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2018年3月31日 掲載 )

2017年8月 講演・交流会(172回)

テーマ:『期待と不安が交錯するヨーロッパ・最前線からの報告』

講 師:熊谷 徹 氏(在独ジャーナリスト 元 NHKワシントン特派員)

熊谷 徹 氏

首都圏の一部では集中的ゲリラ豪雨による急増した濁流で中州に取り残された釣り人が、ヘリコプターで救出されるという騒ぎのあった8月30日(水)午後3時より、 学士会館にて93名の参加者を得て172回目の講演・交流会が開催されました。「期待と不安が交錯するヨーロッパ・最前線からの報告」というテーマで、講師は昨年同時期にヨーロッパ事情についてご講演いただき、大好評であった熊谷徹氏でした。

ドイツ在住という講師の一時帰国の隙間を縫ってのまたとない貴重な機会でした。

まず、北朝鮮によるミサイル発射に触れ、東アジアの安全保障に関する危惧の解説に続き、下記項目に 沿っての講演が始まりました。

  1. 講演会の様子
    フランス大統領選が浮き彫りにした社会の亀裂
  2. ハード BREXIT* は不可避か
    (*編集註:ブレグジット=EUからのイギリス脱退)
  3. 難民危機は終わっていない
  4. ドイツ連邦議会選挙の行方
  5. トランプとドイツ
  6. 危機にさらされる民主主義

◇ ◇ ◇

Ⅰ.フランス大統領選が浮き彫りにした社会の亀裂

政治面

ヨーロッパ政治の座標軸は、保守対革新の対決から、グローバリズムと市場開放主義を守ろうとする勢力と、ナショナリズムを重視する勢力の対決へと大きく変わっています。社会保障制度を手薄にしてきた国(米国・英国)では所得格差が広がり右派ポピュリズム・保護主義を標榜する勢力が過半数を取る傾向があり、重視してきた国(フランス、オーストリア、オランダ)では、今年の選挙では過半数の市民が右派ポピュリズム政党に否定的傾向でありました。社会保障制度を重視しているか否かが、右派ポピュリズムにとって追い風となるかの基準になるものと考えています。

フランス大統領選挙でEU支持派であるマクロンの勝利は、ヨーロッパ諸国を深く安堵させましたが、有権者の投票行動を詳細に分析すると楽観視できるものではないことがわかります。

フランス市民は、社会党・共和党という2大政党である既成政党に深く失望し、国民議会に会派を持たない候補者を大統領に選び変革を望みました。有権者の強い不満、米国や英国に見られる大都市と地方の格差がはっきり表れている選挙結果を見ると、マクロンの前途は多難であることがよくわかります。

もしも、経済成長率の回復や失業率の削減に失敗したら、ルペンに代表される右派ポピュリズムが再登場してくるのではと思います。

第1次投票の結果
講演会の様子

初めて社会党・共和党が決選投票に進むことができず、EU離脱派の得票率が41.0%、得票数が1,467万票に達しました。前回の選挙に比べ、共和党・社会党ともに得票率が激減し、フランスは2分割されてしまいました。マクロンの得票率は失業率が低い西部で高く、ルペンは失業率が高い東部で高いという結果でした。

決選投票の結果

有権者の34%、1,200万人がマクロン・ルペン両候補に投票することを拒否しました。マクロンへの投票者の中には、やむなく選んだ人の比率が他候補者よりも高かったのです(圧倒的勝利とは言えません)。

マクロンを選んだ有権者には、エリート層が多く、ルペンは労働者に人気がありました。

2017年大統領選挙は、次のようなフランス社会の深い亀裂を浮き彫りにしたといえます。

  • グローバル化によって利益を得ている大都市の住民と、グローバル化の負け組と感じている地方の住民のの断絶
  • エリート層と労働者層の間の深い断絶
  • 地方の住民、労働者の間ではルペンとメランションというポピュリストたちへの圧倒的な支持
  • 米国でのトランプ勝利、英国での BREXIT 派の勝利と似た構造がフランスにも存在

ルペンの政策は保護主義と排外主義が強く、トランプに酷似しています。選挙公約に、大統領選に勝った場合、EU離脱に関する国民投票を実施する発表してしていましたので、ドイツを始めとしてEU諸国は、EU創設の国が抜けてしまうという危機が去ったとしてホッとしました。
ルペンは極右政党国民戦線 ( FN:Front National 国民戦線)を甘いオブラートに包み、例えば極端な発言をする父親を党から除名する等をして、中間階層やブルジョアも、極右政党FNを受け入れやすくさせ、女性や同性愛者の権利保護を強調し、銀行、富裕層、エスタブリッシュメントを批判することで共産党系の考えをもった人々の支持を得ようと考えています。また、『イスラムは、フランスの伝統を破壊する、全体主義だ』という反イスラム主義者です。国民戦線は、フランスの経済が悪いのは、EUと移民の所為であると主張しています。

