2013/02/01(No142)
中村 悠一
昨今は中高年、山ガールなど登山ブームである。何故山に登るのかと問われ「そこに山があるからだ」と答えたのは1923年ジヨージ・マロリーであった。
それでは「あなたは何故山に登るの」と問われれば、正直どう答えれば良いのか分からない。そこで著名なアルピニストたちはどう答えているか調べてみた。
など哲学的、散文的、詩的な表現が色々あるが私にはどうもしっくりこない。
ここで少し私の登山歴を記してみる。小学校での山登り遠足は別として、中学時代に伯父に連れられて初めて九州の久住山に登った。そのとき見たニツコウキスゲの群落に感動。その感動を求めて高校、大学では山岳部に入ったが、先輩の「おだて」と「しごき」でそれどころではない味わいをした。当時の装備は今では考えられないくらい重く、雨で濡れようものなら軽く50〜60kgとなってしまう。部室から電停まで約2kmあったろうか、荷物を担いで何とか歩くとお前は見所あるなと先輩から「おだて」られ、その気になっていざ登山開始となると「しっかりせいや」と叱咤の声。前を歩くメンバーのお尻と地面だけしか目に入らず、ましてや周りの景色、お花畑はうわの空。ただただ早く休憩にならぬかと思うばかりだった。北アルプス縦走中に仲間と脱走しようかと相談する始末(結果は未遂に終わったが)。そんな中、もがいてもがいて尾根筋迄来た時、谷から吹き上げてくる「風の爽やかさ」に何とか救われる。あるいは長期の縦走だと中一日の休み(沈殿日と称していた)、この時は汗まみれの体の休息、下着の洗濯とまさしく命の洗濯でした。今思えばこれらが山の楽しみだったのでしょうか。
なんとか山岳部は卒業し、社会人となって山とは完全に縁が切れて仕事三昧(?)。たまに「山の神(愚妻)」から小言を食らうのが唯一の山との関わりでした。定年後DF登山同好会(粋山会)に入会し、新たに「山の楽しみ」を見出しました。学生時代は貧乏登山なので下山後の温泉、酒盛りは殆んどありませんでしたが、今は粋山会の仲間と下山後に「山を刺身」にしての楽しい酒盛りがあります。どの山に登るかよりも下山後に温泉に入り、酒盛りが出来るか否かで登る山が決まるほどです。添付写真は、昨年、現役時代の元同僚と世界自然遺産のマレーシア・キナバル山(4,100m)に高山病と戦いながら登った時の写真です。日本の山とはまた違った風景を楽しみました。
最近では、どんな山に登るにせよ健康で登れることが「本当の山の楽しみ」としみじみ思うようになりました。
なかむらゆういち ディレクトフォース会員 三菱化成 MCCPAインディア
三菱エンジニアリングプラスティックス 三菱化学
編集註:DF登山同好会(粋山会)の活動は〈こちら〉からご覧ください