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(2013年2月27日)

一般社団法人 ディレクトフォース 2月勉強会

テーマ:「むら社会か、国際か、これからのニッポンは?」

講師2月の勉強会は、2月18日に学士会館で会員約130人が参加して開催されました。

今回は、DF会員で流通経済大学教授の David Shapiro 氏を講師にお迎えし、「むら社会か、国際か、これからのニッポンは?(偏見に満ちたアメリカ人の日本論)」というテーマでご講演頂きました。

Shapiro 氏は、大学卒業後に米国のみならずハワイ、東アフリカ、フィリピン等で仕事をされたご経験をお持ちで、様々な分野の企業、組織で役員、コンサルタント、アドバイザーとして活躍されてこられました。

現在は大学で英語、異文化、コミュニケーション、演劇などの講義をされていらっしゃいます。新聞・雑誌でもビジネスや社会問題など多岐に亘って見解を述べておられます。

今回のお話は、日本人がひきずる「むら社会」の文化や習慣が日本の国際化進展のネックになっている、更には日本が直面する課題である経済発展、エネルギー問題、高齢化などについてグローバルな視点で考え、対応すべきであると歯切れの良い見解を示されました。詳細は次のとおりです。

1.日本企業がめざす国際化の建前と本音

日本企業は30数年前から国際化の方針を打ち出し色々工夫してきたが、未だ未だの感がある。バブル崩壊以前、金融機関は外資系企業と取引を増やし国際化に対応しようとした。外資系との付き合いを深め、先方のニーズを把握し、それに応えられる仕事をすることによって自社にプラスの取引を勝ち取るのが筋書きだった。それを本格的に行うためには国際スタッフを本社に置くことが必要で、本社に外国人を採用し育成しながら組織にも融和させ、やがて貢献してもらうというイメージであった。バブル崩壊によってそれが空想に終わってしまったケースが多い。そもそも外資系企業に役立つというのが建前だったようだ。外資系を本格的に扱う能力があったとはいえないし、外資系と競争し合って本来の金融機関の顧客に文句を言われたくはなかった。結局、苦労もリスクも少ない、小手先で取れるシンボリックな取引が主であった。

2.日本の企業は「むら社会」

「むら社会」といっても批判ではなく、結束力、和を重んじる価値観、協力、阿吽の呼吸、「むら社会」を生き抜いた生存力など優れた点をもち、奇跡的とも言える戦後の経済発展を成し遂げた。反面として、「むら」の範囲を越えて外に出て行くことは容易ではない。よそ者を受け入れることも極めて困難である。必要なときには助っ人を雇って助けてもらうが、それが済んだら去ってもらう。

このような世界と知ったら、そもそも国際化という話が出来ないことになる。しかし、JRA(日本中央競馬会)のように「むら社会」の国際化の成功例がある。JRAは1981年、ジャパンカップという国際障害競走を設けた。日本競馬を世界の地図に載せる、競馬のレベルとファンの興味を上げる、質の良い種馬と繁殖牝馬を入手することにより馬のレベルを上げることをめざした。ジャパンカップ以外のレースも徐々に国際化させ、日本の競馬を世界トップレベルの標準に適合する国際的レースにすることに成功した。明治以降の「和魂洋才」という基本概念を近代的に適用した例のように思える。

3.80年代の構造変化とP.ドラッカー氏の見解

日本は戦後、国家という大きな「むら」を挙げて高度成長をなし遂げた。海外からはジャパン・インクなどとバッシングを受けたが、経済戦略は確立されたものであった。総生産量に比例してユニットコストが下がっていく経験曲線を上手く梃子にして、国内市場から世界マーケットへと高品質の商品を良い値段で提供し、世界の工場になっていった。

80年に入るとその成功を踏まえ、日本企業は更にシェアーを拡大しようと海外に直接投資を行う。地元生産その他のビジネス拠点を増やして他国マーケットに深く根を下ろそうとする、真のグローバル企業を目指す動きがあった。

