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海外旅行研究会

世話役 今井 智之(2017年版)

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2018年3月24日 更新

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第69回
12月11日(月)

 

第68回
10月13日(金)

 

第67回
3月30日(木)

 

第66回
1月26日(木)

 

2017年11月1日 掲載

第69回「海外旅行研究会」例会

第69回例会が12月11日(月)、ディレクトフォース会議室で13名の出席者を得て開催されました。冒頭、世話役より山本哲郎氏が会員になり次例会から出席になるとの報告がありました。

引続き、常信伊佐夫氏の台湾、宮古島クルーズと山本明男氏の地球最果ての地、南極半島を旅してと題する発表が行われました。常信氏は、“もう海外旅行は卒業します”と言いつつ、また旅に出られたとのことでしたが、帰路台風に遭遇し船酔いをするなどご苦労されたようです。いつものように美しい写真を交えてのプレゼンは印象的でした。山本氏は当会はじめてのプレゼンでしたが、南極という極地への旅がいかに大変であるか、またどのような要領で実現できるのか、等詳細に亘っての報告は大変優れて説得力がありました。日本から空路アルゼンチンの最南端ウシュアイアまで行くのに2日、そこから船で南極半島到達までさらに2日もかけ、オーストラリアの1.5倍もある大陸を旅したのですから、正に大冒険であったことが伺われました。以下は両氏からの報告概要です。

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icon「台湾、宮古島クルーズ」常信伊佐夫氏

たまたま目にした新聞広告につられて、台湾旅行の経験がない家内を誘って6日間のツアー参加を決めた。台北の九份観光や故宮博物院見学に加えて、4泊のクルージングに魅力を感じ、ツアー料金も極めてリーズナブルに思えた。旅行料金を低く抑えるためにLCC(格安航空)を利用しているのがポイントのようだった。

初日は、台北に到着してすぐに九份(きゅうふん、ジォウフェン)へ向かった。日本が統治していたころには金鉱山として栄えた土地だが、1971年に閉山したのち衰退していた。映画「非情城市」のロケ地になったことや、「千と千尋の神隠し」のモデルに取り上げられたことで人気が出てきた観光地だ。ただ、人気のせいか観光客で溢れ、狭い石段を歩くのに苦労する。イメージしていたしっとりとした、ノスタルジックな雰囲気を十分には味わえなかった。(写真1) 

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例会
(写真1)九份夜景
例会
(写真2)故宮博物院「翠玉白菜」
(写真1)九份夜景 (写真2)故宮博物院「翠玉白菜」

故宮博物院は中国文化を伝える至宝に満ちており、世界の4大博物館の一つに数えられるのも頷ける。博物院を代表する名品といわれる「翠玉白菜」は、手のひら大の大きさだが、原石の特長をそのまま彫刻に生かした繊細な芸術品だ。そのほか我々には価値の見当もつかないが、中国の長い歴史の中で創作されてきた文化遺産の膨大な保有量と作品の見事さに圧倒される。(写真2)

故宮博物院以外の台北観光の目玉は、革命や建国に尽し命をささげた志士を祀る国民革命忠烈祠だ。ここでは、忠烈祠大殿と大門牌楼に配置された衛兵の交代セレモニーの見学が人気となっている。日によって異なるが、空軍、陸軍、海軍から選ばれた衛兵が統率されたかたちで儀式を行い、交代に臨む。これを見るために多くの観光客が集まっている。(写真3)

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例会
(写真3)忠烈祠大門を守る衛士
例会
(写真4)コスタネオロマンティカの屋上から宮古島を望む
(写真3)
忠烈祠大門を守る衛士
(写真4)
コスタ・ネオロマンティカの屋上から宮古島を望む

このほか、蒋介石に哀悼の意を込めて作られた中山祈念堂や、見事な龍と鳳凰の彫刻などを備えた芸術性の高い建造物と評価されている龍山寺などを観光した後、クルーズ乗船のため夕刻には台北の北部にある基隆港に向かった。

コスタ・ネオロマンティカはイタリア船籍で5万7000トン。観光クルーズの設備を備えている。建造されたのが1993年。2012年に改造されてはいるが古さは否めない。これも今回ツアーの安さに関係していたようだ。

過去に2度乗船したイタリア船MSCの航海が極めて快適であったことから、今回のクルーズも期待していたが、帰国2日後に日本に上陸した巨大台風21号にあおられ、船は大揺れ。最高のキャビンを選んでいたが、クルーズを満喫するどころか苦しみだけ。一刻も早い帰港を願う散々のクルーズライフを経験した。ツアー参加であっても決めるのは衝動的ではなく熟慮が必要だと痛感した。(写真4)

以上

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icon「地球最果ての地、南極半島を旅して」山本明男氏

一度は自分の目で南極を体験してみたい、この途方もない夢は2013年2月、還暦記念に合わせて実現しました。割引率を最大化するため出発1年前から先行予約、そして出発直前まで渡航準備に振り回されました。環境大臣への旅程登録、旅行傷害保険は最高保証枠へ、スキーを上回る防寒グッズの備え、レンタル長靴や耐寒パーカーの欧米サイズチェック等々、持ち物はどんどん増え、大・中・小のスーツケースに一杯となりました。