経済面
講演会の様子

EUの牽引役であるべきフランスとドイツを比較すると、失業率(9.6%対3.9%)*とドイツでは失業率は4%を割り、フランスではユーロ圏の失業率9.3%をも上回っております。特に若年労働者の失業が深刻で頭脳流出の危険に直面しています。

フランスの最大の問題点は、政府比率が高いということです。政府比率=政府支出のGDPに対する比率(56.8%対43.9%)。財政赤字比率=国などの新規の借金のGDPに対する比率(−3.5%対+0.7%)でありドイツは赤字国債を発行する必要がありません。公的債務比率=累積公的債務残高のGDPに対する比率(96.2%対71.2%)。ドイツでは、年々減少する傾向にありますが、フランスでは徐々に増加して、100%に達するかもしれず、ギリシャ並みの高い比率になるかも知れません。このように、EUを牽引している機関車役のフランスとドイツの間には経済面で大きな格差が生じてしまっています。

*( )内の数字はフランス対ドイツの数字です

新フランス革命と言われる国民議会選挙

マクロン新党(共和国前進)が、議会で単独過半数を確保したといわれていますが、投票率は、戦後最低の42.6%、18〜25歳の有権者の内、投票したのは26%、労働者では31%とうい低い水準であったということは、マクロンに対する不満がはっきりと示されたものと言え、右派ポピュリズムの脅威が去ったとは言えない状況です。

ユーロ圏をめぐる政策でドイツと対立か

マクロンは、EUの主導権をドイツから取り戻したいと考えているが、そのためには苦痛を伴う改革を実行する必要があり、フランスの労働組合は強烈な反対運動を展開しておりこの改革が成功するかは未知数です。

Ⅱ. ハード BREXIT は不可避か

2017年3月29日英国が、EU離脱をヨーロッパ委員会に通告して以来を観察する限り、両者が移民問題等で妥協できずハード・ランディングの可能性が強いと考えています。また、EUと英国とは、離脱に向けての交渉順序で意見が対立しており、合意が出来ないまま離脱という事になりかねません。メイ首相は、BREXIT交渉が難航することを予想して、国民の支持を得るため、6月8日の前倒し選挙を行ないましたが、与党が過半数確保できず、北アイルランドの政党DUPの10議席を足して、ようやく過半数を確保することが出来ました。

BREXITとトランプ政権の誕生は同一線上にある
講演会の様子

両者ともグローバル化、多国間主義(multilateralism)、産業の空洞化、多国間貿易協定に反対し、EU, NATOなどの国際機関を軽視し国際関係における「理念」よりも、「権益」と「ディール」を重視し、自国優先主義であり移民の制限を要求する等という共通点があります。米英ともに、所得格差が原因でエリートと庶民、大都市と地方の意識のギャップなど社会の亀裂が露呈しています。ドイツとフランスに比べると米英は、所得格差を是認し、社会保障による富の再分配を軽視する国という事でも共通点があります。

BREXIT の国民投票以降、メイ首相およびその側近が、ドイツの社会的市場経済に近い考え方である『ポスト・リベラリズム』という言葉使い始めています。つまり、サッチャー時代の小さな政府という考え方は終わったと言っています。英国ですら、BREXIT の国民投票の結果に関して反省しドイツのような方向を目指している事に興味深いものがあります。

BREXIT の国民投票時もトランプ政権誕生時にも、見られた共通点は、伝統的なメディアを敵視し、嘘ニュースで、世論を操作し、ビッグデータを駆使した、有権者に対するピンポイント宣伝を行ったことです。

このため伝統的な世論調査機関は、いずれも予想が外れてしまいました。

伝統的な政治構造の破壊を目指し経済的な利益よりも、国粋主義的な感情論が優先されています。

Ⅲ. 難民危機は終わっていない

ドイツは、過去2年間に受け入れた亡命申請者の数は世界で最も多く、外国で生まれた市民の数が米国に次いで世界で2番目に多い国です。2015年メルケル首相が多くの難民を受け入れると表明した結果2016年には約75万人が難民申請をしました。ところが現在バルカン半島の国々が国境を閉鎖したこととトルコとEUの協定で難民をトルコ国内の収容所に収容する措置をとっているため難民の数が大幅に減少しています。しかし見逃せないのは2015年以降イスラム過激派の無差別テロが多発していることです。

一方イタリアでは、地中海経由でアフリカからの難民が押し寄せ、イタリア政府はEUへ彼らを引き受けてほしい旨の要請をしていますが、他のEU諸国は難色を示しています。つまりEU内での難民問題に関する連帯感は存在しないことが示されています。

イスラム教徒が多い国やアフリカ諸国では、圧倒的に若年層の比率が高いため、インターネット等で情報を収集した若年層が、経済難民となってEUを目指すことになるので、EUは『ユース・バルジ(Youth Bulge)=若者人口の突出の脅威』に晒されることになります。

