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一般社団法人 ディレクトフォース

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 2017/7/16(No249)

昭和基地地震計が記録した疑惑の核実験

渋谷 和雄

1.はじめに

筆者

1980〜1990年代に中東・アフリカに関わりを持ったDF会員ならば、南アフリカとイスラエルが共同で1979年に核実験を行ったという「うわさ」を聞いたことがあるのではないだろうか。この事件には謎が多く、Wikipedia を Vela Incident で引くと、多くの解説・解釈が出ているが、全容はいまだに明らかではない。しかし、最近、昭和基地の地震計記録から、この Incident は海中核実験であったことが明らかになった。

2.Vela Incident

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発端は、アメリカの核実験早期警戒衛星 Vela のバングメ―タ―という光学センサーが1979年9月22日、核爆発に特徴的な二重閃光を検出した「らしい」ことである。「らしい」と言うのは、発光の特徴が不完全で、寿命が来ていたバングメ―タ―の誤認ではないか疑われたこと、発光時刻(01UT付近)後、すぐ発光場所であるアフリカ南のインド洋プリンス・エドワード諸島にアメリカは偵察機を飛ばしたが手掛かりが得られなかったからである。その2ヶ月後、オーストラリア、NZで放射性降下物採取を試みたが、確証が得られなかったことから、議論は迷走を始めることになる。

時はカ―タ―政権が核拡散防止条約の批准を推進していた時代で、アメリカ以外のどの国がどのような目的で実験を実施したにせよ、カ―タ―にとっては面目まるつぶれであった。「犯人探し」は徹底を極めたようで、状況証拠から南アフリカとイスラエルの共同実験が疑われ、2016年12月に機密解除された外交文書でも、この2国以外の可能性が除外されて行く経緯が詳しく述べられている。しかし、カ―タ―政権が設置した特別調査委員会(委員長の名前から Ruina 委員会と呼ばれる)は、「予見を排除したすべての技術的・科学的可能性を考慮した結果、Vela Incident は核実験ではなかった」と1980年1月には予備的に結論づけている。

その後、同年春に出された最終的結論は、核実験を示唆する海中音波記録を検知したとするアメリカ海軍研究所(略称NRL)の1980年2月報告(詳細は未だに機密指定されている)を無視したことから今日でも疑惑の火種として残っている。しかし、アラブ諸国とイスラエルの対立がより深刻化し、その跳ね返りをあびるのを恐れたカ―タ―政権が「すべての疑惑にふたをして(whitewash と呼ばれる)事態の収束を図った」形である。現在イスラエルは、核兵器の保持について肯定も否定もしない立場をアメリカの暗黙的支持のもと得た形になっているが、その契機になった点で、イスラエルにとっては著しい外交的勝利を呼び込んだ Incident と言って良い。

3.核実験の種類と探知方法

核実験には大気中、地下、海中の3種類がある。現象の現われ方に違いがあるため、探知のポイントも異なる。

(1)大気中核実験

1950年代は、核実験というと大気圏実験であり、1951年の太平洋実験場で行われたアメリカのグリーンハウス作戦は約400kt(1ktはダイナマイト換算で1000t=106/kg)という大きな規模であった。しかし徐々に地下実験に移行し、アメリカは1962年を最後に、大気圏内核実験を終了している。比較的遅くまで行っていたフランスも、最後の大気中核実験は1975年である。1992年の部分的核実験禁止条約締結以降、中国、インド、パキスタン、北朝鮮も大気中核実験は行っていない。大気中核爆発は早期警戒衛星により探知されやすいだけでなく、放射性降下物と言う「明瞭な痕跡を残す」から、規模の大きな実験はやり難い。包括的核実験禁止条約(CTBT; 日本は1997年に批准)では微気圧振動監視施設というグローバルネットワークが作られ(日本では千葉県いすみ市にある)、1kt クラスの小さな大気中核実験でも微気圧振動が発生・伝播することから、それを検知しようとしていて、今では網の目をくぐるのは殆ど不可能になっている。但し、爆発エネルギーの地面振動エネルギーへの変換効率が悪いことから、地震計で検知されるためには1Mt (=1000kt)オーダーの爆発規模が必要で、数kt規模だと遠地の昭和基地地震計には現れない。もし、Vela Incident が数 kt の小規模大気中核実験だったとすると、1979年という時代の狭間での特異な例ということになるが、オペレーションとしては飛行機、船艇を複数繰り出すか、大きなタワーの建設が必要で、目立ちすぎるから、私は、これはないだろうと考えている。

