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一般社団法人 ディレクトフォース

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2014/07/16(No177)

サラリーマン、坊主になるの記
ーー 背中で経を読む ーー

茶野 浄蓮(善作)

筆者60歳の頃、京都東本願寺にて得度(仏教における僧侶となるための出家の儀式)し、私は僧侶になった。家が寺でもないし、およそ宗教ごとと何の関係もない私がである。接点らしきものと言えば、若い頃会社の近くの禅寺へ毎日曜日参禅に行ったくらいだ。

私が腰を据えて仏教に関わりだしたのは、50歳頃からで、釈迦に興味を持ったからだ。何故かというと、今から2,500年も昔、インドの片田舎で1人の乞食坊主が、突然「オレは目覚めた。オレは如来なるぞ」と言い出し、この世の真理とやらを説き出した。この内容は転法輪経という原始経典に残されているが、読んでもさっぱり理解出来ない代物である。こんなことが、2,500年経っても、今尚、人々の信仰の対象になっているなんて、ここには何かあるな、生涯を掛けて追求する価値がありそうだと思ったのが、仏道に入るきっかけだった。

仏道の追求は全て聞法*に始まる。仕事を捨て家族を捨て山や寺に籠り修行するのが常道だが、私にはそれは出来なかった。で、仏教学者や高僧のお話を聞き漁った。実に感動を覚える話も一杯聞いたが、その内段々と詰まらなくなった。似たような話が多く、人間の底にある疑問に直接向いているような話が少ないからだった。

そんな折、遭遇したのが、曽我部正幸先生だった。先生は、「私達には肉体の命以外に、"寿(じゅ)なる" もう一つの ”いのち” がある。釈迦はそう言っている。」と平然と言われた。初めて聞く話だった。日本仏教では、霊魂否定の立場を取る宗派が多く、私もそう思っていたので、驚天動地だった。先生は僧侶でも学者でもない普通の市井人で、50歳まで三菱重工で零戦を研究されていた人なのだが、死の恐怖に苛まれ、仏道追求に入られた方だった。サンスクリット(S語)の大家で、自らその文法書を編纂しておられるくらいだ。「原始経典をS語で読まない限り、釈迦の教えは分からない」が口癖だった。私の仏教理解は大いに前進した。

そんな折、真宗のある住職(本荘了淳先生)に巡り会え、私の強い願望と先生の力で得度出来る機会に恵まれた。得度には寺持ち住職の推薦と寺の在所県全寺の代表僧の推薦が必要なのだが、先生のお力でなんとかなった。得度式の前日に、カミソリで頭をすっかり剃られた時はやはり特別な気持ちになった。

僧侶になると、当然葬儀や法事をやらねばならなくなる。長い間本願寺にて修練を受けて来たが、不思議なことに葬儀のやり方は教えてもらえない。マニュアルそのものがない。ガイドライン的なものは一応あるが、要は先輩のやっているのを真似てやりなさいと言う事だ。葬儀式の、あの悲しみと荘厳さと静粛の中で見よう見真似でリハーサルなしで式を執行するのである。新人僧侶には口から胃が出て来るような緊張である。参列者の中には、式の手順、お経の節廻し等にうるさい方も居、式後に文句が来たりもする。その上後に続く焼場の釜の時間は厳守なので、所定の時間内にピタリと読経を終らねばならない。読経は途中で止める事は不吉とされている。参列者から見れば、坊主が意味不明の経を適当に読んでいる様に見えているかも知れないが、必死である。

2、3年たって少し慣れて来た頃、読経しながら思い出した事があった。得度する大分前に霞ヶ浦近郊の禅寺で修行した時、聞いた住職の話なのだが、「私はお経を読む時、背中で読む様にしています。聞く人が常に私の背後に居るので」と言われた。「背中で経を読む!」ウーン凄い言葉だとは思うものの、やって見ろと言われ出来るものではない。サラリーマン時代、「背中で語れ」と言われた様に思う。人の上にたつと部下はその背中を見ている。口先だけでものを言っても部下は付いてこないよと。同じことなのかなあと思うばかりだった。

ある時、マスコミで活躍しておられるコピーライターの女性のお母さんの葬儀をやったことがある。彼女は仏事には全く関心はなさそうだったが、知性的で落ち着いた中年の落ち着きを一杯持たれた方だった。私も心を散らす事なく、忘我の気持ちで読経に埋没できた。式後、彼女がわざわざ私の所に来られ、式の出だしに唱えたお経を開いていたら、天から阿弥陀様が降りて来られる様に感じたのですが、あれはそんな意味のお経ですかと聞いて来た。私はビックリした。まさしくその経は仏にその場に降りて呉れる様に願う偈文*だったからです。背中で読むとはこう言う事なんだと、初めて自覚出来た瞬間だった。

得度して12年、未だ未熟の域を出ない私だが、サラリーマン時代には決して分からなかった事や決して体験出来なかった不思議な出来事などを知った事は、よかったなあと思うこの頃ではある。マーク

ちゃのぜんさく ディレクトフォース会員(会員No.360)
元新日鉄 東海鋼材 中央ビルト工業

編集註:*聞法:もんぽう=仏の教えを聴聞すること *偈文:げもん=菩薩を称えた語句

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