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2011/06/16(No103)

「復興ボランティアの記」

田中 健一

田中 健一氏毎日家にいて東電のもたつきに苛立っているよりは被災地で汗をかこうと思い立ちました。混乱しているので暫くボランティアは来ないでという空気はあったが、落ち着き始めた4月12日になって友人と2人で石巻に行ってきました。

夜行バスで仙台へ。東北道も傷んでいて時々の衝撃に眠りを覚まされる。レンタカーで石巻へ向かうが、道は自衛隊や工事の車両、日本中のナンバープレートで溢れていました。

ボランティアセンターで登録。名簿は20代、30代ばかりで恥ずかしさを感じつつ71歳と書きこみながら、「歳をくっているので軽労働はありますか」と聞くと「ありまへん」。なんと阪神大震災経験の大阪市役所派遣のお役人。仕事はすべて個人住宅の泥出しと廃棄家具の集積所への運搬です。到着順に年齢、性別関係なく15人位のグループを作って一輪車、スコップなど七つ道具を渡し、「車何台ありますか皆乗れますね。ナビ付いていますか。この住所で家主さんが待っています。希望される作業をしてあげてください。終わったらここへ戻って次の指示を受けてください。では行ってらっしゃい」という調子。

ボランティアセンターの石巻専修大学
ボランティアセンターの石巻専修大学
津波到達時刻で止まった時計
津波到達時刻で止まった時計
被災地現場にて
被災地現場にて

阪神大震災で拙宅は全壊したが、当時と今回とでは景色が大分違う。石巻は死者、不明者5千人超という最大の被害を出した町だが、津波が来なかった地域では見た目はなんともなく、また津波の波頭がぶつかった所と単に浸水を受けた地域とでは景観に大差があります。

最初に行ったのは被害が大きい地域で、まるでさっき水が引いたばかりというように家は大きく傾き、車や船が折り重なってテレビで見る通りの光景だった。ボランティア作業の対象は3階建のマンションの1階で、建物は大丈夫ですが天井まで泥で埋まっていました。近くに魚の倉庫でもあったのか家中腐乱した魚で満ちていて臭気が強烈。病院勤務中で助かったという住人は「この臭いではすべて使い物にならないから捨ててくれ」とあっさり言われます。泥水をたっぷり吸って腐り始めた畳やふとんは信じ難い重さで、畳は4人でないと運べない。3DKを片付けるのに14人で1日かかりました。

感心したのは女子のがんばりで、一見かわいい子なのに力仕事で男子にひけをとらない。男女を区別せず、仕事を割り振る理由がわかりました。

夜は被害を免れた松島の安宿に投宿。最初はテントも考えたが、お風呂で腰を伸ばさぬと翌日がきつかろうと宿屋にしたのが大正解。なにしろへどろが乾いた埃がすごくて、工業用のマスクや眼鏡をしていても、のどや目が真っ赤にはれて痛み、風呂がないともっときつかったと思う。自衛隊が折りたたみの風呂を提供していて市民が列をつくっていました。

こうして丸3日、類似の作業で我が子より若い皆さんと共に気持ちの良い汗を流した。石巻は仙台から45kmという近さもあり、1日に600人のボランティアが集まるそうだが、それでも片付けるのは50軒がやっと。手伝い必要先は1千軒以上とのことだし、我々が帰る頃は宮古などでもボランティア受け入れが始まっており、まだまだ出番はありそうでした。

当初ボランティアを申し込んだ際は、滞在期間中の水、食糧、燃料はすべて持参せよ。排泄物は自己処理せよ。ヘルメット、安全靴等完全装備でなどと厳しい注意書きが送られてきましたが、今はコンビニにも商品が揃い、長靴ゴム手袋などの装備はボランティアセンターで貸してくれるので、DFの森林保全活動の際の装束で十分ですし、仕事のきつさも似たようなもの。被災された方は大変喜ばれるし、新幹線も動いたので気軽に参加されてはいかがでしょう。

連絡先は各自治体のホームページにありますが、石巻ボランティアセンターの電話は

  • 0225-23-6011です。

たなか けんいち ディレクトフォース前代表理事、元東レ、蝶理

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