( 2016年12月5日 掲載 )
例年にない厳しい寒さの11月28日(月)学士会館にて56名の参加をいただき、167回講演・交流会が15時から開催されました。
講演に先立ち、保坂事務局長による『15周年記念行事2016年10月実施意識調査結果』の説明がありました(発表資料は、11月30日(水)に全会員宛てに配信されましたのでご参照ください)。
講演会はセコム(株)相談役、セコムグループ代表補佐、益子昌平塾塾長の木村昌平氏に『魂に汗をかく』というテーマでお話をいただきました。
木村昌平氏は、お住いの栃木県益子町より遠路はるばるお越しいただきました。
講演は、若い時映画監督を志したということもあり、演出は万全、プレゼンテーションの技術を十二分に駆使したダイナミックな画像が講演を通じてスクリーンに映し出されました。
開口一番、『私は、樵・大工見習い』という自己紹介に始まり、ご自身の製作された戸棚や十数人用の一枚板の大テーブルがスクリーン一杯に映し出され玄人裸足のその腕前に感心していると、現在塾長を務めている益子昌平塾の説明が続き、同塾では『ビジネスの対極にある『老子』の世界』を勉強されているとのことでした。
これから、『私の半生を振り返りつつ』と題して、下記3部構成の講演です。
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学生時代演劇に夢中になり、映画監督への道を探るため、スウェーデン行の資金稼ぎにガードマンになりました。セコムの入社2年目に、突然経営の何たるかも知らないにもかかわらず子会社を任され四苦八苦の末、子会社では初めてである配当を出すことが出来ました。その後ネットワークビジネスの重要性を認識し、5ヵ年事業構想を直言した結果、本社企画課長に就任することになり、以後創業者と共に事業拡大に従事し、セコム人生49年間で、業績は売上2,250倍、利益8,195倍に成長することができました。
突然昨年9月小細胞がんのため余命1ヶ月の宣告を受けましたが、『命の奇蹟』余命1ヶ月から復帰し『ひたむきに感謝のこころを持ってあるがまま即ち無為自然』の大切さを知り、『残りの生涯はすべてに感謝しつつ自己の最善を尽くしたい』と思うに至ったので、セコム(㈱)相談役、セコムグループ代表補佐に就任しセコムの理念を伝承することを決意しました。
現在、『価値ある企業として世の中に共鳴され、社会に存在される企業で、卓越した企業として、たとえ経営者が交代しようとも、何十年にもわたり成長し続ける企業』であるVisionary Companyを目指しています。セコムグループが実施すべき事業の憲法は、『あらゆる不安のない社会の実現』と『困ったときはセコム』です。この憲法に徹底的にこだわって、50年かけて事業領域を拡大してきました。
益子とのかかわりは、29年前当地を焼き物の見物ために初めて訪れとことに始まります。その後地元の家族と知り合い、囲炉裏でのさりげないおもてなしに魅了されてしまいました。その頃は、セコムの社長である事は誰も知らず、ただ単に昌平さんと呼ばれ地元のイベントでは、裏方を任されるようにもなっていました。10年後日経新聞に記事が出てしまい身分が明らかになってしまいました。東京では、産・官・学の日本を代表するオピニオンリーダーに多く人脈を持っていましたが、それは組織の後ろ盾あってのお付き合いでした。しかしここ益子での人脈は肩書なしの裸の人間としての本物の人脈です。そこで6年前の2010年永住を決意し終の棲家を建設しました。
今、尚論会益子合宿を開催し日本を代表するオピニオンリーダーが集まり老子の勉強をしています。
老子の教え
『知足者富』とは、『生きているってことは何て凄い事なんだ』ということを知ることそして感謝することです。
『無為自然』とは、『どう見られたいかという虚飾を捨てること』すなわち本当の自分を磨くことです。
益子の人々は『老子』を実践しているので、益子の虜になってしまったのです。
講演の後下記の質疑応答がありました。
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講演会に引き続き、事務局連絡として下記2名の新入会員の紹介がありました。
写真左から 今村哲也さん(1152)青木清児さん(1153)のお2人。
会場を移して交流会です。真瀬代表の乾杯の発声で始まりました。遠方の益子に帰らなければならないにもかかわらず宴半ばまで木村昌平氏にはお付き合いいただきました。その間、木村昌平氏の周りは、ご挨拶のための行列ができてしまいました。そして中締めまで各々楽しい会話が続きました。企業支援部の高橋宜治さんの中締めの挨拶の後、三々五々帰路につきました
(森川紀一・記 三納吉二・撮影編集)