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2011/09/16(No109)

「よく考えてみれば不思議な話」

    相撲取りとあのフランクリンがせり合っていた?という話    

櫻井三紀夫

筆者の写真世の中には「よく考えてみれば不思議な話」が沢山あるが、ここでは一つ「相撲取りとフランクリンのせり合い」を取り上げてみる。

何が不思議かと言うと ‥‥ 。フランクリンは、かの有名な雷の実験をやって、雷は電気であることを世界で初めて証明したアメリカ人であり、その後、アメリカ独立宣言に署名している政治家でもある。

一方、日本には江戸時代に「雷電為右エ門」という歴代最強といわれた相撲取りがいて、大関(今の横綱に相当)になっている。雷電と名乗るからには、この人は雷が電気であると知っていたように見える。日本人は、フランクリンよりも前に「雷は電気」と知っていたのではないだろうか?

このこと自体が不思議なのと同時に、今まで話題に上らなかったことも不思議である。

フランクリンが雷の実験をやったのは1752年。一方、雷電為右エ門が雷電と名乗った時代、出雲藩お抱え力士は代々「雷電なになに」と名乗る慣例ができていて、為右エ門の先代に「雷電為五郎」という人がいた。1760年には雷電と名乗っている。つまり、フランクリンと雷電は時代をせり合っていて、フランクリンの実験の方が僅かに8年早い。アメリカでのフランクリンの実験が鎖国の日本に伝わるまでに、当時の時間スケールでは、10年くらいは掛かったであろうことを考えると、雷電は日本で独自に雷と電気を組み合わせたと推定される。彼は「雷は電気」を知っていたのであろうか?

雷電 フランクリン
雷電為右エ門 ベンジャミン・フランクリン
雷実験

日本で電気といえば、まず、平賀源内のエレキテルを思い出す。しかし、源内のエレキテル実験は1776年である。出雲藩がどうして「雷電」という名を考え付いたか不思議である。

いったい真相はどうなのか?これを読み解くには、幕末に様々な分野の学識者が外国語の漢字翻訳作りに取り組んだ仕事を振り返る必要がある。話を「雷電」に限定すると、以下のような真相が浮かび上がってくる。まず、「雷」はもともとイカヅチで、カミナリの「音」を表す。「電」はイナヅマで、カミナリの「光」を表す。つまり、雷電はカミナリの音と光である。為右エ門が「雷は電気」と知っていたわけではない。その意味では、相撲取りはフランクリンとせり合ってはいなかった。

それでは日本でなぜ、フランクリンが「カミナリはエレクトリシティ」と証明したエレクトリシティのことを「イナヅマの気」=「電気」と言うようになったのか?

「電気」という言葉は、中国で英語から漢語訳されたものが日本に輸入され定着したものである。

アメリカ人の D.J.McGowan(マックゴーワン)という宣教師が1850年前後に、電気関係の翻訳語を作るため、実験を見せながら中国人の語感に合う言葉を決めていった。エレクトリシティは最初「雷電之気」と言ったが、放電の光が印象強かったため「カミナリの光=電」が残り、「電気」になった。

電気という言葉の日本での初登場は、1854年ロシアのプチャーチンと交渉した日本人通詞の日記に記載された「電気線」「電気機器」である。これで、「電気」という言葉が定着した。

外国語の漢字翻訳語については、日本で作られて中国語に取り入れられた言葉も多く、日中両国の学識者の総力が結集された形になっている。翻訳語作りにあたり、学識者が外国語と漢字双方の真の意味と背景をきわめて深く理解して言葉作りをしていたことは驚嘆に値する。

ということで、雷電為右エ門がフランクリンよりも前に「雷は電気」と知っていたかという疑問が外国語の漢字翻訳語作りという文化事業の深淵を垣間見せてくれた。

「よく考えてみれば不思議な話」を見つけ出すこと自体が、新しい知見、思想を発見する第一歩だということがわかる。

参考文献1)八耳俊文著「誌上科学史博物館」(九)「電気のはじまり」

さくらいみきお ディレクトフォース会員、元日立製作所