(2)地下核実験

地下核実験は爆心地、観測した地震計の位置の組み合わせで特徴的な地震波形が生じる。例えば昭和基地では、旧ソ連のノバヤゼムリヤとアメリカのネバダで行われた実験では波形がそれぞれ固有の「顔つき」を持ち、互いに異なる。これは、少し経験を積んだ研究者ならすぐ判るほどはっきりした特徴の「顔つき」である。地下核爆発は地震による断層運動とは違いS波が発生せず、どの観測点であっても、上下動の立ち上がりが鋭いピークで特徴づけられ、あとは単調に減衰して20〜30秒でノイズと区別できなくなる。Vela Incident に関して言うと、9月21〜23日、地下核実験に該当する波形が記録されたという報告は世界的になく、昭和基地でも記録されていない。しかし、数 kt クラスの小規模地下核実験が南アフリカ内地で行われたとなると、事情は少し複雑になる。ゴードン・トーマスという情報機関上がりの作家がギデオンのスパイ(邦訳名:憂国のスパイ、東江一起訳、光文社刊)という著作の中で、核実験は1979年9月14日だった、と具体的に記述したこともあり、私は国際地震センター(ISCと呼ばれる)の記録を調べたことがある。同日、南アフリカで「地震」の連発があったことがログとして残っているが、震源地は金鉱山採掘地域の中にあり、生の記録波形が手に入らない(鉱山会社はこれらを機密扱いしている)状況では、14日の鉱山地震か実際には核実験だったかどうか判別するのは不可能であった。しかし、ゴードン・トーマスは実験地がプリンス・エドワード島とも記述している。無人島で、約1〜2 km深さまで坑道を掘って爆弾を設置しなければならない手間を考えると、器材運搬、掘削作業が目立ちすぎる点が障壁で、実際上のメリットもないことから、この地下核実験説は机上の空論と言わざるを得ない。

(3)水中核実験

認定されている海中核実験というのは、有史以来、実はない。先に述べたNRLは大西洋アセンション島とカナダ・ニューファウンドランド(図1中、黄色の丸印)に設置された記録計(具体的には書かれていないが潜水艦探知用のソナー群と思われる)が Vela Incident に該当する hydro−acoustic wave(海中音波)を捉えたと主張しているので、正しければこれが初めての例になる。アセンションでは直達音波が捉えられ、ニューファウンドランドでは南極大陸で反射して届いた反射波が捉えられ、S/N比(雑音レベルに対する信号強度)が25 db(約300倍)あったと極めて具体性が高い報告になっている。但し、海中音波と言うのは振幅変動が激しく、クジラの鳴き声をひろえるほど感度を上げているので実際の記録を見ない限り、判断が難しい。また、NRLが記載したアセンションでの検出時刻0243UTは先に述べたバングメーターの発光検知時刻と調和しているが、次に述べる昭和基地地震計の検出時刻とは約12時間の差があり、説明がつかない。この点については後ほど考察する。

