一般社団法人 ディレクトフォース
サイト内検索 powered by Google
粋山会ロゴ

粋山会

登山同好会(2017年版)

世話役 中村 悠一

info_粋山会
矢印

2018年1月24日 更新

目 次

テーマ / イベント名 実施日
12月例会「鎌倉切通しハイキング」 2017年12月21日
11月例会「笹子雁ヶ腹摺山 〜 笹子峠越え道」 2017年11月17日
8月山行「花の白馬岳(百名山 2932M)を極める」 2017年7月31日-8月2日
6月山行「強風の中の那須連峰3山」 2017年6月2日-3日
5月山行「甲武信岳登山と甲武信小屋での雲上宴会」 2017年5月12日-13日
2月山行「大倉尾根から塔ノ岳と丹沢山へ1泊2日の山行」 2017年2月24-25日
1月山行「富士山と駿河湾の絶景を楽しむ」 2017年1月23日

2018年1月12日 掲載

「粋山会」12月度月例

「鎌倉切通しハイキング」

  • 日程:12月21日(木)
  • 行先:鎌倉・名越切通し及び衣張山ハイキングコース
  • 参加者:福本、築地、柳瀬、中重、満岡、成田、間、正田、三木、岡田、立石、
    佐々木、平井
(クリック拡大可)

当日は、数日前の天気予報が「雨」だったのが、参加者全員の祈りが通じたのか当日は「晴れ」に変わって気温12度の暖かい1日に。JR鎌倉駅に10:30に参加者13名が全員集合し、近くの生涯学習センターにて出発前ミーティング。ここでコース概要、安全上の注意などを話し合いスタート。

先ずすぐそばの「本覚寺(ほんがくじ) ❶」(日蓮宗、夷堂で有名)で安全祈願。次いでこれも日蓮宗の「 妙本寺(みょうほんじ ) 」の前を過ぎて小路を南へ歩き、「ぼたもち寺」や「八雲神社」を横に見て通り抜け、北條政子の法名である「安養院(あんよういん )❷」(浄土宗)へ。ここで古い大きな「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」を見学。少し行った角を寄り道して上を見上げると、安養院の山の際が台風で崖崩れを起こしており、このブルーシートが目に鮮やか(あとでこのブルーシートが衣張山頂からの目印に)。

(クリック拡大可)
粋山会画像
北條政子が眠る安養院の門前にて全員
北條政子が眠る安養院の門前にて全員 名越切通しへの山道の紅葉
(クリック拡大可)
名越切通し

次に「安国論寺(あんこくろんじ) ❸」(日蓮宗)ここは日蓮が籠って「立正安国論」を書いたと言われている。そして、横須賀線の踏切を渡って暫く歩くと、日蓮が杖を地面にトントンとすると水が湧き出た「 日蓮乞水(にちれんこいみず) 」の井戸。更にもう一度踏切を渡るといよいよ鎌倉七口のひとつ「名越(なごえ) 切通し❹」への山道に入る。鎌倉の隣で勢力を張っていた三浦一族に対する守りをこの切通しで固めたと言われ、狭いところで両壁の岩の間が1m程度しかない難所もある。「名越坂」として「吾妻鏡」にも登場する。

少し戻って「まんだら堂やぐら群❺」。土地が狭い鎌倉では、武士階級でも昔お墓を立てられず、13世紀後半から16世紀にかけて岩壁に横穴を掘ってそこにお骨を埋葬した。そのお墓が150以上密集している珍しい遺跡である。春と秋の年2回しか公開しないため、今回は柵の外からの見学となった。

(クリック拡大可)
まんだら堂遺跡群

そこから少し山道を下ると「お猿畠の大切岸(おおきりぎし)」。ここは高さ3〜10m、長さ800mに亘る岩壁が続き、昔から三浦一族に対する防御壁と考えられてきたが、近年の調査によると大規模な石切り場だったことが確認されている。

いよいよ「浄明寺(じょうみょうじ) 緑地❻」(子供自然ふれあいの森)でお弁当の時間へ。ここで13人の列が長大となって前の9名と後ろの4名とが離れてしまい、後ろの4名はそのまま眺望の素晴らしい「 衣張山(きぬばりやま) 山頂❼」へ登って昼飯となった。残りの8名は、トンビの攻撃に晒されながら暖かい日差しが降り注ぐ芝生の上でお弁当を広げた。

「衣張山」は鎌倉で5番目に高い山で120mしかないが、目の前の眺望は鎌倉市街、由比ガ浜、稲村ケ崎、そして江の島まで目の前に広がっていた。残念ながら富士山までは雲が掛かって無理だったが、遠く丹沢の山並を望むことができた。ここで先ほど寄り道して見た「安養院」の崖の色鮮やかなブルーシートが確認でき、思えばあんなに遠くから延々と歩いてきたのか、という実感が湧いた。

さていよいよ「平成巡礼道」を通って一気に下り平地の住宅街へ。なかなかの森林浴も堪能した。山道を降りきった細い道が「田楽辻子(でんがくずし) 」。近くに田楽師が住んでいたためこの名がついたそうだ。「辻子」とは小路のこと。

