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2011/08/16(No107)

松下幸之助語録「世間は正しい」を考える

中 博

筆者私は月に1、2回地方に出かけ、中塾と称し、若い経営者を集め「松下幸之助の経営論」を中心とした講話を行っている。この中で松下さんの悲惨ともいえるきわめて厳しい少年時代のことを必ず語ることにしている。松下さんは9歳にして丁稚奉公に出され,自転車屋で働くことになる。その折に数々の寓話を生み出す。その一つが「タバコ買いだめ事件」である。自転車屋では修理を待っているときに客から突然「ぼん、タバコ買って来てや」と声かけられることが多い。当然一番下の幸之助さんが行くことになる。そのたびに手を洗い、出かける。いくら丁稚とはいえ面倒である。そこで松下さんは考えた。「まとめて買っとけばいい」、名案であった。さらに20個買えば1個がおまけでついてきた。5%の利益が出る。タバコがすばやく出るから、客にも大好評、一石二鳥である。

しかしここに落とし穴があった。この5%の利益はばかにならない。給金の25%になることもあった。周りの従業員たちが騒ぎ出した。「あいつだけがいい思いをしている」。

主人からも諌められる。「幸吉さん、止めときや、周りというものがある」。松下さんは渋々このタバコ買いを止めることになる。

幸之助さんはこの時気づく。「自分が良かれと思ってしたことでも、時に世間から見たらあかんこともある。自分の都合ばかりで世の中はうまくいかん」。そしてその後「世間は基本的に正しい」という考えを松下電器の経営の中で徹底していくことになる。

この「世間は正しい」というテーゼは私が松下電器に在籍中にも何回か耳にした。二重価格問題ではこのテーゼに従い、世論に屈し?価格表示を撤廃、標準価格という奇妙なものが生まれた。このころから私は日本の世論というものに疑問を感じ始めた。

「大衆は賢明であるとともに、愚かでもある」という言葉がある。歴史には多くの事例が散見される。マリーアントワネットは歓喜の声でパリに迎えられたが、30年後パリでギロチンに露と消えた。英チャーチルは独との戦いで英国民から限りなくエールを送られたが、肝心の大戦後の大事な時に英国民に捨てられた。ヒットラーについては何も言うことはないだろう。しかし歴史を詳細に見ればヒトラーはきわめて合法的に、世論・民意に従いながら独裁者になった。世間は正しいを基本としている。

私はだから一時、松下幸之助さんといえでも間違った考えは当然あるものだと密かに思っていた。しかしこの人はまさに融通無碍、変幻自在。幸之助さんの松下電器における意思決定の基本スタイルは、「衆知独裁」にあることに気が付いた。いくら世間が沸こうとも、全ての役員が反対の時でも、松下さんは「我、一人行かん」の決断をすることがある。この衆知独裁はオーナー企業の基本中の基本といえる。

企業経営者、組織リーダーにとって「世間は正しい」という前提でもって判断できるのは、平常時であって、大きな変曲点もしくは危機的状況にあっては、その本質を見極める必要があると思う。そしてその判断ができる者こそ本物のリーダーといえるのではないだろうか。

なかひろし ディレクトフォース会員、元 松下電器産業、現 中塾代表