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一般社団法人 ディレクトフォース

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2020/11/01(No.328)

失われた30年を考える:ポストコロナ禍への一視座

 

濱名 均

織田文雄

日本の失われた30年というが、1990年の東京株式市場の急落に始まる「バブル経済」崩壊後の態様を見てみると、2020年の「コロナウイルス禍」の状況において、その意味をはっきりと正確に認識することが必要であると思われる。

第2次安倍内閣の7年9か月のアベノミクスの経済安定期を経たといえども、「資本側のソフトランディングと労働側のハードランディング」の構図をなきものにすることはできない。それどころかコロナ禍において労働側内部には一層の格差が生じている。

生産の3要素である「ヒト・モノ・カネ」のモノとカネを総称する「資本側」は、時の日本政府の必死の努力及びその後のアメリカ仕込みのマネタリズム(新自由主義とも言う)によって、概してソフトランディングで来ていると言い得る。他方「労働側」は、生産の3要素でありかつ住みである企業自体を壊してしまっては、そこで働く労働者(ホワイトカラーを含む)にとっても本末転倒の状態に陥ることになるので資本側に協力的であった。いわゆる労使運命共同体の考え方であった。しかしながら、資本側はそれを奇貨として働く人々(生産の3要素でいう労働・ヒト)を分断して、上流労働者・下流労働者を創出して、経済(企業経営)を安定化させるという行為を行ってきたのも事実である。

また人々を過去の理想であった競争社会に放り込んだままにしていたと言い得る。高度成長時代においては「競争原理」は妥当な社会・経済政策と言い得たであろう。しかしながら、低成長時代・安定成長時代に於いては「競争原理」ではなく、「共生原理」が国家の方針としては妥当性を持ち得ると思う。「共生社会」という言葉がブームになったことがあったが、国家の方針にまでならないうちに全体経済が悪化してしまい、国の経済全体のかじ取りに反映されることなく、現在では単なる理念ベースのものになっている。コロナ禍の非常事態の経済社会においては、それを考え・議論する余裕すらないというのが実情ではなかろうか。

USフロリダにある、デズニー・ワールドの「EPCOT
元々は、未来的な理想都市を目指し、一つの独立した共同体を作る計画であったが、ウォルトの死により継続不可となり、
現在、未来をテーマとしたテーマパークとなっている

一つ、社会としての反省点があると思う。「共生社会」という考え方が何ゆえに国家のビジョンになり得なかったのかを考えてみる。思うに共生社会が弱者救済的な意味合いにすり替えられて一般化されずに、「人々を支え合って尊敬しあう社会」という本来的な社会の形成ということにはならなかった様に思われる。元東京地検特捜部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した堀田力さんは退官後「さわやか福祉財団」を設立して、共生社会の実現に奔走したと思う。また心ある理想に燃えた大学の社会科学系の学者は、同様に「共生社会」の学術的なアプローチを試みた。そしてマスコミに関わるインテリゲンチャ―等も新聞紙上・テレビ等で「共生社会」の到来を願い、実現に向けて構想を演出していた。

しかしいつの間にか「共生社会」ではなく、「新自由主義」の思想がじんわりと世間に浸透していった。なぜそうなったのか。「共生社会」は単なる理想・空想だったのか。今後も研究してみる価値はありそうだ。

現在と近未来を見通すと、ほんの僅かな人々の利権と引き換えに「労働側の分断」がさらに行われていくと言って差し支えないであろう。しかしながら、今日の一般の働く者から見ると、無駄の多い固定化された一部の働く者の利権構造が存在し続けているのも事実である。その一つの事例としていわゆる行政改革が喫緊の課題であることは論を待たないし、現政権もこれを重要な解決すべき課題として取り組んでいく姿勢は評価に値する。そこでは既得権益にメスを入れるのであるから、相当にしっかりとした理念と緻密な戦略思考が必要とされる。

薬師寺東塔の三重塔
薬師寺三重塔は、「心豊かな社会」を
我が国に実現しようというメッセージを込めて
天平2年(西暦730年)に建立された

一般の庶民を含めてコロナ禍において経済と社会生活は大変である。政府の経済的救済策があるので、当面はどうにか社会全体として乗り切っていくものと思われる。しかしながら、財政や予算の裏付けがないままに貨幣(お金)を供給しているのが実態である。緊急事態への対応であり日本だけではなく、世界中がそうなのである。そのおかげで1930年代のような世界恐慌にはならずに済んでいるのである。

であるから各国それぞれの政府は批判される謂れはない。しかしポストコロナ禍においては、その政策の反動が訪れることは容易に想像できる。そのときの「人々の心を支え合う国家ビジョン」なり「地域社会や企業といった中間組織での支え合う共同体」が必要となるだろう。心の問題は重要である。日本の社会全体としてその準備ができているのか甚だ疑問である。人々が社会や国の在り方をもっと身近なベースでも考えて、支え合うというビジョンを持って実行に向かわなくではいけないと思うが如何であろうか?エンドマーク

はまなひとし 企業ガバナンス部会(会員No734)
現 サービス経済研究センター 元オリエンタルランド

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