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 2017/12/16(No259)

「少林寺拳法の日中交流」― その2 ―

米田 敬智

私

1.2017年少林寺拳法大学生拳士訪中団(PART 1 ー 北京にて)

2年前に続いて少林寺拳法グループの訪中団に参加してまいりました。今回は中国からの招きで、8月28日〜9月3日の1週間、少林寺拳法大学生拳士訪中団の副団長としての参加でしたが、全国から集った大学生拳士59名を宗由貴団長はじめ12名の引率で、北京→鄭州(ていしゅう)登封(とうほう)→上海と廻ってくる、日中の若者の交流を目的とした旅です。

今年は特に日中国交正常化45周年の節目の年として、北京大学で「中日大学生千人交流大会」なる公式行事が催され、中国側から 劉延東(りゅうえんとう) 副総理出席の下、日中それぞれ5百人の大学生が交流し、友好宣言がなされました。そのオープニングに少林寺拳法が演武披露する栄に浴し、全員揃って団体演武で出演、会場で盛んな喝采を博しました。この様子は NHK NEWS WEB でも放映されています。また、少林寺拳法の代表として、学連委員長と東大4年生の2名が、要人との記念撮影や地元テレビ局のインタヴューに招かれ、活躍してくれました。

それと前後して北京大学の国際関係学院と交流したり、学内ベンチャーを見学したりしましたが、中国人学生のエネルギー溢れる起業精神には目を見張るものがあります。北京では万里の長城や古い街並みの胡同(フートン)を観光する中、空が高く青いのに気づき、「北京秋天」は死語ではないことにほのかな感動を覚えました。また、IT企業の LENOVO 社を視察しましたが、最先端技術が随所に見られ、その自信とパワーを目の当たりにして、中国侮り難しとの感を新たにしたものです。

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北京から高鉄(新幹線)で鄭州に移動し、鄭州大学で両国学生同士の演武交流、文化交流、そして宗道臣文庫見学と精力的に活動しました。宗道臣文庫というのは、鄭州大学での日本語習得に役立ててもらおうと少林寺拳法グループから3万冊余の日本語図書を寄贈し、それを多として「宗道臣文庫」と命名、設置されたものですが、幸い同大学での日本語学習意欲はひときわ高いようで、嬉しく思っています。そしていよいよ嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)の在る登封に向かいました。

なお、「少林寺拳法」は日本人宗道臣師の創始した、日本独自の修行法・システムの呼称、「嵩山少林寺」は中国の寺院の呼称ですので、予めご承知おき下さい。

2.2017年少林寺拳法大学生拳士訪中団( PART 2 ー 嵩山少林寺にて)

嵩山少林寺ではひとつ嬉しい出来事に出会いました。いつものように朝練を観に行ったところ、全員食堂に朝餉のお招きを受けました。釋永信(シー・ヨンシン) 方丈の先導の下、修行の一環として僧侶が食するその後ろで精進料理を頂戴したわけです。アルミのボウル一対の食器に、火を通した各種野菜と白粥がそれぞれたっぷり注がれ、ささやき一つ許されない厳粛な空気の中、ひたすら食しましたが、武僧も食べるだけあってか、かなりボリュームがあり“元気の出る”精進料理でした。それはともかく、普通では立ち入れない場所に、これまでの訪中では一度もなかった得難い経験をでき、親近感あるもてなしに何か深い絆を感じたものです。

ここでちょっと嵩山少林寺のことを概括させていただきますと、嵩山少林寺は中国禅宗のメッカ、総本山で、建寺は古く西暦495年。かの達磨大師が仏教中興の志をもって入山したのはそれから30年ほど後のことで、禅の教えと印度拳法を基に「禅」「武」「医」一体の修行を伝え広めたと言われており、嵩山少林寺は「禅宗の初庭」として崇められる一方、古くから「天下の武芸、少林寺より出づ」と武勇の名を馳せています。むしろこちらの方が有名でしょうか。唐や明の時代には寺僧2千人を超える大寺として君臨していた時代もありました。しかしその後、清の武術禁止令や中華民国時代の軍閥の跋扈で存亡の危機に陥り、戦中、のちの少林寺拳法創始者の宗道臣師が訪れたのはそうした苦難の時期でしたが、戦後の再訪以来、永年に亘って日本側からさまざまな協力支援を続けるうち、かの映画「少林寺」をキッカケに大復活を遂げ今日に至っています。