「田楽辻子」を暫く東に歩くと竹で有名な「報国寺❽」(臨済宗)へ。この寺内に入り暫し青々とした孟宗竹の見事な竹林と石庭を鑑賞する。

(クリック拡大可)
粋山会画像
お猿畠の大切岸前にて全員
お猿畠の大切岸前にて全員 華頂宮邸庭園にて全員

そこから南に200m歩くと「華頂宮邸(かちょうのみやてい) ❾」。伏見宮家の分家に当たる華頂博信が1914年(昭和4年)に浄明寺に建てた鎌倉の三大洋館の一つで、ほかに加賀百万石の前田家の別荘であった洋館は現在「鎌倉文学館」(長谷)に、日土地のオーナーだった 古我(こが)氏の別邸だった洋館は現在フレンチレストラン(扇ガ谷)として多くの人々に利用されている。

そしてバスが通る県道に出てすぐのところにある「杉本寺❿」(天台宗、二階堂)へ。ここは鎌倉最古の寺で、8世紀に僧行基が創建したと言われている。仁王門へ向かう人々が踏みしめて昇った為にすり減った石段は、ふくよかな緑のビロードの苔に覆われており、現在は通行不可となって保護されている。

最後に鎌倉で最も有名な「鶴岡八幡宮⓫」へ。ここで今日一日全員無事に戻って来たことを報告した。2010年の春に大風で倒れた樹齢千年の大銀杏の大きな切株の横でひこばえがすくすくと成長し、参詣する人々に安心感を与えている。既にお正月の準備が始まった八幡宮を後にし、暫し新装なった「段葛」を着物姿のお嬢さんたちを眺めながらそぞろ歩いて、一路「小町通り」経由打上げ会場の「居酒屋 尾崎⓬」へ。

(クリック拡大可)
粋山会画像
居酒屋・尾崎での打ち上げ風景
居酒屋・尾崎での打ち上げ風景

本来なら5時から開店のところ特別に4時に開けて貰って、生ビールの乾杯から宴会は賑やかにスタートした。先ずは相模湾の新鮮な「刺盛」。皆さん奪い合うように口に入れて舌鼓を打つ。早速焼酎のボトルを注文したり、日本酒の銘酒を頼む方も。いつもの常連客のように慣れた調子で食べ物をガツガツ食べ、凄い勢いで呑んでいく。「尾崎」名物の刺身、さつま揚げ、みそ田楽、野菜てんぷら‥‥ 、そして最後に焼きお結びで〆。大いに呑み食べ笑い、のあっと言う間の2時間でした。皆さん名残惜しそうに手に手に鎌倉土産も持って、JRに乗りこんで鎌倉を後にされた。

当日以降に寄せられました「鎌倉切通しハイキング」に対する皆様の感想は、「先ずお天気に恵まれたこと」「綿密な計画・企画力」「詳細な説明」「スケジュール管理」など評判も上々。「知らない鎌倉を十分味わえ、とても充実したハイキングだった」「打ち上げの『尾崎』でのお魚と熱燗が良かった」などのお褒めの言葉を多く頂きました。幹事としましては、皆様の絶大なご協力の賜と感謝している次第です。またいつでも鎌倉へ是非おいで下さい。

(文責:平井隆一)

2018年1月23日 掲載

「粋山会」11月度月例

「笹子雁ヶ腹摺山 〜 笹子峠越え道」

  • 日程:11月17日(金)
  • 行先:笹子雁ヶ腹摺山 〜 笹子峠越え道
  • 参加者 8名:柳瀬、正田、立石、築地、中重、福本、水口、浜口(敬称略)

【笹子周辺の歴史を想う】

◎笹子雁ヶ腹摺山‥‥ この地域には雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま)の名称の付く山が南北に3つ並び、この山はそのうちの一つで最も低く標高1,357m。その北東方向にある標高1,874mの雁ヶ腹摺山は、かつての500円札に使われた富士山の撮影地とのこと。

名前の由来は渡り鳥である雁のコースになっていたからのようですが、北国からの飛来、北国への帰路はこの辺りを南北に、或は東西に、どの方向で隊列を組んで行き来したのでしょうか。春になれば青空の下、北国に帰る雁の編隊を見てみたいですね。

◎甲州街道・笹子峠‥‥ (ウェブからの引用)徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約55里)を開通させました。

笹子峠はほぼその中間で江戸から約27里の笹子宿と駒飼宿を結び標高は1,096m。

峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が20頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、自害沢*、天明水等がありました(*自害沢:何となく恐ろしいネーミングですが、勝頼の家臣たちが自害した場所とか ??)。

この峠を往来した当時の旅人を偲んで、昭和61年2月12日、「甲州峠唄(作詞:金田一春彦、作曲:西岡文朗)」も発表されました。

◎スイッチバックでの難路‥‥ 旧国鉄中央東線と呼ばれる東京〜塩尻間には長大な笹子トンネルがあり、小仏、初狩、笹子、勝沼、韮崎、新府(しんぷ)、穴山、長坂、東塩尻の9つのスイッチバック式停車場が設けられ(後年の設置を含む)、初狩は明治41年(1908)7月に信号場として開設、1960年代後半複線化に伴い、スイッチバック方式は廃止。

(右図はクリック拡大可)