2月17日、妻と2人で成田を発ち、ダラス経由で南米ブエノスアイレスへ、ここで2泊して束の間の夏を楽しみ、時差の疲れを取った後、チャーター機で南米最南端の港町ウシュアイアへ飛び、2月20日クルーズ船(Silver Explorer号)に乗船。一路南極半島を目指し出航しました。ここから南極半島の先端まで約1000キロ、「絶叫する(南緯)60度」の異名をもつ大荒波のドレーク海峡を丸2日かけて渡ります。我々は最初から好天に恵まれ、船酔いもなく1日半で海峡を渡りきることができました。

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例会
写真① 耐氷船エクスプローラー号 と
Zodiacゴムボート
例会
写真② パラダイス・ハーバー(天然の港)
例会
写真③ ジェンツー・ペンギンの営巣地
例会
写真④ ルメール海峡
例会
写真⑤ プレノウ湾と氷山の墓場
例会
写真⑥ Whalers Bay 飛行機格納庫の残骸
所どころに地熱地帯があり 温泉が湧出
例会
写真⑦ 鯨解体施設跡 ノルウエー・チリ
1967年の噴火で泥流に埋まる

南極観光時期は11月から3月初めで、年間2万人以上が訪れています。船でのアプローチは乗客200人乗りクラスまでの小型船に限定されます。我々の船は6,072トン、長さ108m、幅16m、144人乗りの頑強な耐氷船で、氷山の合間を安全に航海できます。桟橋や港が存在しない南極や周辺の島々では、船に装備されているZodiacと呼ばれる丈夫なゴムボートに乗り、長靴を履lineいて海岸線から上陸します。一度に12名ほどしか乗れないため、事前にグループ分けが行われ、順番にピストン輸送で下船・上陸を繰り返します(写真①)。

南極上陸に際しては自然環境保護の観点から特別なルールが定められています。動物・鳥等には5m以内に近寄らない、餌を与えない、南極にあるものは何も持ち出さない、外から異物は持ち込まない、ゴミは残さない、食べ物は持ち込まない、排泄行為の禁止、つばを吐かない、落書きはしない等々。上陸前には船内で服装・持ち物を掃除機でクリーニング、長靴の底は毎回薬品消毒が義務付けられ、クリーンルームに入るかのような清浄さが求められます。上陸時間は通常2時間以内ですが、現地にはトイレがないため、どうしても我慢できない人は至急船に戻るか、オムツのお世話になる必要があります。

南極の醍醐味はなんといっても人を寄せ付けない雄大な雪と氷の世界。その中で南極半島周辺は、気候が比較的温暖で、渡り鳥・ペンギン・アザラシ・クジラなどが多く訪れ、複雑な海岸線と氷山、岩山、カルデラ湖、越冬基地跡や捕鯨基地跡など、多くの見どころが集中しています。しかし、陸地で越年できる生物はほとんどなく、草や木は一切生えていません。6日間のクルーズでは合計12か所に上陸しました。波がまったくない鏡のようなパラダイス・ハーバー(写真②)、ペンギンの営巣地(写真③)、狭いフィヨルドの絶壁と氷山の合間をぬって航海するルメール海峡(写真④)、氷山の墓場と呼ばれるプレノウ湾で時々刻々変化する氷山群の間をゴムボードツアー(写真⑤)、通称「だまし島」と呼ばれ火山のあるディセプション島での捕鯨基地跡(写真⑥)や火山灰に埋もれた鯨解体施設の跡(写真⑦)見学など、南極クルーズの見どころはつきません。

船にはガイド役を兼務する探検チームが10名ほど乗り込んでおり、船の移動時間中に各専門分野(自然、生物、海洋、歴史など)のエキスパートが、南極に関連する講義をしてくれます。そして夕方には翌日の詳細旅程が写真を交えて紹介されます。探検スタッフは食事テーブルにも一緒に参加してくれるので、興味に応じて何でも気楽に話せる環境にあり、旅の楽しみは倍増します。

今回のクルーズ船乗客の半分は中国人、プロのオペラ歌手やバイオリニスト、大学教授、TV業界人など文化人が多く混じっていたことは驚きでした。残りは欧米人で普通のクルーズでは満足しない好奇心旺盛でエネルギッシュな人達でした。探検クルーズでは、夜の華やかなエンターテイメントや正装のディナーパーティはありません。普段着で気軽に付き合い、毎晩飲んで騒いで1週間もすればほとんどの乗客と顔見知りになれます。まさに修学旅行気分です。そして乗組員たちとも同じ目線で友達になれるのも小型船ならではの楽しみと言えます。