朝餉のあとは山門から進み、宗道臣(そう どうしん)開祖帰山記念碑、鼓楼(ころう)のほか、白衣殿(びゃくえでん)羅漢練拳( らかんれんけん )壁画)、千仏殿(武僧脚坑(ぶそうきゃっこう) で有名)と特別拝観させていただきました。その間、方丈室で釋永信師との会見もあり、日本の少林寺拳法創始70周年レセプションへの招待と、前回に続き東文研の中国史跡集第3巻の贈呈も執り行いました。方丈から、いつもながら「嵩山少林寺の今日あるは、日本の少林寺拳法のおかげ」の言葉に、先人の努力の積み重ねに想いを巡らせたものです。なお建物の名前が並んでも一般の方にはピンときにくいでしょうから、そのうち特に日本の少林寺拳法とゆかりの深い2つの建造物について説明したいと思います。

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1つは宗道臣開祖帰山記念碑。これは前述の通り宗道臣師が日中国交正常化後に再訪したのを記念に建立された石碑で、少林寺拳法を志す者にとってはいわば絆の原点となるものです。しかし実はあの映画「少林寺」もこの宗道臣師の帰山を記念して製作されたということは意外と知られていないのではないでしょうか。映画製作に当たって少林寺拳法グループが映画会社と嵩山少林寺との仲介の労をとったり、技術指導したことは前回触れましたが、映画「少林寺」のプロローグにその帰山の模様が映し出されていたことをご記憶の方もおられるでしょうか。その関係で、主役の李連傑(リー・リェンジエ) (英語名ジェット・リー)氏が1986年、香川県多度津町の総本山を表敬に見えた写真が右図(右から4人目、その1人置いて左が宗由貴総裁)です。

もう1つは白衣殿。これまで少林寺拳法として、苦難の時期にあった嵩山少林寺の復興支援を積極的に行なってきており、この白衣殿の羅漢練拳壁画もその1つですが、これこそは少林寺拳法創始の原動力、修行法のヒントとなった、拳士にとっては憧れのシンボルです。そこでは色の黒い僧と白い僧がペアで楽しそうに技を掛け合い、上達を図る様がイキイキと描かれており、宗道臣開祖がこれが本当の武道の在り方と閃いた壁画で、のちの「組手主体」「自他共楽」など少林寺拳法の教えや特長につながる原点であるわけです(白衣殿の壁画は基本的に非公開ですので、画像の掲載は控えさせていただきます)。

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また境内拝観と前後して禅宗少林・音楽大典(ミュージカル)や嵩山少林寺武僧団培訓基地(トレーニングセンター)の表演も見学しました。禅宗少林・音楽大典は雄大な山系の自然をバックに300人もの出演者を動員し、ITもふんだんに駆使した嵩山少林寺の一大スペクタクルですが、そのスケールの大きさにはいつもながら舌を巻きます。嵩山少林寺武僧団培訓基地は、嵩山少林寺の周辺にある武術訓練学校の最有力校の1つですが、こうした武術学校は数十とあって、常時10万人が訓練していると言われています。通常嵩山少林寺では年間の僧侶の採用は30〜40名程度と狭き門のため、少林武術を希望する全国から集まった青少年のほとんどがこの周辺の学校でトレーニングに励んでいるようです。こちらもパワーとスケールの大きさでは負けていません。そうやって盛りだくさんの登封をあとにしました。

最後の訪問地上海へ移動し、外灘( ワイタン)や豫園の観光、ショッピングなどを終え、旅の終わりを迎えました。この間、毎日のように招宴があり、実に中身の濃い、変化に富んだ1週間でした。平均睡眠時間も1日3〜4時間で、かなりハードなスケジュールに体調を崩した人もいましたが、しかし学生諸君はそれ以上の多くのものを得て帰国してくれたように思います。

私たちの日中交流活動の底流にあるのは、宗道臣開祖の「日中の友好なくしてアジアの平和はありえず、アジアの平和なくして世界の平和はありえない」という確固たる理念ですが、今の日中交流の一番の課題は、次の世代にどうつないでいくかであると思っています。しかし現在、中国から日本への訪問者は多いのですが、日本から中国への訪問者は大きく減っているのが現状です。「百聞は一見に如かず」の言葉通りの状況ですね。そこで結団式のとき、私は団員に3つのシンプルな目標を提示しました。

  • ① ありのままの中国を素直によく見てくること
  • ② 中国の若者たちと積極的に交流してくること
  • ③ 帰国後、自分の印象や考えを周囲に良く伝えること

今度の訪中を通して学生たちは自分なりの中国観(の第一歩)を身につけたと思いますし、それが今後の中国との関わりにおいて、いささかなりとも役立つものに育っていくことを期待しています。実際、参加学生からは、中国の溢れるエネルギーや新旧の混在・融合、メディア報道とのギャップを感じ、隣国中国とは自分の目と心で向き合っていきたいとの声が、数多く聞かれました。

