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国内旅行同好会

世話役 広瀬駒雄 (2015年版)

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2015年5月13日 更新

目 次

敬称略

テーマ / イベント名 実施日(2015) 報 告
江戸東京たてもの園 訪問記 4月24日(金) 山崎 雅史
河津調査旅行 4月16日(木)-16日(金) 萩原 秀留
古民家「顧想園」訪問記 4月6日(月) 藤田 卓

(画像のほとんどは拡大できます)

いよいよ国内旅行同好会が発足し、小グループによる旅行の企画と実施を開始致しました。今後、暫時「訪問記」と題して旅の概要を本ページに報告致します。ディレクトフォース会員からの各「訪問記」の詳細や質問等は、各報告者にお問い合わせ頂けます。同会が今後益々発展できますよう皆様のご支援をよろしくお願い致します。

2015年4月27日
国内旅行同好会世話役 廣瀬 駒雄

2015年4月27日 掲載

江戸東京たてもの園 訪問記

報告:山崎 雅史

  • 訪問日時:2015年4月24日(金)
  • 訪問場所:江戸東京たてもの園 (東京都小金井市桜町3-7-1)
  • 訪問者:横井、藤田、萩野、米永、七字、山崎

地図初夏を思わせる陽気の中、小金井市北部に位置する「都立江戸東京たてもの園」を訪問した。JR武蔵小金井駅からバスで約5分、「小金井公園西口」で降りると新緑が突然目に飛び込んできた。緑の中を歩くこと約5分、かつては皇居前広場に紀元2600年記念式典のために建設された旧光華殿をエントランスとする江戸東京たてもの園が現れた。

まだ満開の里桜が残り武蔵野の雑木林に囲まれた園内には週日のためか来場者は比較的少ないが、学校の授業の一環として来園している小学生の姿が目にとまる。

限られた時間にポイントを見ておこうとまずは三井八郎右衞門邸へ。2階に上がりボランティアのガイドの方から越後屋から始まる三井家の流れや当邸宅の主11代目の奥方が松平春嶽の孫にあたること等を教えられ、寝室、居室、仏間、水屋等についての説明を受けた。1階に下りるともうひとりの個性豊かなボランティアガイドの方が、蔵に陳列してある長持等の「宝物」の説明から始まり、巨大な厨房、和洋折衷の極みと思われる「四季の間」(今は「春」と「夏」しか残っていない)、そして竹をふんだんに使ったユニークな部屋「望海床」についてクイズ形式で説明してくれた。三井邸の庭は移設前の港区西麻布の時よりかなり小ぶりになっているとはいえ、初夏を思わせる陽光の下、大きな庭石や灯籠を配した日本庭園は庭の緑と相まって圧巻である。

三井邸 古民家「吉野家」

次に我々は江戸時代後期に建てられたという古民家「吉野家」に。農家ではあるが立派な式台を持ち、鷹狩りの途中、尾張藩の殿様がしばしば訪れたという三鷹から移築された家屋である。ここではボランティアの方が数名、囲炉裏に火を保ち、屋根の萱(すすき)のいぶしを続けている。縁側が部屋を取り囲む開放的なこの家では、部屋の格式が土間から奥に行くほど上がっていくことを欄間や床の間のつくりで確認できるのが面白い。

ランチを洋館デ・ラランデ邸1階の「武蔵野茶房」で取ることにした。時間が早かったので6人用のクラシックなテーブル席が空いており、メニューの選択肢は少ないものの、洋館の雰囲気を味わいつつしばしの休息を味わった。

デ・ラランデ邸

2・26事件の悲劇の政治家・高橋是清がこよなく愛した邸宅も雑木林の中にある。それぞれの趣を異にする床の間をもつ部屋を多く持つ邸宅は大きいが簡素で、三井邸とは対照的な雰囲気を漂わせている。ボランティアガイドの方によると、将校たちに暗殺された部屋は寝室ではなくその隣の部屋だという証言もあるとのこと。

高橋是清邸 高橋是清

北多摩屈指の製糸(養蚕)会社の経営者であった実業家・西川伊左衛門が接客用に建てた西川家別邸は、接客空間と居住空間が明確に分けられている造りで、この様式は当時(大正〜昭和初期)の代表的なものである。

西川邸別邸 茶室「会心亭」

西川邸別邸の隣にはたてもの園唯一の茶室「会心亭」が移築されている。茶室は典型的な三畳台目*(さんじょうだいめ)であるが、曲がった竹の中柱が茶室にユニークな風情を出している。灯籠の屋根を用いたつくばいや石臼を用いた飛び石も珍しい。

旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門である「伊達家の門」は、片側にしか番所を持たない外様大名格の門ではあるが、見る者に威風堂々とした雰囲気と屋根や庇の曲線が日本建築の美しさを感じさせる。

伊達家の門

鯉のぼりが飾られている広場を横切るとそこは「下町中通り」。関東大震災後昭和初期に流行した「看板建築」と、江戸時代からの庇を深くする「出桁(だしげた)造り」が通りの両側を固め、その突き当りには銭湯「子宝の湯」がある庶民的な下町の雰囲気が漂う昭和の通りである。

下町中通り

最後に見学したのは江戸時代の豪農の家、天明家。名主役を務めたと伝えられる茅葺き農家は「書院の間」の前に枯山水の庭を持つが、手入れが不十分な状態となっているのが残念である。入口の番所と座敷を持つ長屋門がこの家の格式の高さを示している。

天明家

30あるたてもの園の代表的なところのみを回った今回の訪問であるが、多様性に富んだ展示物(たてもの)と武蔵野の自然が肝のように思える。そして、園内で働くボランティアガイドの方々の個性あふれる説明ももうひとつの味に思え、これらを活かした「商品化」が出来ればと願う次第である。

今回の訪問者の全体写真

註:*三畳台目(さんじょうだいめ)とは、丸畳3畳の客座と台目畳1畳の点前座で構成された茶席のことをいいます。

2015年5月12日 掲載

河津調査旅行

   河津町へのドライブと中伊豆の観光   

報告:萩原 秀留

  • 訪問日時:2015年4月16日(木)〜17日(金)
  • 訪問場所:静岡県賀茂郡河津町
  • 訪問者:横井、廣瀬、萩原、松本、小林
  • 写 真:小林慎一郎
伊豆半島
ルート全図(クリック拡大)

2015年4月16日(木)から17日(金)にかけて、伊豆半島の河津町を中心に1泊2日の旅行にでかけた。

観光立国研究会の観光資源の調査と、国内旅行同好会の懇親を兼ねた旅行である。参加は5名。

河津町は河津桜で有名であるが、桜のシーズンが終わると、観光客が減るので、地元の観光資源を見直し、インバウンドの観光客の誘致に少しでもお役に立てばとの思いで、レンタカーで三島から伊豆縦貫道を経て、主な見所を訪ねた。因みに河津町は萩原(報告者)の出身地で、町長との懇談会も行われた。南禅寺(なぜんじ)の仏像、来宮神社の大楠、川端康成の逗留宿「福田家」、河津の七滝(ななたる)等々観光資源は豊富にあり、周辺の観光地と結び合わせて足の便を確保する工夫ができたら、観光客の誘致の可能性は大きいと確信できた。

以下、現地の様子を紹介します。写真(撮影:小林さん)、地図とともにご覧ください(画像は全て拡大可)。

また、小林さんの労作「河津調査旅行(PDF)」も併せご覧ください。

◇◇◇

【柿田川】岐阜の長良川、高知の四万十川と並ぶ日本三大清流の1つ。全長1.2kmと日本一短い1級河川で富士山の伏流水の狩野川水系。源流は国道1号線の直下から始まり、11〜12トン/秒 の湧水が滔々と流れる川の様子は大河を思わせる。1980年代にナショナルトラスト運動でよみがえった清水と当河川特有の水中植物は一見の価値あり。

【桜家】安政3年(1857)創業の老舗。白焼き、蒸し、たれが独特、かるみの味を守る。平日なのに満員の盛況。うなぎ2枚のうな重3,750円。

柿田川 桜家

【浄蓮の滝】落差25m、幅7m。静岡県指定天然記念物のハイコモチシダ(ジョウレンシダ)の群生地で有名。わさび畑のわさび苗の植え付けもみられた。

【道の駅「天城越え」】森の情報館の「昭和の森会館」と伊豆関連の文豪の「近代文学館」が併設されている。当地は井上靖生誕の土地。天城シャクナゲが販売されており、生わさびソフトクリームが美味。

浄蓮の滝 道の駅「天城越え」

【旧天城山トンネル】伊豆の踊子を書いた川端康成もこの隧道を通って南伊豆へ入った。平成13年重要文化財に指定された。

【寒天橋】石川さゆりの「天城越え」で歌われている寒天橋。『寝乱れて隠れ里』『九十九折り浄蓮の滝』『わさび沢隠れ径』『小夜時雨寒天橋』『あなたと越えたい天城越え』.。東海バスが最大1日5便通る。