ちょうどその時代から世界経済の構造的変化が見られるようになった。産業界では技術・知識集中型の新しい分野が急成長する。世界マーケットがボーダーレスになっていくにしたがって企業は新たな戦略を強いられ、グローバル化が進展すればするほど予測できないことが多くなり、経営者は瞬時の決断を求められることになった。このような世界的変化を予測していたP.ドラッカー氏は、将来の世界競争は国と国との関係ではなく、他国籍企業グループ同士の競争になると予言していた。グループ形態はいろいろ考えられるが、国家と文化の壁を乗り越え、速やかに変化に対応できる有能な人材を揃えた方が勝つ。日本のホウレンソウ方式ではスピードに追い付けない。モノ、金、情報だけではなく、日本企業は組織、人間そのものの国際化を図る必要があったがうまく進まず、その後バブルが崩壊し沙汰止みとなる。

以前から国際化に真剣に取り組んできた企業もある。例えば、パナソニック、資生堂、旭化成など。イーオンは、2020年までに世界全体の従業員の半分は外国人にする、取締役の3割を女性にするという大々的な変革を発表している。本当の勝負はこれからである。日本のビジネス界を見渡すと国際化はまだまだであり、これからが長い道のりである。

4.国際化を妨げる要因はなにか

日本企業に勤めたアメリカ人の一流MBAの例では、本人は企業に溶け込むよう努力し優れた提案も行ったが結局企業に受け入れられず失意のうちに辞めていった。国際化の大騒ぎの中でこれだけの人物を使いこなせなかったことに強い「喝!」である。彼の知り合いで、他の日本企業で似たような経験をした人たち全員が彼と同じ思いを抱いている。「むら」に歓迎された筈なのに中に入り込めなかったという。

この理由は何なのか。コミュニケーション手法、その背景にある価値観の相違、文化そのものにネックがある。日本人はコミュニケーションが上手すぎる。「以心伝心」「腹芸」「よきにはからえ」「一を聞いて十を知る」「阿吽の呼吸」の世界。但し、このコミュニケーションが成り立つためには、お互いの常識、情報、価値観を共有していることが条件になる。外国人と一緒に仕事をするには、彼らの考え方、文化的背景、価値観を理解したうえで、会社のことは会社のことばを使って説明する必要がある。お互いのミスコミュニケーションが度重なると相互の不信感、嫌悪感、偏見を強める結果となる。

5.海外においても「むら」を引きずっている

ニューヨークの日本料理店でのこと。客のすべてが日本人グループ。大声で日本語を話していた。話題は会社、仕事、上司の愚痴、麻雀、ゴルフ。30年前と変らない風景を眼にした。彼らは海外においても「むら社会」の中にいる。海外拠点で国際人材を育成するためには、朝から晩まで会社にいるだけでなく、地域社会に溶け込んで文化を身に付ける貴重な機会としなければ勿体ない。以前は日本人だけで会議室に籠って日本語で会議していた。今では現地人を加えて、英語で会議する例が多くなったようだが、どこまで本音であろうか。

6.国際的な人材作りと日本の教育

子どもたちは世界の舞台で多国籍企業と対等に渡り合えるような教育を受けていない。問題はいろいろあるが、小さい時から大学にいたるまで受身の教育を受けていること。自分で考える、自分のアイディアや意見を発信する場が極めて少ない。これでは創造性、イノベーション、問題解決能力は期待できない。

外国語が話せるようになったとしても、異文化の人と親しく話すためには、自分自身が生まれ育った社会の現状、その背景となる歴史、文化、文学などについての知識がないと話しが出来ない。その点での教育も十分とはいえない。

良い話もある。大学で国際教養学部設置の動きが出てきたこと。最初に設けた日本のとある大学では日本人と留学生とが半々ぐらいで、授業は英語という良いプログラムが生まれている。卒業条件として1年の海外留学が必須とされており、良い文化交流ができて国際的な人材育成に役立つと期待できそうである。ただ、大学自体は依然として「むら社会」である。国際教養学部創設に貢献し、日本社会に溶け込もうと努力して学部長になり、周辺からは学長を嘱望された有能な外国人、外国国籍を生かしきれず、結局貴重な人材を失ってしまった。大学組織自体の国際化が一番遅れている。

7.「頼りにならない外人」を本丸に受け入れられるか

企業が外国人を本丸に受け入れることは容易ではない。「外人は頼りにならない」という先入感がある。しかし有能で良心的な人は見つかるはず。これらの人がなにを望んでいるか理解することが大事になる。彼らは肩書きやお金よりも自分が勤めている企業のパートナーすなわち運命共同体の一員となること、自分をフルに生かせる場を得ること、努力と成果を認められること、その会社の戦略、プランニング、意思決定に十分参画できることを求めている。これを実現しようとすれば、企業は人事考課、昇格条件、給料体系など様々なシステム、社風を含め経営改革を強いられることになりかねず大変なことである。これを解決する道がどこにあるのか難しい問題である。但し、異質のものを積極的に取り入れることの利点がある。

