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2011/01/16(No93)

都市と近郊住宅地の樹木の総量を増やす身近な環境対策

石川 通敬

石川通敬氏 昨年10月私は古稀を迎えた。これを区切りに60歳代の生活を見直し、何を止め、何を残る時間に使いたいのか考えた。その中で是非取り組んでみたいと思ったのが、「都市と 近郊住宅地の樹木の総量を増やすためのボランティア活動」である。

私は子供の頃から庭や園芸が好きたったが、40年前から都市と近郊住宅地の樹木に強い関心を持つようになった。契機はニューヨーク駐在である。初めての海外生活で、見るもの聞く物全て珍しく感激したが、アメリカの緑の豊富さには圧倒された。東海岸の都市と住宅地を埋め尽くす大きな樹々と広々とした芝生は、この世の物と思われぬほど美しく、感動した。その中でも印象深かったのは、公園のように整備された中を貫くパークウェーである。マンハッタンの北部の郊外に張り巡らされた多くのハイウェーが、1930年代に造られたと聞いた時、アメリカがいかに時代の先を行っているのかと驚き、敬服した物である。

帰国後もしばらくは大きい木が恋しくて、新宿御苑、砧公園や目黒の国立自然教育園に家族でよく出かけた。以来日本の都市と近郊住宅地の樹木を、関心を持って眺めるようになったのである。観察するうちいろいろな疑問が湧いた。例えば何故緑豊かな立派な木を、無残に枝と葉を極限まで切り落とし、丸太棒のようにするのか。学校や工場のように充分敷地があり、危険性もないと思われるところにある木を、定期的に刈り込み大きく育つのを押さえ込むのか等枚挙に暇がない。

日本は世界有数の森林を保有する国である。京都をはじめ全国には世界に誇る日本庭園があり、神社には鎮守の森が残っている。世界の大都市と比較して貧弱と言われる公園も、本田静六と言う偉人のお蔭で全国に西洋科学に基礎をおく公園が造られている。最近では里山と言う概念を世界に発信する動きもある。そうした事例からみて日本人は、樹木の価値がわからない国民でないことは明白である。しかしながら都市と近郊住宅地においては、辛うじて残っている樹木を、無神経に伐採したり、刈り込む行為が放置されている。

私は2年ほどDFを休会していたが、近々復帰して、70歳代テーマとして「都市と近郊住宅地の樹木の保全による緑の総量の増加問題」をDF有志の方とお話ししたいと考えているところである。

(いしかわ みちたか ディレクトフォース会員、元三菱信託銀行)

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