【山行記録】

  • 9時過ぎ、JR笹子駅集合❶、9時10分出発。青空にすじ雲が浮かぶ。
  • 国道沿いに40分歩き新中橋❷に来て、登山口の取りつきが判らず、小さな標識を見つけたところで5分ほど休み、10時10分ごろ登行開始。
  • いきなりの急斜面で、つづら折りの急登が連続、途中木立の合間から富士山が望めた。
    標高差約650mを2時間ほどで登り12時10分笹子雁ヶ腹摺山頂上着❸。
    (クリック拡大可)
    雁ヶ腹摺山山頂から八ヶ岳連峰を望む
    (12:43)
    雁ヶ腹摺山山頂(1,357.7m)にて
    (12:18)
  • それぞれお弁当を頬張る。富士山はすでに雲の中だったが、大菩薩の稜線、西には新雪の南アルプス連峰が遠望できた。
  • 12時40分笹子峠❹方面に向け下山開始。こちらも急斜面で転ばぬように注意深く下りる。
  • 1時間ほど尾根伝いに進み、1時40分ごろ峠の手前を谷筋に下る。落ち葉を踏み進む音が晩秋を想わせる。途中からは林道歩きとなり単調になるも、川向の斜面は広葉樹林帯で、名残りの紅葉が夕日に映えていた。
    (クリック拡大可)
    大和町へ向かい急坂が続く(13:00) 山麓は紅葉が真盛り(14:59)
  • 駒飼宿❺を過ぎて街に入り4時ごろ大和甲斐駅前着❻。駅前の「雅」にて無事下山を感謝し、ささやかな飲み会とする。
    粋山会画像
    甲斐大和駅前「雅」で打ち上げ(16:15)

【それぞれの峠越えの道】

  • 笹子峠は、江戸時代から明治にかけて甲州街道の要として、武将、商人、土地の人に利用され、歴史を刻んできたのでしょう。
  • 峠越えと言えば、昭和43年刊行 山本茂美著「あゝ野麦峠」副題「ある製糸工女哀史」を思い出します。
    (ウェブ引用)明治〜大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所、標高1,672mの野麦峠。かつて13歳前後の娘達が列をなしてこの峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かいました。故郷へ帰る年の暮れには、雪の降り積もる険しい道中で、郷里の親に会うことも出来ず死んでいった娘たちも数多い。
    明治時代の生糸の生産は、当時の輸出総額の3分の1をささえていました。
  • 明治時代、富国強兵の掛け声のもと産業勃興の一翼を担ったのが、繊維産業であり一部それを支えたのが、飛騨の村々での家族の別離とするなら、戦後高度成長期を支えた集団就職での家族・地元との別離とも共通するところがあるのでしょうか。
  • 北アルプスには、江戸時代から明治にかけて、牛の往来が盛んだった徳本峠、武将が越えたザラ峠など多くの往来の多かった峠がありますが、現在はAI活用、IOT、自動化、省力化などデジタル社会に入りつつあり、当時とはまさに隔世の感で、偶には山に登りリフレッシュして活力を保ちたい昨今ですね。

(文責:浜口治雄)

2017年8月12日 掲載

「粋山会」8月度月例登山

「花の白馬岳(百名山 2935M)を極める」

  • 参加者(敬称略)7名 蒲生邦道 正田良次 田中健一 成田嘉宏 福本昌弘 眞弓博司
    中村悠一(文責) 
  • 行程(予定)
    7月31日 南小谷(おたり)経由大糸線平岩駅よりジャンボタクシーで蓮華温泉ロッジ泊
    8月1日 白馬大池経由白馬岳登頂後、白馬山荘泊
    8月2日 白馬大雪渓を猿倉へ下り帰京
  • 実際行動 2日目の前半までは予定の行動であったが、雨も激しくなり、また、隊員の体調もすぐれず安全第一を考え、予定を変更し白馬岳登頂を断念し3日目に 栂池(つがいけ)へ下山となった
(右図はクリック拡大可)

1日目 7月31日(月)曇り

この所天気が不安定且つ台風5号の影響も判らず、登山をどうするか迷ったが最終の天気予報で曇り後晴れの予想であったので実行する事とした。

大糸線平岩駅に全員集合(成田さんは北陸新幹線で糸魚川より、他は松本経由)、迎えに来ていたジャンボタクシーで蓮華温泉ロッジへ約1時間のバス旅温泉ロッジで旅装を解き、早速露天風呂へ行く。

露天風呂はロッジから徒歩で約10分のところに三国一の湯、仙気の湯、薬師湯、黄金湯が4か所点在する。いずれも2m四方の脱衣所もない野性味あふれた秘湯である。おまけに男女混浴であるが、生憎?お目にかかれなかった。

隊員其々裸になり露天の湯を楽しんだ。ロッジの内湯(これは混浴ではない)も入りビールで乾杯、ロッジの食事を楽しんだ後早めの就寝をとり、明日からの登山に備える

(以下全てクリック拡大 )

蓮華温泉ロッジ前にて

ロッジでの出発式 蓮華温泉 露天風呂

露天風呂全景

タカネビランジ カラマツ草

2日目 8月1日(火)(2日目)曇り後雨

出来るだけ早く出発したいので朝、昼弁当を頼み朝弁をロッジで食べ、各自体操後、4時45分に出発 40分歩き5分休憩のピッチで快調に足を進める。

樹林帯の連続だが所々から眼下にロッジや露天風呂が見える。

途中「天狗の庭」で小休止をとり、雲で半分見え隠れする雪倉岳などの景色を楽しむ。

天狗の庭にて

ゴゼンタチバナの群落 可憐なミヤマナデシコ

森林限界をすぎ10分程度歩くと、略予定の時間配分で白馬大池小屋に到着(9時20分)。

大池の周りは雪渓と一面のお花畑、今年は例年に比べ雪が多く、一斉に花が開いたとのことでした。30分間の休憩後白馬岳の手前にそびえる小蓮華岳(2766M)に向け出発、時々青空も出、チングルマ、ハクサンコザクラ、コマクサなどのお花畑を楽しみながら歩く。途中の雷鳥坂では雷鳥のお出迎えもあった。

