2022/2/1(No.358)
戸田 邦男
いつからフルートを吹くようになったのか、思い出を辿りました。小学校のころリコーダーや横笛、そしてハーモニカくらいしか いじったことがなかったのですが、大学に入った時にオーケストラ部にはいることを決心しました。
フルートなら吹くという基本は横笛と同じ。さらにピアノやバイオリンと違い楽譜も単音で読みやすいので練習次第で仲間に入れるのではと考えて決めました。ただ楽器を手に入れなければならないのでアルバイトに精を出し、ようやく10月ごろ取得できました。そのころフルート楽器では村松というメーカーが有名で、また手に入れやすい価格で販売していました。
授業が終わるとすぐ 毎日のように部室通をしたのが思い出されます。フルートの先輩は二人いて プロ顔負けの技術を持っていながらよく 初心者の私といつも練習曲の2重奏に付き合ってくれました。
オーケストラ部は近隣の小中学校に出かけて演奏したり、長期休暇時には合宿練習。その成果を地方のホールで発表会を行うという楽しい活動でした。
1年に1回は定期演奏会を文京公会堂で実施していました。2年の時はブラームスの「交響曲1番」、3年の時はブラームスの「交響曲4番」とモーツアルトの「交響曲40番」、4年の時はブルックナーの「交響曲4番ロマンティック」とモーツアルト「交響曲41番ジュピター」を演奏。いまその時の録音を聞くと懐かしく その頃が思い出されます。
フルートの前身横笛、すなわち現在のフルートのように側面から吹く笛の起源は謎に包まれているといわれています。不満だらけの粗削りな音響のフルートという楽器の音孔の形や大きさ、金属の材質などを研究して、今日世界の隅々まで使われている優れた楽器に引き上げたのはドイツ人の発明家、音楽家でもあるテオバルト・ベームと言われています。その後いろいろ改良され、楽器の進歩してきた状況は、例えばニューヨーク市立美術館に陳列されているコレクション等で知ることができます。
つい最近、NHK-BS1 スペシャルで「必ずよみがえる~魂のオーケストラの1年半の闘い~」を見て指揮者、楽団員一人ひとりの言葉に感動してしまいました。コロナ危機で相次ぐ公演中止。日本有数のオーケストラ「東京フィル」は未曾有の危機に。苦悩の中で社会の復活と再生を祈念した一大公演を企画し、世界的マエストロと挑む内容でした。そこで、大学卒業してからほとんどいじっていない あのフルートはどうなっているか。取り出してみると銀色に光り輝きもう一度吹いてみたらと言っているようでした。
家にいることが多い昨今。また一から出直そうと練習の再開を決めました。誰も聞いてくれる人はいませんがそれ以上に良い音が出せるか、指がついていけるかどうか心配です。
とだ くにお(288)
副代表 アカデミー本部 理科実験G 元・日産自動車