旧天城山トンネル 寒天橋

【峰温泉の大噴湯】大正15年以来、毎分600リットルの100℃の温水が地上30mまで吹き上げる自噴泉でかつて東洋一の自噴泉と言われた。現在は1時間ごとに開栓、栓を止めている間は温水をタンクに貯めて地域で利用する。

伊豆半島
河津町の詳細図(クリック拡大) 峰温泉の大噴湯

【福田家】伊豆の踊子の作家川端康成の泊まった部屋がそのまま畳敷き、障子で残っており、その部屋に泊まった。

福田家前で記念撮影 福田家(川端康成の泊まった部屋)

【舟戸の番屋】磯料理と塩つくりの体験型施設。

【Dal Pirata】予約制のイタリア料理屋。日本食の飽きた向きによい。

舟戸の番屋 Dal Pirata

【河津桜の原木】昭和30年ごろ河津川沿いで見つけた若木を育てて早咲きの美しい桜を発見。昭和49年に「河津桜」と命名。カンヒザクラとオオシマザクラの交配種と推定される。

【河津八幡神社】河津三郎は河津の領主で、曽我兄弟の父、相撲の名手「河津掛け」を考案。兄弟の兄 十郎祐成は河津で生まれる。兄弟は領地争いで殺された父の仇討で、曽我物語発祥の地となる。

【南禅寺】平安時代の仏像26体がある。2体は海外出品の経験がある。本尊の薬師如来坐像は榧の一木造・彫眼。像高117.7cm、静岡県指定文化財(旧国宝)、平安時代前期(AC9後半からAC10)の作。永享4年(1432年)山津波で那蘭陀寺が倒壊、土中から掘り出される。廃那蘭陀寺は行基開創。

河津桜の原木 河津八幡神社 南禅寺

【来宮神社の大楠】国の天然記念物指定(昭和11年)、樹齢1000年以上、高さ24m、幹回り14m。来宮神社は「鳥精進・酒精進」の民族行事で有名。祭神が野火に囲まれた折、飛んできた鳥が水を含んだ羽を落として救われたことに因んで、12月の下旬、鳥・卵料理と酒を断つ風習が残っている。

【カーネーション見本園】河津町の地場産業としての成長を目指す。500平方メートルの温室で、約370品種13000株のカーネーションを栽培。

【涅槃堂】外からガラス越に覗く。のぞいている我々が涅槃仏の入っているガラスに映り、折角の仏像を見たという実感がわかない。

来宮神社の大楠 カーネーション見本園 涅槃堂

【七滝茶屋】名物のわさび丼は意外と美味。採りたてのイチゴのデザートに舌鼓。

【河津七滝(ななだる)】河津町を流れる河津川の、約1.5kmの間に存在する7つの滝(釜滝・えび滝・蛇滝・初景滝・かに滝・出合滝・大滝)の総称。2012年 日本ジオパークに認定。7つの滝(だると称す)のうち6つが観察可。展望台は平成26年に完成し整備が進んでいる。途中に架かる片塔式ウェーブ橋*は長さ46mで全国的にも珍しい吊り橋だ。

七滝茶屋 河津七滝

【落合楼発電所】旧落合楼自家用発電設備として昭和28年に建設。東京発電(株)平成18年営業運転開始。平成14年に村上氏が老舗旅館落合楼の営業を譲り受けた際、東京電力の子会社・東京発電が水車、発電機等を取り換えて発電を再開。最大出力100KW。水量3t/sec、有効落差4.8m、横軸誘導発電機。
【落合楼村上】三大美人泉質「美肌・保湿の湯」。天城峠に近い。明治時代の文豪が滞在した老舗旅館。明治7年(1874年)創業の旧落合楼を平成14年村上氏が営業譲受、経営を刷新。

落合楼発電所 落合楼村上 落合楼村上でくつろぐ

以上

註:*片塔式ウェーブ橋とは、吊り橋の一種。橋の一方に塔が立ち、吊り橋を支える。強度を保つために吊り橋を波状にしている。

2015年5月1日 掲載

古民家「顧想園」訪問記

報告:藤田 卓

  • 訪問日時:2015年4月6日(月)
  • 訪問場所:顧想園(東久留米市柳窪4−15−41)
  • 訪問者:藤田、廣瀬、今井、山崎、小林、横井
  • 写 真:小林慎一郎

快晴に恵まれた4月6日、DF観光立国研究会の仲間6人、西武線小平駅に10:30分集合、車で10分足らずの所に在る古民家「顧想園」に向かった。東京都の西北部に位置し、所沢と田無の中間にある東久留米市柳窪というのが地名である。

