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2014/03/16(No169)

居ながらに合わす9年目の春

   白血病からの生還、そして   

跡部 浩一

筆者あれから9年目の春を迎えている。お・か・げ・さ・ま。

忘れもしない2005年1月6日、15時36分。「ほぼ間違いなく急性骨髄性白血病です」と、いきなりの告知‥‥。思わず、腕時計を見て「ご臨終です」と宣告されたような錯覚を今でも覚えている。約2週間後には58歳に‥‥、なんとも短い人生になったものかと、その晩、緊急入院先のベッドの上で、驚愕しつつ悶々と過ごしたものである。

以来、203日間の隔離病棟の中で、冬・春・梅雨・夏を過ごし、幸運にも退院できた。7ケ月振りの外気に触れ、頬に触れる真夏の風を受け、生きて娑婆に戻れたことを実感した。

急性白血病‥‥骨髄での造血機能がガンに侵され、正常な血液再生ができずに死に至る悪性のガン。原因は未だに不明。私の場合は、何の前触れもなく、突然、訪れた。

5日の新年恒例の挨拶廻り先で、主治医から「16時までに戻れないか」との連絡を受けて、急ぎ帰社。先月の検査結果で「白血球が1500に低下している。再度、検査したい」とのこと。翌朝、出向くと「600に低下の異常事態」と言われ、大學病院での精密検査を受けることとなり、冒頭の次第となった。若い頃から「不規則を規則正しく」してきたお蔭で、年1回の人間ドックにプラスして、2ケ月に1回の血液検査の受診を指導されたことが「早期発見・早期治療」に繋がった。いのちの大きな分岐点だった。

退院直前の筆者

しかし、7ケ月間に亘る抗がん剤治療とその副作用との争いは、筆舌に尽くし難いが、それ以上に、このような過酷な試練を求められる原因は、これまでの私の人生の何処にあったのかの自責の念と、残される家族のこと、新たに任された会社の更生のこと等など、自問自答の昏迷するこころの葛藤にこそ悶え苦しんだ時間でもあった、と思う。

この苦境を支えてくれたのは、妻や家族はもとより、延べ480名ともなったお見舞いの方々の存在であり、こころ温まる励ましであった。インターフォン越しの会話ではあったが、まさに下界とを繋ぐ懸け橋のような声と笑顔に支えられた。そして、隔離された同じ環境の中で、生死を見つめ合った患者仲間との交流。まさに、人と共に生きていることを実感した時間であった。

でも、現実は厳しくも冷酷であった。入院の晩に渡された書面は、今後の治療方針についての解説だったが、難解な医学用語とカタカナ・英語の羅列で、杳として理解不能なもの‥‥唯一、理解できたのは「2年後の生存率46%」と、この治療方針に【合意するか否か】の遠慮会釈もない、無機質な通告であった。その後、メールの交換もした当時の患者仲間が13人いたが、退院後を通じた2年半で、7名が逝去。生存率46%は、現実のものとなった。歌手の本田美奈子さん(当時38歳)もその一人であり、死が隣り合わせにある常を嫌と言うほどに思い知らされた。

退院後、9月中旬から仕事に復帰して4年間、新たな事業展開の基盤もでき、勤続40年を節目に「会社人生引退」を決意。肩書のない、新たな人生を歩むこととした。

その間にも、私を見舞ってくれた方々の中で、8名が逝去され、自分が、「生かされている」ことを改めて痛感、「残された意味」「このいのちをどう活かすべきか」の難題を新たに抱えることとなった。正直、悩み抜いたが、抗がん剤と葛藤している中で学んだこと―「原因究明等に思い悩むより、あるがままに受け入れ、自然体で生きること」を大事にして、これまで出来なかった「新しい世界を探して、生きる」こととした。

その1つは、名古屋の某大学で、次代を担う学生を育てる一助を分担すること。

この講師活動は、昨年3月で区切りをつけたが、「保険実務」と「生きる」をテーマに、都合2000名を超える学生との縁を得て、教育の在り方の重要性を学ぶことができた。

2つ目は、会社の大先輩・福田耕治さんのご紹介で参加させて頂いた、DFの活動も、真新しい世界で、早速、カラオケ・蕎麦打ち同好会に参加し、昨年暮れまで設立時から参加した歌舞伎同好会の世話役も担わせて頂き、貴重なご縁を多くの方から頂いた。

3つ目は、本田美奈子さんと入院中に構想し、美奈子さんの遺志ともなった「白血病・難病支援のボランティア活動」の2課題で、

  1. お世話になった都内大学病院で、
  1. フロアコンサートの開催(年1回。5回開催。今年はDFコーラス部の参加も企画中)
  2. 白血病隔離病棟でのライブラリーの設置と図書・CDの寄贈(都合、8000点を超え、現在は外来棟の図書室にも拡大)
  3. 病院内に写真の寄贈と掲示
  4. その他のイベント等
  5. を原則、私の「いのちのセミナー」活動を原資に、出身母体のグループ企業・OB会の支援を得て、地道に、息長く継続させて頂いている。支援の輪も拡がり、嬉しい限りだ。

  1. もうひとつは、美奈子さんの急逝後、設立した「NPOリブ・フォー・ライフ美奈子基金」の広報委員会を担当し、活動の広報・会員の拡大、追悼コンサート等の活動に参加している。
居合道の稽古風景

4つ目は、入院中16㌔も減量した身体と足腰の回復と同時に、再発の恐れを抱きながら、俯き加減に生きることを避けたい思いで、古武道・居合道の世界へ。これも「新たな世界への挑戦」として迷わずに入門。日本刀を用いての型稽古であるが、自然体で生きたいとの大病の教訓と「不意の攻撃に、居ながらにして合わす」居合道の理合に共感して、退職後4年間の見様見真似の稽古を経て、昨年9月に三段に昇段できた。

居合道の三段は、基礎稽古の仕上げ段階とご理解頂ければいいと思いますが、大学生が入学、居合道部に入門され、卒業の3月に三段昇段試験を受けるのが最速の期間である。その同じ時間軸で、大病を経た66歳の年寄りの挑戦課題としては、それなりの自信を持たせてくれたものと感謝している。昇段には稽古期間が定められているため、今後も順調にいけば、69歳で四段、73歳で五段、を「生涯目標」にして挑戦し続けてみるつもりである。

「団塊の世代」だの「前期高齢者群」と揶揄される世代ではありますが、DFで先を歩む諸先輩に負けず劣らず、何よりも「生かされていることに感謝」しつつ、これらの活動を生涯の課題に、何のために「生きるか」を自問自答しながら、常に「目標を持って」いのちある限りを生きたいと思っている。ボランティア活動へのご理解とご支援もよろしくお願い致します。マーク

あとべこういち ディレクトフォース会員(会員No712)
元あいおい損害保険 あいおい保険ファイナンス

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