白山大池小屋にて

雷鳥の出迎え ハクサンコザクラの大群落
粋山会画像
ウサギギク

チングルマ

岩陰の花々 ウサギギク コマクサ

このころから天気が崩れ雨風が激しくなり雨具などを着用。「船越の頭」のピークをすぎ、12時35分に2750M地点まで達したが、これ以上の前進は隊員の体調を考えると無理と判断し元の白馬大池の山小屋に戻る事にした。

14時半には大池小屋に戻り、濡れた衣服等を乾燥室で乾かしビールで一息つく。

予約なしの山小屋泊となった為少しばかり窮屈な部屋割りとなり、いびき、寝言これもまた楽しい一夜でした。

翌日に再度試みる事考えられたが、各自の体調を考えると、翌日は下山する事とした。

3日目 8月2日(水)(3日目)晴のち曇り

真夜中に外に出ると満天の星空、下山日だが晴天が期待できる。

5時の朝食をとり5時半に小屋を出、登りに来た道とは120度違う乗鞍岳経由栂池への道を下る。太陽が昇るにつれて白馬大池に山の頂が鏡のように映しだされ一同その美しさに感動する。乗鞍岳(2437M)へは約1時間で着いたがごろごろ石の道で歩きにくい。ここからは遠く東南に五龍、鹿島槍が雲の彼方に近くには登頂を断念した小蓮華山、白馬岳の山を見る事が出来た。

白馬大池の雄姿

雪倉岳を望む 乗鞍岳の頂上で

一同 再チャレンジを心に秘め、栂池へ下る。

このころより次第にガスがかかり視界が悪い。途中雪渓をトラバースし歩きにくいゴロタ石の道が天狗原まで続く。

ゴロタ石の下り

乗鞍岳の雪渓

木道をすぎると雪渓からの水で道がぬかるみ滑り易い。9時15分には栂池ロッジにつき、汚れた靴を洗い一息付いた後、ケーブル、ゴンドラで一気に下界の白馬まで下る。

出迎えの車で「八方の湯」に行きひと汗流し、近くのラーメン屋で打上をする。運転手さん曰く「天候が悪く観光客はさっぱり」とのことでした。

打上の様子

感想

今回の登山は 初期の目的とは異なり悪天候の為途中で退却となったが今回の隊員の平均年齢(74.3才)を考えると無理は出来ず、安全第一の登山となった。昨今、高齢者登山の事故が多い事を考えると隊員の理解を得られた判断ではなったろうか。

しかしながら、その分以上に素晴らしい花々を堪能する事ができ、今までにない登山でした。一同 こんな楽しみもあるよねと感銘しました。

「山は逃げる事はなく、何度でもトライできる。決して無理はしない」の精神で今後の粋山会の活動を続けて行きたい。

以上
(文:中村)

◇ ◇ ◇

蓮華温泉

1617年(元和3年) − 上杉謙信が南西2.8 kmの雪倉岳の東山腹に雪倉銀山を開発し、明治末まで約300年採掘が行われた。その際に温泉が、発見されたと伝えられる歴史を持つ。温泉名の由来は、白馬岳の越中・越後側の名称・蓮華岳による。かつては猟師や樵に愛用され、やがて不便な山奥ながら湯治場として発展する。

1894年(明治27年) − 日本アルプスを世界に紹介したイギリス人宣教師・ウォルター・ウェストンが、この温泉に宿泊して白馬岳に登頂した。

蓮華温泉ロッジ 蓮華温泉の説明看板

2017年7月8日 掲載

「粋山会」6月度月例登山

「強風の中の那須連峰3山(茶臼岳 三本槍岳 朝日岳)」

  • 実施日:2017年6月2日(金)〜3日(土)(1泊2日)
  • 参加者:柳瀬 築地 中村 正田 江村 間 戸田(文責) 以上7名(順不同)
  • ルート:1日目 ①登山口 ⇒〈雷雨と強風〉⇒ ②峰の茶屋跡避難小屋(昼食)〈雷雨止み強風激し〉 ⇒ ③牛ヶ首 ⇒ ④姥ヶ平 ⇒ ⑤三斗小屋温泉(泊)
    2日目 ⑤煙草屋旅館 ⇒ ⑥熊見曽根 ⇒ ⑦三本槍岳 ⇒〈靄切れて眼前がひらける〉 ⇒ ⑧熊見曽根 ⇒ ⑨朝日岳 ⇒ ⑩峰の茶屋跡 ⇒ ⑪大丸温泉(風呂)

1日目 6月2日(金)

(クリック拡大 )

天気予報とは違って晴れ渡った空のもと、バス終点の那須ロープウェイ山麓駅から登山口まで、茶臼岳を見ながら舗装散策路を進み、10:00 登山開始。

途中ツツジ科の赤ヤシオとオオカメノ木の白い花を楽しむ。晴れていたのもつかの間、遠くで雷鳴が響き柳瀬さんの警戒器具は黄色を点滅、早く避難小屋までと急ぐ。ぽつりぽつりと雨になったのですぐ雨具を装着、完了する前にもう激しく風を伴って降り出す。雷鳴も近づき、先に進むか考えながらも前に進む。

3回目の雷は相当近かったが、もう逃げる場所はなく早く小屋に着く以外にない。

小屋は見えているがそこからの強風・突風で前に歩くこともできない。岩にもたれて風をよける。11:10、避難小屋にほうほうの体でたどり着く。

(以下全てクリック拡大 )