南極ならではサプライズもありました。なんと越冬基地の郵便局から手紙が出せます(日本へ投函した絵葉書は2か月かかりました)。南極上陸の証としてパスポートにペンギン・スタンプを押してくれます。だまし島で南極の海水浴に挑戦した人(夫婦でトライ)には、船会社がペンギン・クラブ証を発行してくれました。帰路、船上で多くの仲間が私の60才誕生日を祝っていただき、本当に一生の想い出となる充実した極地旅行でした。

恒例の懇親会は階下のB8aで開催し、欧州風料理とワインを楽しみながら全員によるユーモア溢れるスピーチで花を咲かせました。次例会は3月初旬に開催予定で、四方満氏による「究極のフィレンツエ」と保坂洋氏の「ラベンダーの香りに魅せられて―初夏の南仏を訪ねて―」のプレゼンが行われます。次々回には鈴木哲氏と櫻井三紀夫氏にお願いすることになっていますが、他に報告ご希望者があれば、世話役までご連絡願います。

以上 

(今井智之 記)

2017年11月1日 掲載

第68回「海外旅行研究会」

第68回例会が10月13日(金)、ディレクトフォース会議室で15名の出席者を得て開催されました。冒頭、世話役より、15周年記念出品につき、井上、常信、鈴木各氏の協力を得て準備が整った旨の報告及び新会員恩田昭子氏及びゲスト竹島一彦、笙子両氏の紹介がありました。引続き萩原秀留氏による未知のスリランカ北部と新婚旅行の旅先モルディヴと今井智之氏のイタリアの観光地とワインの報告がありました。萩原氏は、あまり観光客が行ってないスリランカの北部を中心としてのお得意のアドヴェンチュア旅行と日本からも多数新婚旅行客が集まるモルディヴの紹介をしました。今井氏は、世界一とも言える観光立国イタリアの観光地を美しい写真を集めて紹介し、同国各地域で生産される高級ワインを解説しました。以下は各氏の報告概要です。

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icon「未知のスリランカ北部と新婚旅行の旅先モルディヴ」萩原秀留氏

仏教国であり、紅茶で有名なスリランカは観光国としても多くの外国人が訪問するが、内戦で荒れ果てた北部地域は観光地としては整備は未完である。またダイバーや新婚旅行先としては屈指のところであるが、一般の観光客にはなじみのないモルディヴ両国を回るツアーに2017年3月に参加した。

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例会
ナッツール・カンダスワミ寺院
例会
県庁跡
ナッツール・カンダスワミ寺院 県庁跡

1983年からスリランカ北部、東部地方を居住の中心とする、過激派組織タミル(ヒンドウ教徒)・イーラム(イスラム教徒)解放の虎(LTTE)の活動が活発化し、内戦状態が続いていたが、シンハラ人(仏教徒)を中心とする政府軍に2009年制圧された。しかしその後も内戦の影響が残り、やっと2014年頃から北部への観光客も出始めた。道路等のインフラは整ったが、寺院等の観光設備の修復もはじまったばかりで、宿泊施設等の整備はこれからである。

北部の中心ジャフナはスリランカのタミル人にとっては中心の町。ナッツール・カンダスワミ寺院はヒンドゥー教徒にとってのシンボルである。繁華街等はそれなりに賑わっているが、観光施設である県庁跡やポルトガルが建設しオランダ、イギリス時代にも使われた砦などには戦争の傷跡そのまま残されている。

ブッダはスリランカに3回来ていて、そのうちの1回が離島ナーガディーバ島で仏教徒の聖地になっている。本土からの船はおんぼろ船でテレビ等で見る難民船を思わせられた。

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例会
ロッジ
例会
ウィルパットウ国立公園
ロッジ ウィルパットウ国立公園

スリランカには国土の10%ほどが国立公園や自然保護区となっており、サファリが楽しめる。そのうちの最北部にあるウィルパトゥ国立公園で午後と午前サファリを楽しんだ。ジャングルの中を4輪駆動で移動。国鳥のキジやめったに見られない象の群れに遭遇できた。

モルディヴはインド洋に浮かぶ島国、南北754km、東西118km 1190の島々からなり、人が住んでいる島は200あまり、その内90ほどがリゾート島。

首都マーレは人口の約半分が集まり世界一人口密度が高い首都である。イスラム国であるためアルコール類は一切飲めないが、リゾート島は別格で我々が訪れたクラブメッドは飲み放題、食べ放題であった。

首都マーレのホテルは日本のビジネスホテル以下の設備であったが、リゾート島は新婚旅行の行く先として人気があり、長期滞在者用に作られた、海に突き出したロッジが印象的であった。マーレには立派なモスクがあり、さすが回教の国と思われた。市場では新鮮の魚が目についたが、購入した魚をその場でさばく人がおり習慣の違いに驚かさせられた。

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例会
公園のハンンモック
例会
魚市場
公園のハンンモック 魚市場