「以心伝心」によってコンセンサスができることが、絶え間なく変化していく世の中ではベストとは限らない。なぜそうなのかと理論にこだわる外国人などの存在が重要といえる。

8.これからの日本経済

日本の底力は衰えていない。昨年の政権交代後、状態は何もかわっていないのに経済活性化という言葉だけで為替、株が上がるなど重要な動きが起きている。これが継続的な経済回復に繋がるのか、アベノミクスによってそのための環境づくりが本当に出来るのかがこれからの課題である。政府は公的資金を使い公共投資によって経済に刺激を与えるとしているが、問題はその資金がどのような形で、どこに流れ、その結果として民間の潜在的活力を促して将来の経済発展に繋げられるかということ。ただし、その公共投資がダム、原発、目的のない多目的ホール、スカイツリー2に使われるのなら意味がない。若者雇用の新たな場を生み出す、将来に繋がる分野に向けるべきである。

9.エネルギー問題

3・11から2年経つが、未だに原発再稼動、新規建設の議論が続いていることは驚きである。自分の研究によって原子力を可能なものにしたアインシュタインが、「こんな技術を人間の手に渡すということは、3歳の子どもにカミソリを握らすのと同じことだ」という名言を残している。確かに原発廃止には問題が多い。54機の原発資産がゼロになる、電力会社・関連会社・下請け会社のダメッジ、メインバンクへのインパクトも相当なものとなる。また原発を解体して安全にするコストや時間、技術開発も大変である。

再生可能エネルギーに問題がないわけではない。環境への影響など様々な問題が絡む。とはいえ、原発続行という結論は不合理で、不誠実といえる。コスト、安定的電力供給などすべての問題について詳しいデータを付けてテーブルの上におき、国民の目が届くところで議論し、国を挙げて原発から再生可能エネルギーへの転換のロードマップを作るべきではないか。

10.脱原発、再生可能エネルギーへの転換は大きなビジネスチャンス

日本の原発は54機であるが、世界にはこの10倍が存在する。遠くない将来に人類が原発の危険から脱して再生可能エネルギーへの転換を求めることは確実であろう。これに応えられるノウハウと技術を蓄積し、経験を積んでいけばビジネスチャンスとなりうる。ソーラーパネルなど再生可能エネルギーに関して日本の技術はどこにも負けないだろうし、水力、風力、地熱などエネルギー資源も存在する。今からでも遅くはない。これらを生かすよう取り組み、新たなビジネスチャンスとするべきである。

11.高齢化の問題

高齢化が進むにつれて、それに向けた新しい治療法、薬、器具、ケアシステム開発などを通じてマーケットが拡大すると予測されている。その背景にはある種の偏見が存在する。それは、全国の病院が老人で溢れ、国の財産を食い潰しながら治療を待つというイメージである。

しかし、高齢は人間の中身を定義するものではない。高齢者だから年寄りになる必要はないし、なってはならない。人生120年とも150年ともいわれるとき、60歳になったからと還暦の赤いチョッキを着ることはやめる。社会が高齢化するということは、高齢者が一段と活躍し、税金を納める社会作りを目指せばいいことではないだろうか。定年で若い人たちにバトンタッチするのも場合によっては大事かもしれないが、そこから本領を発揮すればいい。

ディレクトフォースの皆さんは、長年の国内外での経験、蓄積したノウハウ、技術、語学力、商売の勘、大組織のなかで実現できなかったアイディアなど沢山持っていると思う。若い人、女性、国籍の違う人を入れて上手く融和させながら新たな道を切り開く可能性を秘めているのではないだろうか。

「むら社会」は本質的に守りの姿勢が強く、変化に抵抗し勝ち。しかし、ボーダーレスの時代に通用するために今一度門を開き、新しい空気を入れるときが来ていることは間違いない。「むら」を変えるのは、今の若い人、次の世代に任せるのではなく長老がやるべき仕事である。

以上

懇親会で歓談するみなさん
懇親会の様子
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懇親会の様子
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懇親会の様子
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