( 2010/7/9 )


DFエコ講座「里山・里海を世界に発信」

あん・まくどなるど(Anne McDonald)さん を講師にお招きし、「ディレクトフォース環境部会・環境学習分科会/自然環境保全分科会」の主催、「湘南ひらつか・ゆるぎ地区の活性化に向けた協議会」と「エコピープル支援協議会」の後援で、DFエコ講座「里山・里海を世界に発信」が、7月12日開催されました。当日の会場は日本土地建物12階大会議室で、113名というかつてない多数の方が参加され大盛況のうちに講座が行われました。

主な内容は次の通り。



[講演内容]エコ講座

あん・まくどなるど(Anne McDonald)さんは、日本の環境問題を語る上では、極めてユニークな経歴と視点の持ち主です。

カナダ出身で、1991年ブリティッシュ・コロンビア大学卒業の後、高校・大学時代に留学経験がある日本での農村暮らしを経て、日本国内の農山漁村を北海道から沖縄まで(そして、海外の農村を)歩き、どっぷりと現場に入り込んで体験取材して、数々の著作を発表されています。現在は「国連大学高等研究所 いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット」所長。ほかに「立ち上がる農村漁村有識者会議」委員(内閣官房)、「全国環境保全型農業推進会議」委員(農水省)、(財)全国漁港協会理事なども務めるかたわら、県立宮城大学、上智大学で環境歴史学を教えています。

「環境歴史学」は1970年代にアメリカのロディック・フレイザー・ナッシュ博士が提唱した新しい学問分野で、「人間がどのように自然界を変えてきたのか、影響を与えてきたのか。また自然界の変化に人間社会はどのように対応してきたか、しなかったか」という人間社会と非人間社会の関わりの歴史を考察しようとするものです。ちなみに、あんさんはAPU(立命館アジア太平洋大学)大学院でのアサヒビール冠講座の講義録を訳した『環境歴史学入門』を、ASAHI ECO BOOKSで出版されています。

 

あんさんによれば、環境歴史学的な考え方は日本ではまだまだ根付いておらず、環境問題を考えるとき、どうやってきたかには目を向けないで、現在と未来にだけ問題や解決案などを追求する傾向が強くある、といいます。

だから、あんさんは里山里海について、<古い頃はよかった>とは言いたくない、という。里山や里海は、美しいだけでなく、それを維持管理してきたことについては、たくさんのエネルギーと時間が必要だったし、人の智慧や営みの歴史があったはずであり、それに目を向けたいからです。

その事例が、あんさんの日本での体験取材にもとづく何枚もの印象的な写真で紹介されました。あんさんは日本の農村の農業者や職人として生きてきた明治大正生まれの人たちの生活史を根堀り葉掘り聞き出し、民俗学的な手法で現地調査(フィールドワーク)してきましたが、それは彼らの生活(人間社会)と自然界(非人間社会)との関わりを明らかにする環境歴史学そのものでもありました。

 

エコ講座

あんさんが取り上げた事例の主なものをざっと紹介します。始まりは、こうでした。

  • 熊本のイグサづくり:熊本のイグサの生産量は日本一ですが、ほとんどが手作り。近代化されない農耕文化に接し、作業の中で、明治生まれの老人が話す日本に興味を感じる(あんさんは1988年、文部省の奨学生として熊本大学に1年間留学していました)。
  • 長野県信濃町:翌年卒業後、長野県上水内郡信濃町の農村塾「黒姫・富夢想野塾」に参加。信濃町は戦後の、結局は失敗におわった開拓村。農政に右往左往させられながら、あまり希望も無いのに精一杯生きる人たちの自然観、哲学に興味を持つ。92年塾卒業。

あんさんはこの頃から、全国の農村を、ダイハツミゼットに寝泊りしながら回ります。流氷が流れてくる北海道からマングローブ林のある沖縄まで日本列島の季節や人々の生活の多様性、生物の多様性を現地調査(フィールドワーク)しようと、日本の海岸線の全踏破に取り掛かります(現在までに、ほぼ8割達成とのこと)。