マーレの近くの島、ヴィリンギリに渡って島の生活を見学したが漁業の島であると同時にマーレへの通勤者のベッドタウンで昼間はひっそりとしており商店もほとんどなかった。

ただ公園にはベンチの代わりにハンモックがあり南の島ということを体感した。

以上

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icon「イタリアの観光地とワイン」今井智之

イタリアは観光地として素晴らしい国である。イタリア人は美しい自然と貴重な歴史資産を尚一層魅力ある観光資源に創り上げる才能をもっている。そして競って美味しい料理とワインを提供して外国人をもてなすので、人々はその雰囲気に惹かれ繰り返し集まってくる。なんと入国者数は年間5千万人超で世界第5位。ワインの生産量ではフランスを越して第1位である。

今回は主な観光地を数多くの美しい画像をもってヴィジュアルに紹介し、それぞれの州で産する高級ワインの解説を試みた。当会員の中には、筆者も含め、写真同好会及びワイン同好会のメンバーもいるので一層興味深さが増すものとなるよう配慮した。なかでも Pinterest サイトに掲載された写真には、現代の写真加工技術をもって造形し芸術的に美しいものが多く、厳選して紹介した。

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例会
ホテル・ヴィラデステ
例会
ヴェネツイア、過去と現代アートの異様な混合
ホテル・ヴィラデステ ヴェネツイア、過去と現代アートの異様な混合

ワインについては、イタリア全土に産地があり、多種多様であることから、各観光地に合わせ公式格付の高い(主としてDOCG)産地を選び紹介した。また同じ産地で同じ格付でも生産者により質が大幅に異なるので、権威ある批評家の推奨生産者のリストを作成し希望者に配布することにした。

北イタリアでは、美しい大聖堂、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」やスカラ座があるミラノ市、コモ湖での宮殿別荘ホテル、ホテル・ヴィラデステ等やヴェネツイアの迷路から眺める絶景等を紹介。ワインは、ピエモンテ州の銘酒バローロ他、ロンバルディアとヴェネト州の発泡酒フランチャコルタコルタとプロセッコの産地その他を紹介した。

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例会
モンタルチーノ、エノテカの女将さん
例会
アマルフィー海岸での海鮮料理
モンタルチーノ、エノテカの女将さん アマルフィー海岸での海鮮料理

中部イタリアでは、フィレンツエやルッカ等の古都や歴史遺産そしてワインの宝庫であるトスカーナ州を詳しく紹介し、ヴィラ・サンミケーレ・ディ・フィオーゾレやホテル・チェルトーザ・ディ・マッジャーノ等の豪華なホテルでの料理とワインの体験や銘酒ブルネーロ・ディ・モンタルチーノを産するモンタルチーノ村の訪問を披露した。

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例会
ポジターノ、ホテル・シレヌーセ部屋のベランダから
例会
ポジターノ、ホテル・サンピエトロ、テラスからの絶景
ポジターノ、ホテル・シレヌーセ
部屋のベランダから
ポジターノ、ホテル・サンピエトロ
テラスからの絶景

南イタリアでは、ローマでの主な観光地を概観し、ホテル・スプレンディード・ロヤールのリストランテ・ミラベルでの晩餐の素晴らしさを紹介した後、南下しカンパーニャ州の観光地を概観、マリーナ・デル・カントーネのタヴェルナで美味しい魚介料理と地産ワイン(フィアーノ)を発見したこと、ポジターノでホテル・シレヌーセからの絶景とサンピエトロ・ホテルでの昼食とワインの素晴らしさ、そして美しいラヴェッロ、チンブローネ庭園を紹介した。続いて、筆者は訪問したことのない重要な観光地シチリアや大衆的なワインで名高いプーリヤやマルケ州についても主な観光地とワインを解説した。

最後に、その他のワイン・リジョンと良いイタリア・ワインの選別方法について紹介した。

続いて保坂洋氏の案内で会場最上階にあるパソナの大手町牧場を視察した後、同氏設営の懇親会が同ビル地下2階のレストランB8aにて開かれました。静かな個室でアサヒビール(!)での乾杯の後、ロミオ(&ジュリエット?)という名のワインを飲み放題で“地中海料理的”(?)な食事を堪能しました。適切な環境でしたから、久しぶりにテーブルスピーチが可能となり、ゲストを含め全員が遠慮なくユーモア溢れるスピーチを披露され大変楽しいひとときを過ごすことができました。

以上 

(今井智之 記)

2017年4月16日 掲載

第67回「海外旅行研究会」

海外旅行研究会第67回例会が3月30日(木)DF会議室にて、13名の出席者を得て、開催されました。冒頭、世話役より、(1)清水優氏がDF及び当会を退会したことと、(2)DF15周年記念事業の一環としての同好会展示の件に関し、その準備につき打合せが来週開始されることが報告されました。

続いて、有吉和幸氏による「想い出のヨーロッパ」と題する発表が行われました。「シャンパン、オペラ、ガウディ」と興味深い副題が書かれていましたが、“海外の観光地は日本と比べスケールが違う”という印象を得た、ロシア、アメリカ、中国という大陸からはじめ、フランスはモエ・エ・シャンドンでのシャンパンの造り方を、ウイーンではオペラハウスの体験を、またスペインではバルセローナのガウディの世界を、イスタンブールでの大成建設のトンネル工事の様子を、そしてイギリスではスインドンのマジック・ラウンドアバウト(Magic Roundabout)を詳細な観察力をもって見聞されたことがよく伺えました。

