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一般社団法人 ディレクトフォース

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DFの社会貢献活動

2017年5月12日

見出し食と農業研究会

見出し トピックス(2014年版)

第18回 食と農業見学記(2014/10/23)

崎陽軒 横浜工場

崎陽軒横浜工場第18回「食と農業研究会」の見学先は、横浜の第3京浜港北インターそばにある「崎陽軒横浜工場」でした。やや雨最寄りの天候でしたが、予定の12時半頃に総勢15名がJR新横浜駅に集合、3台のタクシーに分乗して現地に到着しました(料金千円くらい)。

見学者は我々のほか個人見学者も入れて全体で30人ほど(大学生のグループもいました)。今回の見学の申し込みは3ヶ月前の7月で、電話がつながるのに1時間以上かかるほどの人気見学先だったとの、酒井世話役のお話しが十分納得できました。

定刻の午後1時、会議室で見学会がスタート。最初に、崎陽軒の歴史、シウマイや月餅の製造工程の説明など崎陽軒全体の紹介ビデオの上映(15分)があり、その後で、会議室や廊下に展示してある、商品のサンプルや、崎陽軒のシウマイに欠かせない「ひょうちゃん」の説明や、昭和30年代の駅販売風景の再現や掛け紙とよばれる駅弁のパッケージ等の復元展示の説明を受けました。

「ひょうちゃん」は昭和30(1955)年からシウマイの箱に入れられている陶器製醤油入れの愛称で、「フクちゃん」を書いた有名なマンガ家、横山隆一さんやサントリーの柳原良平そのほかの皆さんの手によるもの。いろは48のほか沢山の種類があってコレクターも多いそうです。

「シウマイ娘」も崎陽軒ならではの販売方法で、横浜駅の名物となっていました。この「シウマイ娘」は毎日新聞に連載された獅子文六の「やっさもっさ」という小説に紹介され、その後映画化もされ、一気に全国に知られるようになったそうです(日テレの『笑点』の司会者桂歌丸の妻冨士子さんもその昔、シウマイ娘をしていた=ネット情報)。

「崎陽軒」という名前は創業者の久保久行が長崎出身である事にちなみ、長崎のある場所にある、太陽が昇る岬という意味を持つ「崎陽岬」に由来するとのことでした。

ひとしきり説明が終わったところで、工場のシウマイ製造の見学スペースに移動。原材料の説明を受けた後で、製造ラインをガラス越しに見下ろしながら、シウマイの成形の様子や、真空パック詰め、箱詰めの様子などについて見ながら説明を受けました。

横浜工場の生産現場は真新しく、清潔そのものの印象でした。シウマイは日産80万個という膨大な量で、毎日1箱(15個詰め)食しても食べきるには145年ほどかかるとのこと。

「真空パックシウマイ」は、昭和42(1967)年に、シウマイを遠くまで持っていきたいという消費者の要望に応え開発されたそうで、今では一般的名称の「真空パック」という名称も崎陽軒が独自に発案したものだそうです。このほかいろいろの説明の中で、創業以来、アイデアで会社を発展させてきたとの印象を強く持ちました。

以前は関西にも店舗を出していましたが、現在は神奈川・東京中心に店舗を展開、「ローカルブランドに徹している」とのこと。ただし「真空パックシウマイ」だけは、日持ちがする(5ヶ月)ことから、全国に出荷しており、その量は毎日2万から3万パックになっているそうです。

シウマイの原材料は、豚肉、タマネギ、ホタテ貝柱、グリンピースの4種類。調味料は砂糖、塩、胡椒のほか使っておらず、うまみを閉じ込めるのに(ジャガイモの)澱粉を使っているとのことでした。

見学時間中、たまたま真空パックのラインにトラブルが発生していて作業員の方が動き回っていました。いつもの順調に動いている様子を見せられないと、案内係(の金子さん)がしきりに残念がっていました。トラブルは滅多に起きないとのことで、その現場に居合わせた我々がラッキーだったのかアンラッキーだったのかはわかりません。

工場の操業時間帯は2シフトで、午前4時生産開始、午後4時生産終了、その後ラインを解体・清掃を2時間かけて行い、午後6時終業となっています。

工場はこの横浜工場のほか、本社工場、東京工場があり、それぞれ弁当を中心に1日2万食を作っているそうです。弁当の容器は「経木」を使い、お米(北海道産)その他の材料はすべて国産だそうです。シウマイ弁当に入っているシウマイは、もちろんこの横浜工場製です。

工場見学は30分ほどで終了。 この後会議室に戻って試食会となりました。出てきたのは、出来立てほやほやの温かいシウマイ3個と月餅半個。シウマイは昔ながらのシウマイが2個、特製シュウマイが1個で、月餅共々おいしくいただきました。

以上で見学会はお開き。この後は昨年オープンしたばかりの「プチミュージアムショップ」でのお買い物。皆さんすっかり気に入ったと見えて、いろいろと沢山買い込んでおられました。

