との)けんかは終わりましたか」と発言したことで、知られるようになった諺です。これから、どれほど、習近平とけんかをしなければならないのでしょうか。

以上
みやた あきら
元富士銀行

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