次に、沢井成美氏が「サハリン、いちばん近いヨーロッパ」と題するサハリン紀行を発表されました。お友達と4人組で、日本の最北端にある稚内に集合、フェリーで5時間かけサハリンの最南端にあるコルサコフに上陸、そこから州都ユジノサハリンスク、更に鉄道で旧ソ連国境の北緯50度線近くまで北上し、かつて日本が統治した“樺太”の町々を周遊、戦後70年でロシア化した現在の姿に「日本からいちばん近い ヨーロッパ」を発見します。ロシア人の美しい女性のみならずヨーロッパ的雰囲気を堪能されたことがよく表現されていました。発表後、かってない程多くの質問が飛び出しましたが、皆が格別の興味を抱いた証でしょう。

以下は、両氏からの発表の概要です。

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icon「想い出のヨーロッパ」有吉和幸氏

入会後初めての発表で緊張しましたが、今までの写真を整理する良い機会になりました。写真を見ながら思った事は海外での印象の大きさは “驚き” の大きさだと言うことです。その “驚き” は “スケール” “ギャップ” “異文化” から感じたものでした。

  • 今までの振り返りとして、イグアスの滝で感じた見渡す限りが見せ場だという “圧倒的なスケール感” 、ロシアは暗い、ニューヨークは最近治安が良いなどの “先入観とのギャップ” 、アジアや中国で感じた近くて遠い “異文化” 等についてお話ししました。
  • 本題は特に印象深かったヨーロッパでの “驚き” の想い出です。 
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例会
イグアスの滝(下から)
例会
イグアスの滝(上から)
イグアスの滝(下から) イグアスの滝(上から)
1.先入観とのギャップ 

フランス、シャンパーニュ地方にてシャンパンの作り方を聞いた時に、シャンパーニュ地方は北の方にあるのでブドウの酸味が強く良いワインが出来ない。そこでワインに酵母と蔗糖を入れ瓶詰めし2次発酵させ、そこでできる澱を取り除いてリキュールなどを添加して調整したのがシャンパンだという説明でした。ドンペリのイメージからシャンパンはワインより高尚だと勝手に思っていたので、色々なものをブレンドさせたり、糖質で甘くしたりするという事に驚きました。

オペラも私の中では高尚なイメージでした。ウイーン国立歌劇場に行くときにはドレスコードを気にしましたが、実際行ってみると堅苦しい雰囲気はなくオペラが生活に馴染んでいることが良く解りました。ただ時差や寝不足などの影響で旅行中の観劇は心地よい音楽と適度な暗さからくる睡魔との戦いが待っていました。

2.スケールと異文化 

スペインは財政破綻と言うことで暗いイメージだったのですが、料理はおいしいし気候、治安も良く住みやすそうな国でした。バルセロナは町中いたるところにガウディの作品があり少し歩くと色々見て回ることが出来ます。またガウディがフリーメイソンだという都市伝説のシンボルも確認できます。サクラダファミリアには思わせぶりな33を示す魔法陣、大きな扉は日本人(外尾さん)が制作したと言うこと等に驚きました。

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例会
カサ・アマトリエールとカサ・バトリョ
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カサ・ミラ
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グエル公園
カサ・アマトリエールとカサ・バトリョ カサ・ミラ グエル公園

イスタンブールはアジアとヨーロッパにまたがり、間のボスポラス海峡には大成建設が施工した海底トンネルが完成しています。その海峡に行ってみましたがスケールの大きさに驚かされました。アヤソフィアはイスラム教とキリスト教が交わり、その地下にはメビウスが柱の下に敷かれています。今も昔もイスタンブールは異文化のぶつかった場所と言うことで色々考えさせられました。

3.自動車道

最後に、自動車運転で馴染めなかった点です。それは右側優先とラウンドアバウト*です。イギリス、スインドンにはマジックラウンドアバウト*があります。5輪のラウンドアバウトでどうやって行きたい方向へ行くのか考えるとパニックになりそうな所です。

(編集注:*ラウンドアバウトはイギリスの環状交差点のこと。日本では俗にロータリー交差点ともいう。スインドンにあるマジック・ラウンドアバウトはさらに複雑な構造でイギリスでも珍しい。事故と渋滞の軽減に役立っていると云われる)

◇ ◇ ◇

今回は、思い出を振り返る機会を頂きありがとうございました。

以上

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icon「サハリン、いちばん近いヨーロッパ」沢井成美氏

日本からの近さを体感すべく北海道の稚内港からフェリーで渡った。コルサコフ(旧大泊)の税関を通った後ガイドのユーリー・ワシリエフに迎えられて、早速コルサコフの町を観光。

ここは日本統治時代北海道への表玄関だっただけに旧拓殖銀行大泊支店だったビルやかつては堂々たる構えだったと思われる亜庭神社の跡などを見学したが、神社は見るも無残に壊され夏草に覆われているのが寂しい。