「顧想園」に到着、女主人村野美代子さん、御息女あやさんの出迎えを受け、それから約3時間余り、離れでの昼食をはさんでお二人から懇切丁寧な御説明、御案内をいただいた。最初に主屋のお座敷で、敷地の一角にある茶畑(写真⑫)で栽培されている自家製の美味しいお茶をいただきながら、顧想園にまつわるお話を種々伺うことができた。

お話の概要は下記の通り。

写真① 主屋全景
写真② 主屋式台(玄関)

この地域は、古くから純農村地帯で、また緑豊かな雑木林が連なる武蔵野の一部であった。国木田独歩がこよなく愛したこの武蔵野の自然も、昭和40年代から急速に開けて、多くの人が流入し、ベッドタウン化していった。

村野家の前当主啓一郎さん(一昨年逝去)は以前から、江戸時代天保の世に遡るこの村野家の家屋敷と、周囲の欅や樫の屋敷林をなんとか残したいと考えていた。結局村野家と考え方を同じくする御近所の人々と語らって、12町歩(約36,000坪)の土地につき市街化調整区域(新しく建築・開発が禁止される区域)への編入を申請し、平成2年正式に認可となり今日に至っている。調整区域として4000坪を占める顧想園の維持、管理は大変だが、東久留米市の関係者や、ご近所のボランティアの皆さんのサポートでなんとかやってきている。おかげで、平成23年1月これから御案内する顧想園の主屋(写真①②)・離れ・土蔵・穀蔵・新蔵・薬医門(写真⑮)・中雀門(写真⑭)の7件が国の登録有形文化財として認定された。

お話の後、顧想園の中核をなす主屋、離れをご案内いただいた。

主屋は市内に残る唯一の茅葺家屋の由、建造は、天保9年(1838年)、建坪約82坪。まず正面玄関(式台)に面する前庭から眺める主屋の全体像は圧巻である。一般の出入り口から主屋に入ると、江戸時代の家屋内部を彷彿させる雰囲気が充満している。囲炉裏(写真③)、土間(写真④)、かって(調理場)、なんど(物置部屋)、座敷,おく(客間)などが連なっている。専門的な知識は持ち合わせないが、床の間(写真⑤)、違い棚、付書院などの造り、摺りガラス障子(写真⑦)、欄間細工、襖絵など由緒ある調度品が並んでいる。中でもおくの床柱に残る武州世直し一揆の傷跡(写真⑥)には歴史を感じた。

写真④ 土間 写真⑤ 床の間
写真③ 囲炉裏 写真⑥ 一揆痕跡 真⑦ 磨りガラス障子

主屋見学の後渡り廊下を通って離れ(写真⑧⑨)に移動し、奥庭が一望できる奥の洋室で昼食となった。ご案内いただいているお二人もジョインしてくださり、いろいろ話題に花が咲いた。

写真⑧ 離れ内部 写真⑨ 離れと奥庭

我々の質問にも答えながら語っていただいたお話の内容は概略下記の通り。

顧想園の運営は基本的に会員制度をとっているが、外国の方々も含めできるだけ多くの人々が当園を訪れ、日本文化の一端に触れていただく機会となれば幸いである。会員外の方々には、一応利用予約をお願いしているが、昨年の来園者は1300人を上回った。なかでも、ロシア大使館関係者一行、ヒューレット・パッカード社社員一同など70人を超える団体をお迎えしたこと、また地元東久留米市茶道会の秋の茶会が(総勢180名)催されたことなどが印象に残っている。

昼食後、緑あふれる庭園の散策となった。欅・松・白樫などの巨木、山桜やよく剪定された庭木など大小さまざまな緑が美しい。また前庭から登録有形文化財の一つである中雀門を通って奥庭に入る。土蔵(写真⑩)、茶室(写真⑪)顧想庵)などが静かにその佇まいを見せていた。

写真⑩ 蔵と苔道 写真⑪ 茶室 写真⑫ 茶畑(↑戻る

ちなみに茶室は昭和37年蔵座敷を改装してできた由。また前庭・奥庭のあちこちにボタン・リンドウ・キンラン・クマガイソウ(絶滅危惧種とのこと)などの花木がみられ、折々の季節に彩りを添える。丁度今は季節的にラン科の山野草(写真⑬)がひっそりと花を咲かせていた。

写真⑬ クマガイソウ 写真⑭ 中雀門(↑戻る 写真⑮ 薬医門(↑戻る
写真⑯ 主屋の玄関前(集合写真)

お庭を一周して時計を見ると早や2時前、あっという間の3時間であった。

主屋の玄関の前でお世話になったお二人にも入っていただき集合写真(写真⑯)を撮って、お別れした。