登山口からの展望

アカヤシオ オオカメノキ

我々と同じように、小屋に8名くらいの人が停滞している。少し予定より早いが雨風が収まるのを待つ間に昼飯を食べることにする。持ってきたコンソメスープ、コーンスープ、コーヒーで体を温めた。風の中では体感温度は5度を下回っていたと思う。

正田さん到着 茶臼岳北面@峰の茶屋跡

雷が収まったので先に進むことを決断し、所要で遅れてくる正田さんに計画続行の知らせと登ってくるのを待っていることを知らせる。

雨は止んだが強風はますます激しくなってきているようである。「あっ」正田さんが見える。

噴気孔@西側巻路 茶臼岳南西面@牛ヶ首

双眼鏡で確認。この風の中、1人ではさぞ心細かったのではと思う。無事合流し、一休みしてもらってから三斗小屋温泉に向かう。

茶臼岳(1897M)は登る予定を変更し、牛ヶ首に向けて、西側中腹を巻くように進む。ここは茶臼岳の噴気孔が左上に見え、硫化ガスの刺激臭が強く風の中でも鼻を衝く。

茶臼岳西面@姥ヶ平 ひょうたん池

牛ヶ首からの下りは茶臼を見ながら蒸気、噴煙を上げる無間地獄(むげんじごく)を右手に見ながらガレ道を進み姥ヶ平へ。姥ヶ平から見る茶臼岳は牛のようにがっしりとそびえている。

雪が残っているひょうたん池を散策し、緑深い山道を1時間半ほどで三斗小屋温泉煙草屋旅館に入る。 15:22着、予定の時間である。

旅館での夕食 露天風呂

露天風呂でゆっくりしたかったが今の時間は女性専用、仕方なく内風呂で汗を流す。

風呂上りビールで安全に来れたことと明日に向かって乾杯。夕食後露天風呂に入りのんびりしているところを写真にとる。部屋で持参の焼酎を飲みながら今日の1日をふりかえる。おやすみなさい。

2日目 6月3日(土)

朝食後7:00出発、大峠越えはやめ予定通り熊見曽根を登る。温泉の裏手には温泉神社があり、そこにはこの温泉がいつ発見されたか記述がある。1143年だったと思う。平安時代だということである。白い噴煙を上げる源泉地を横に見て急登を登る。周りはなにもみえないがそれでも新芽の緑が雨粒と一緒に輝いている。

温泉の源泉

コヨウラクツツジ アズマシャクナゲ

ところどころでシャクナゲの花を見る。鎖が付いた急登を登ると隠居倉の山頂、急に強い風に会う。足場の悪いガレ場があったり風に飛ばされそうになったりしながら周囲はほとんど見えない中を熊見曽根を越え、三本槍岳(1917M)に向かう。清水平という湿原を通り北温泉分岐、あと900mで三本槍岳、途中素晴らしいシャクナゲの群落、峯さくらの可憐な花を見ながら、9:44山頂に着く。

鎖場の新緑

熊見曽根のガレ場 熊見曽根

シャクナゲ群落

ミネザクラ 三本槍岳山頂

風が強く展望がきかないので早々に下山。北温泉分岐のところで温泉口から登ってきた人たちと会う。ここから帰ろうかという老婦人2人に「少し登るとシャクナゲの群落がきれいですよ」と教える。

三本槍岳(左)と清水平湿地帯

眼下に那須高原展望 朝日岳と茶臼岳 右遠方は高原山群

今日も風が強い、すごく寒い、気温は5度であるが体感は0度くらいに感じる。

北温泉に下るか予定通りに進むか、進むことに決め朝日岳に向かう。ふうふう言いながら熊見曽根へ登っていく途中パッと靄が切れ、目の前に素晴らしい展望が開ける。

朝日岳山頂 峰の小屋跡への下り道

左眼下に緑輝く那須の高原、前方にはこれから上る鋭い朝日岳(1896M)、茶臼岳が飛び込んでくる。感動する。朝日岳の登りはまた風の強い中の登りであるが展望が良いので苦にならない。

11:16登頂。あとは下りだけである。

朝日岳@峰の茶屋跡 前日難儀した道

昨日の避難小屋を経由し風で飛ばされそうになった道を下る。

天気が良いので緑が鮮やかである。

大丸温泉で汗を流し、バスに乗り那須塩原駅の平成館というお蕎麦屋さんで打ち上げ。

非常に厳しい天候の中無事終了できたことを参加者の皆さんに感謝。昨日は朝日岳あたりで遭難があったようであった。

打ち上げ@平成館

那須岳は風が強いということはわかっていたが、これほどとは思わなかった。強風の中、茶臼岳は残念ながら登ることはできなかったが、那須最高峰の三本槍岳、そして朝日岳に登ることができ、心に残った山行でした。

以上
(文:戸田 写真:間 中村 正田)

2017年7月3日 掲載

「粋山会」5月度月例登山

「甲武信岳登山と甲武信小屋での雲上宴会」

  • 実施日:5月12日(金)〜13日(土)
  • 参加者:蒲生邦道 正田良次 田中健一 築地美憲 戸田邦男 成田嘉宏 福本昌弘 岡田克己 以上8名(順不同)
  • ルート:西沢渓谷入口 ― 徳ちゃん新道経由で戸渡尾根 ― 木賊山 ― 甲武信小屋 ― 甲武信岳 ― 千曲川源流遊歩道ルートで毛木平
(クリック拡大 )