コルサコフの中心部はまったくロシア風に造り変えられ一見ヨーロッパの町のようだが、走っている車は右ハンドルで殆どが日本の中古車だと分かる。

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コルサコフ市街地
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旧樺太庁
コルサコフ市街地 旧樺太庁

翌日は州都ユジノサハリンスクを巡る。ここはかつて豊原と称された町でここに県庁たる樺太庁が置かれていた。この建物は現在郷土博物館として使われており、周りの庭も整備されて人々の憩いの場となっている。われわれが訪ねた時も現地の幼稚園児達が遠足に来ており館内は賑わっていた。当然のことだが、ほとんどがロシア系ヨーロッパ人であり、ここが北海道から最短50kmの場所とは思えない不思議な感覚にとらわれる。

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ジャパンセンター
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子供たち
ジャパンセンター 子供たち

ソ連崩壊後日本政府がロシア全土に5つ設置した「日本センター」のひとつがこの町にもあるというので寄らせてもらった。日本語教室を見学したが、ウィークデーにも拘わらず沢山の人たちが勉強に励んでいる。ここも女性が多く、何故か皆さん若く美人である。

その日の夜遅くユジノサハリンスク駅から夜汽車で北に向かう。この鉄道は狭軌で日本統治時代のものをそのまま使っているとのこと。かつて宮沢賢治がこの夜汽車に乗り、物語「銀河鉄道の夜」を着想したらしい。列車は夜のしじまを突っ切って翌朝早く冷たい雨に煙るスミルヌイフに到着した。流石に北緯50度線に近く、6月にも拘わらず持参したウィンドブレーカーを着て列車を降りる。

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夜汽車
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日本軍トーチカ跡
夜汽車 日本軍トーチカ跡

スミルヌイフから車で一路北上し旧ソ連国境線だった北緯50度地点まで行き、日ソ両軍が激突した戦跡を巡った。ここは正に昭和20年8月に突如侵攻してきたソ連軍と日本の守備隊が「終わらざる夏」を戦った現場だ。夏草に覆われたトーチカが無残な姿を晒して林の中に佇んでいた‥‥ 。茫々たる林と草むらには未だ収集されない日本兵の遺骨が残っているという。

車で一路南下し間宮海峡を望む漁村の近くで大きなタラバガニを買ったりしながら次の目的地ホルムスクに向かった。タラバガニを路肩で売っているロシア人の女性たちはいわゆる漁村のおばちゃんとは思えない垢抜けた都会的な感じで金髪にサングラスがよく映えてまことに場違いな雰囲気である。

雨が降りしきるホルムスク(旧真岡)は灰色に沈んだような風情。この町も終戦の年の8月後半に対岸のワニノから突然ソ連軍が押し寄せ、ソ連軍と日本守備隊との間で激しい戦闘が行われた。最後まで電話局に残って住民の避難を支援した電話交換手9名が服毒自決をしたことでも知られる。われわれもその電話局のあったところを訪ねたが、今は現地の銀行の支店があるロシア風のダウンタウンとなっていた。

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レーニン像
例会
レーニン胸像とサハリン美人
レーニン像 レーニン胸像とサハリン美人

ホルムスクにも堂々たるレーニン像が町の真ん中に鎮座していた。スターリンの大きな写真もある。ここは旧ソ連を懐かしんでいるのだ。ソ連時代は辺境住民への多額の補助金が出ていたらしい。今は自立自存の時代となり、古き良きソ連時代が忘れられないということなのだろう。

ガイドのユーリーはこの町自慢の海洋博物館に連れて行ってくれた。ここで案内をしてくれた若い女性がシャラポワ並みのすらりとしたジーパンの似合う美人である。

ホルムスクからユジノサハリンスクまでは山越えをしなければならない。その道路の途中で日本軍守備隊のトーチカ群と戦後ソ連が建てた記念碑を訪れた。この丘の戦闘も熾烈を極めたという。ここも9月2日の降伏調印の日まで「終わらざる夏」があったのだ。

帰路はロシアのオーロラ航空で千歳までひとっ飛び。1時間20分ほどの飛行である。まことにサハリンは一番近いヨーロッパだ。しかし、もうサハリンに行くことはあるまい!