  • 宮城県松山町:県立宮城大学で教鞭をとることになったのを期に、日本の農村を1ヶ所にとどまって現地調査しようと、宮城県松山町(現大崎市)に昔からの家屋を借りて移住し、環境保全型農業に取り組む。農業は、農業者だけの問題ではなく、環境の問題であり、国民みんなの問題である。また、<エコファーマーは変わり者、一匹狼>という時代ではもはやなく、一般の農業者をどんどん巻き込んでいかなければならない段階と考え、松山町の農業研究会で、生産者同士の地産地消、減化学肥料の酒米作りを一緒に始める。
  • 大崎市田尻:化学肥料や農薬を減らし環境保全型農業を、ということで、水辺の生き物に眼が行き、「冬水たんぼ」を実践。有機農法の田んぼで、冬季に水を張ったままにしておくと、乾田とは違った生態系が生まれ、生物多様性が保全され渡り鳥の餌場になる。湿原を守るラムサール条約運動のなかで、韓国との交流も生まれている。

エコ講座2008年、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長に就き、石川県金沢市に移住。加賀・能登の里山里海に注目するともに、それまで住んでいた北日本(宮城県大崎市)と文化的にまったく違うことに気付くことになりました。

  • 白山の焼畑:焼畑農業は、水田稲作以前からの日本の農業の原型。山地斜面を伐採し火入れを行うことによって耕地化。1ヶ所の畑で、あわ、ひえ、マメ、蕎麦など年ごとに異なる作物の栽培を4年間続け、その後20〜30年ぐらい土地を休ませ、森林の復元をはかる循環型農業。5年、10年、30年、60年という長期サイクルで管理している。
  • 能登の塩田:球洲市仁江町に徳川時代から続いている揚浜式塩田。海水を汲み上げて砂に付け天日で乾燥濃縮する方式で、風、日照、雨、空気の湿度などの自然の恵みよる人間の営み。好天が4日間続けば質のいい塩が作れるのだが、「最近は、気候が読めなくなった」という。
  • 舳倉島の海女:現在も、20歳から93歳まで200名ほどの海女がいる。女性が潜るという伝統的な漁法で、新しい器具・技術を取り入れるかどうかについて、(今の海女さんも覚えている)大激論があった。ゴーグルを取り入れたのは明治期だが最初は規制していたし、戦後になってのウエットスーツは着用の時期や時間を制限している。空気ボンベは導入していない。つまり、資源管理のために、どこまでやったよいかを共同で取り組んできた。

あんさんは、里山や里海で暮らしてきた人たちは変化があるなかで適応し、自分たちも変化を起こしてきた。人間の手を入れてはいけないのではなくて、どこまでやっていいかを考えてきた。また、里山や里海は、昔のままにそれを取り戻すのではなく、そのなかのいいものに学べば21世紀モデルになる、と言います。

ちなみに、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次評価報告書で、「ここ50年に現出した温暖化などの気候変化は人為的原因による」ことが90%の科学的確実性で明らかにされています(あんさんは、第3次と第4次の評価報告書の政府レビューに関わっています)。

 

エコ講座

そのなかで、里山里海は、生物多様性を守りつつ持続可能な方法で生態系と私たち人間の生活を維持する試みとしてとても重要な意味を持っています。

ただし、里山や里海に住んでいる人たち、つまり、環境の維持管理者は人口減少や高齢化が進み、農業形態や生活様式の変化が著しく、人間活動が縮小することによる危機が広がっています。あんさんは、対応策として「移民」を活用することも考えられると提案します。日本の農業漁業に関しては、外国人研修生制度はあるが、彼らは日本国籍が無く就業者にはなれない。日本の風土保全は日本人だけがやるべきなのかどうか、考え直してもよいのではと。

あんさんは、里山里海で生物多様性や生態系の価値を損なわずに、自然資源を活用することが求められていて、そのためには人材の育成や研究者の協力が必要だといいます。そして、珠洲市など地方自治体では多くの人に参加してもらおうとする取り組みがなされていますし、環境省や大学のいろいろな取り組み、研究者ネットワークなどが進んでいます。国連大学高等研究所も、「SATOYAMAイニシアティブ」を環境省と一緒に推進しています、と紹介しました。

(環境学習分科会 中條俊

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