甲武信岳 ( コブシダケ ) の登山は昨年10月に実施したが、翌日が悪天候のため予定していた埼玉県最高峰の三宝山(2,483m)を登るルートを避け千曲川源流遊歩道を下ってきたため、再チャレンジの計画であったが、今回も翌日が風雨が強く、しかも膝まで埋まる残雪があるためルート変更して昨年と同様に千曲川源流を下るルートになった。

初日 5月12日(金)

新宿発7時30分のあずさ3号で山梨市駅に8時58分に到着。駅前から9時12分発の市営バスで西沢渓谷入口まで約1時間乗車。途中、富士山が見えるポイントや藤の花の自生している場所で徐行してガイドまでしてくれたのは田舎のバスの良いところだ。

広瀬湖が左に見えてきたら終点の西沢渓谷入口❶だ。10時15分到着、10時25分に出発。天気はよく、夏のような暑さで歩き始めるとTシャツ1枚でも汗がにじむ。

20分ほど先にある水洗トイレに寄り、装備を整え徳ちゃん新道の登山口に向かう。近丸新道登山口を過ぎると、現在は閉鎖している西沢山荘が見え、その手前に今日のルートである徳ちゃん新道❷の登山口がある。

10時45分いよいよ登山の開始だ。今日は標高差約1,350mを一気に登るので大変だ。登山道に入るといきなり大小の樹木の根が張り、岩がごろごろしている歩きにくい道の連続で、 戸渡 ( トワタリ ) 尾根❸を目指して登る。

2時間ほどで右手に山梨百名山である 鶏冠山 ( トサカヤマ ) が見えてくる。まるで鶏の鶏冠のような面い形状の山だが顔料が多く登るには危険な山だそうだ。12時10分、鶏冠山を見ながら昼食をとり、しばし休憩。

13時15分やっと本日のルートの半分となる標高1,869mの近丸新道の分岐に到着。

まだまだ深い樹林帯であるが、群生しているシャクナゲ道があり咲き始めた可憐な赤い花が心を和ませてくれる。

(クリック拡大 )
 

新緑のカラマツが眩い徳ちゃん新道を登る

 

白く輝く馬酔木の花

途中で男性1人の下山者とすれ違ったが、彼から「甲武信岳へのルートは雪が多く断念して下山する」との話を聞き、一転してそれまでの楽しい雰囲気が不安になってしまった。山小屋とは直前まで何度も電話連絡していたが、雪の情報は一切話がなかったので油断していた私の責任を感じた。アイゼンを用意していたのは数名だ。

幸いに山小屋へは携帯電話が通じたため確認したが、確かに小屋の周りには雪が残っているが登山できない状況ではないとのことで、ルートを外れないよう慎重に登れば大丈夫との返事に一同再び元気を取り戻すことができた。

東京では数日の夏日もあったが、2,000mを超える山はまだ春が遠いのだと改めて登山に対する慎重さが必要なことを思い知ったことになった。

やはり 木賊山 ( トクサヤマ ) ❹(2,469m)の手前2,200m付近から雪が深くなり、歩き難いことに加え疲労もあってペースは落ち、小屋の到着は予定を1時間余りオーバーした17時15分であった。

予定通りであれば、天気もよいので小屋に荷を降ろした後、空身で甲武信岳をピストンしてもよいと思っていたが、雪の問題や疲労度もあり明日にすることにした。

早速、お楽しみの雲上宴会の準備をすることにした。小屋(甲武信小屋❺)の方も昨年のことを覚えていて今回のメニューに関心をもっており、メインメニューは「うな重」だと聞いて驚いていた。

今はお湯さえ沸かせば便利なレトルト食品や冷凍食品があるので、山でも豪華な食事ができるのはありがたい。

今回、登山客は私達だけのため食堂を占拠しての大宴会となり、大いに盛り上がったことは言うまでもない。

(クリック拡大 )
 

岡田シェフによる”雲上宴会”メニュー

  ”雲上宴会”のメインディッシュは、
うな重 肝吸い付き

2日目 5月13日(土)

夜中から降り始めた雨は風も伴い止む様子はなく、小屋の主人とも相談した結果、雪の残ったアップダウンや鎖場のある三宝山への復路は断念して、安全な千曲川源流コースを下ることにした。

6時5分に小屋を出発。30分程の急登を登り甲武信岳山頂❻に到着。

(クリック拡大 )

霧雨の甲武信岳山頂 2,475m

100名山の標識をバックに記念撮影をして早々に下る。

源流までは比較的急な下りで雪も膝まであり、踏み固まった足跡を頼りに慎重に歩くことが要求される。相変わらず雨もしっかりと降っているため途中の休憩もなく黙々と下り、コースレートより早いペースで7時半に源流に到着。

源流からは、千曲川源流遊歩道❼を下るのだが、遊歩道という名前とはほど遠く源流脇の細い岩道で倒木も多く慎重を要する道で、ところどころに源流やその支流を跨ぐ丸木橋もあり、ペースは遅くなり9時30分にナメ滝に到着。

(クリック拡大 )
 

西沢の雪道を下る

 

千曲川源流”ナメ滝”