懇親会は、銀座1丁目に最近開店となった「ラ パンサ」で美味しいスペイン料理とワインを楽しみながら盛会でした。このコスト・パーフォーマンスもよい素晴らしいレストランを見つけ設営して下さった保坂洋氏には特に感謝申し上げました。

次回は、15周年記念事業やDFオフイスの移転があり、6月後半に開催し、戸田邦男、萩原秀留両氏にプレゼンをお願いする予定です。

以上 

(2017.3.31 今井智之 記)

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2017年2月9日 掲載

第66回「海外旅行研究会」

平成29年1月26日(木)第66回例会がDF大会議室で18名の出席者を得て開催されました。

先ず世話役よりDF15周年総会での展示に出品することを決め、必用な準備作業は、世話役の他、常信伊佐夫氏、井上史男氏、鈴木 哲氏の協力を得て行う旨の報告がありました。

引き続いてプレゼンが行われ、最初に、四方 満氏が「快晴のマッターホルンとコモ湖の印象」と題して、スイスからアルプスを越えイタリア、コモ湖に至る絶景とグルメを楽しむ旅の模様を報告しました。レマン湖にあるション城を“コジョウ(湖上)のコジョウ(古城)”等とユーモア溢れるプレゼンでした。

次は、常信伊佐夫氏が、「古城ホテルに泊まるポーランドの旅〜ショパンゆかりの地を辿って」を報告しました。ポーランドは2度の大戦を経て厳しい戦禍の地であり貴重な歴史遺産が破壊されているという、一般的印象に反して、大変豊かな美しい国であることが伝わって来ました。素晴らしい観光資源を再構築した実績が伺われます。

四方氏もそうですが、写真同好会のベテラン写真家で披露された写真は大変美しかったので拡大した写真を拝見したかったという印象でした。以下は両氏からの報告概要です。

icon「快晴のマッターホルンとコモ湖の印象」四方 満氏

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例会
「快晴のマッターホルンとコモ湖の印象」の行程
「快晴のマッターホルンとコモ湖の印象」の行程

妻とヨーロッパ各地を旅行して15回程度になる。

近年はテロとの危険を避けて計画し、我々のアキ日程と調整をしながら決めるのに苦労をしている。危険が少なく、古いカメラを持参して景色を楽しみながらゆったりツアーに参加が希望条件である。

いつも利用しているワールド航空サービスから恰好な案内がきた。”マッターホルンを望む名門ホテルとコモ湖ヴィラ・デステの旅“である。宿泊の3ホテルは連泊であり、山岳国スイスの名峰マッターホルン周辺をトレッキングシューズで散策、またコモ湖では世界の旅人の憧れのホテルに宿泊という贅沢なコースに申し込んだ。夫婦4組、母娘2組等合計16名とゆったりした旅になった。

8月31日、残暑厳しい日本を後にしてスイスの首都ベルンに向かった。



世界遺産のベルン旧市街に建つアールヌーボー様式の伝統的な5つ星ホテルから見るU字型に湾曲して流れるアーレ川は美しい景色であった。

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レマン湖(マルシェ広場前にて)
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世界遺産のベルン旧市街地風景
レマン湖(マルシェ広場前にて) 世界遺産のベルン旧市街地風景

レマン湖畔には、美しいぶどう畑に囲まれた中世の町モントレーを散策、ション城に立ち寄りお目当ての名峰マッターホルンの麓の町ツェルマットに向かった。目の前にマッターホルンが一望できるホテルからは日の出、夕日、快晴の景色がカメラに収まった。

翌日は町から延びる山岳鉄道の終点3089mのゴルナーグラート展望台へ。氷河の上に立つマッターホルンはまた違った顔を見せてくれた。雄大な氷河には永きに亘る自然の奥深さを感じた。明くる日はケーブルカーにて3883mクラインマッターホルン展望台へ、気温も低く氷の宮殿を楽しんだ。我々が行く前日までは天気が優れず雲により残念な日が続いたが3日間は最高な天気であった。

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マッターホルンの日の出
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夕日輝くマッターホルン
マッターホルンの日の出 夕日輝くマッターホルン
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ゴルナーグラート展望台から見るマッターホルン
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クラインマッターホルン展望台(3089m)から見る
ゴルナーグラート展望台から見るマッターホルン クラインマッターホルン展望台
(3089m)から見る

コモ湖へはスイス随一の絶景といわれる山岳鉄道チェントバヴァッリ列車にてコモ湖まで乗車体験を楽しんだ。名門ホテルヴィラ・デステは16世紀の離宮と19世紀初頭の英国王妃の邸宅、10ヘクタールの敷地を持つ優雅な階段庭園は一度は泊まってみたいホテルであった。漢字の“人”にそっくりなコモ湖は避暑地としてハリウッドの俳優やヨーロッパの貴族の別荘が散在していた。

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コモ湖:ヴェラ・デステ(5つ星)
コモ湖:ヴェラ・デステ(5つ星)

今回の旅行のハイライトはマッターホルンの魅力に触れることであり、景色や散策も食事も満喫できた旅であり、日常と離れて贅沢な時間が過ごせた。

以上

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icon「古城ホテルに泊まるポーランドの旅〜ショパンゆかりの地を辿って」常信伊佐夫氏

1.苦難の歴史を持つポーランド

ポーランドは15世紀から17世紀が全盛期であったが、周辺を強国に囲まれており何度も侵略、分割されるという苦難の歴史を辿っている。18世紀末には国が消滅し、123年にわたり世界地図から姿を消した。1912年に独立したものの第二次世界大戦ではナチスドイツの侵略を受けたのち、戦後は旧ソ連に組みこまれ、新たに独立するまで長く辛苦の時期を経ている。とりわけナチスドイツの侵略占領とユダヤ系住民迫害は、壊滅的な破壊と人間の尊厳を踏みにじる負の遺産をこの国の歴史に残した。

