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一般社団法人 ディレクトフォース

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 2019/02/01(No286)

蕎麦とともに世界が拡がる

ーー 種蒔きから蕎麦打ちまで 私の蕎麦作り体験記 ーー

市古 紘一

浅草の蕎麦名店「 蕎亭大黒屋 ( きょうていだいこくや ) 」には、蕎麦の神様と言われ、一茶庵の創始者である「片倉康雄」の書(下)が掲げられている。片倉康雄の書を見ながら店主の菅野重雄さん*の話を聞いて、次には自ら良い食材を作ってみようと思いたった。これにより蕎麦の種を播いてから(川上)、蕎麦を口にするまで(川下)、全てのプロセスを体験することになる。

2015年蕎麦打ちを始めて10年くらいが過ぎたころ、8人の高校時代の同級生に声をかけ、「山梨県小淵沢」の畑を借りて蕎麦栽培を始めることにした。

*片倉康雄の教えを受け継いでいる菅野さんに関しては、「そば打ち一代記」に興味深く描かれています(上野敏彦・平凡社)。

食はすべて そのもとをあきらかにし、調理をあやまたず、そこのうことなければ、 味わいすぐれ、からだを養い、病をもいやし、よく人を作る

1.川上から川下へ(蕎麦を播いてから口に入るまで)

美しい八ケ岳連峰が見える畑に一面覆われた草を刈り、小型耕耘機を使っての耕耘から始め、8月上旬には150坪の畑に蕎麦の種を播くことができた。 播種 ( はしゅ ) から1ヶ月後の9月上旬には畑一面可憐な白い花が咲き、75日後の10月中旬には秋空のもと黒化した蕎麦が実った。

「小淵沢での蕎麦栽培(川上)1」(クリック→拡大)

次に鎌を使って刈取った蕎麦はハサ掛け*にて2週間天日干しにする。その後足踏み脱穀機を使い蕎麦の実だけを取り出し、 唐箕 ( とうみ ) *を使い実に付いているゴミを取り除き、円錐形の形をした貴重な20Kg強の 玄蕎麦 (げんそば) を収穫することができた。これが第1段階「蕎麦の川上」である。蕎麦は貧しい土地でも生育し、穀物の中でも栽培は比較的手間がかからないと言われるが、出来栄えは天候に大きく左右される。  

「小淵沢での蕎麦栽培(川上)2」(クリック→拡大)

*ハサ掛け:木材等の柱に横木をかけたもので、刈取った穀物を束ね天日に干す農具

*唐箕:脱穀した穀物に風を送り、ごみ等の異物を吹き飛ばす農具

この玄蕎麦を製粉所にて製粉するかもしくは自ら製粉することなる。我々は玄蕎麦を更に磨きあげゴミを落としたあと、手挽きの石臼にて殻ごと挽いた蕎麦粉を ( ふるい ) で2度ほど篩って粗挽きの蕎麦粉を作った。石臼はゆっくり回すため1Kgの粉を取るために2時間近くを要した。これが第2段階「蕎麦の川中」である。我々はすべて手作業で行ったが、現在プロの世界ではほとんど機械化されている。味わいすぐれたそばを口にするためには、全ての行程が大事であるが、特にこの「川中」作業の出来が大きく影響すると言われている。

製粉作業(川中)と 蕎麦打ち(川下)」(クリック→拡大)

貴重な収穫物である蕎麦粉を使って皆で蕎麦を打った。ほとんどが初めての蕎麦打ちであったため、きしめんのような蕎麦も混じっていたが、格別な味に皆感激した。現在蕎麦打ちは高齢者の間で大変人気があり、作業自体は単純作業で簡単に見えるが、なかなか奥が深く極めることは容易ではない。蕎麦粉と水を使う蕎麦打ちでの道具は、「めん棒、木鉢、のし台、蕎麦きり包丁、まな板、こま板」である。蕎麦打ちのプロセスは、「一鉢」「二こね」「三包丁」であり、特に「一鉢」つまり水回しが一番難しく、マスターするのに3年かかると言われている。出来上がった切り蕎麦を茹で上げれば、蕎麦の出来上がりである。これが第3段階「蕎麦の川下」である。

ざる蕎麦1枚を食べるのは、通常5分程度であろう。しかし種を畑に播いてから多くの人による大変な時間と労力がかかっており、どこかに手抜きがあっては美味しいそばを食べることはできない。現在名店と言われている蕎麦屋では、ほとんどが玄蕎麦もしくは殻を取った丸抜きを仕入れ、自ら石臼を使い製粉している。美味しいそばを提供するために大変な努力をしている。川上から川下まで自ら体験することによって、改めて実感することができた。

2.ディレクトフォースの蕎麦打ち同好会

ところで現在世話役をしているディレクトフォースの「蕎麦打ち同好会」は、横井さんを中心に14年前に創部され、約25名の会員が奇数月は蕎麦打ちを、偶数月は蕎麦巡りを行っている。蕎麦打ちは、日本ビルの会議室や京成立石にある「玄庵」の蕎麦教室*で腕を磨いており、打った蕎麦は持ち帰り家族からも大変喜ばれている。

蕎麦巡りは延べ90店、重複を除いても70店を超えて都内の有名店は軒並み訪問しており、新規訪問を探すのに苦労する状況である。また年1回実施している全国の蕎麦産地旅行は、第1回の戸隠(長野県)から昨秋の奈川(長野県)まで8回を数える。また蕎麦打ちのボランティア活動にも積極的に参加しており、千代田区高齢者センターでは一昨年まで10年間蕎麦打ちを続け、また昨年6月には「公立学校共済会神奈川支部」の蕎麦教室の講師として、10月には老人ホーム「オーシャンプロムナード湘南」の「蕎麦の夕」に参加し蕎麦を打った。このように活動は少しずつ広がってきている。

(クリック→拡大)
   

*京成立石にある蕎麦店「玄庵」には、蟻巣石を使用した製粉所とプロを養成する蕎麦教室が併設されています。

3.拡がる蕎麦の世界

蕎麦は他の日本文化ともつながりを持っており、歌舞伎、落語、そして俳句の世界でも蕎麦に触れることができる。蕎麦といえば日本酒ではあるが、国産ワイン特に甲州の白ワインがよく合うと言われている。蕎麦屋に行って他の日本文化について語り、ワイングラスを傾けながら蕎麦を手繰ることもできる。

また蕎麦は江戸時代に本格的に庶民の間で広まり、どちらかといえば年配者の食べ物と思われているが、近年若い人や外国人にも関心が広まっている。「玄庵」の蕎麦教室では、若い女性のグループや外国人のグループが蕎麦を打っている姿をよく見かける。このように見てくると蕎麦を楽しむ仲間も広がり、蕎麦の楽しみ方も多様化してきていると思う。他の日本文化と融合することによって、蕎麦の世界が広がることは良いことである。日本食文化の象徴である蕎麦の伝統は決して忘れずに、拡がる蕎麦の世界を楽しんでいきたいと思う。エンドマーク

いちこ こういち ディレクトフォース会員(338)
 元朝日生命

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