Ⅳ. ドイツ連邦議会選挙の行方

講演会の様子

メルケル4選は、ほぼ確実と考えています。理由として、BREXIT、トランプ大統領の誕生、ロシアの脅威、トルコの政情の不安定化など、不透明な時代では、ドイツ人は安定を望む傾向があるので経験豊富なメルケル首相を選ぶであろうことを挙げることができます。なお難民危機から時間が経ち、市民の記憶が薄れたことと景気の良さを追い風に、メルケル人気は回復しています。

2017年6月の世論調査では、右派ポピュリズム政党であるAfD(ドイツのための選択肢)は6.5%の支持率を得ているので、今後連邦議会で議席を確保はするでしょうが、ただ連立をする政党がないため大きな役割を果たすまでは至らないと思います。

近年の選挙結果からヨーロッパでは、社会党・社民党政権に失望し、右派ポピュリズム政党へ票が流れている傾向があります。

Ⅴ. トランプとドイツ

2017年5月G7サミット後メルケル首相は『先進国首脳が互いを信頼できる時代は、終わった。このことをG7サミットで強く感じた。今後我々ヨーロッパ人は、(米国に依存せずに)自分たちの運命を自分の手で切り開いて行かなければならない』と発言しました。トランプ大統領が地球温暖化防止のためのパリ協定を順守すると確約しなかったためです。

米国史上初めて、右派ポピュリストが大統領に就任しました。トランプ陣営は、英国のデータ分析企業ケンブリッジ・アナリティカ社の心理分析結果を利用して激戦区の有権者の投票行動を左右するような個別の広告を出し勝利したという説がヨーロッパでは出ています。「ケンブリッジ・アナリティカ」が関わった、トランプ陣営やEU離脱派が、1年の内2回にわたり勝利したことは、ヨーロッパのメディアに大きく注目されています。つまり、現在我々はソーシャルメディアが投票行動を左右する時代に生きているという事です。トランプ大統領は過去に全体主義政権が使った『Movement』とか『国民の敵』(「人民の敵」という言葉は、ナチスやスターリンがよく使った)という言葉を演説で多用するのでヨーロッパの人々は不気味に感じています。

メルケル首相が、トランプ大統領当選時に米国との協力に条件を付けた異例の祝辞を送ったのは、ナチス時代への反省から人権を重視するドイツ政府の姿勢が表れていると言えます。

右派ポピュリズムに対する防壁は社会保障制度

米国や英国のような社会保障が貧弱な国では、右派ポピュリストが勝利を収めていますが、オーストリア、オランダ、フランスやドイツなど社会保障制度が比較的充実している国では、穏健勢力が右派ポピュリストの台頭に歯止めを掛けています。即ち社会保障制度が、所得格差と貧困率を減らし、大衆の過激化を防いでいるのです。不安定な時代に社会保障制度による安全ネットの過度の削減は、危険と考えられます。

Ⅵ. 危機にさらされる民主主義

講演会の様子

大統領選挙期間中、トランプ陣営は、フェイクニュースを流布しました。それらフェイクニュースを信じる市民が多く、大統領選挙の結果に大きく影響しました。フェイクニュースは、全く否定もされずコメントもされずに、ソーシャルメディアを通じて世界中に拡散してしまいます。ニュースの虚実を見抜く能力が低い人は、デマや嘘を鵜呑みにしてしまいます。ポピュリスト勢力は、大手の新聞社、テレビ局を「腐敗したエスタブリッシュメントの一部」と批判し、人々は大手メディアを信用しなくなっていきます。

メディア・リテラシーの重要性

行き先が不透明な時代には、ニュースやネット上の情報が事実であるか嘘であるかを見抜く能力が、極めて重要です。企業や省庁にとっても、正しく情勢を判断し、決定を下すために、メディア・リテラシーは極めて重要です。日本のニュースだけを見ていると、事態の全体像がつかめないこともあります。外国からの情報を加味して理解できることもあります。将来は義務教育の中で、メディア・リテラシーを磨くための訓練も必要なのではないだろうかと考えます。

民主主義が悪用される時代

米国の大統領選、英国のEU離脱は、多数派の意見を尊重する民主主義が、右派ポピュリスト政党によって悪用され、民主主義の弊害の現われと思います。右派ポピュリストは、国民投票など直接民主主義を好む傾向があります。世の中には、全国レベルの国民投票で決めてよいものと良くないものがあると考えます。そして、国民投票は、ソーシャルメディア等表には見えない情報操作によって左右される危険があります。

2017年6月にフンボルト大学の歴史学者ヘアフリート・ミュンクラーは演説で「民主主義が崩壊する可能性を念頭に置くべきだ」と発言しました。

◇ ◇ ◇

講演後、数人の会員との質疑応答の後、講師の熊谷徹氏は、参加者全員による盛大な感謝の拍手を背に次の予定のため会場を後にされました。

  • 当日のアルバムはこちらからご覧いただけます

(森川紀一・記 三納吉二・撮影編集)