2.旅行中に感じたこと
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ワルシャワ歴史地区(世界遺産) (ワールド航空パンフレットから)
ワルシャワ歴史地区(世界遺産)
(ワールド航空パンフレットから)

感銘を受けたことは、戦争により破壊し尽されたワルシャワの街を40年以上かけて中世の美しい街並みに見事に復興させ、今では落ち着いた政治と経済環境のもとで人々が平和に暮らしでいることだ。

2.ショパンの存在が大きい

キュリー夫人やコペルニクスといった優れた科学者、物理学者を輩出した一方で、この国ではショパンが極めて大きい存在であることが分かる。これはショパンの曲が、ポーランド人の愛国心と人間の尊厳を守るために戦った人々を鼓舞する精神的支柱であったことによるのではないかと考えられる。

3.ショパンゆかりの場所を辿る

今回の旅行は、ショパンゆかりの場所を辿りながら観光した。最初に訪れたショパン生誕の家はワルシャワの郊外にあり、ショパンを知るうえで貴重な博物館になっている。

大きなショパン像があるワルシャワのワジェンキ公園は、夏場には一流ピアニストによる野外コンサートが開かれ人々の憩いの場となる。

ショパン一家が通った聖十字架教会を見学したが、ショパンの遺言により標柱の下に彼の心臓が安置されているという。

ショパン生誕200年を記念して市内の各地ゆかりの場所に設けられた「ショパンのベンチ」は、全部で15カ所あり、ボタンを押せばショパンの曲を楽しめる。

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ワジェンキ公園野外コンサート
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ヴロツワフ市庁舎
ワジェンキ公園野外コンサート ヴロツワフ市庁舎

ワルシャワから離れたドゥシュニキは彼が療養のため滞在した土地であり、そこには両親を失った孤児たちを招待してピアノリサイタルを開いたというショパン館がある。歴史を刻んだショパン国際ピアノフェスティバルが毎年ここで開催され、世界中から著名なピアニストが集まるという。

ポーランドで4番目に大きい観光都市ヴロツワフには、ヨーロッパ最古のビアセラーがあり、ショパンが良く訪れたという。外観を見ただけで入りたくなる構えだ。

4.古城ホテルに泊まる
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古城ホテルザ・メック・クリチュコフ
古城ホテルザ・メック・クリチュコフ

ツアーのテーマである古城ホテル宿泊は、ヴォレスワヴィエツの「ザ・メック・リチュコフ」とクウォツコにある「ザ・メック・ナ・スカレ」の2カ所で、合わせて4泊した。いずれも周辺国からの侵略に備え要塞として建造され、のちにホテルに転用されたもの。古城の趣を残した味わいのあるホテルであったが、設備・サービス面では近代ホテルには及ばない。

5.その他の観光

ルートに次のような色々の観光、見学が組まれ、心に残る多彩な観光ツアーであった。

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ヤボルの平和教会(世界遺産)
ヤボルの平和教会(世界遺産)
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ヴィエリチカの岩塩坑(世界遺産)礼拝堂
ヴィエリチカの岩塩坑(世界遺産)礼拝堂
  1. ドイツ、チェコと国境を接する、今も中世の趣を残す都市ヴロツワフの観光。街のあちこちに存在する200以上の小人たちが観光客を楽しませてくれる
  2. ヴォレスワヴィエツの陶器工場見学と紙博物館での紙漉き体験
  3. 30年戦争後に立てられた木造の教会で世界遺産登録されているヤボルの平和教会とシフィドニツア教会の見学(写真右上)
  4. 花柄ペイントが施されたかわいい建物が並ぶザリピエ村の観光。この村はヨーロッパの美しい村30選に入る
  5. 13世紀から国の貴重な財源となってきたヴィエリチカの岩塩坑見学。全長300キロメーター、最深部327メートルの坑道には坑夫が岩塩で作成した彫像が並びとりわけ地下3階部分に設けられた礼拝堂が圧巻。世界遺産に登録されている(写真右下)
  6. 17世紀にワルシャワに遷都されるまで首都であった歴史ある街クラクフの観光と散策
6.帰国後も楽しむ

ポーランドに関心を持ち、帰国後にショパンの曲を集めたピアノリサイタルに出かけ、ナチスドイツの侵略圧政をテーマにした小説「また、桜の国で」を読むなど旅行の余韻を楽しんだ。

恒例の懇親会は、保坂洋氏のご努力で新しい会場を経済的に利用するため午後4時より開始されました。昨年11月にオープンした京橋エドグランドというビルの地下1階にあるワインバー「明治屋ワイン亭」を貸し切っての宴会でした。出席者16名が3つの島に分かれたテーブルを囲んで大いに盛り上がりました。次回の例会は3月となりますが、プレゼンテーションが決まりましてから改めてご案内致します。

以上 

(文責 今井智之)

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