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 2021/05/01(No.340)

「ハゲタカ」は遠くなりにけり

越 純一郎

明治は遠くなりにけり」と中村草田男くさたおが詠んだのは、明治が終わって19年後だったが、小説「ハゲタカ」(真山仁まやま じん、ダイヤモンド社)も刊行後17年を経て、「遠く」なった。ハゲタカは2007年にNHKドラマ、2018年にテレビ東京のドラマBizとして放映されたが、最近は知らない人も多いという。

NHKドラマ「ハゲタカ」で柴田恭兵が演じた主人公芝野健夫のモデルは、私である。これまで自ら語ることはしなかったが、遠くなったようなので、初めてお話してみたい。

「倒産か、復活か 企業再生の現場」という特集を組んだ週刊ダイヤモンド2003/1/25号に、「秋田の中小企業再建に奔走 元興銀マンの822日」という特集記事があり、私が実名で紹介されている。同誌は、産業再生機構発足を3か月後に控えた事業再生元年の特集としたのだが、私の方は宣伝広告費など支出できない貧乏企業だったので、無料広告のつもりで応じたのだった。

これを見た作家真山仁氏から連絡があり、大阪で会った。また、私が携帯電話で気軽に頼める知人たち(ファンドの社長やM&Aバンカー)をその場でご紹介した。

翌年、真山氏はダイヤモンド社から経済小説ハゲタカ」を出版。その中に、上記の週刊ダイヤモンドの記事の一部が、変更なしにそのまま引用されている。ただ、週刊ダイヤモンドではなく、週刊エメラルドとなっていたのには笑った。その引用に気づいて、ハゲタカのモデルは越純一郎だと言う人たちがWEB上に現れた。

主人公芝野健夫は、「メガバンク初の不良債権のバルクセール」を行ったが、それは某大手銀行のS氏がモデルである。彼は銀行を退職して地方(実は秋田)の企業の再建に赴くが、そこ(だけ)が私をモデルにした部分である。

左から「週刊ダイヤモンド2003/1/25号」「NHKステラ(右が柴田恭兵)」「作家の真山仁氏」

真山氏から「越さんのことを余り書けませんでした」と手紙が来た。NHKドラマでは、主演の柴田恭兵氏が癌となり、交代した中村獅童氏が飲酒運転騒動で降りた後、治療を終えた柴田氏が「自分がやる」と言い出し、僅か一カ月で収録したとNHKから連絡があった。

実際の物語の始りは2000年。日本興業銀行の行員としてニューヨーク駐在が12年目を迎えていた45歳の私は、日本海海戦勝利を記念する海軍記念日の5月27日、まなじりを決してJFK空港を発ち、帰国後、興銀本店で退職手続を済ませ、秋田の企業グループの再建に赴いた。

秋田での再建実務は、M&Aであり、国内外の資産売却や窮境下の資金調達であり、ゴルフ場再建、IT製品の全国販売展開であり、そのための幾多の交渉、企画、法務であり、気づけばシステム開発以外の主要事項は全て自分でやっていた。英文/和文の契約書実務、M&Aの諸実務、証券化実務、そしてインベストメント・バンカーとしての経験が役立った。富士通との詳細な契約書も、現社長の北畠君の運転で取引先に向かう車の助手席で、自分のPCで作成した。

債権者の秋田銀行が債務者側の私に対して「秋田銀行のM&A顧問になってほしい」と依頼してくるくらい、秋田ではM&Aも、英文契約書も、ノンリコースローン(不動産取引で用いられる融資方式)や固定資産税適正化も、日常になかった。今も同じだ。

真山氏は「かっこいい」と言ってくれたが、私は2度目の鬱病となり、周囲を心配させないため伏せたが、背中の手術や肘の治療を受け、一方で退職した元社員たちを社外でケアした。地元経営者のご指導にも注力した。

献血に行く日曜の朝、若いご夫婦とお子さんの3人家族の後ろ姿を見た時、思わず落涙した。私は、こうした普通の日本人が普通に暮らしているだけで幸せになれる国を作りたかったのだ。今、秋田に私がやらねばならぬことがある。地縁も血縁もないが、自分は来るべきところに来たのだ。こういう時のために、日米で実務を自分の体に叩き込んできたのだ。そう思った。

秋田でM&Aでも何でも自分でやったのは、私にしかできなかったからだ。幸運なことに、私の学歴や過去の肩書など関係ないから、本当に自分の実務能力だけで道を切り開くしかなかった。大企業サラリーマンのお気楽人生から卒業できた。家族を守る如くに社員を守らむと心血を注いだ。1人もリストラせず、僅かだが毎年雇用を増やした。2003年に黒字化した。

2007年、秋田を離れ、無職、無収入となる。ビジネス・スクール教員、児童教育テーマパークの開発、不動産投資、経営者育成事業などで、成功したり失敗したり。現在はEラーニング事業の傍ら、経営者教育、経営指導、執筆や講演で年々忙しくなり、三流のプライドに陥ることもない。古稀IPOをやってみたい。

秋田では確実な見込があったのではなく、滑り込みセーフの連続という綱渡りだった。同じことをもう一度やってもどうなるかわからないし、そもそもシンド過ぎる。秋田では明け方に恐い夢にうなされ、声をあげてガバっと起きることが続いた。そのトラウマは長く続き、今も夜に見る夢は不安なものばかりだ。

この秋田企業は、私の離任から数年後に債務超過を解消した。多くの人の努力で、多くの人の幸せが実現された。未熟ゆえの失敗もあったが、正しく生きた。悔いはあるが、恥はない。エンドマーク

こしじゅんいちろう(1350) ベトナム研究会(予定)
(株)テイク・グッド・ケア  元日本興業銀行

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