この後、横浜市営バスで新横浜駅そばの「鮨 かね久」に行きそこで懇親会。食べたり飲んだり喋ったりと大変な盛り上がり。2時間ほど過ごした後で家路につきました。

(参加者:馬来 酒井 四方 鈴木 谷口 鶴岡 富沢 中尾 長谷 福本 藤田 守屋 渡辺 七字 三納  計15名)

(三納吉二 記)

第17回 食と農業見学記(2014/6/11)

ニチレイフーズ船橋工場

ニチレイフーズ船橋工場6月11日、年間国内生産155万㌧、輸入を含む消費量276万㌧、年間一人当り消費量が22㌔と成長する冷凍食品の生産現場を見学しました。

ニチレイフーズは冷凍食品のトップメーカーですが、前身の日本冷蔵株式会社は、戦時下の国策会社である帝国水産統制会社から1945年に設立。船橋工場は1961年に魚肉ハム・ソーセージを生産開始しました。現在全国で6ケ所の工場を有しており、北海道にある森工場が戦前としては初の冷凍工場とのことでした。

船橋工場は現在主に "焼きおにぎり、炒め飯、ピラフ" を作っています。生産設備能力として15時間稼働(早番5時〜遅番23時)で日産122トンで右肩上がりの生産数量です。食品関係では数少ない増加傾向で個食の影響との事。 冷凍食品と言うと最近では "アクリフーズ" の毒入りが思い浮かべますが、この工場ではソフト面を重視し、"新人さんを守ろう" と言う事でキャップ(帽子)を黄色:一般 青色:リーダー 緑:新人と色分けし、常にチームワークを大切にしており、月に何回か "あぐら" と言って経営層と従業員との対話を図って信頼関係を作っているとのことでした。

我々年配者は冷凍食品と言うと敬遠しまいがちでしたが、試食した "オニギリ・ピラフ" どれも、美味しくて皆びっくりでした。食わず嫌いとは、この事でした。試食したお米は北海道産 "きらら397" でトレーサビリティ可能な製品のおにぎりは農家まで判別出来るとの事でした。また "屑米" などが入って無く一粒一粒がきっちりしたお米であったのが印象的でした。これは一般的な外食で出てくるお米と比較すると一目歴然です。焼きおにぎりは着色料・保存料・化学調味料は一切未使用との事で、スーパー・コンビニエンスから高く評価されているとの事でした。

(参加者 鶴岡 酒井 三納 四方 谷口 吉崎 長谷 植木 鈴木 福本 中尾 富沢 七字 藤田 計14名)

(藤田公一 記)

第16回 食と農業見学記(2014/3/4)

キッコーマン食品野田工場

3月4日午後、東武野田市駅に集合、谷口氏の紹介で工場見学、教室で原料撹拌、麹の添加、絞りなど醤油の手作りを体験した。その後、河村氏の案内で柏にて懇親会。

参加者:藤田、河村、酒井、谷口、長谷、峯脇、七字、福本、中尾、池上、富沢、渡辺の12名。

学んだこと

【キッコーマン社について】
  • 千葉県野田市における醤油生産の歴史は約350年、数多くの生産業者が林立。 江戸川と利根川に囲まれた地の利(大豆・小麦・塩の調達)を活かして江戸の繁栄とともに発展。
  • 1917年設立、1940年全国の商標をキッコーマンに統一。
  • 日本最大の醤油メーカー(全国シェア約30%、メーカー数は約1,600社)。
  • 積極的に海外展開 ーー 現在の海外工場は米国、台湾、中国、シンガポール、オランダ。
【醤油について】
  • 醤油は発酵調味料の代表。
  • 醤油の原料は大豆、小麦、塩、水と麹菌/乳酸菌/酵母(これが醤油の味の決め手)。
  • 工程は仕込みから発酵・熟成・仕上げまで6ヶ月程度。 大豆は蒸して、小麦は煎って砕いて、麹が加えられる。大豆のたんぱく質はうまみのもと、小麦は香りと甘みのもと。
  • 醤油の成分水分70%、タンパク質7%、糖分7%、塩分16%、ミネラル微量。
  • 醤油の種類こいくち、うすくち、たまり、さいしこみ、しろ。
  • 保存こいくち醤油で直射日光に当たらない低温の場所に置いておけば1年半は大丈夫だが、栓を開けると1ヶ月くらいで使い切る事が望ましい。品質劣化を防ぐには栓をしっかり閉める、量が少なくなったら小さな容器にいれ替えて空気量を少なくする、冷蔵庫に保存する等が望ましい。 特に、減塩醤油(こいくち醤油を減塩処理)は栓を開けたら必ず冷蔵庫で。

感 想

これまで何気なく口にしていた醤油がこれほどセンシティブで企業秘密に守られた産物であることは驚きであった。これからはどんな醤油がでてきても、これはどこの製品だろうか、どの種類だろうかなどと味わいながら口にすることになるだろう(たかが醤油、されど醤油 !!)。

また、工場は省力・自動化が進んでおり、ほとんど人影が見当たらなかったことにも感心させられた。

懇親会

通り間殺人事件があった直後の柏まで移動して大いに飲んで食べて ‥‥ 解散。

(河村肇 記)