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一般社団法人 ディレクトフォース

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 2017/9/1(No252)

「良き人たちとの出会いで実現できた古民家の再生と活用」

ーー ふるさと総社市の実家の物語 ーー

池上 眞平

私

会社をリタイア後3年経過した時点での自由人生活の振り返りを ”DFメンバーズエッセー” に纏める機会を頂戴した。 ここでは出来事の1つである「故郷の総社にある実家の再生と活用」の顛末を紹介します。

約30年前の共同開発で出会ったコダック社の G.Popp さんの言葉「人生は4つのフェーズから成る」は「人生を四楽章から成る交響曲に喩えて自分自身の人生設計を試みる」良いきっかけとなった。

リタイア後の自由人生活(第四楽章)は ”自由に自分の人生を楽しむ時期” と考え、趣味の写真、スポーツや旅行を楽しみながらささやかな社会への恩返しを行ってきた。

これらの楽しみが、リタイア後の予想以上に多い雑務の前向きな遂行にも必要なのを実感し、自由人生活においても On/Off のバランス取りが必要なのを再認識した。

Phase I:第三楽章(2009年)〜第四楽章(2012年)

祖母が亡くなり空き家になった故郷の実家を父が定期的に訪れて、家に風を通すという軽いメンテナンスをするという状況が続いた。しかし、父が齢を重ねるにつれてメンテナンス頻度が減少し、実家の痛みが徐々に酷くなっていった。これを見兼ねた私は、父に「社会貢献に実家を活用」を提案した。しかし、「第三者への実家の貸与は先祖に申し訳ない」を理由に強硬に反対した。何度か説得を試みたが、感情的な反発を繰り返すので、父の生存中に実家を有効活用するのを諦めた。

約10年前に父が亡くなったのを契機に「社会貢献に実家を活用」に繋がる伝手探しを開始した。その結果 NPO ハート・アートおかやま代表の田野智子さん(写真)と出会い、この NPO に所属する若いアーティスト達が実施している絵画や工作のワークショップの会場として実家が活用されることになった。

この活動の狙いは、「言葉によるコミュニュケーションが苦手な子供達の持つ高いポテンシャルを引出し、かつ彼らの心を徐々に開く」である。このような子供達の持つ高いポテンシャルを実感した時の感動を今でも良く覚えている。また隠岐や高松を含めて幅広い活動を展開なさっている田野さんのお蔭で出会った様々な分野で活躍なさっている人達から多くを学べた。

さらに色々な局面で挑戦心とリーダーシップを発揮する彼女の「”靴に足を合わせる”だけでなく”足に靴を合わせる”」という柔軟な発想とバイタリティに感服した。一般企業ではあまり出会うことがなかったタイプの人材なので、印象的な出会いであった。上記NPO立上げのきっかけが,彼女が小学校教諭だった時の経験「障害を持った生徒と他の生徒達の温かくかつ柔らかい人間関係を軸とするクラスの結束」や「障害者を対象とする絵画教室の指導」であった。これも彼女の特徴を反映していると感じた。

残念ながら東日本大震災の影響などで NPO の活動資金の枯渇などのために実家の活用を中止せざるを得ない状況になった。

現在も彼女はNPOハートアートリンクの代表として「福祉施設へのアーティスト派遣」を含む多様な活動を実施している。

Phase II:第四楽章(2012年〜2016年)

田野さんや”はじめ塾”の関係者の方々などの支援を受けながら、次の社会貢献の糸口を求めて様々な人達と会った。いずれの人達も”我が道を行く”を実践しておられるので、私には新鮮であった。「”社会との接点を適度に保つ” と ”我が道を行く” を両立している人」を念頭に置き、出会った人達との雑談を楽しんだ。皆様が本音を楽しく語って下さったので、雑談は私にとってとても良い刺激になりまた学びの機会となった。

しかし、本当にお互いの心が共鳴したと感じる人になかなかで出会えなかった。やっとそのような人と出会っても、高過ぎる改装工事費用のために行き詰り、焦りも感じていた。最悪の場合には実家を取り壊さざるを得ないことを叔父に伝えた時に、彼は了解して呉れた。しかし、彼のとても寂しい気持ちがその時に伝わって来た。また念のために見積もって貰った実家の取り壊し費用に目が点になり、八方塞がりの状況に陥っていた。

このような状況の時に田野さんが松本剛太郎さんと伊永(これなが)和弘さんを紹介して下さった。松本さんは一級建築士の資格を持つ建築家かつ美術作家、伊永さんは美術作家かつアートディレクターである。このお二人と挨拶をした時に何だか”良い気”を感じたのを覚えている。雑談するにつれて ”ケミストリー” が合うなと私は感じた。

左から 伊永和弘さん 私 松本剛太郎さん

まず廃屋寸前の実家をチェックして下さった松本さんのお言葉「難工事となるが、価値ある建物なので修復したい」に救われた気がした。しかも、一級建築士でありながら”古民家との対話を通して先人の知恵を発見するスキル”、”単独で工事するスキル”と”アイディアの玉手箱” を持ちかつアーティスト生活を楽しんでおられるきさくな松本さんは稀有な方である。