ナメ滝は名前の通り幾重にも重なった大きな岩石から清流が岩を舐めるように流れる滝で、記念写真をとりしばし休憩をとることにした。

ここまで来ると残雪もほとんどなくなり、この先の道もなだらかとなり遊歩道らしくなってくる。

11時30分、毛木平の駐車場❽に到着。今回の登山は終了となった。

駐車場には天気がよければ登山客の車が多く停まっているのだが、さすがに1台もない。

駐車場には立派なトイレや休憩場所もあり、濡れた衣服を着替えたり、お湯を沸かして宴会で残った焼酎を飲みながら12時30分予約していたジャンボタクシーを待つ。

(クリック拡大 )

打ち上げ(ヘルシーパークかわかみ)

ジャンボタクシーに乗り、川上村が運営している「ヘルシーパークかわかみ」に行き入浴(天然温泉ではない)と昼食を兼ねた反省会と昨夜に続き大宴会となった。

ヘルシーパークからは市営バスを利用して信濃川上駅まで行き帰路に就いたのである。

以上
(文責:岡田 克己 写真:正田良次)

2017年3月24日 掲載

「粋山会」2月度月例登山

「大倉尾根から塔ノ岳と丹沢山へ1泊2日の山行」

  • 実施日:2017年2月24日(金)〜25日(土)
  • 山 域:丹沢(大倉尾根から塔ノ岳1,492m、丹沢山1,567m)
  • 参加者:江村 佐藤潤 福本 中村 眞弓 柳瀬(幹事) 正田(副幹事)(計7名)
(クリック拡大 )

初日(2月24日)

天気予報は曇り時々晴れ、遠方はやや霞んで見える。気温は平年並みの7〜8℃。8時半過ぎ、渋沢駅北口バス停に全員が揃う。終点の大倉バス停到着後、準備体操を済ませる。

9:05(予定は9:20)、標高290m、コースを熟知している柳瀬幹事を先頭に歩行開始。しばらくは緩やかな坂道を時々通る自動車を避けながら進み、いよいよ登山道に入る。

9:25 早くも汗ばみ、薄着になるために休憩。桧や杉、落葉した広葉樹、足元も緑が少ない殺風景は仕方ない。

10:05 雑事場の平にて小休憩。やがて長い階段の山道が始まる。針葉樹の人工林を広葉樹との混交林に変換中のため、間伐作業中のチェーンソーが鳴り響く。ウィークデーのためか、上り下りとも登山者は数えるほどである。秦野方面を見下ろす見晴茶屋、無人の駒止茶屋で小休憩。時々開ける右手に、ヤビツ峠からの尾根伝いの二ノ塔、三ノ塔を見上げて立ち止まる。

11:35〜12:00(予定通り)堀山の家、再び防寒着を着て各自持参の弁当や飲み物で昼食。エネルギー補給を済ませて出発。

13:05 花立山荘1,300mで小休憩。雪解け道を泥沼や水たまりを避けて歩行するも、道を大きく外して笹や野草を踏まないよう注意しながら進む。やがて鍋割山稜と合流。急坂を登り14:00(予定14:10)、塔ノ岳山頂1,491mに到着。

尊仏山荘の向こうに丹沢最高峰の蛭ヶ岳、東下方には三ノ塔や大山を望む。上空に晴れ間があるものの遠方の見通しは利かない。西方の富士山は残念ながら雲の中、南方の秦野の町もやや霞み、相模湾から伊豆半島は確認できない。山頂の証拠写真を撮影後、目的地である丹沢山 みやま山荘へと向かう。なだらかな上り下りが続き、この辺りから日蔭には残雪が目立ち、木道もアイゼンでかなり削られている。滑らぬよう下りは特に注意しながら進む。

14:55  日高 ( にったか ) 1,461mで小休憩。15:55(予定16:00)、丹沢山山頂1,567mに到着(写真①)。天気予報通り雲が広がり雨が降りだしそうな空になる。気温4℃、早々にみやま山荘に入る。

宿泊客は私達以外には5人のみでラッキー!翌日土曜日は満員(30人以上)で予約を断っているとのこと。各自寝る場所を決めて荷を解くと、早速、例によって全員揃ってビールで乾杯!(写真②)。「コースタイム通りに登れたのは粋山会では珍しいね。しかも思ったよりも疲れていないよ!間違いなく先頭の柳瀬さんの好リードのお蔭だね」と口々に話しながらふと窓の外を見ると、いつの間にか雪である。翌日の天気を気にしながらも何か心がウキウキする。

夕食は山小屋としては豪華。肉や野菜を小鉄鍋で焼く。食後19:30には全員就寝。

 

①丹沢山山頂

 

②みやま山荘到着後の乾杯

2日目(2月25日)

5:50朝食。6:25軽アイゼンを装着して山荘を出発(写真③)。気温マイナス7℃、積雪数㎝、顔に当たる空気が冷たく肌を刺す。昨日と同じルートで塔ノ岳へ向かう。新雪を踏みながらの歩行は清々しく何とも気持ちが良い(写真④)。

 

③マイナス7℃の中 アイゼン着けて出発

 

④霧氷の林を進む

樹木の枝についた霧氷が美しい(写真⑤)。遠方の広葉樹林はまるで満開の桜のように見える。足元の霜柱は靴で払うと柔らかく長くきれいに輝く。日の出前、西方の山間に美しい雲海を見下ろす(写真⑥)。

 

⑤霧氷

 

⑥西方に雲海

8:05(予定7:40)塔ノ岳山頂。上空は晴れ、西方低空に漂う雲の上に富士山が顔を出して感動的!これをバックに朝陽を浴びて記念撮影(写真⑦)。塔ノ岳を過ぎると積雪は徐々に減る。小丸尾根(鍋割山稜〜二俣)が倒木撤去作業で通行止めのため、前日と同じ大倉尾根を下る。

