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( 2019年3月19日 掲載 )

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2019年3月 講演・交流会(181回)

テーマ:『スポーツ界の今、そして2020へ』

講 師:刈屋 富士雄氏(NHK スポーツ担当解説主幹)

伊藤 数子 氏2019年3月4日(月)15時から学士会館において90名の参加者を得て、第181回講演・交流会が開催されました。

テーマは、「スポーツ界の今、そして2020へ」と題し、NHK スポーツ担当アナウンサーとして、これまでに8つのオリンピックの実況放送で大活躍されました刈屋富士雄氏をお招きし、東京オリンピックを来年に控えて機運が盛り上がる中、スポーツ界の興味深い裏話やスポーツ放送の在り方といったことについてお話を伺いました。

講演内容は以下のとおりです。

◇ ◇ ◇

私はNHK入局以来、長年にわたりスポーツの実況アナウンサーをしてきたが、6年ほど前から解説委員兼務となりスポーツ担当の解説主幹として勤務している。めぐり合わせというか、私が解説主幹になった途端に、日馬富士問題をはじめとするスポーツ界の不祥事が続出し、今もスポーツアナウンサー時代以上に忙しい日々を送っている。本日は皆様にそういったスポーツ界の話や私がなぜオリンピックの実況中継において、今も語り草となっている解説を行ったのか、その経緯について背景も含めお話することにしたい。

大相撲の話から入ることとし、まず、横綱稀勢の里の引退をとりあげたい。稀勢の里は自らの引退について、「一片の悔いもない」としている。怪我をした直後に2場所休んでいれば彼は復活したはずとの見方も多い。しかし、彼にとってその時に休場という選択肢はなかった。これまでの土俵生活15年の中で、大きな怪我をしたことは一度もない。彼は、「休場することイコール逃げること」だと思っていたからである。本来は相撲協会が責任を持って彼を休ませるという決断を下すべきであったのかもしれない。彼は、「優勝というものは出来る時には出来るはず」といっていた。「それが出来なかったのは、自らの技・能力が足りなかった」というのである。彼の発した「一片の悔いもない」という言葉には、以上のような彼の経験と信念が表れているように思う。

次にオリンピックの話に移りたい。そもそも私がNHKに入局してオリンピックの実況中継をやりたいと思ったのは、小学生の頃、メキシコ五輪のときに遡る。そこで日本人がメダルを取ったのを見た私は、学校の先生から、オリンピックとは単なる競技ではなく、そこから人種差別などといった政治問題が、その時々の時代が、引いては人類がそこから見えるんだ、と教わった。それ以来私は、是非ともそのオリンピックというものを伝えてみたい、と思うようになった。私が初めてオリンピックの現場に行ったのは、1992年のバルセロナ五輪で、その12年後のアテネ五輪の時に実況中継を担当することになった。特に体操男子団体決勝で28年ぶりに体操ニッポンが王座を奪還する瞬間の冨田選手の鉄棒の実況「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」「日はまた昇りました」は、私の心に強く残っている。

もう一つ印象に残っているのが、トリノ五輪で荒川選手がフィギュアスケートで金メダルを取った瞬間である。そこで私は「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」と実況した。これは、特にフィギュア女子は必ずしも強い人が勝つ訳ではなく、勝利の女神はいわば気まぐれという中で、荒川が勝ったというよりは、荒川が勝利の女神に選ばれた、という意味を込めて言ったのである。この実況は、特にフィギュアのファンから高い評価を頂いたのは嬉しかった。

最後に講演で必ずする話として、志村正順を紹介したい。志村は見事なスポーツ実況中継で知られたNHKのアナウンサーで、2005年に放送関係者として史上初めて野球殿堂入りした人物である。その志村は、戦中の学徒出陣式においてラジオの実況をしたアナウンサーとして知られるが、その時彼は先輩実況担当の補佐(サイド)であった。実はその先輩実況担当は、学徒出陣を美化する国や軍の方針に異を唱えて、出陣式直前に更迭されてしまったのである。このため、急遽志村が実況を担当し、結果として出陣式を美化するような実況をしてしまった。後年になってその経緯を知った志村はそのことを非常に悔い、結局NHKを退職し放送界を去ることになる。その志村が再び公の場に姿を現したのは、野球殿堂入りを祝うパーティーであった。そのパーティーには私も含むNHK関係者が出席していたのであるが、志村は居並ぶスポーツ界の重鎮らを前にして、我々だけを見て「決して国や上司のための放送をしてはならない、国民のため、視聴者のための放送をしろ」とそのスピーチを締めくくったのである。この教えは、今のNHKのアナウンサー全てが肝に銘じていることであり、私は引き続き後進も含め、広く社会に対しても語り継がなければならないと思っている。

以上 
(戸村良雄・記、小林慎一郎・写真)