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一方、昭和基地(図1の赤丸)の Vela Incident に該当する地震計記録は、萩原式地震計(萩原尊礼・当時東大地震研教授の設計)といって周波数特性が0.1〜1秒の信号検出に最適化したものになっていて、近地の小さな地震(M = 3〜4)の検出も可能であった。1970〜1980年代には海洋性地殻構造を研究するために1 t クラスのダイナマイトを使用した海中爆破実験が行われていて、その類推から、数ktの海中核爆発が発生する地震波形にはほぼ一定振幅で卓越周波数0.5〜1秒のバブル振動が数分間継続し、それから徐々に減衰していくことが判っていた。そして、昭和基地の地震記録のなかに、最初の到着時刻が15h03m46sUTで上記の特徴を持つものが3ヶ、30分以内に立て続けに起きていたことがわかったのである。地震波は20分あれば発震地の裏側まで届く。Vela Incident の発生時刻である01UTが正しければ、01〜02UTの間にこの海中核爆発の特徴を持つ波が昭和基地地震計で記録されていなければならないが、そうはなっていない。以上を総合すると、Vela Incident に対する合理的な解釈は次のようにまとめられる。

Vela Incident と名付けられているが、大気中核実験ではない。従って、放射性降下物が検出されなかったことも、説明がつく。また、14日に南アフリカ内地で、22日にプリンス・エドワード島という2つの異なる場所で、異なる2つの方法で核実験を行う利点は何もないから、地下核実験説も排除される。昭和基地地震計データは、海中核爆発説を強く支持している。発生した特徴的なバブル振動が3回立て続けに観測されていることから、数 kt レベルの爆発を3-4回実施できるだけのプルトニウムをイスラエルが南アフリカに供給したという説も信ぴょう性が高い。また、22日の数日前に南アフリカの艦艇一隻が軍港を出港し、南へ向かったというCIA情報も、小規模なオペレーションで実施できる海中核実験説と合致している。

最大の謎は、バングメーターが Incident を検知したと言われる01 UTという時刻がどこから来たかである。実は二重閃光が本当になかったとなると01 UTに実験が行われたという、客観的に裏づけのあるデータは何もないことになる。それにも関わらずNRLの海中音波検出時刻が0243 UTという尤もらしい時刻になっているのは何故だろうか?ソナーは絶対時刻に基づいた記録なのだろうか、それとも、何らかの設定時刻からの相対時間であろうか?まだ、謎は多い。一方、昭和基地の地震観測は当時の世界標準地震観測網(WWSSN と呼ばれる)の一環として実施されていたもので、時刻はUTで管理されていた。図1の左下隅のスコチア地震(白丸)は、Vela Incident の1日前に発生したものだが、昭和基地同様、オーストラリアのモーソン基地(右端の赤丸)でも観測されていて、両者の着震時刻は整合性がとれている。すなわち、昭和基地地震計の Incident 検知時刻である15h03mUTは「絶対に正しい」。これは、爆破時刻が14h59mであることをも意味している。まだ9月という冬季の暴風圏下で01UTという暗夜に、極めて危険な実験を初めて実施したというのは、極域のフィールド科学者としては納得しがたい説であったが、〜15UT実施なら納得できる。

憂国のスパイを読むと、南アフリカとイスラエルの核実験に関して、いやというほどの謀略、騙し合いが行われたとある。40年後の今になって、偶然ではあるが昭和基地地震計記録を精査して、私はある種の感慨を禁じ得ない。「人は騙せる、しかし、地球は騙せない」と。

Vela Incident の昭和基地地震計記録について、

当時の記録は上下、東西、南北成分ごとにフィルムに記録されていた。フィルムは余白を含めて62 cm 長で、約2 cm/min 速度で30分地面振動を記録し、0.5 mm間隔をあけて次の30分ラインに移り、24 mm幅に48ラインの1日記録が描かれる。フィルムは毎日、交換され、交換日時と記録開始時刻がフィルム上にメモされた。通常はマイクロフィルムリーダーで拡大し、読み取る。

上図はその一部(SpEは東西成分を示す)だが、下記のURLサイトにアクセスし、Appendix 最下段の Arrange microfilms ボタンを押せば、記録コピーをダウンロード(PDF)できる。エンドマーク

http://polaris.nipr.ac.jp/~geophys-notes/Note/note44/index.html

 

しぶやかずお ディレクトフォース会員(1075)
国立極地研究所・名誉教授 総研大・名誉教授 

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