⑦塔ノ岳山頂と富士山

9:00 花立山荘付近でアイゼンを外す。好天の土曜日のため、子供連れや高齢者を含めて登山客が多く、すれ違い待ち、追い越され待ちの時間が増える。

9:45(予定9:20)堀山の家で小休憩、10:53見晴茶屋の小休憩を経て、11:45(予定11:10)大倉バス停に全員無事下山。下りは足の疲れと待ち時間増のためか、予定よりも40分余計にかかった。

付近に適当な温泉が見つからないため、今回は入浴を省略。洗い場で登山靴の泥を落とした後、バス停にある食堂にて短時間の打ち上げ会。結構盛り上がる。バスで渋沢へ戻り帰路を急ぐ方もいて早めに解散。それぞれ帰路についた。

以上
(文責:副幹事 正田)

2017年2月14日 掲載

「粋山会」1月度月例登山

「富士山と駿河湾の絶景を楽しむ」

  • 実施日:1月23日(月)
  • 参加者:10名(敬称略、順不同)
    中村 福本 柳瀬 中重 戸田 三木 正田 佐藤潤 江村(L) 立石(SL)
  • 行程概要: 香貫 ( かぬき ) 台入口 9:00⇒9:50 徳倉 ( とくら ) 山 10:00⇒11:52 鷲頭山 ( わしずやま ) 山頂(昼食)12:25⇒ 13:10 多比口 ( たびぐち ) 13:15⇒13:55 多比バス停 (下図参照)
(クリック拡大 )

「沼津アルプス」

沼津アルプスは沼津市の南側に駿河湾沿いに伸びる山並みで、標高は最高地点の鷲頭山で392mと高い山ではないが、そのロケーションから、特に冬は空気が澄んでいることもあり、富士山・南アルプス、駿河湾の眺めがよいトレイルとして知られている。

◇ ◇ ◇

8:30 三島駅南口に全員集合。タクシーに分乗し、登山口に向かう。天候は快晴だが富士山の頂上だけがちょっと雲がかかっている。

9:00 香貫台入口到着、タクシー下車。住宅街を抜けると登山口がある。登山開始。(9:10)

いきなりの急登だが30分も歩くと稜線に出る。最初のピークである徳倉山まではここから5分くらいだがこの登りは更に急で、トラロープが張り巡らされている。

9:50 徳倉山山頂到着。登りついた頂上からは富士山の絶景が・・・と言いたいところだが、やはりちょっと頂上部に雲がかかっている。この日は1日素晴らしい天気だったが富士山の頂上だけは隠れていた。

ここからは結構アップダウンはあるものの素晴らしい展望を楽しみながらの稜線漫歩となる。眺望のないところも落ち着いた雰囲気のいい樹林帯で癒される感じのところだ。

徳倉山山頂にて

千金岩からの展望

しばらく稜線を行くと千金岩というポイントで、駿河湾が見渡せ小休止して写真撮影。以降随所に展望台があり、いちいち足を止めていたのではいくら時間があっても足りないくらいだ。更に進むと少し広くなった地点があり、前方には目指す鷲頭山がよく見えるが、結構高く聳えている。ここは大トカゲ岩というらしい。因みに「トカゲ」とは登山者用語で「昼寝」のことを言うのだが、まさに日当たりもよく昼寝したくなるようなところだ。

先着の地元の人らしきおじさんと少し話をして出発。

いくつか峠を越えて、志下峠からは小鷲頭山への急登になる。またしても急登で、トラロープにすがっての登りとなる。途中「中将岩」という大きな岩と祠がある。「中将」とは 平重衡 たいらのしげひら のことで、源平合戦に敗れ落ち延びたが、源氏の追手に追い詰められここで切腹したとの伝説が残っている。

更に登りを重ねるとようやく小鷲頭山の頂上に着く。徳倉山からは1時間40分。小休止してさらに一登りする。

11:52 本日の目的地鷲頭山に到着。小鷲頭山からは、富士山は頂上だけが雲に隠れてはいるもののよく見えたのだが、ここからは木に隠れてあまりよく見えない。しかし広々として落ち着いた感じのいい頂上だ。ここで昼食休憩。それぞれ思い思いに散らばって持参の昼食に舌鼓を打つ。風もなく穏やかで本当にいい登山日和だ。

小鷲頭山山頂からの富士山 鷲頭山山頂にて

40分近くゆっくりして、恒例の写真撮影も済ませ、12時25分下山にかかる。ここから多比口峠までは最初かなり下った後、沼津アルプスの命名の謂れとなっているのではないかと思われる岩尾根にさしかかる。大きな岩場ではないのだが、手を使って昇り降りする部分もある。

13:10 多比口峠に到着。ここからは稜線とお別れし、海岸沿いのバス停まで一気に下る。10分ほど下ると林道になりさらにしばらく下ると辺りはみかん園になり、道端にはみかんが100円で売られている。無人でお金は箱の中に入れる方式になっている。何人かの人は買っていた。

13:55 多比のバス停に着くと沼津駅行きのバスが都合のいいことにすぐに来た。途中事故渋滞があったものの沼津駅に40分程かかって14時半過ぎ到着。恒例により近くの温泉で「反省会」で大いに盛り上がり解散。帰途に就いた。

反省会

終日絶好の天気に恵まれ、展望を堪能し、トラブルもなく楽しい山行を無事終えることができた。

以上
(文責 江村泰一)