海外でも活躍しているアーティストでありながら気取らない伊永さんの”細やかな気配り”と”強い好奇心”に感心した。彼らの絶妙なチームワークが醸し出す雰囲気はとても心地良かった。私は信じ難い幸運に巡り合えたと感じた。

「地元の人々を含む多くの人々が集えるギャラリーとする」「少なくとも10年間、松本さんと伊永さんが実家を無償活用する」「松本さんが修復工事メンテナンスを担当し、伊永さんがイベント企画/実施を伊永さんが担当する」「私が修復工事の材料費の一部を負担する」「長期継続に必要な後継者を探す」という基本合意に短時間で到達し、修復工事が2015年の秋にスタートした。

予想以上に損傷が進行している箇所も随分あったが、松本さんは粘り強く難工事に挑戦して下さった。松本さんが編み出した工法で大屋根の吹き替えもほぼ一人で遂行なさったのには仰天した。

「工事の進展を実感でき、現場で松本さんや伊永さんとの会話を楽しめ、さらに彼らの様々な知人と出会える」ので総社に出掛けるのが楽しみになった。松本さんと伊永さんの国内外の豊富な人脈に驚くと同時に人生の軸をぶらすことなく生きている人達に感銘したことが度々あった。今まで知らなかった世界は、私にとってとても新鮮であった。また彼らと共感できたのは、私にとって貴重な経験となった。

工事の進展を嬉しそうに眺める叔父の姿も印象的だった。

また地元の人達と和やかに話している松本さんや伊永さんの姿を見て、本当に良い人達と出会えたとしみじみと思ったこともある。

この実家で育った従妹達が工事中の実家を見た時に、とても懐かしそうに当時の思い出を沢山語って呉れたのも心に残っている。

完成した「総社アートハウス」

Phase III:第四楽章(2016年〜現在)

実家の修復工事完了の目途が立ち始めた頃に実家は総社アートハウスと命名された。また伊永さんが中心となって企画したイベント「鬼・鐵・忠」のメインのプログラムは「古代のたたら製鉄のワークショップ」、「 榎忠(えのきちゅう) の鉄のオブジェ展」と「シンポジウム”吉備と釜山と榎忠を語る”」である。「総社アートハウス」でオブジェ展が開催された(注:岡山県、アートプロジェクトおかやま連携会議、総社プロジェクト実行委員会、総社市、総社市教育委員会が主催)。

百済から渡来した鬼(温羅(うら))は総社地区にたたら製鉄技術を持ち込んだと言われている。それ以来ここが鉄の町として栄えた時期があった。榎忠はスクラップ鉄をオブジェに変身させる前衛アーティストである。

「鉄で古代と現代を繋ぐ」という意図は、素敵だと思った。さらに「廃屋寸前だった状態から蘇らせて貰った実家」において「スクラップ鉄を蘇らせたオブジェ」を展示するのは粋なアイディアだと思った。

総重量4トンのオブジェ群が展示された実家に身を置いた時に”良い気”に包まれたと感じ、これを成し遂げて下さった方々への感謝の気持ちで胸が一杯になった。

シンポジウムにおける新鮮な切り口からの講師の方々のお話しが印象に残り、多くの方々支援がこのイベントを可能にしたことを改めて実感した。

シンポジウムのプレゼンター達とイベントをサポートしたスタッフ達

榎忠さんの力作

(スクラップの鉄が変身したアーティスティックなオブジェは、光とのコラボにより様々な表情を見せてくれる)

様々な方々の出会いと懇談の場となっているオブジェ展で醸し出される良い雰囲気が、実家を生き返らせたと感じた。葬儀や法事でしか会わない親戚との和やかの懇談の機会となったのも嬉しかった。

父が「他人に実家を貸すのは絶対駄目」と私に言っていたので、従妹の一人から 私の父が「空き家になった実家を第三者に貸与し有効活用したいが、具体案がない」と言っていたと聞き、嬉しい驚きを感じた。

私の学校時代の友人達からは「カウンターでお酒を楽しみながらワイガヤしたい」「個展をやりたい」「イベントをやりたい」などの多くののポジティブな反応があった。また総社アートハウスの情報が想定外の新たな人達との出会いのきっかけとなり、人の輪の更なる広がるかも知れないと感じた。

松本さんおよび伊永さんと「今後はこのギャラリーをプロだけではなくアマチュアにも開放するべく検討しよう」と話している。

まとめ:

様々な分野の良き人との出会いが人生の充実し繋がることを実感できたのは幸運であった。また「目的を持って行動した人にのみ幸運が訪れるチャンスがある」を体験し、サーフィンの神様と言われている Jerry Lopez の言葉「Keep Paddling‼」を思い出した(注:「良い波に出会うためには大海原に出てパドリングし続けるしかない」が Lopez の行動指針)。松本さんおよび伊永さんとは「”このプロジェクトの持続”を可能とするべく後継者候補との出会いも考慮した人の輪の更なる充実と拡大が大切」を共有している。エンドマーク

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