3.少林寺拳法創始70周年と東京大学少林寺拳法部創部55周年

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少林寺拳法としてこういった日中交流を40年も続けてきましたが、それについては今年9月19〜22日に日経夕刊の「こころの玉手箱」(左図)で少林寺拳法グループの宗由貴総裁が紹介されましたので、ご覧になった方もおられると思います。そこでは特に日中交流と人づくりに紙面の多くが割かれており、廖承志(リャオ・チョンヂー) さんと宗道臣開祖の出会い、日中友好にかける心の通い合いから始まり、人づくりを目指す少林寺拳法の在り方、そしてまた社会にどう関わり役立っていくべきか ‥‥ と展開されていき、これらを通して「自己確立」と「自他共楽」の理念のことが分かりやすく鮮やかに語られておりますので、そちらもご覧いただけたらと思います。

この機会に、少林寺拳法について若干敷衍しますと、宗道臣開祖が戦前と戦中に中国で身につけた拳技を戦後日本に持ち帰って、人づくりのための行として独自の技法を編み出し、「自己確立」「自他共楽」の教えに沿った教育システムを確立し、それを「少林寺拳法」と名付けました。命名の由来は嵩山少林寺で目にした先ほどの白衣殿の壁画ですが、そこに描かれた修練の様子に心を打たれ、達磨大師が遺した修行の在り方をヒントに、「拳禅一如(けんぜんいちにょ)」とも「力愛不二(りきあいふに)」とも呼ばれる身心一体の修行法で、身体と心を同時に高める体系としてつくりあげたものです。また「守主攻従」「剛柔一体」「組手主体」など優れた護身術として高い評価が定着しており、いまや世界に拳士・会員数は延べ約180万人、3,350の道院や支部から成っています。

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それにしても今年は少林寺拳法の関係者にとって周年行事の当たり年になりました。少林寺拳法創始70周年の今年、「架け橋」をテーマに7月には米国カリフォルニア州サンマテオでの「世界大会」開催、そして8月〜9月は前述の「大学生拳士訪中」、さらに11月には総本山のある香川県多度津町で「ブルースカイキャンパス in 多度津」と題する大博覧会(!)です。ここに中国河南省留学生OB団も招聘し、恩師や同窓生との旧交を温める催しも数多く組まれました。少林寺拳法は河南省から毎年日本語研修のため留学生を受入れ、それを20数年続けてきましたが、そのOBは河南省政府の幹部になるなど各分野で活躍しています。そのうち今年14名ほどが多度津町にセンチメンタルジャーニーで帰ってきたわけで、まさに「有朋自遠方来、不亦楽乎」でした。そのOB団から寄贈された「銘板」は、日中友好の証しとして次の世代に語り継がれていくものと期待されています。

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周年行事は少林寺拳法グループだけではありません。東京大学少林寺拳法部も今年創部55周年を迎え、OB・OG会組織の拳生会もちょうど設立50年の節目に当たります。東大少林寺拳法部について少し紹介しますと、1962年に創部、関東の大学の中では歴史もあり、部員も多い時で100名、今でも40名余と活動も極めて活発です。大会成績を一例に取りますと ーー もちろん大会成績が第1というわけでは決してなく、“活発さ”を表わす一例としてご理解ください ーー 、過去関東学生大会で9連覇を果たすなど、世間的な東大のイメージとはかなり異なるのではないでしょうか。この4年間でも総合優勝3回、準優勝1回と頑張ってくれていますし、また国立大学戦(いわゆる旧七帝戦)では6連覇中です。それ以上に部の雰囲気が楽しそうで活気があり、部員が部活動をエンジョイしている姿が一番です。拳生会の方は会員数も1,000名を超し、OB会として全国でもトップクラスの規模や内容ではないかと思います。日頃から会員相互の親睦、現役との交流支援など極めて活発に活動しています。

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12月には東大の七徳堂ほかで55周年記念式典を開催しましたが、凡そ200人のOB・OGが参加し、周年を祝い賑わいました。余談ながら、そこで私も50年ぶりに奉納演武を披露することとなり、49歳も下の後輩と1年がかりの練習を経て、「半世紀超えの演武」と銘打った組演武に臨みました。古希を過ぎての年寄りの冷や水ではありますが、若いパートナーに支えられ、出席者にも大いに楽しんでもらえたようでホッとしています。こうして世代を超えて交流できる喜びを味わえるのも少林寺拳法ならではの魅力ではないでしょうか。これを無事終了して私の今年の少林寺拳法活動は締めくくりとなりました。エンドマーク

前回のメンバーズ・エッセーNo.209 ( 2015/11/15 ) もご参照ください。

よねだ たかとも ディレクトフォース会員(952)
少林寺拳法グループ日中交流プロジェクト委員会委員長
東京大学拳生会(少林寺拳法部OB・OG会) 森永乳業株式会社

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